【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

冬の紅葉

2011-02-07 16:33:33 | 香る庭の花綴り


   昨日とほぼ同様の空で明けた今朝。
  今日も暖かい朝です。
  その空は今日も霞で覆われています。

   “昨日は春の真似をして、
  若さの元気と気品を付け、
  霞のスカーフ を付けた。
  そして何と醜い老婆になって
  しまったことだろう。”

     【「エミリーの求めるもの」 第19章】

   ところで靄(もや)、霧、霞。
  どれも同じようなものですね。

   私なども昨日は霧と言い、今日は霞。
  この際、ちょっと調べてみました。

   靄は水平視程が1km以上の
  ものを言い、霧は1km未満。
  
   霧と霞は同じものですから
  古くは春秋ともに使っていた
  そうですが、後世になって春に
  「霞」、秋は 「霧」 と
  使い分けるようになったとか。

   そうそう、こちらの太陽の写真。
  夕日ではありません。朝日です。

   さて、冬萌の今の季節。
  大きな野村紅葉も、それほどでもないリラの木も、
  すっかり葉っぱを落とし、スッキリしています。

   その姿は冬の癒やしという詩をつい先日記したばかりですが、
  本当にそうですね。
  
   1年の間に蓄えたものをものの見事に捨て去る・・。
  木々たちの姿から何とも言えない潔さを感じます。

   そこはかとない春の匂いを感じたとは言え・・
  植物は、着々と春の準備を始めているとは言え、今はまだ2月。
  
   庭には山茶花と苗から求めたパンジー(鉢植え)以外に花らしい花はありません。
  そんな中、真っ赤に燃えたゼラニウムが目に留まりました。(冒頭の写真)

   何もしないのに、1年中花を付け、当たり前のようにそこに咲き続ける花。
  特に、このピンクのゼラニウムは写真に撮る事もなく、どちらかと言えば放りっ放し。
  それなのに花だけでなく葉っぱまで、こんなにも赤く燃え輝いています。

   今読んでいる三浦綾子著
  『泥流地帯』 ではありませんが、
  そこに土があるというだけで、
  どれだけ幸せな事なのでしょう。

   ましてや手をかけなくても
  1年中咲いてくれる花。

   どんなにそれが貴重な
  事なのか思い知らされます。      

   感謝こそすれ、疎んじるなんて
  とんでもない事ですね。