お店に入るなり、その人はボクに話しかけてきた。
「お兄ちゃん、元気かい?」。
酒場に行って、いきなり知らない人から声を掛けられるなんて、初めてのことだった。
「こんにちは」。
ボクは、挨拶を返すのがやっとだった。
その人は、もう既にだいぶ酔っていたようだった。
店のおばちゃんに聞くと、開店と同時に来店し、そのときはもうどこかで飲んできた雰囲気だったという。お店のオープンが3時からというから、既に2時間もこのカウンターだけの立ち飲み屋で飲んでいることになる。
その人はホッピーの入った酎ハイグラスをあおって、ボクの着ていたTシャツを覗き込みながら、「お前、何歳だ?」と尋ねてきた。
酔っ払ってからんでくる物言いではなかったが、鋭い眼光は堅気ではない雰囲気を漂わせていた。
ボクはその日、調布にあるスタジアムでサッカーを観た帰りだった。4時前に試合が終わり、スタジアム周辺で居酒屋を探したが、どこもまだ開店前だった。いや、厳密に言えば、スタジアムと駅の間にある「やるき茶屋」は開いていたし、その隣の駅前にあった 「養老の瀧」も店頭の看板はチカチカ灯りが点っていた。だが、いずれも一人で酒を飲む雰囲気ではなく、結局京王線に乗って、新宿駅まで来てしまったのだ。
山手線に乗り換える段になって、ある考えが突如浮かんできた。
それは、数週間前に読んだ東京新聞の記事だった。最終面の囲みコラムに今風のサングラスをかけた男性が近況を報告していた。
「高田馬場の立ち飲み屋でたまに飲んでいます」。
その男性はフィンガー5のヴォーカル、アキラさんだった。
「そこに行ってみようか」。
そんな考えが頭に浮かんできたのだった。
だが、その記事には店の住所はおろか、店の名前すら記されていなかった。しかし、ボクには確信があった。行けば、何とか辿りつけるだろう、という妙な確信が。
高田馬場駅に着いて、早稲田口に出た。
そのまま、高架沿いを大塚方向に、まるで吸い寄せられるように進むと、一軒だけポツリと開いているお店があった。赤提灯には、「立呑み」と出ている。この時点では、まだその店が、新聞記事の店だと分かる術もなく、薄暗い店内に入ると、間髪入れずに、強面の 男性がボクに話しかけてきたのだった。
「お前、何歳だ?」とやぶからに聞いたその人は名前をナオキさんと言った。月島で生まれ育ち、「お袋にはよく、『コラ!ナオキ!』と怒られたよ」と言ったことから名前が判明した。
ボクが、質問に答えようとすると、わざわざ言葉を遮って、「オレはシンジョウと同い年だ」などという。ボクははじめ、「シンジョウ」は元ニッポンハムファイターズの新庄剛氏のことを言っているのだと思い、それならば、歳はあまり変わらないはずだから、「近いじゃないですか」と返すと、「そうかい?」と惚けた様子で再び酎ハイグラスに手をかけるのだった。
だが、ナオキさんが言いたかったのは、「シンジョウ」ではなく、日本ラグビー伝説の人、本城和彦さんを指していたことは、ずっとずっと後になって分かったことだった。
ボクはまず生ビール(400円)を貰うことにした。そして、店の黒板に書いてあるチョークの文字に真っ先に目にいった「牛すじの煮込み」(350円)を頼んだのである。
すぐに出てきたビールを片手に店内をきょろきょろ窺うと、カウンター背後の壁にコルクボードがあり、そこにいろんなチラシやビラなどが無造作に貼られてあった。そして、その隙間には見覚えのある写真が載った新聞記事の切抜きが添えられていた。そう、やはりこの店が、アキラさんの通う立ち飲み屋さんだったのだ。
店を一人できりもりするおばちゃんに「アキラさん、よく来られるみたいですね」と言うと「2、3日前にも寄ってくれてね」という。今度はそれを聞いたナオキさんが、「♪リンリリン・リンリリンリン」と「恋のダイヤル6700」を唄いだす。
しかし、それを境にナオキさんは泥酔の境界に足を踏み入れたのだった。
「牛すじの煮込み」はさっぱりとしておしいものだった。醤油で味を調え、生姜がほどよくきいている。牛すじも柔らかく決してくどくない。スタジアムでは何も口にしなかったから、その優しい味付けは五臓六腑にしみいった。
ビールを飲み干して、ボクがホッピーを注文する頃、ナオキさんはボクの真横に擦り寄り、更に泥酔度を高めていった。
