
「立ち飲みラリー」は前回、北区の田端を急襲。「立飲スタンド 三楽」(居酒屋放浪記NO.0152)という古い立ち飲み屋さんを巡った。さて、次回は一路再び京浜東北線を北上しようと意気込んだが、そこには、まだ超えなければならない立ち飲み屋さんがあった。
「三楽」の向こう隣に構える酒屋さんである。
まさか、2軒続けて立ち飲み屋さんとは、全く想像もしていなかった。だが、そこには「三楽」にも負けない古い角打ちの立ち飲み屋があったのだ。
そうして、11月も終わる晩秋にわたしは改めて田端駅に降りたのである。
その酒屋は名前を「喜多屋」という。
縁起のいい名前だが、実は行くか行くまいか非常に迷ったというのが、本音である。と、いうのも田端の立ち飲み屋をインターネットで検索した後、わたしは「立飲スタンド 三楽」を下見に行ったことがあった。夜の10時を過ぎて、「三楽」は既にシャッターを降ろしていたのだが、その脇からタイミングよく一人の年配の男性が出てきた。そこで、わたしはすかさず、その男性に声をかけたのだった。「三楽」を指差して、「この店は何時まで開いているのですか」と。すると、その男性はやや気色ばんだ声色で「そんなの知らねぇよ。隣のことなんか」と言うのである。その男はそう言い放つと、さっさと「三楽」の隣の店の中に消えていった。その隣の店というのが、「喜多屋」だったのである。
そんな乱暴な言い方しなくとも、と思い、わたしはその場を立ち去ったのであった。その際、「喜多屋」も店を閉めていたので、まさかそこも立ち飲み屋であることはそのときわたしは知る由もなかったのであるが、後日、「三楽」を訪れた際に、ちょっと隣を覗いてみたら、なんとその「喜多屋」も立ち飲みだったことが分かったのである。
そんな、親切心の欠片もない店にわざわざ行かなくとも、と思ったが、東京でも数少なくなった角打ちの立ち飲みに行ってみたいという衝動のほうが勝った。
JR田端駅を降りて、東に向かう。歩道橋を超えて、小さな路地に入るとすぐに2軒連なった立ち飲み屋さんが見えてきた。「三楽」は戸を閉ざしているが、「喜多屋」は開け放しである。だが、入りづらさと言ったら、「三楽」を凌ぐオーラが出ている。まず、わたしはとりあえず、その場を遣り過ごした。どんな店の雰囲気かを確かめたかったのである。
店には何人かの客が既に飲んでいるのが見えた。
店を通り過ぎ、少し行ったところで、わたしは踵を返した。
さて、いよいよ突撃してみようか。
そうして、気合を入れて、いざ「喜多屋」に乗り込んだのだ。
店は昔ながらの酒の小売店といった按配だった。店の両端の棚には値札を付けた酒が並んでいる。清酒から焼酎、洋酒といったものまで。普通の小売店と違うのは、店の左側にレジの代わりにある板張りのカウンターくらいか。そこに、年配のおばさんが、立ち飲み 客の要望に応える体裁だ。
わたしは、新参者らしく、そのカウンターの一番手前、つまり店の入口側に立って、早速おばちゃんに瓶ビールを頼んだのであった。
おばちゃんは、何も言わず、わたしに背を向けると、冷蔵庫からサッポロの黒ラベル(335円)を取って小さなグラスと一緒にわたしの目の前に置いた。
ここは角打ち、もちろん支払いはその都度のキャッシュ・オン・デリバリーだ。
1,000円札を渡すとお釣りはカウンターの上へ。そのまま釣り銭は置いておくのが角打ちの流儀である。しかし、それにしても瓶ビールが335円とは!これは、小売価格そのものだろう。もちろん、これは居酒屋放浪記始まって以来の最安値を更新だ。これは、安すぎである。
つまみは、様々なものが置いてあった。
主流は、乾き物とスナック類だ。
わたしは試しに目の前の籠に置いてある「ゆで卵」(40円)をとった。白いLサイズの卵は恐らく自前で煮たものだろう。一応、ポケットからティッシュを取り出し、剥いた殻を置いたが、後になって他の客の様子を見ると、彼らは思い切り床に殻を捨てていた。殻はそのまま床にやるのがここの流儀らしい。
実は、この日わたしは4日ぶりに酒を口にした。
「休肝日を作る」と友と約束したため、わたしは週に4日間の断酒を決行したのである。そのため、この日は久方ぶりに酒を胃に落としたのだが、そのビールといったら、本当にうまかった。酒を本当においしく飲むのなら、絶対毎日飲まないほうがいい。そのありがたみが分かるだけでも、気分的にも違うはずだ。そうして口にしたビールは心から「うまい!」と言えるものであると思う。
さて、さすがに大瓶を一人で飲んでいると次第に気持ちよくなってくる。寡黙に飲んでいるのもどうかと思い、目の前に立っているおばちゃんに話しかけてみた。
「この店、相当に古いですね」。
見ると、店の柱が年月を経て削られていたり、店の奥にある柱時計は0時55分で止まっている。きっと、創業年など、教えてくれるに違いない。
そう期待を寄せたわたしだったが、おばちゃんの口からはたった一言。
「ええ」
と言ったまま、またわたしから目を逸らし、どこか遠いところを見る眼差しで中空に目をやっている。
「ええ」だけかぁ!
