男子フィギュアが終わった。月並みだけど オリンピックには魔がひそむと思った。競技としておもしろかった それぞれの演技にそれぞれの人生がかさねあわせるように語られていた。でも 感動はうすかったかもしれない。スタンディングオーベーションは起きなかったから観客もそんな感じだったのかもしれない。
前回のバンクーバーでは 4回転か....それとも表現力かがひとつの焦点になった。 イヴァン・ライザチェックは体の状態と成功率の悪さから4回転回避を明言して演技を披露。ショートプログラムトップでトリノオリンピックを制覇した4回転のエフゲニー・プルシェンコを破り逆転優勝。その直後 プルシェンコは異議を申し立てた。
→ こちら
「採点方法を変えるべきではないかと思います。4回転ジャンプは4回転ジャンプです。オリンピックの優勝者が4回転をやらないなんて、ちょっと分からないです」優勝したライサチェクは、3回転以下のジャンプのみに抑え、確実に演技することで金メダルを獲得した。一方のプルシェンコは、4回転ジャンプを他のジャンプと組み合わせて連続ジャンプにするなど、高難度のジャンプを取り入れていたものの精度に劣り、銀メダルに終わったのだ。ブライアン・ジュベールも4回転にこだわった。
その後 覇者となった パトリック・チャンは「4回転というのは、ジュベールみたいにあまりスケーティング技術が高くない選手がポイントを埋め合わせるために必要なものだと思うんです。4回転は最重要課題では無くなりました。最終的には4回転は必要ないと思います。でもオリンピックでは4回転を跳びます。他の選手がみんなやっているのに、自分だけ跳べないのは精神的にきついから」
と自分には4回転は必要ないと語った。
この問題は浅田真央とキム・ヨナでも問題になった。果敢にトリプルアクセルを跳ぼうとする浅田に対して キム・ヨナはリスクを犯さず どのように優位に点を重ねるかをリンクの内外で試みたのである(。フィギュアはモーグルのように採点競技なので どうしてもジャッジの恣意的は採点が入りやすい。
さて 今年のオリンピック男子フィギュアはどうだったか!?
13日のSPでは出場29人のうち4回転を跳んだのは16人。17位にとどまったレイノルズ(カナダ)が2回試み、あとの15人は1回入れた(回転が大きく足りず認定されなかった高橋ら3人を含む)。
14日のフリーでも、事前に提出された予定演技構成では、フリー進出24人中17人が4回転の入ったプログラムに。そのうちレイノルズと4位のフェルナンデス(スペイン)は3回。日本勢3人を含む9人が2回を組み込んだ。3回の2人と羽生には、4回転サルコウ(基礎点10・50点)と4回転トーループ(10・30点)の2種類がある。上位を争う選手の中でSP、フリーを通じて1度も4回転を跳ばないのはSP6位のブラウン(米国)だけだ。
4回転に意味を見出しひたすら跳ぶひとはどのような結果をだしたか?
プルシェンコ引退 → こちら
知ってほしいプルシェンコ31歳の真実-
▼腰にボルト3本・人工椎間板が入ってる
▼ヒザの半月板が無い
▼首から下の身体は全てボロボロ
▼人間用の痛み止めが効かないので馬用の薬物を使用
ブライアン・ジュベール ケビン・レイノルズ 意外にふるわなかった。
フェルナンデスはジャンプを跳びすぎて 一回は評価されず 4位にとどまった。
4回転 跳ばないひとはどうだったか?
ジェイソン・ブラウン 6位入賞
メダルをとったひとはどうだったか?
羽生選手は 2回 二種類の4回転をとび 演技構成点も高い。チャン選手は2回 4回転をとび構成点も高い
デニス・テン 選手は 今回 4回転にチャレンジ もともと表現力には定評があった。
こうしてみると 今 求められているのは4回転をただ跳ぶのではなく 精度と質をあげること そのうえに ゆたかな表現力が必須。
ただしルーティーンのように演技をするのではなく 高い技術に裏打ちされたパフォーマンスとしての輝きがあること。演技に 高いストーリー性がわたしはほしい。
できたら 世界観を見せてほしい。観客を魅きつけてやまない力はそこから生まれる。その意味では個人的的にトマシュ・ベルネル ジェレミー・アボットの演技が心に響いた。
羽生選手のコーチ オーサーはバンクーバーで キム・ヨナ パトリック・チャンを指導した。ジャンプの指導にはとくに見るべきものがある。それと同時に 彼は計算を知っている。どうすれば高い点数をゲットできるか を知っている。ショートプログラムで高い点数をあげ 逃げ切るというのも彼の戦法のひとつである。わたしは 過去の言動や所業からオーサーは好きではないし 勝たなければ意味がなく そのためにできることはなんでもやると考える コーチ術には必ずしも 頷けないが メダルが目的ではない、自分の力を出し切るだけ というのはある意味で悲しいもと思う。バンクーバーで浅田選手は本来 金メダルに輝くべき演技をした。しかしバンクーバーでもほかでも 浅田選手には不可解なダウングレードがあり キム・ヨナ選手には不可解な加点があった。それを骨身に知れば 勝つことを目的に掲げたところで いくら努力をしても 約束は果たすことができない。それだから 目的を他者をしのぐという勝利でなく 自分を乗り越えるという究極の勝利に持っていかざるを得ないのだ。
採点競技としてのフィギュアスケートには何十年も前から おかしな採点があった。当時はジャッジがどの国の人間か明示されていたから 子ども心にも ソ連やヨーロッパの審判は自国の選手に甘い 日本の審判はそうではない というのが見て取れ スポーツなのにおかしいなと思ったものだった。スポーツは国威発揚のための代理戦争 国民のガス抜きでもあるのだ。ロシアではプルシェンコの棄権が政界をまきこんでの論争になっているという。→ こちら そうしたことを考えると ロシアは団体 ペアにつづいて 女子シングルでも勝ちにくるだろう。 宿敵キム・ヨナだけでなく 昇り坂のリプニツカヤも入れての三つ巴の熾烈な戦いがすでにはじまっている。
競技者として 勝ちたいのはあたりまえだ。
勝利することをファンは心から望む 公正なジャッジを望む...... だが .理想はあれど 現状はいかんともしがたい。
ただただ 浅田選手が自分の納得のいく演技をしてほしい それを心から願っている。長年の競技生活で プルェンコ同様 浅田選手は口にはしないが腰痛も みちづれになっているようだ。どうか無事に演技ができますように。
フィギュアスケートには 競技として 点数をあげること のほかに 身体と魂から発する芸術としての側面がある。他の優れた芸術もすべからくそうであるように 見るものはその一瞬のパフォーマンスから天上の至福や浄化や生きる力を受け取ることさえある。もしそれが見られるなら 伝説が生まれるなら メダルなどなにほどのものだろうか。
語りもフィギュアに通じるものがある。勢い パフォーマンスとしての輝き 技術 構成力 世界観 ものがたりをともに生きること 競技ではないが 一回 一回が自分との戦いであることもおなじである。魂と身体の統合とその発露であることも同様である。
「ソチ=佐々木正明】フィギュアスケート男子で唯一のロシア代表として出場していたエフゲニー・プルシェンコ(31)がショートプログラムで故障を理由に演技を行わず棄権したことについて、ロシアの極右政党、自由民主党のジリノフスキー党首は14日、「ソチは障害を負った人の場所ではない。五輪は、最も強くて健康的な選手が出場する大会だ」と痛烈に批判、若い選手にチャンスを与えるべきとして、3回以上の五輪出場を禁止する法律の修正案を出すとの意向を明らかにした。(産経新聞)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%AF