土曜日は人間関係学、共同体感覚のゼミに参加しました。
言う人と言われる人
意識があるのは、2%
言う人が力を持っていて、言われる人が力無し。ということで、例えば、主人と奴隷、親と子、上司と部下、先生と生徒。
分断されていて、全く交流がないのが区別。差別は区別に気がついていないと意識化できない。
言う人と言われる人は、自分自身の中でも起きる。手を動かしているのは、私たちの脳だけれど、手からも情報が入ってきています。その情報を入れずに、動くはずだと動かしていると、ある日どこかを痛めたりします。
言う人と言われる人は、交流すると、連携することもできます。
感覚を意識に上げることができれば、情報として活かすことができます。
阪神大震災の日、90すぎのおばあさんが、毎日寝ていた1階の部屋ではなく、2階で寝ていて助かった。
なぜ、90すぎまで生き抜いて来ることができたのか?言葉にもならない感覚を彼女が意識化することができたから。
頭だけとか、体だけになっていなかったから、助かることが出来たのです。
上司と部下は、部下からの意見を上司が聞くことによって、組織は二つの目と耳と口と頭を手に入れるその力は2倍以上になります。
じゃあ、意識化すればいいのか?と思っても、自分一人では、自分の後頭部が見えないように、ほとんど、意識化などできないのが、人間です。
意識にのぼるのはわずか2%。
例えば、日本に生まれるということは、1000人の人に支えられているということを、意識できているでしょうか?
服一枚、口に入れる食べ物、器、暖房に使うガスや電気。何一つ自分一人では手に入れることができない。そこで生きて呼吸しているというだけで、1000人の人を搾取しているのかもしれない。
その人が、なんの感謝もなく、自分一人で生きている気がするというおかしさ。
思い通りになるのは、自分の体だけ、という意識が無く、自分の家や自分の器や自分の衣服や自分の土地だと思っている非科学的な考え。
意識化するだけで何かがかわるはず。