伊丹駐屯地にある中部方面音楽隊を
初めて訪れたのは、大学4年の夏休み
が終わった直後だったかと思います。
大学の管楽器の教官で、自衛隊音楽隊を指導しているK先生から
「どうや?ユミ、自衛隊を受けてみいへんか?」と訊かれたのがきっかけです。
最初は単なる好奇心でした。
「見学に行こう」と言われて、じゃ、とりあえず…という軽い気持ちで出かけたところ、
歌とピアノを部隊で聴いてもらうから伴奏者を同伴するように言われたのです。
総勢78名が集う合奏場で歌ったのは、何の曲だったか…
恐らく、チャイコフスキー歌曲
「ただ憧れを知るもののみが」
ピアノはショパンのワルツ集から
3番、あたりではなかったかと思います。
後になって思えば、これが自衛隊音楽隊に入るための実技試験だったようです。
その後あれよあれよという間に、私の入隊の話は進んで行き、
大阪防衛協会の理事であった著名な指揮者のA先生に挨拶に行った時には、
「君は将校になりなさい」
と、励まされるまで大袈裟になってしまっていたのです。
もう後には引けません。
とはいえ、最初から音楽隊に入るルートはありません。K先生が言うには
まずは、一般の婦人自衛官試験を受けて欲しい、との事でした。
そして、満面の笑みを浮かべた
K先生は私に言ったのです
「音楽隊はええぞ、一日中、音楽だけ
やってられるんやからな!!」
と…。
初めて訪れたのは、大学4年の夏休み
が終わった直後だったかと思います。
大学の管楽器の教官で、自衛隊音楽隊を指導しているK先生から
「どうや?ユミ、自衛隊を受けてみいへんか?」と訊かれたのがきっかけです。
最初は単なる好奇心でした。
「見学に行こう」と言われて、じゃ、とりあえず…という軽い気持ちで出かけたところ、
歌とピアノを部隊で聴いてもらうから伴奏者を同伴するように言われたのです。
総勢78名が集う合奏場で歌ったのは、何の曲だったか…
恐らく、チャイコフスキー歌曲
「ただ憧れを知るもののみが」
ピアノはショパンのワルツ集から
3番、あたりではなかったかと思います。
後になって思えば、これが自衛隊音楽隊に入るための実技試験だったようです。
その後あれよあれよという間に、私の入隊の話は進んで行き、
大阪防衛協会の理事であった著名な指揮者のA先生に挨拶に行った時には、
「君は将校になりなさい」
と、励まされるまで大袈裟になってしまっていたのです。
もう後には引けません。
とはいえ、最初から音楽隊に入るルートはありません。K先生が言うには
まずは、一般の婦人自衛官試験を受けて欲しい、との事でした。
そして、満面の笑みを浮かべた
K先生は私に言ったのです
「音楽隊はええぞ、一日中、音楽だけ
やってられるんやからな!!」
と…。