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居酒屋放浪記NO.0219 - 泥酔 is あっ!Pain - 「バル デ ピンチョス」(神田多町)

2009-01-23 21:51:10 | 居酒屋さすらい ◆立ち飲み屋
 「福ちゃん」を出ると、少し酩酊しているような気がした。けっこう、「酎ハイ」が効いているようだった。

 さて、次こそは本当の立ち飲み屋に行くぞ!と威勢良く歩き出したはいいけれど、いいアイデアはない。
 歩きながら思案していると、確か、神田外語学院のある通りの手前、珈琲館の並びの酒屋に生ビールを出してくれる酒屋があったことに気づく。
 わたしが神田で働いていた4年前は酒屋の自動ドアに「ジョッキ貸します」というような貼り紙がされていたことを思い出したのだ。

 早速、行ってみると、もはやそのような貼り紙などなく、店内にもそうしたスペースを設けているようにも見えなかった。「しまった」。わたしは舌打ちをした。 都会の角打ちは次々と姿を消しているのだ。

 しかし、落胆している暇はない。気を取り直して前を向くと、確かこの通りの問面にチェーン系の立ち飲み屋があったことを思い出した。再び、そこまで歩いてみると、もはや目当ての立ち飲み屋などなく、やや洒落た店が代わりに開いていた。
 看板を見ると「バル」とある。

 「ほほぅ、バルなら立ち飲みだろう」と何故か安易な考えを巡らせ、迷うことなくわたしは店に入った。

 暗がりの店にラテンのリズムが流れる。左側がバーカウンター、店の奥は一斗樽をテーブルにした席が幾つか置いてある。「しまった!立ち飲みではない」と思っても後の祭り。仕方なくわたしはマスターと思しき人物にカウンターの際で「ここで立って飲んでもいいか」と聞いた。
 マスターと思しき人物は寡黙に頷いた。
 じつはこの後からわたしの記憶は薄まっていく。

 店内の様子はあまりよく覚えていない。もしかしたら、店内の壁にダーツがかかっていたかもしれないし、頭上の薄型テレビからは、昨季のレアルマドリーとバルサの試合のビデオを流していたかもしれない。

 実は本当に記憶があやふやなのだ。
 それでも辛うじて覚えているのが、そこで甲斐甲斐しく働く中国人留学生のZ君(実はメアドの交換をした)のこと。
 『五輪を見に北京には行かないの?』と尋ねると、彼ははにかみながら首を横に振ったのだった。

 わたしはまずビールを飲んだ。
 『福ちゃん』で既にビールを口にしていたけれど、Z君が注いだビールが、誤注になり、行き場がなくなるのを見てとると、『それ僕にちょうだい』と言って、細長いビールグラスを受けとった。ビールはサッポロのエーデルピルスだったのである。

 つまみは豊富にあったと記憶している。チーズの盛り合わせやソーセージなどだ。中でも、特に気をひいたのがイベリコ豚を食材に使った料理各種。かなり、本格的なものを出す店のようである。

 ビールを飲み干して、次にわたしは何を飲んだのだろう。ラムのような強い酒をガブガブと飲んだような気がする。そして、記憶は次々と深い闇に沈んでいくようだった。
 
 帰りの電車の中でわたしはひとしきり右手の中指が気になった。
 何か痛い。
 見ると水ぶくれになっていた。確か、わたしは締めにパエリアを食べたのだった。
 中指の痛みはそのパエリアの鍋に触れてできたのかもしれない。ムール貝がたくさん入ったパエリアはたいそうおいしかった。調理に長い時間をかけ、出てくるまでの時間、やきもきさせられたが、待った甲斐はあった。
 本当においしかったのだ。

 あぁ、だいぶ飲み過ぎた。久々の痛飲だ。ラムを立って飲み、パエリアをつつく。それもまたおつなものである。
 
 そこが、立ち飲み屋であるとか、そんなことはもうどうでもいい。立って飲んで、食べて、それがとてもおいしくて、気持ちが満ち足りればそれでいいではないか。

 




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