あの時、自分はまだティーネイジャーだった。電車を降りて、金網をよじ登り、尾崎豊「17歳の地図」のジャケットみたいに、ひらりフェンスを飛び越えた。あの頃、何も怖いものがなかった。馬鹿だったから。
それ以来、33年ぶりに大船駅に来た。駅が巨大になっていて驚いた。
改札の外にジャンさんが待っていた。目指すはジャンさん行きつけの店、「との山」。ジャンさんが毎回うまいものを食べている、あのお店である。
まずは店構えからして玄人筋である。竹炭の屋根、赤い暖簾、一枚板の看板。どれをとっても重厚だ。
店内はカウンターとテーブル、そして小上がりがあり、それなりに広い。一枚板の立派なカウンターに座らせてもらった。カウンターには、おばんざい風の大皿料理が盛られ、ジャンさんはその確認に余念がない。さすがだ。
とうとう来てしまった、京浜東北線の終着駅。白亜の大船観音が鎮座する町。
まずは生ビールで乾杯。アサヒスーパードライの樽生は中ジョッキで500円。良心的な値段だ。まずは「牛バラ串」からスタート。これぞ炭火焼のお店の真骨頂! 慣らし運転なしの、いきなりのフルスロットル。いきなり4番バッターが出てきた感じ。肉から次はいきなり魚介お造りという変わり身。をまだ若いスタッフが切り盛りしているのだが、相当な実力者とうかがえる。
そのリーダーらしき若者とジャンさんののやりとりがまた面白かった。ブログで読むとジャンさんはかなり辛辣にスタッフに話しているように見受けられるが、実際は優しさを含んだ物言いなのである。
お造りの後、またもや串焼きに戻り、そのタイミングで、ジャンさんが日本酒にチェンジ。自分もそれに倣った。「との山」は日本酒のラインナップも充実していた。「雪の茅舎」を冷やでオーダー。いよいよジャンさんも自分も本気モードに突入した。
「さざえエスカルゴ」とトーストが出てきた。多分、これが「との山」における、最大のハイライトだろう。ガーリックオイルをつけながらいただくトーストが抜群にうまい。今までにない新感覚。料理のセンスがいい。
「との山」にはどっしりとした安定感があった。豊富な料理の素材を巧みにつまみ化するセンスと重厚感。
次に出てきたのが、カレーソース。おつまみカレーだった。もはやジャンさんズチョイス、全部入りといった状況である。
居酒屋で供されるカレーにハズレはないといわれている。大抵はスタッフの賄い用で。肩の力を抜いて作られている。或いはランチ用だったりする。だから、これらは一般に流通せず、恐らく常連さんのみ。今回、自分はその恩恵に授かれたという訳。じっくりと煮込まれたと思われるカレーは最高だ。
お店のBGMは何故か80年代の、それも歌謡曲だった。これも我々、おっさんの琴線に触れるのは言うまでもない。近年は本格居酒屋でさて、ジャズを流すお店は少なくない。けれど、ジャンさんのブログを読んでいると、「との山」は常に80年代Jポップを選曲しているようだ。恐らく有線だと思うのだが、逆にこれが斬新だった。お酒の場に流す音楽は重要なファクターである。
その後もジャンさんのチョイスで料理が次々に届き、それはさながらコース料理のようでもあった。カレーは〆ではなかった。
その後「チヂミ」、そしてラストは「オムレツ」というフルコース。なお、「オムレツ」にはしっかりとマヨネーズが添えられていた。
本当の酒のつまみから一品料理、そして食事的な料理まで、全てが丁寧に作られていて、しかもうまい。このお店の若殿は相当な料理の腕前だとお察しする。
「との山」はいずれまた再訪したい。次の大船訪問は33年もあかないだろう。
ジャンさん、ありがとうございました。
そうですね。いきなり4番バッターから行きましたね。
今週もひとりで行きました。
「ジャンさんのポテサラ、今日はマヨ多めで」(リーダー)
「お目付け役(ジャン妻)がいないから」(後輩)
「聞こえたぞ!」(私)
おはようございます。
いきなり4番バッターで、最後までスラッガーが出続けてきました。凄いですね、「との山」。
「お目付け役」って・・・。
ジャンさん、マヨにもう迷わないでください。