・・・縁には岐阜提灯が吊るしてあった。 狭い庭の垣に、ひょろひょろと絡んで咲いた 夕顔 の花が、闇に白くぽっと咲いて、 もの懐かしい風情を添えている。 「別荘なんかなくっても、 貸家の夕方があれば沢山だね。 夕顔棚の下涼み って言うけれど、 棚はなくとも・・(中略) あの垣根があれば沢山さ」 浩二はビール泡を盛った洋盃を上げながら こんな事を言った。 【吉屋信子作 「地の果まで」】 |
日の出と共にカンカン照りとなった今日。
じりじりと焼け付くような太陽が1日中。
ここまで今日は夕立もありません。
その暑さは最高気温を日々、更新しているかのよう。
こんな日は、どっぷり和空間に浸りたくなります。
いつの間にか私の中では 「昭和の夏」 に。
縁側で折からの風にチリン、チリン・・と微かに揺れる風鈴。
軒下には今日の引用文の如く、夕顔が・・。(今日は朝顔ではありません)
今年は植えませんでしたが、闇に浮かぶ仄白い夕顔も風流ですものね。
「夕顔棚の下涼み」、この言葉も何と詩的なのでしょう。
いつまでも暮れない夏の黄昏。長い薄暮の時間。
その縁側に、やおら卓袱台(ちゃぶだい)を持ち出して、
枝豆なんて片手に、ググッとビールを飲み干すのも壮快でしょう。
そんなこんなで。
今日は 『アンの世界』 とは
ガラッと変わった和空間を。
和の珈琲カップを並べた
コーナーにちょっとした “和” を。
尤も恒例の和小物を
置いただけですが。
そうそう、そのカップ。
1段に並べていた物を2段に。
2段には出来ないと頭から
思い込んでいましたが、
何とか高さの違う物で克服。
これで2倍の収納力となりました。
何だか随分、得した気分。
話が逸れました。
ここには土物の壺なども
雑多に置いています。
それでもそこには涼風がス~ッと吹き抜けているような・・。
これらは夏にはヒンヤリしていて。全然邪魔になりません。
呼吸しているのですね。