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ゴミ出しから帰って来たら
庭の片隅からキンモクセイが薫ってきた…
今朝のエールを観ながら、
あの時代の人々の不自由さを思い、
今の時代のありがたみを感じている。
私が“非国民”と言う言葉を知ったのは小学生の頃だが、
心の中で思った事を口に出せないほど不自由な事はない。
表現は自由だ…と思えるのは戦後生まれなればこそだ。
《若鷲の歌》は、
リアルタイムで歌っていた高齢者たちからも《予科練の歌》として覚えられている。
初めて“予科練の歌”を聞いたとき、
私はまだ子供だったが、
とても“哀しい歌”だと思った。
当初、長調で作られたメロディを短調に書きかえたとされているのは
ドラマのように
実際に予科練を見学しての事だったとされているが、
《暁に祈る》同様に、
送られていく者への、
作曲家からの暗黙のメッセージが感じられる歌だ。
そんな風に思うのは私が祖母や両親から戦時中の話しを聞いて育ったからに他ならないが、
立派な遺書を残して決死の覚悟で飛び立っても、
最期は1人の息子として“お母さん!”と叫んで逝った兵士が多かったと言う史実を読んでからだ。
そんな事実でさえ、当時の軍は認めようとしなかった…
恐ろしい時代だ。
今日のエールは、若鷲の歌がレコード化される前だから、
終戦までに、
まだあと3年以上もあると言うことか…
いつもそうだけど、
朝ドラで戦時中の場面を観るのは辛い。
(ー ー;)