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「福ちゃん」を出ると、少し酩酊しているような気がした。けっこう、「酎ハイ」が効いているようだった。
さて、次こそは本当の立ち飲み屋に行くぞ!と威勢良く歩き出したはいいけれど、いいアイデアはない。
歩きながら思案していると、確か、神田外語学院のある通りの手前、珈琲館の並びの酒屋に生ビールを出してくれる酒屋があったことに気づく。
わたしが神田で働いていた4年前は酒屋の自動ドアに「ジョッキ貸します」というような貼り紙がされていたことを思い出したのだ。
早速、行ってみると、もはやそのような貼り紙などなく、店内にもそうしたスペースを設けているようにも見えなかった。「しまった」。わたしは舌打ちをした。 都会の角打ちは次々と姿を消しているのだ。
しかし、落胆している暇はない。気を取り直して前を向くと、確かこの通りの問面にチェーン系の立ち飲み屋があったことを思い出した。再び、そこまで歩いてみると、もはや目当ての立ち飲み屋などなく、やや洒落た店が代わりに開いていた。
看板を見ると「バル」とある。
「ほほぅ、バルなら立ち飲みだろう」と何故か安易な考えを巡らせ、迷うことなくわたしは店に入った。
暗がりの店にラテンのリズムが流れる。左側がバーカウンター、店の奥は一斗樽をテーブルにした席が幾つか置いてある。「しまった!立ち飲みではない」と思っても後の祭り。仕方なくわたしはマスターと思しき人物にカウンターの際で「ここで立って飲んでもいいか」と聞いた。
マスターと思しき人物は寡黙に頷いた。
じつはこの後からわたしの記憶は薄まっていく。
店内の様子はあまりよく覚えていない。もしかしたら、店内の壁にダーツがかかっていたかもしれないし、頭上の薄型テレビからは、昨季のレアルマドリーとバルサの試合のビデオを流していたかもしれない。
実は本当に記憶があやふやなのだ。
それでも辛うじて覚えているのが、そこで甲斐甲斐しく働く中国人留学生のZ君(実はメアドの交換をした)のこと。
『五輪を見に北京には行かないの?』と尋ねると、彼ははにかみながら首を横に振ったのだった。
わたしはまずビールを飲んだ。
『福ちゃん』で既にビールを口にしていたけれど、Z君が注いだビールが、誤注になり、行き場がなくなるのを見てとると、『それ僕にちょうだい』と言って、細長いビールグラスを受けとった。ビールはサッポロのエーデルピルスだったのである。
つまみは豊富にあったと記憶している。チーズの盛り合わせやソーセージなどだ。中でも、特に気をひいたのがイベリコ豚を食材に使った料理各種。かなり、本格的なものを出す店のようである。
ビールを飲み干して、次にわたしは何を飲んだのだろう。ラムのような強い酒をガブガブと飲んだような気がする。そして、記憶は次々と深い闇に沈んでいくようだった。
帰りの電車の中でわたしはひとしきり右手の中指が気になった。
何か痛い。
見ると水ぶくれになっていた。確か、わたしは締めにパエリアを食べたのだった。
中指の痛みはそのパエリアの鍋に触れてできたのかもしれない。ムール貝がたくさん入ったパエリアはたいそうおいしかった。調理に長い時間をかけ、出てくるまでの時間、やきもきさせられたが、待った甲斐はあった。
本当においしかったのだ。
あぁ、だいぶ飲み過ぎた。久々の痛飲だ。ラムを立って飲み、パエリアをつつく。それもまたおつなものである。
そこが、立ち飲み屋であるとか、そんなことはもうどうでもいい。立って飲んで、食べて、それがとてもおいしくて、気持ちが満ち足りればそれでいいではないか。
さて、次こそは本当の立ち飲み屋に行くぞ!と威勢良く歩き出したはいいけれど、いいアイデアはない。
歩きながら思案していると、確か、神田外語学院のある通りの手前、珈琲館の並びの酒屋に生ビールを出してくれる酒屋があったことに気づく。
わたしが神田で働いていた4年前は酒屋の自動ドアに「ジョッキ貸します」というような貼り紙がされていたことを思い出したのだ。
早速、行ってみると、もはやそのような貼り紙などなく、店内にもそうしたスペースを設けているようにも見えなかった。「しまった」。わたしは舌打ちをした。 都会の角打ちは次々と姿を消しているのだ。
しかし、落胆している暇はない。気を取り直して前を向くと、確かこの通りの問面にチェーン系の立ち飲み屋があったことを思い出した。再び、そこまで歩いてみると、もはや目当ての立ち飲み屋などなく、やや洒落た店が代わりに開いていた。
看板を見ると「バル」とある。
「ほほぅ、バルなら立ち飲みだろう」と何故か安易な考えを巡らせ、迷うことなくわたしは店に入った。
暗がりの店にラテンのリズムが流れる。左側がバーカウンター、店の奥は一斗樽をテーブルにした席が幾つか置いてある。「しまった!立ち飲みではない」と思っても後の祭り。仕方なくわたしはマスターと思しき人物にカウンターの際で「ここで立って飲んでもいいか」と聞いた。
マスターと思しき人物は寡黙に頷いた。
じつはこの後からわたしの記憶は薄まっていく。
店内の様子はあまりよく覚えていない。もしかしたら、店内の壁にダーツがかかっていたかもしれないし、頭上の薄型テレビからは、昨季のレアルマドリーとバルサの試合のビデオを流していたかもしれない。
実は本当に記憶があやふやなのだ。
それでも辛うじて覚えているのが、そこで甲斐甲斐しく働く中国人留学生のZ君(実はメアドの交換をした)のこと。
『五輪を見に北京には行かないの?』と尋ねると、彼ははにかみながら首を横に振ったのだった。
わたしはまずビールを飲んだ。
『福ちゃん』で既にビールを口にしていたけれど、Z君が注いだビールが、誤注になり、行き場がなくなるのを見てとると、『それ僕にちょうだい』と言って、細長いビールグラスを受けとった。ビールはサッポロのエーデルピルスだったのである。
つまみは豊富にあったと記憶している。チーズの盛り合わせやソーセージなどだ。中でも、特に気をひいたのがイベリコ豚を食材に使った料理各種。かなり、本格的なものを出す店のようである。
ビールを飲み干して、次にわたしは何を飲んだのだろう。ラムのような強い酒をガブガブと飲んだような気がする。そして、記憶は次々と深い闇に沈んでいくようだった。
帰りの電車の中でわたしはひとしきり右手の中指が気になった。
何か痛い。
見ると水ぶくれになっていた。確か、わたしは締めにパエリアを食べたのだった。
中指の痛みはそのパエリアの鍋に触れてできたのかもしれない。ムール貝がたくさん入ったパエリアはたいそうおいしかった。調理に長い時間をかけ、出てくるまでの時間、やきもきさせられたが、待った甲斐はあった。
本当においしかったのだ。
あぁ、だいぶ飲み過ぎた。久々の痛飲だ。ラムを立って飲み、パエリアをつつく。それもまたおつなものである。
そこが、立ち飲み屋であるとか、そんなことはもうどうでもいい。立って飲んで、食べて、それがとてもおいしくて、気持ちが満ち足りればそれでいいではないか。
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