瓶ビールを飲み干したが、まだ物足りない。カウンター向こうの商品棚に目をやると、小さな保温機に入ったワンカップが目に入った。大関のワンカップは熱燗である。
早速、そのワンカップ(200円)とチーズちくわ(100円)、そして袋に入った「柿ピー」(50円)を貰うことにした。ワンカップは程好い上燗。それをチビリとやると口の中に広がる醸造酒の香り。だが、これが実にうまい!やっぱり貧乏性なんだろう。わたしはワンカップが大好きなのである。
お酒を口にすると、かなりいい気分になってきた。
店の奥からは、親爺が出てきた。恐らく、あの日わたしに「知らねぇ!」と言った親爺だろう。そんなことなど親爺はよもや知らず、敷居でくつろいでいる。
そこへ、また一人お客が入ってきた。「こんばんは」と挨拶を配る中年の男を親爺は歓待して、男の持ち物を受け取っている。その鞄はそのまま座敷の方に置かれた。
どうやら、常連にはクロークのサービスがあるらしい。わたしの鞄はゆで卵の殻が散らばる土間に置いたままだ。
ワンカップも半分ほど飲むと、既に温もりはなくなりつつあった。
チーズちくわと酒の関係はすこぶるいい。
時折、店の前を人が通る他は、クルマなど行き交うこうもなく、静かな佇まいをみせる。
落ち着いた時間だった。
お店の人は愛想がないが、店に漂う時間はゆっくりで、雰囲気はそれほど緊張しているようでもない。
なにしろ、ほとんどのものが小売価格同然で売られている。
本当のところはいい人達なのかもしれない。
今後、酒の小売店はどのようになっていくのだろうか。
そして、この店もいずれはなくなる運命にあるのだろうか。
いつか、またこの店を訪れる日があるかどうかは分からない。
だが、しっかりと店の様子を記憶しておきたいと思った。
「三楽」の向こう隣に構える酒屋さんである。
まさか、2軒続けて立ち飲み屋さんとは、全く想像もしていなかった。だが、そこには「三楽」にも負けない古い角打ちの立ち飲み屋があったのだ。
そうして、11月も終わる晩秋にわたしは改めて田端駅に降りたのである。
その酒屋は名前を「喜多屋」という。
縁起のいい名前だが、実は行くか行くまいか非常に迷ったというのが、本音である。と、いうのも田端の立ち飲み屋をインターネットで検索した後、わたしは「立飲スタンド 三楽」を下見に行ったことがあった。夜の10時を過ぎて、「三楽」は既にシャッターを降ろしていたのだが、その脇からタイミングよく一人の年配の男性が出てきた。そこで、わたしはすかさず、その男性に声をかけたのだった。「三楽」を指差して、「この店は何時まで開いているのですか」と。すると、その男性はやや気色ばんだ声色で「そんなの知らねぇよ。隣のことなんか」と言うのである。その男はそう言い放つと、さっさと「三楽」の隣の店の中に消えていった。その隣の店というのが、「喜多屋」だったのである。
そんな乱暴な言い方しなくとも、と思い、わたしはその場を立ち去ったのであった。その際、「喜多屋」も店を閉めていたので、まさかそこも立ち飲み屋であることはそのときわたしは知る由もなかったのであるが、後日、「三楽」を訪れた際に、ちょっと隣を覗いてみたら、なんとその「喜多屋」も立ち飲みだったことが分かったのである。
そんな、親切心の欠片もない店にわざわざ行かなくとも、と思ったが、東京でも数少なくなった角打ちの立ち飲みに行ってみたいという衝動のほうが勝った。
JR田端駅を降りて、東に向かう。歩道橋を超えて、小さな路地に入るとすぐに2軒連なった立ち飲み屋さんが見えてきた。「三楽」は戸を閉ざしているが、「喜多屋」は開け放しである。だが、入りづらさと言ったら、「三楽」を凌ぐオーラが出ている。まず、わたしはとりあえず、その場を遣り過ごした。どんな店の雰囲気かを確かめたかったのである。
店には何人かの客が既に飲んでいるのが見えた。
店を通り過ぎ、少し行ったところで、わたしは踵を返した。
さて、いよいよ突撃してみようか。
そうして、気合を入れて、いざ「喜多屋」に乗り込んだのだ。
店は昔ながらの酒の小売店といった按配だった。店の両端の棚には値札を付けた酒が並んでいる。清酒から焼酎、洋酒といったものまで。普通の小売店と違うのは、店の左側にレジの代わりにある板張りのカウンターくらいか。そこに、年配のおばさんが、立ち飲み 客の要望に応える体裁だ。
わたしは、新参者らしく、そのカウンターの一番手前、つまり店の入口側に立って、早速おばちゃんに瓶ビールを頼んだのであった。
おばちゃんは、何も言わず、わたしに背を向けると、冷蔵庫からサッポロの黒ラベル(335円)を取って小さなグラスと一緒にわたしの目の前に置いた。