「恋のダイヤル6700」を口にしたかと思えば、何故かCharさんの「気絶するほど悩ましい」を歌い出す。一通り、歌い終えれば、「お前、アキラだろう?」とボクに迫った。鋭い眼光で凄んでみせたかと思うと、一転して涙を溜ながら、子供の頃の昔話をしたりした。
いつしか、店には2人の男が入ってきて、飲んでいたが、ナオキさんの大声に迷惑そうな顔をしていた。だが、ボクは一向に迷惑ではなかった。ナオキさんは、確かに酒癖は悪そうだったが、その人間臭さには魅力があった。
だが、やがてボクのホッピーを掴んで飲むようになると、たしなめる店のおばさんに向かって悪態をつくようになった。
「このババァ!」
「ババァはやめましょうよ」とボクが注意すると、拳を固めてボクのみぞおちに見舞う真似をした。
結局、「もうお帰り」というおばちゃんと「うるせぇババァ!」と小競り合いをすような格好でナオキさんは帰っていった。帰り際、「お前の分まで払うぞ」とボクのお勘定1,600円分を財布から出しながら…。
悪態をつくダミ声はしばらく店の外に響き渡っていた。やがて、その声が遠ざかっていくと、店は平穏を取り戻し、テレビの音が聞こえるようになった。
テレビからは、自民党の総裁選挙で勝利した福田康夫総裁の顔ばかりが大映しになっている。
ボクは、おばちゃんにホッピーと中身をお代わりし、ポテトサラダを頼んだ。
ポテトサラダもまた優しい味わいで、手作りの温かさにあふれていた。
「お兄ちゃん、元気かい?」。
酒場に行って、いきなり知らない人から声を掛けられるなんて、初めてのことだった。
「こんにちは」。
ボクは、挨拶を返すのがやっとだった。
その人は、もう既にだいぶ酔っていたようだった。
店のおばちゃんに聞くと、開店と同時に来店し、そのときはもうどこかで飲んできた雰囲気だったという。お店のオープンが3時からというから、既に2時間もこのカウンターだけの立ち飲み屋で飲んでいることになる。
その人はホッピーの入った酎ハイグラスをあおって、ボクの着ていたTシャツを覗き込みながら、「お前、何歳だ?」と尋ねてきた。
酔っ払ってからんでくる物言いではなかったが、鋭い眼光は堅気ではない雰囲気を漂わせていた。
ボクはその日、調布にあるスタジアムでサッカーを観た帰りだった。4時前に試合が終わり、スタジアム周辺で居酒屋を探したが、どこもまだ開店前だった。いや、厳密に言えば、スタジアムと駅の間にある「やるき茶屋」は開いていたし、その隣の駅前にあった 「養老の瀧」も店頭の看板はチカチカ灯りが点っていた。だが、いずれも一人で酒を飲む雰囲気ではなく、結局京王線に乗って、新宿駅まで来てしまったのだ。
山手線に乗り換える段になって、ある考えが突如浮かんできた。
それは、数週間前に読んだ東京新聞の記事だった。最終面の囲みコラムに今風のサングラスをかけた男性が近況を報告していた。
「高田馬場の立ち飲み屋でたまに飲んでいます」。
その男性はフィンガー5のヴォーカル、アキラさんだった。
「そこに行ってみようか」。
そんな考えが頭に浮かんできたのだった。
だが、その記事には店の住所はおろか、店の名前すら記されていなかった。しかし、ボクには確信があった。行けば、何とか辿りつけるだろう、という妙な確信が。
高田馬場駅に着いて、早稲田口に出た。
そのまま、高架沿いを大塚方向に、まるで吸い寄せられるように進むと、一軒だけポツリと開いているお店があった。赤提灯には、「立呑み」と出ている。この時点では、まだその店が、新聞記事の店だと分かる術もなく、薄暗い店内に入ると、間髪入れずに、強面の 男性がボクに話しかけてきたのだった。
「お前、何歳だ?」とやぶからに聞いたその人は名前をナオキさんと言った。月島で生まれ育ち、「お袋にはよく、『コラ!ナオキ!』と怒られたよ」と言ったことから名前が判明した。
ボクが、質問に答えようとすると、わざわざ言葉を遮って、「オレはシンジョウと同い年だ」などという。ボクははじめ、「シンジョウ」は元ニッポンハムファイターズの新庄剛氏のことを言っているのだと思い、それならば、歳はあまり変わらないはずだから、「近いじゃないですか」と返すと、「そうかい?」と惚けた様子で再び酎ハイグラスに手をかけるのだった。
