遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

コメントでご要望がありましたので調べてみました。

あまり 訪問しなかったので 気付かなかったのですが ざっと見ただけで これだけの ブロガーが筆を折る あるいは 消えておりました。愕然としております。ブックマークにのせられなかったブログもありますので 実際はもっともっと 多いと思われます。阿修羅掲示板がちかごろ サッパリ精彩がないのも 推して知るべしです。 消えたブログ 残って健闘しているブログを比較してみると 消えたブログはリアルな分析をしていたものが多いことに気づきます。一方..井口ブログ..カレイドスコープ つむじ風 など いわゆる陰謀系と呼ばれているブログはまだ戦っている....これはなにを意味するか...... 現実を見るから止めざるを得ないということもあるでしょうが それだけではない。カモフラージュになるのかな.... それとも、もしかしたら....隠された目的があったりするのか....という穿った見方もできます。

わたしも三年にわたって 興味深い記事を紹介したり 戯言やお伝えしたいことを書き綴ってまいりましたが 書き続けながら 徐々に本来の行動にシフトを移しております。もはや 行動のときです、みなさま。 まず 家族を守ること。そしてまわりに眼を配り 明るくすること。あなたさまのできることはまだたくさんあります。

Mzh ブログ 2012 2月

見守りファーム 2012 6月

ふじふじのフィルター 2013 3月

憂いの果てに 次男坊のアフォリズム 2013年 6月  → こちら

Beyond5  Senses 2013 7月  → こちら こんな記事を書いていました。

暗黒夜行 2013 12月

陽光堂 2013 12月   → こちら

メモ・独り言・戯言 2013 12月  → こちら  ミラーサイト?

独りファシズム 2013 12月    → こちら

HAARP  時期不明

日本人は知ってはいけない  時期不明  → こちら

誠天調書 2014 2月  ツイッター継続の模様

 

暗黒夜行さんの閉鎖の言葉

”暗黒法案”「特定秘密保護法案」の成立が決定的となったことを受け、ここ最近のエントリーにてコメントしてきたとおり、本ブログの閉鎖をここにご報告させていただく次第である。

アメリカでは911の後に制定された「愛国者法」にて、事実として、何万というブログが国家権力により強制的に閉鎖に追い込まれ、「対テロ」を名目におびただしい数の一般市民が当局に拘束され、グアンタナモ収容所をはじめとする監視施設に収監され、拷問を受けてきているのである。

今回の「特定秘密保全法案」成立の背景にあるのが、日本版・愛国者法の制定であることは想像に難くない話であり、実際、安倍政権が口にしている改憲や共謀罪が今後成立すれば、”危険分子”は芋づる式に炙り出され、言論統制・思想弾圧が行なわれる社会になることであろう。

そもそも論として、ブログは勿論、その大元となるインターネットという言論空間自体が体制側の用意した”プラットホーム”であることを考えれば、その中で体制批判を繰り返す行為は飛んで火に入る夏の虫も同然であろう。

........

今回の「ブログ閉鎖」に対し、一部の方から敵前逃亡するのか?といったご意見をいただいているが、国民監視のための一つのツールであるブログにて自身の思想信条を晒し続け、このまま玉砕・犬死にする戦い方を続けていく訳にはいかない故、戦い方を変えるべく陣を引く ということをご理解いただきたいと思う次第である。

陽光堂さんの閉鎖の言葉

.....ブログ閉鎖については権力に屈しているという批判もありますが、特定秘密保護法は一般ブロガーには危険な内容になっています。法律が施行されても当初は大人しくしているでしょうが、次第に本性を現して言論弾圧に至る事は必定です。戦前も同様の事態に立ち至りましたから。.....戦前回帰・戦争国家再現は、誰の目にも明らかです。一連の安倍内閣の反動的政策を正当化する向きも多いですが、単細胞のネトウヨでなければ、安倍内閣に巣食う米国戦争屋系人士の工作員と見て間違いありません。

