速球派の投手は年齢とともに衰えるその武器との決別がいつか求められる。
上手にモデルチェンジができた投手は一流だ。
何もここで自分のことを速球派とか言っているわけではない。人はいつかかつての自分と決別し、モデルチェンジをするときがくる。
ボクはそう言いたい。
先月、比叡山延暦寺を訪ね、帰路は滋賀の坂本に出た。
そこで蕎麦屋に入ったのだが、そこが粋だった。
昭和初期に建てられたという母屋で蕎麦をすすった。なんとうまいのだ。
ボクは、新たな世界が開けたと思った。
過日、上野の「やぶ」を訪問した。
「焼き海苔」とぬる燗。
なんと心地よいのか。温かい酒が臓腑にしみいる。その心地よさと幸福感は、立ち飲みでホッピーを飲むよりも絶大だった。
蕎麦のことはよく分からない。
けれども分からないなりに蕎麦屋を巡るのもいいのではないかとそう思った。
年明け早々から、蕎麦屋さすらいをスタートさせようと思ったが、新蕎麦の季節にこそはじまりなのだと思った。しかし、いかんせん、準備不足だ。
なにしろ、今日の会社の帰路にこれをやろうと思ったのだから。
蕎麦屋を巡ることにひとつだけルールを設けた。
ただ、昼飯に蕎麦をすするのではなく、酒を伴う訪問でさすらうこととした。したがって、仕事中は巡れないということになる。
今後、居酒屋と蕎麦屋の棲み分けをどうするか悩ましいが、それよりも居酒屋、銭湯(温泉)、喫茶店に蕎麦屋と訪問すべき場所がまた増えてしまったというのが目下のところ、悩ましい。しかも、このさすらいシリーズにはないが、お寺巡りも最近、ボクの楽しみのひとつになりつつある。
とにかく、無理なく楽しく酒を飲み、蕎麦を楽しんでいこうと思う。
皆様のご指導とご鞭撻のほど、お願いをしたい。
ブッディストなら欲に振り回されてはいけないよ。
その点、多少は成長したよ。
コンプリート欲はまだあるけど、そんなに強くもない。
師が自身のラーメン放浪で感じたことを、自分も少しずつそう思うようになってるよ。
好きなときに好きな店に行く。この自然体。
全ては諸行無常だよ。