ここは角打ち、もちろん支払いはその都度のキャッシュ・オン・デリバリーだ。
1,000円札を渡すとお釣りはカウンターの上へ。そのまま釣り銭は置いておくのが角打ちの流儀である。しかし、それにしても瓶ビールが335円とは!これは、小売価格そのものだろう。もちろん、これは居酒屋放浪記始まって以来の最安値を更新だ。これは、安すぎである。
つまみは、様々なものが置いてあった。
主流は、乾き物とスナック類だ。
わたしは試しに目の前の籠に置いてある「ゆで卵」(40円)をとった。白いLサイズの卵は恐らく自前で煮たものだろう。一応、ポケットからティッシュを取り出し、剥いた殻を置いたが、後になって他の客の様子を見ると、彼らは思い切り床に殻を捨てていた。殻はそのまま床にやるのがここの流儀らしい。
実は、この日わたしは4日ぶりに酒を口にした。
「休肝日を作る」と友と約束したため、わたしは週に4日間の断酒を決行したのである。そのため、この日は久方ぶりに酒を胃に落としたのだが、そのビールといったら、本当にうまかった。酒を本当においしく飲むのなら、絶対毎日飲まないほうがいい。そのありがたみが分かるだけでも、気分的にも違うはずだ。そうして口にしたビールは心から「うまい!」と言えるものであると思う。
さて、さすがに大瓶を一人で飲んでいると次第に気持ちよくなってくる。寡黙に飲んでいるのもどうかと思い、目の前に立っているおばちゃんに話しかけてみた。
「この店、相当に古いですね」。
見ると、店の柱が年月を経て削られていたり、店の奥にある柱時計は0時55分で止まっている。きっと、創業年など、教えてくれるに違いない。
そう期待を寄せたわたしだったが、おばちゃんの口からはたった一言。
「ええ」
と言ったまま、またわたしから目を逸らし、どこか遠いところを見る眼差しで中空に目をやっている。
「ええ」だけかぁ!
瓶ビールを飲み干したが、まだ物足りない。カウンター向こうの商品棚に目をやると、小さな保温機に入ったワンカップが目に入った。大関のワンカップは熱燗である。
早速、そのワンカップ(200円)とチーズちくわ(100円)、そして袋に入った「柿ピー」(50円)を貰うことにした。ワンカップは程好い上燗。それをチビリとやると口の中に広がる醸造酒の香り。だが、これが実にうまい!やっぱり貧乏性なんだろう。わたしはワンカップが大好きなのである。
お酒を口にすると、かなりいい気分になってきた。
店の奥からは、親爺が出てきた。恐らく、あの日わたしに「知らねぇ!」と言った親爺だろう。そんなことなど親爺はよもや知らず、敷居でくつろいでいる。
そこへ、また一人お客が入ってきた。「こんばんは」と挨拶を配る中年の男を親爺は歓待して、男の持ち物を受け取っている。その鞄はそのまま座敷の方に置かれた。
どうやら、常連にはクロークのサービスがあるらしい。わたしの鞄はゆで卵の殻が散らばる土間に置いたままだ。
ワンカップも半分ほど飲むと、既に温もりはなくなりつつあった。
チーズちくわと酒の関係はすこぶるいい。
時折、店の前を人が通る他は、クルマなど行き交うこうもなく、静かな佇まいをみせる。
落ち着いた時間だった。
お店の人は愛想がないが、店に漂う時間はゆっくりで、雰囲気はそれほど緊張しているようでもない。
なにしろ、ほとんどのものが小売価格同然で売られている。
本当のところはいい人達なのかもしれない。
今後、酒の小売店はどのようになっていくのだろうか。
そして、この店もいずれはなくなる運命にあるのだろうか。
いつか、またこの店を訪れる日があるかどうかは分からない。
だが、しっかりと店の様子を記憶しておきたいと思った。
それとも、奥様がお店を支えてきたのか。
あくまでも、想像の域を出ませんが…。
少なくとも、お隣(立飲スタンド 三楽)とは仲が悪いのでしょう。
久しぶりにお酒を飲んだせいか、それとも雰囲気がよかったのか、おいしい酒は飲めました!
なんか店内まで微妙な雰囲気になりそうな気が・・・。
お客の囲い合いみたいになったりしないんでしょか。
老舗だから、長い歴史の間に何かあったのかもしれませんね~。
もう落ち着かれましたか?
いやはやお元気そうで何よりです。
「日本酒がある日々」もブックマークしています。今後のワシントンDCでの日本酒普及ブログを楽しみにしていますよ。
貴重な情報ありがとうございます。
もはや、半ばあきらめ気味でしたが、滝野川にありますか。それは、もう是非行ってみます。
わたしも「三楽」は好きですね。
おじいちゃん、おばあちゃんがもう高齢なのが心配です。