海と山に挟まれた小さな宿だが、昔の面影が残る雰囲気ある街並みになっている。本陣跡は公園になっており敷地に「東海道広重美術館」が設けられている。宿場の西側の由比港は桜エビの水揚げ地として知られている。
本陣跡を出発、目の前に駿河湾がせまる。旧旅籠の宿場風情が漂う由比宿をでると興津との間に太平洋とJR東海道線、東名高速道路、東海道が最も接近する場所を通る。
間もなく倉沢地区に入る、ここは由比宿と興津宿の間宿で、道も狭く古い民家の中をすすsむ。
倉沢には「望嶽亭藤屋」があり、山岡鉄舟が官軍に襲われ匿われた部屋がある。鉄舟はここから船で清水港に逃れたと言う。
由比から興津への海道は、一番海に近い。倉沢を抜けると、広重が描いた薩埵峠(さつたとうげ)を越える。江戸時代から変わらぬ風景が残る。
興津川を渡ると興津宿に入り東本陣跡に着く。ここまでの距離9.1kmである。
広重が描いた 薩埵峠 沖に浮かぶ和船は一枚帆の千石船か?
秋の七草「女郎花」
開花時期は、 7/25頃~10/10頃。
・黄色い清楚な花。山野に生える。
・「おみな」は「女」の意、
「えし」は古語の「へし(圧)」で、
美女を圧倒する美しさから名づけられた。
また、もち米でたくごはん(おこわ)のことを
「男飯」といったのに対し、「粟(あわ)ごはん」
のことを「女飯」といっていたが、
花が粟つぶのように黄色くつぶつぶしていることから
「女飯」→「おみなめし」→「おみなえし」となった、
との説もある。
・漢字で「女郎花」と書くようになったのは
平安時代のなかば頃から、と言われている。
・あまりいい匂いではないようです。
・別名 「粟花」(あわばな)、
黄色い花が粟に似ているから。
「思い草」(おもいぐさ)。
・8月16日の誕生花(女郎花)
・花言葉は「約束を守る」(女郎花)
・「手にとれば 袖(そで)さへ匂ふ 女郎花
この白露に 散らまく惜しも」 万葉集
「女郎花 秋萩凌ぎ さを鹿の
露分け鳴かむ 高円(たかまど)の野そ」
大伴家持 万葉集
(季節んp花300より)