栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

東北被災地に現地入りするマスメディアに要望したい~カイロの持参・配布を!

2011-03-15 17:14:45 | 視点
 東日本巨大震災の取材のためマスメディア各社が現地入りしている。
こういう時にいち早く現地入りし、現地から現状を報道するのがマスメディアの使命である。
ただ、阪神淡路地震の時もそうだったが、メディア取材者たちが被災者の邪魔をしていることもあるので注意して欲しい。

 例えば第一報は絶対必要である。
そのことで現地の事情がかなり分かるからで、それを伝える使命がメディアにはある。
ただ、その後に現地入りするメディアには別の役割もあるのではないだろうか。
とにかく現地に行き、そこから報道すればいいということではないはずで、現地で被災した人達の邪魔をしない、手を煩わせないようにして欲しいのは最低限のルールだ。
 そういう意味では菅首相の原発視察の現地入りは逆に原発事故への対応を遅らせることになった。
一刻を争っている時に首相が来て説明を求められれば、それに答えるために現地の人間が対応しなければならなくなる。
「邪魔だ。向こうに行っててくれ」
私ならそう叫びたいところだ。

 同じことが数日後に現地入りするメディアにも言える。
特にニュースなどの場合、スタジオで報道するアンカーと呼ばれるキャスターが現地を自分の目で見ておきたいと、現地に行きたがることが多い。
 安藤優子キャスターが昨日、現地から「毛布が足りない、食料が足りない、医薬品が足りない」と報道していたが、その時ある違和感を覚えた。(小倉キャスターはオリンピックを始めとしたスポーツなどの場合は現地入りするが、被災地などの危険な場所には行きたがらないようで、それはそれで見上げた根性だ)
 それは報道者である前に人間であれ(人間でありたい)ということだ。
目の前で溺れている人がいて、手を伸ばせばその人を助けられるかもしれない時に、どちらが優先されるのかということだ。
人間としての個人か、職業人としての仕事か。

 かつて同じことを阪神淡路地震の後、福岡の民放F局の若い取材者と議論したことがある。
彼らは取材だからとホテルに泊まり、その結果、身内の安否確認やボランティアで現地入りした人達の宿泊場所を奪うことになったが、彼らにはそのことを一考することもなく、自分たちは報道する義務があると言い張った。
その時、私は非常に後味の悪い思いをした。

 いま現地に物資を届けたくても陸路が復旧してないため、現地で物資の不足が分かっていてもなかなか届けることができないのが現状だ。
それでも報道陣は現地入りできる。それならついでに少しでも物を持って行って欲しいと思う。
もちろん毛布や衣類といったかさばるものは難しいだろう。
持っていけるとすればあまりスペースを取らない物しかない。
例えば暖を取るカイロはどうだろう。
これならある程度の数を持っていけるのではないか。
重量は増えるが乾電池も役に立ちそうだ。

 そうした小物を少量でもいいから、現地入りする時に持参して配って欲しい、というのは私のわがままだろうか。
そんな少量持って行っても役に立たない、と批判されるかもしれない。
それでも、明日の毛布より、今日の小さなカイロで暖が取れる人が1人でも2人でもいるかもしれない。

 もうひとつは簡易トイレだ。
折り畳み式で使い捨ての簡易トイレを広島のメーカーが阪神淡路地震の時提供したという話を聞いたことがある。
水洗トイレが使えないと被災地は悲惨な状態になる。
人間は食べ物を摂取すれば排泄が付きものだ。
排泄すればその処理が問題になる。
水洗が使えなければ穴を掘ったところでするか、山積みにしたまま放置するかしかない。
今回は冬場だから夏場ほどではないだろうが、不衛生な状態が続き疫病が蔓延することもある。
食料の供給と同時にトイレの供給も早急にして欲しいものだ。






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