T社のT川さんの飲む約束をしていたが、なかなか連絡が来ない。昨日、ジャカルタから帰国してきたはずだから、疲れているのだろう。もしかしたら、このまま会は流れるかもしれないと思っていたら、昼過ぎに連絡が来た。
「会いましょう」ということになった。場所は中間地点をとって北千住に設定した。T川さんと酒を飲むようになって、少しずつお互いの事を知るようになった。冗談を言わないT川さんは、はじめは酒も飲まないだろうと思っていたが、実は大衆酒場が好きだった。一方のT川さんも自分を同じように見ていたらしい。大衆酒場が好きなら、北千住もOKだろう。
北千住の例の小路に行った。まずは「千住の永見」を偵察。おぉ、大混雑。「ちょっと、他を覗いてみましょう」と道の先に。良さげな店はあるが、どうもT川さんは、「永見」を気に入った模様。「大はし」も偵察したかったが、あそこまで歩いて、満席だったら、疲れちゃうので、「永見」でチャレンジすることにした。すると、たまたま席を立った人がいたのと入れ替わりで入れることが出来た。ただ、店内は激混みで、しかもかなり騒がしい。けれど、T川さんが満足気にしていたから、ひとまず良かった。
「千住の永見」、9年ぶり3度目。厳密にいうと4回目。話すと長くなるので、3回目にしておこう。
まずは「生ビール」で乾杯。
「ポテトサラダ」、「レバカツ」(420円)をオーダー。そして、「永見」名物、「千住揚げ」も追加。食べたいものがすぐ決まるのが名酒場だ。
話題はT川さんのジャカルタ滞在を中心に話しが弾んだ。インドネシアの人口の平均年齢が10代というのに驚愕し、ジャカルタを走行するクルマの8割が日本車という状況にも驚く。自分がこれまで、歩いてきた国はどうだったかと思い返してみるが、そんなに日本車のシェアが高い国はなかったように思う。
「生ビール」を空けて、「ボール」をオーダー。すると、間髪入れずにそれが出てきた。
はやっ。
黄色い色がついた「ボール」は、掛け値なしに旨かった。そういえば、コロナが始まった頃、居酒屋で酒を出してはいけないとなった時、よく北千住で飲んだ。あの時飲んだ、「幸楽」の「ボール」は、背徳の味だった。あれから3年が経って、コロナはまた猛威を奮おうとしているが、こうしてまた北千住の名店だ「ボール」が飲めるなんて。
T川さんも「ボール」に興味津々。「自分もこれね」とオーダーすると、直ぐに出てきて、これまたびっくり。右横の厨房から、クロスが上がるように、「ボール」が供給される。
サッカーW杯は日本がドイツをくだし、盛り上がっている。そういや前回、「永見」に来たときもW杯イヤーだった。あれはブラジル大会。日本は惨敗だった。グループリーグ最下位。初めて「永見」に来たのが、2007年だったか。W杯の翌年である。あぁ、あのドイツ大会の日本も酷かった。2敗1分けのビリ。辛うじて引き分けたのが、クロアチア戦だった。柳沢淳選手が最大のチャンスを逃した一戦は負けに等しい引き分けだった。
試合後のコメント、「急にボールが来たので」は今も語り草である。
さて、我々の酒を飲むスピードも早かった。瞬く間に、「ボール」をおかわりしたのだが、相変わらず、オーダーしてからが早い。あっという間に、厨房から「ボール」が供給されるのである。
そのクロスに対して、我々も戸惑った。「永見」は空いたお皿は下げない仕組みである。だから、たちまちテーブルがお皿で溢れ返り、「ボール」の収まりどころが見つからない。
「急にボールが来たので」。
なんて言い訳は通用しない。
結局、我々は5,6杯は「ボール」を飲んだだろう。会計は5,000円を超えた。
なんだか、「永見」には7,8年周期で訪れている。となると、次回は2030年か。年齢は59歳になってるはず。
日本代表はその時、強くなっているのか、それとも。
なお、画像は会計時のテーブルの惨状のみアップする。ちなみに「居酒屋さすらい」は1971回目。とうとう自分の生まれた年になった。そのメモリアルが「千住の永見」で良かった。
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