江戸期日本橋は全国各地へ通じる街道の起点。現在の橋路橋は明治44年に架設。橋の欄干装飾は明治期を代表する芸術品。今も国道1号線はここから始まる。橋の中央には「日本国道路元標」が埋められている。」
橋は1964年以降、首都高速道路で覆われている。道路の間に突き出て街灯が異様である。
途中、徳川家の菩提寺として名高い増上寺が見える。春にはここの境内の桜は見事である。三解脱門をくぐると、東京タワーがそびえ立つのが見えるし、境内には千躯子育地蔵がある。
銀座・新橋・芝を経て、高輪の大木度を抜けると、泉岳寺の忠臣蔵で有名な赤穂城主浅野家の菩提寺がある。品川宿まで7.8kmである。
10月より咲いている花「菊」
開花時期は、10/20頃~12/20頃。
・東洋で最も古くからある鑑賞植物らしい。
平安時代に中国から渡来。
改良が重ねられ多くの品種がある。
・「きく」は漢名の「菊」を音読みしたもの。
また、「菊」の漢字は、散らばった米を
1ヶ所に集める、の意で、菊の花弁を米に
見立てたもの。
漢名の「菊」は”究極、最終”を意味し、
一年の一番終わりに咲くことから名づけられた。
・大輪の菊はよく菊花展で見かける形で
文化の日(11/3)前後が見頃。
菊花展で見られるのは
「厚物(あつもの)→ 大輪もの」と
「管物(くだもの)→ 細い花びら」に分けられる。
・中国では菊は不老長寿の薬効があるとされ、
陰暦の9月9日(重陽の節句)には菊酒を飲み
長寿の祈願をした。これがしだいに日本にも伝わり、
菊の花を酒に浮かべて飲み花を鑑賞する
「重陽の宴」が催されるようになった。
のちに菊は皇室の紋章になり、日本の国花になった。
(日本の国花はこの菊と桜の2つ)
・中国で呼ばれる「四君子(竹、梅、菊、蘭)」
の一つ。水墨画の画材にもよく使われる。
・花の盛りは11月だが、冬になっても「残菊、晩菊」
というサブネームで咲き続ける。これらはだいたい
小菊のことだが、野性味の濃い小菊は寒さには強い。
これらは冬になっても咲いているので「冬菊」とも、
寒気の中で咲いているので「寒菊」とも呼ぶ。
しかし、年を越える頃にはやはり枯れてしまう
→ 「枯れ菊」になる
(季節の花300より)