

今日も暖かい朝です。
その空は今日も霞で覆われています。
“昨日は春の真似をして、
若さの元気と気品を付け、
霞のスカーフ を付けた。
そして何と醜い老婆になって
しまったことだろう。”
【「エミリーの求めるもの」 第19章】
ところで靄(もや)、霧、霞。
どれも同じようなものですね。
私なども昨日は霧と言い、今日は霞。
この際、ちょっと調べてみました。

ものを言い、霧は1km未満。
霧と霞は同じものですから
古くは春秋ともに使っていた
そうですが、後世になって春に
「霞」、秋は 「霧」 と
使い分けるようになったとか。
そうそう、こちらの太陽の写真。
夕日ではありません。朝日です。
さて、冬萌の今の季節。
大きな野村紅葉も、それほどでもないリラの木も、
すっかり葉っぱを落とし、スッキリしています。
その姿は冬の癒やしという詩をつい先日記したばかりですが、
本当にそうですね。
1年の間に蓄えたものをものの見事に捨て去る・・。
木々たちの姿から何とも言えない潔さを感じます。
そこはかとない春の匂いを感じたとは言え・・
植物は、着々と春の準備を始めているとは言え、今はまだ2月。
庭には山茶花と苗から求めたパンジー(鉢植え)以外に花らしい花はありません。
そんな中、真っ赤に燃えたゼラニウムが目に留まりました。(冒頭の写真)
何もしないのに、1年中花を付け、当たり前のようにそこに咲き続ける花。
特に、このピンクのゼラニウムは写真に撮る事もなく、どちらかと言えば放りっ放し。
それなのに花だけでなく葉っぱまで、こんなにも赤く燃え輝いています。

『泥流地帯』 ではありませんが、
そこに土があるというだけで、
どれだけ幸せな事なのでしょう。
ましてや手をかけなくても
1年中咲いてくれる花。
どんなにそれが貴重な
事なのか思い知らされます。
感謝こそすれ、疎んじるなんて
とんでもない事ですね。