安倍元総理への襲撃事件で献花台を訪れる10代20代の若者が多い、という記事を読んだ。
この記事に、
(日本はまだ大丈夫…かな)
と、ほっとした。
若者にとって、物心ついた時からメディアに登場する元総理は、
直接会うことはなくても身近な存在だった…
と言うことなのかもしれない。
故人を悼む気持ちを持つことは、当たり前の事のようで、
実はそうでなかったりする。
既に元総理の功績ばかりを取り上げて美化する論調もある。
一方では冷静に《功罪》を取り上げるメディアもある。
それはそれで、今後の日本の政治を考えて行く上で必要なことではあるが、
すぐに特集を組んでやる事ではないのではないだろうか?
私は、そんなメディアの対応について相変わらず違和感を持っている。
そして、第一報では衝撃を受けたが、時間の経過とともに、
不思議なほど今回の事件を冷静に受け止めている。
何故だろうか?と考えた。
歳を重ねてきて、悲しみや怒りの感情が鈍くなってきているのは事実だが、
1つには国内ではなく、まるで遠い外国で起こった事件であるかのような錯覚が拭えない事と、
元総理は自分のような庶民にとって、やはり遠い存在だった…
と言うのが、その理由なのではないかと思う。
私は冷血な人間だろうか?
それとも、
喪失感は親密さと比例する、と言う事なのだろうか…。
葬儀は家族葬だと記事にあった。
親しい人との別れは辛いものだが、
ある説によれば、
死の瞬間、走馬灯のように自身の人生の出来事が思い出され、
そして、魂は身体から離れて、自分の亡骸を上から眺めている…
のだそうだ。
今頃、きっと安倍元総理の御魂は夫人の側に寄り添っておられる事だろう…
永い間、お疲れさまでした…
合掌。