【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

見かけだけ大人と成熟の狭間で

2013-05-30 18:27:58 | 今時主婦の井戸端会議(政治など)

【「マトリカリヤ(夏白菊)」】


【オーストラリアン・ブルーベル】







 「今晩は一つだけにしておくわ、マリラ。
 それからこれ、半分ダイアナに
 あげていいでしょう?
 そうしたら、後の半分は
 倍も美味しくなるわ。
 ダイアナにあげるものが
 出来たと思うと、嬉しいわ」
 「あの子のいい所は、
 けちでないことですよ」
 アンが自分の部屋へ行ってしまうと、
 マリラが言った。
 「嬉しいですね。
 何がいやだっても、けちんぼの子供くらい、
 いやなものはないですからね・・・」
        【「赤毛のアン」第12章】




   



   雨は降らないものの、鬱陶しい天気が続きます。
  それでも梅雨に入ってからこれまで湿度が高いと言っても、
  せいぜい60%程度。

   今日のように70%近くもあれば、
  昨日と同じ位の気温でも、さすがに蒸して不快指数は上がります。

   とは言え、湿度が少し下がれば今度はヒンヤリ。
  何ともとらえどころのない気候です。

   さて、写真は一日遅れの 「マトリカリヤ」 と
  「オーストラリアン・ブルーベル」 です。

   どちらもやっと開花したばかり。
  写真、もう少し後で・・と思ったのですが、待ち切れなくて。










   
   


   昨日(5月29日付)の新聞で目に留まった、一つのコラム記事。
  それを読むに付け、世の中には似たような事があるものだと。

   それこそ、「人の心情考えぬ幼稚な大人」 と題した、
  崇拝する曽野綾子女史のものです。

   それだけ世の中が・・いいえ、人間が、
  浅薄になっているのかと思いますと、
  何だか哀しくて。記事の概略を申しますと・・。

   場所は美容院。(因みに筆者は髪カットに訪れている客)
  そこにベランダ菜園で採れた、じゃがいもを持って近所の主婦が訪れます。
  素人にしては見事な出来栄えに称賛の嵐。当然、そこには自慢も含まれます。

   初めは、家庭菜園の経験豊富な筆者ですから、
  それらの光景を好意的に捉えています。

   ところが・・。見せたいだけ見せ、自慢したいだけした、
  じゃがいもを主婦は、そのまま持って帰るのです。

   しかも、お裾分けだと勘違いした美容師の方は、逆に謝る始末。
  私も、この辺りからどうしようもない違和感を覚えたものです。

   普通の感覚では、わざわざ採りたてのじゃがいもをお店まで持って行ったのなら、
  「お一つ、どうぞ・・」 となるのは当然ではないでしょうか。
  以下は、曽野綾子女史のもの。私も全く同感です。
  






 自分も楽しむものなら、どうして相手にも
 美味しい思いをさせたいと思わないのだろう。
 この女性は、ただ相手の称賛を得る事で、
 自分の満足感を倍加させるためだけにやって来たのだ。
 幼稚園の子供なら、その程度の幼稚さも許されるかも
 知れないが、少なくとも大の大人のする事ではない。
 一個もやりたくないほど大切なじゃがいもなら、
 採った人は決して他人に見せず、
 こっそり自分で食べればいいのだ。
 褒めて欲しいが、収穫は分けたくない、
 というような未熟な大人を、昔は見掛ける事がなかった。