今朝は、薄らと霧がかかり、
こんな幻想的な朝となりました。
毎朝の空を眺めるのが、私の
楽しみの一つとなっていますが、
本当に様々な顔を見せますね。
今日のように幻想的な空があるかと
思えば、くっきりはっきり鋭角的な空。
見渡す限り何もない青空があるかと
思えば、厚い雲に覆われた空。
又、一面の真珠色の空だったり・・。
居ながらにして、こうして夜明けの空を眺める事の出来る幸せを思います。
もし、これで西の空が見渡せたと
すれば・・。想像するだけで、
もう、ワクワク!!
そう言えば・・アンが、サマーサイド
中学校長として赴任した柳風荘の塔の
部屋では両方、見渡せましたものね。
“柳風荘を去るのが
悲しくてたまりません。・・・
ここにいる時のように、
風と仲良しになる事は、
又とないのではないかと思います。
又、朝日と夕日の両方を見られる部屋に住む事が、
この先あるかしら?” 【「アンの幸福」 第3年目 14.】
私と来ましたら、いつもの事とは言え、
朝の空の事で、こんなにも誌面を割いてしまいました。
本来なら一番最初に記さなければなりませんのに・・
遅ればせながら・・今日は、『節分』 ですね。
言うまでもなく、「鬼は外、福は内!」。
でも、昔話に出て来る鬼は、(挿絵なども) 何とユーモラスなのでしょう。
尤も本来の鬼は、怖いのでしょうけれど。
とは言え、鬼に因んだ諺(ことわざ)って沢山ありますね。
それだけにある意味、愛されて? いるのかも知れません。
「鬼が笑う」 「鬼の居ぬ間に洗濯」 「鬼の目にも涙」
「鬼も十八、番茶も出花」 等など・・。
鬼の語源は、「隠(おん)」 とか。姿の見えないものは、怖いという事なのでしょうね。
心の中の鬼・・も、この機会に追い出してしまいましょうか・・。
ところで、「狂言」 には、こんな話もあるようですね。
節分の夜に蓬莱の鬼が来て、小歌を歌い、女を口説く。 女は妻になると偽って、隠れ笠、隠れ蓑、打ち出の小槌を取り、 「鬼は外、福は内」と豆を撒くので鬼は逃げ去る。 |
そうそう、節分には、柊(ひいらぎ)の枝に、鰯(いわし)の頭を刺した物を戸口に立て、
鬼打豆と称して炒った大豆を撒く習慣があるそうですが、皆さんの所ではいかがですか?