こちらは今日も晴れ。
ただ、昨日もそうですが、太陽は出ていますのに、ボ~ッと霞んだ空。
昨日などは気温の上昇もあって、“まるで春のよう・・”
~なんて思ったものです。
それにしても、くっきり、はっきりとした冬の空とは
程遠いものになっています。
こんな時思うのは、つい黄砂の事。
まさか、とは思うのですが、そのまさかが先日もありましたものね。
さて、私が三浦綾子に没頭している事は、連日お伝えしていますね。
今、読んでいるのは 『泥流地帯』。
この本、どうやら初めてだったようです。
いくら読み進めても、その記憶が全くありません。
“どうして・・?” と、自問自答しながら気付いた事。
題名のせいでしょう。きっと。
『泥流地帯』 のイメージから浮かぶ色は灰色。
じめじめした暗いものでしかありません。
そんな事もあって敬遠していた・・。それしか考えられません。
無意識の中の意識・・とでも言うのでしょうか・・。
そんなこんなで・・少々読み疲れた今日は、絵本を取り出しました。
その絵本とは、レオ・レオーニ作、藤田圭雄訳 『あおくんときいろちゃん』。
少々、くたびれていますが、それもその筈、子供の頃からずっと一緒だった本。
私にとっては少なからず思い出のある本です。
ある日、風邪か何かで学校を休んでいる時、
父が 『母を訪ねて三千里』 と共に、枕元にそっと置いてくれていた本ですから。
ちぎり絵の絵本ですが、内容は至ってシンプルです。その物語とは・・。
“とても仲良しの 「あおくん」 と 「きいろちゃん」 がいつも通り遊んでいます。
すると、互いの気持ちが重なって 「みどり」 になりました。
(「青」 と 「黄」 を混ぜ合わせれば 「緑」 になりますね)
1日の終わり、二人はそれぞれの家に帰ります。
「うちの子はみどりじゃないよ」
行き場所を失った 「あおくん」 と 「きいろちゃん」。泣いて、泣いて・・。
流した大粒の涙は、今度は青い涙と黄色い涙になりました。
最後に元の 「あおくん」 と 「きいろちゃん」 に戻ってめでたし、めでたし・・”
~こんな物語。単純ですが、深いのです。
行間に 「想像の余地」 がたっぷりある本。
心の中を空っぽにしてくれ、尚且つ親子のありようなど、
様々な事を教えてくれる本。心のオアシスのような本。
「な~んだ、子供の本」 と言うなかれ。
既に古典とされたこの本は、アメリカでもあらゆる世代で好評を博しているようです。
そうそう三浦綾子の本。結末、悲劇が多いですね。
いつの頃からか、結末の悲劇は私には重くなりました。
つい、ハッピーエンドを望んでいる私がいます。
その意味でも心が柔軟な若いうちの読書は、大切だと思います。