【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

そして3人だけになった

2011-02-15 18:17:18 | 心の宝石箱

【ハワイを感じて・・】

   この雨戸の向こうには何が・・
  ~なんて、雨戸一つを繰(く)るにもワクワクした今朝。

   一面の真っ白な世界を期待したのですが・・。
  南側の雪は、あらかた解けています。屋根に僅かに残っている程度。
  “な~んだ・・” と、少々がっくり。

   それでもゴミ出しの時に見た、北の彼方にそびえる山は、
  (尤も500m程度) 白くなっています。こんな山を見たのは本当に久し振り。
  
   「山は白銀しろがね、朝日を浴びて・・」~♪
  思わず口ずさんでいました。

   とは言っても、この程度の雪ですら、
  「ゴ~ッ、バシャッ!」 と、凄まじい音。そうそう、この雪解け時の 「音」 の事。

   つい先日、三浦綾子著 『天北原野』 でも、樺太での描写を読んだばかり。
  そこでは北海道ですら経験した事のない、まるで大地が裂けるような音がするのだとか。
  それがどんなものなのか、ほんの僅かですが実感出来た気がします。



   さて、再び三浦綾子著 『海嶺(上中下)』。
  先日は、上巻の3分の2を読んだ処でしたが、あれから一気に中巻まで読了。

   「そして誰もいなくなった」 は、ご存知、アガサ・クリスティーの有名な小説ですが、
  そのクリスティーさながらのドラマが展開されています。

   遠州灘で遭難した船は、広い、広い太平洋を漂流。それは1年余り。
  14人いた乗組員は、1人減り2人減り・・
  
   最後に音吉、久吉、岩松(後に改名して岩吉)の3人だけになります。
  (音吉と久吉は幼友達。岩松は妻帯者。)

   絶望と失意のうちに、皮膚に黒い斑点の出る病気、壊血病で亡くなる訳ですが、
  ここでも気持ちをしっかり持った者が生き残るようです
  
   日本に帰りたい、帰れない・・。来る日も来る日も海ばかり。
  明日をも分からない絶望感から先ず精神を病み、やがては自暴自棄に・・。
  
   食糧や水不足、それによる栄養不足も確かにありますが、
  病気そのものによる疾患というより、弱った精神に病気が取り付く・・そんな気がします。
  
   思い出されるのは、チリの落盤事故ですが、
  閉鎖空間とそうではない違いこそあれ、同様の事だったのでしょうね。

   3人は、北アメリカのフラッター岬に辿り着きましたが、
  インディアンのマカハ族に捕えられ、奴隷に。
  
   命の危険にさらされた岩松の機転で、(文書を託する)
  運良く、イギリスの商社、ハドソン湾会社に救われます。

   その当時(1830年代)、日本なんてどこにあるのかさえ知られていない時代。
  しかしながら読み書きが出来、(寺子屋に学ぶ)礼儀正しい3人から、
  彼らは、日本という国の文化の高さを知るのです。
  (当時、水夫階級は、イギリスでも文字の読める者は少なかった)

   その後、3人は、フォート・バンクーバーからサンドイッチ諸島(ハワイ)へ。
  ここから西へ行けば日本・・望郷の念は募ります。
  脱出も考え、船長にも頼み込んだのですが諸々の事情で断念。ロンドンへ。
  
   それにしてもこの当時は、ハワイから日本まで2カ月もかかるのですね。
  ロンドンから日本へとなると、1年かかると嘆く3人の気持ちは察して余りあります。

   中巻では、ロンドンに10日間滞在し、
  やっと日本に近いマカオに行く船に乗ったという処で終わりです。

   この小説、やはり・・と言いますか、実話のようです。
  3人の運命や、いかに・・。まだまだ鎖国時代の日本の仕打ちは・・?