
今日も寒かったですが、引きこもって練習、練習。
グスタフ マーラー(1860-1911年)は


マーラー生家
14人兄弟の二人目の子どもとして生まれました。
が、一人目の長男が早世し、長男として育てられました。
7人しか成人しませんでした。
弟のエルンストは盲目で心臓水腫で苦しみましたが、亡くなる前の数ヵ月ベッドの側で世話をしたそうです。
父のベルンハルトは行商をしています。
本をよく読み「御者台の学者」と呼ばれています。
母マリーは石鹸工場の娘でした。心臓が悪く、片足が不自由でした。
ユダヤ人であった一家は比較的民族的対立の少ないイーグラウに移住して、子どもたちはそこで教育を受けています。
15歳でウィーン楽友協会音楽院(現ウィーン国立音楽大学)に入学。この年エルンストが亡くなります。

17歳でブルックナーに出会い和声楽の講義を受けて、深い付き合いが始まります。
1886年ライプツィヒ歌劇場で楽長になります。
この年「子どもの不思議な角笛」を作曲します。
1888年交響曲第1番(巨人…題名はのちにマーラーによって削除)を作曲。
ブタペスト 王立歌劇場 の芸術監督となります。
89年 相次いで両親をなくします。
1891年ハンブルク歌劇場の楽長になります。
1894年交響曲第2番(復活マーラー自身がつけたのではない)完成
翌年 弟のオットーが21歳で自殺します。
1896年交響第3番 を書きます。
1900年 交響曲第4番完成。
1902年アルマ シンドラーと結婚。

交響曲第5番完成。
長女マリア アンナ誕生。
1904年交響曲第6番(悲劇的)
1905年交響曲第7番(夜の歌この題名も後世のもの)
1907年マリア アンナ死去
交響曲第8番(千人の交響曲…興業主ミール グートマン名付け)完成。
1908年大地の歌テノールとアルト、オーケストラのための交響曲
1909年交響曲第9番
1910年死去。交響曲第10番未完成。
悲しい時、うれしい時マーラーは音楽を書いています。
生涯11曲の交響曲を書いてますが、お好きな交響曲はありますか?
ひめゆりというドキュメンタリー映画を2回ほど観に行ったことがあり
使われていた曲がマーラーの交響曲第5番アダージェットでした
大好きな曲です
いつも温かいリアクション
ありがとうございます😊
札幌は厳しい氷点下の寒気厳しい朝。
鉛色の空から雪が絶え間無く
降り続いています。
大雪にならぬよう祈るばかりです。
マーラーの交響曲〜ゆっくり〜ゆっくり
聴きたいです。
今日もどうぞお元気でご活躍を。
ひめゆり、そうなのですね。
沖縄の?私の高校の美術の先生がひめゆりの女子校で教えていたそうです。先生も出征して、戦後もういないと思っていた生徒の一人と再開したときの話してとか聞きました。
こういう悲劇を繰り返さないためにはどうしたらいいのでしょうか?重い大きな宿題をその時から頂いたような気がしています。
そう言われると思っていました!復活いいですよね~👍
札幌の雪…本当にすごいですね。
止めばいいのに。
かわいいお雛様絵手紙ににっこり🤗癒されています。