 国民の側が鉄壁の団結力を見せれば、さしもの戦争屋たちも好き勝手できませんが、哀しいかな国民は分断されたままで、少数の暴君たちによる支配を許しています。今のところ事態が改善する見込みはありません。

 悲観的過ぎる見方かも知れませんが、政治権力の本質を冷徹に見る限り、こう考えざるを得ません。評論家として飯を食べている人は希望を抱かせる言辞を弄していますが、それは商売故で、何故そんなことを言うのか、よく考えて判断しなければなりません。

 そういうわけで、のん気に国や政治を語る時期は過ぎ去ったと思います。後はそれぞれ、身の安全を図るべきではないでしょうか? 皆さんが無事生き延びられるよう、願わずにはいられません

独りファシズムさんの閉鎖の言葉

 

特定秘密保護法案が成立することとなり、自由言論は終焉を迎えました。3年間にわたり多くのアクセスを頂き、書籍化に際しましては購読を頂き、本当に有り難く存じております。またリンクや記事の転載、ツイッターなどで応援して下さった方々にもお礼を申し上げます。

皆さん、本当にありがとうございました。なおブログの閉鎖と電子書籍の配信停止は来月を予定しており、日程につきましてはあらためて告知したいと存じております。もっとも今更閉鎖したところで、来る一斉弾圧において自分が無事である保証などないのですが。最後のご挨拶として、11月10日の記事に加筆しながら思いを綴りましたので、よろしければ明日の本体ブログをご覧頂けますでしょうか。

「略奪者のロジック2」に続き、「SLAUGHTERHOUSE」もアマゾン配信が停止されている状態であり、現在のところこの2冊はパブーの電子書籍版のみの扱いとなっております。キンドル版が近々復旧されるとの報告を受けておりますが、いずれにしろこのような状況ですので長くは公開できません。せいぜい年内が限度でしょう。僭越ですが、上梓した四冊の本はいずれも社会科学というカテゴリーにおいて最高レベルのものだと自負しております。もっとも執筆する者たちの大半が御用学者と化し、文化資本の総体が劣化していることによるのですが、やはり言論というものは体制の内側にあっては成立しえないのであり、生活者の痛みを持つ在野の者でなければ、核心に到達することが叶わないのだと思います。その前提において、これまでの辛酸や無為が洞察の養分に昇華されたのであり、ささやかだけど一つの円を閉じることができたことに充足するのであり、つまり書く事で自分が復元されたのです。

おそらく僕の本はこの時代に評価を受けることがなく、その意味性が認識されるのは僕がこの世を去って相当後のことでしょう。文化の価値とは「どれだけ時間のヤスリに耐えられるか」なのですが、これまで文語表現というものに執念深くこだわり続けてきた背景には、時間に侵食されることのない普遍な何かを残したいという衝動があったのかもしれません。

このところ開高健の「流芒記」を読み返しています。始皇帝が即位した当時の中国を舞台とする短編小説なのですが、国家という暴力機構により人間が翻弄され、支配者の欲望や恣意により生命や人生がいとも簡単に奪われるという実相は、有史前の古代も我々が帰属する現代も変わりがないのだと思います。結局のところ人間の進歩と退廃は等量であり、歴史は循環に過ぎないのかもしれません。

最後に、インスピレーションの源泉である「独りファシズム」を貼っておきます。時間があれば聴いて下さい。歌詞は検索で見られるでしょう。25年前まだ若かった僕にとってこの曲はあまりにも難解だったのだけれど、反逆の耽美は時代の荒廃とともに具象を伴い、自身の年齢とともに身体化しているように思います。これから僕は元の自分に戻って、詩を書き、音源を作りながら、ネコと暮らすつもりです。今度皆さんに会えるのは、この国がぶっ潰れた時かな。

それまで、さようなら。

以上

http://c3plamo.slyip.com/blog/archives/2013/11/70000.html

http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/4c1e4dbda4350a2446fd0562ede57404

秘密保護法案は『憲法違反』のため、 慌ててブログなど閉鎖するのは、政府の思うつぼ。 小出裕章氏



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