【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

19世紀浪漫の渦の中

2011-02-20 15:36:56 | 『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』編


   太陽は出ているものの白い空・・という休日の朝。
  そう言えば昨夜、休む前に眺めた満月のお月様も朧月でしたっけ・・。(18日が満月)
  今日も暖かい朝を迎えました。

   さて、タイトルからも分かりますように、
  私は今日も音吉達、3人を引きずっています。

   繰り返しになりますが、故国を目の前にして、その土さえも
  踏めなかった彼らの心情を思いますと、その無念はいかばかりかと思います。
  一方、少しばかり冷静になった頭で当時の世界に目を向けて見ますと・・。
  
   19世紀は激動の時代。ヨーロッパ各国の覇権主義が世界を席巻。
  奴隷制度、植民地政策、等など・・。とどまる事を知りません。
  それは、この 『海嶺』 の中でも垣間見る事が出来ます。

   伊勢湾を望む小さな村社会しか知らなかったあの時代、
  図らずも世界を知る事になった音吉達・・。(勿論、望んだ事ではありませんが)
  そこに運命の力を感じる・・と思うのは、穿(うが)ち過ぎでしょうか・・。

   「・・・(略)だからこれには両面からの見方があるわ。
  全てこの世の物事には両面があって当然なんだけど」

                                【「アンの青春」 第28章】

   それにしても、上の言葉、上手い表現ですね。
  音吉達を助けた、イギリスにしても清国にアヘンを売っています。
  
   マカオで音吉達のめんどうを親身になって見、
  一緒に聖書を和訳した、ギュツラフにしても、そのアヘンに深く関わっているのですから。

   日本の対応にしても現在の目で見れば、“何と非道な事を・・”
  と思いますが、鎖国制度の中ではある意味仕方なかった・・と言えるのかも知れません。

   音吉達も、その後広い視野で世界を見た訳ですから、
  きっと理解出来たのでは・・と虫の良い? 解釈をしています。
  (尤も彼らが、お上に対して恨みを持つのは当然です)



     さて、小説は浪漫と言うより荒波の方がピッタリですが、
  そこはお手のものの私。

     古地図など引っ張り出したものですから、
    19世紀浪漫に、たっぷり浸っています。
    こんな風に、トレーも古地図で。

   という訳で、(前置きが長くて遅ればせながら)
  『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』 の開店です。
  
   アラッ!? 海と言いますと・・久し振りに ジム船長 も思い出してしまいました。
  私の中の 「想像の余地」 全開です。

   今日もテーブル周りは、青い海の色をイメージして。
  カップは 「九谷焼」。季節の椿柄です。