だが、ナオキさんが言いたかったのは、「シンジョウ」ではなく、日本ラグビー伝説の人、本城和彦さんを指していたことは、ずっとずっと後になって分かったことだった。
ボクはまず生ビール(400円)を貰うことにした。そして、店の黒板に書いてあるチョークの文字に真っ先に目にいった「牛すじの煮込み」(350円)を頼んだのである。
すぐに出てきたビールを片手に店内をきょろきょろ窺うと、カウンター背後の壁にコルクボードがあり、そこにいろんなチラシやビラなどが無造作に貼られてあった。そして、その隙間には見覚えのある写真が載った新聞記事の切抜きが添えられていた。そう、やはりこの店が、アキラさんの通う立ち飲み屋さんだったのだ。
店を一人できりもりするおばちゃんに「アキラさん、よく来られるみたいですね」と言うと「2、3日前にも寄ってくれてね」という。今度はそれを聞いたナオキさんが、「♪リンリリン・リンリリンリン」と「恋のダイヤル6700」を唄いだす。
しかし、それを境にナオキさんは泥酔の境界に足を踏み入れたのだった。
「牛すじの煮込み」はさっぱりとしておしいものだった。醤油で味を調え、生姜がほどよくきいている。牛すじも柔らかく決してくどくない。スタジアムでは何も口にしなかったから、その優しい味付けは五臓六腑にしみいった。
ビールを飲み干して、ボクがホッピーを注文する頃、ナオキさんはボクの真横に擦り寄り、更に泥酔度を高めていった。
「恋のダイヤル6700」を口にしたかと思えば、何故かCharさんの「気絶するほど悩ましい」を歌い出す。一通り、歌い終えれば、「お前、アキラだろう?」とボクに迫った。鋭い眼光で凄んでみせたかと思うと、一転して涙を溜ながら、子供の頃の昔話をしたりした。
いつしか、店には2人の男が入ってきて、飲んでいたが、ナオキさんの大声に迷惑そうな顔をしていた。だが、ボクは一向に迷惑ではなかった。ナオキさんは、確かに酒癖は悪そうだったが、その人間臭さには魅力があった。
だが、やがてボクのホッピーを掴んで飲むようになると、たしなめる店のおばさんに向かって悪態をつくようになった。
「このババァ!」
「ババァはやめましょうよ」とボクが注意すると、拳を固めてボクのみぞおちに見舞う真似をした。
結局、「もうお帰り」というおばちゃんと「うるせぇババァ!」と小競り合いをすような格好でナオキさんは帰っていった。帰り際、「お前の分まで払うぞ」とボクのお勘定1,600円分を財布から出しながら…。
悪態をつくダミ声はしばらく店の外に響き渡っていた。やがて、その声が遠ざかっていくと、店は平穏を取り戻し、テレビの音が聞こえるようになった。
テレビからは、自民党の総裁選挙で勝利した福田康夫総裁の顔ばかりが大映しになっている。
ボクは、おばちゃんにホッピーと中身をお代わりし、ポテトサラダを頼んだ。
ポテトサラダもまた優しい味わいで、手作りの温かさにあふれていた。
悪態つけるくらい馴染みのお店なんでしょうか。
こういうお客さんが去ったあとの
お店の静けさというのも、また味があって良いものです~。
さて、本文では、あまりお店について触れていませんが、すごくいいお店でした。
実は、最近もリピートしています。
今年の「居酒屋アワード」の立ち飲み部門にノミネートされました。
案外、このまま「アワード」を獲得するかもしれません。
ちなみに、今晩は五反田をちょっとだけ彷徨いましたが、結局「呑2」の五反田店を見つけることはできませんでした。
水曜日にまた、五反田に行くのでリベンジします。
ちなみにまき子さんは休肝日はもうけてないのですか?
すみません、野暮なこと聞いて。
なので休肝日はなし・・・
あ!健康診断の前日はさすがに控えます。
再検査を自腹でやるのは痛いですから。。。
わ~っ!今年危ないなぁ。
そういえば、こないだ「まき子の酒」で肝臓のクローンの話しありましたね。
将来、お金持ちは肝臓を培養して悪くなったら取り替える時代が来るんですかね。
お酒を飲まない日を作って、気がつきました。
「お酒ってやっぱりおいしいナ」と。
毎日飲んでいると、当たり前過ぎて、なかなか感じないものです。
そういえば、昔タバコを吸ってたころ、久々に吸うと頭がクラクラして。そのクラクラ感を味わいたくて、少し禁煙する・・・みたいな。
飲まない日を作ることも、案外いいもんです。