人生日訓(564)
「共に二里を行くべし」
二里歩くつもりで出発すれば、一里など平気である。これは決して、「意地を
張って二里歩いてやる」というあてつけの皮肉の心からではなくしてどうせ一
里歩けと頼まれたら、むしろ、最初から、二里も三里も歩くつもりで歩き出し
た方が、気分もいいし、気軽に一、二里は歩けるものではないかと思う。釈迦
の言葉にも「疲れたる者に五里の道は長し」とあるが、いやいや、歩くから、
五里の道が長いと感ずるのである。一里といわれたのを進んで二里歩こうとす
る進取の精神と受け取れば現代の私共にも噛みしめたい句である。
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1月から咲く花「梅」
開花時期は、 1/20 ~ 4/ 5頃。 1月中旬頃から咲き出すもの、 3月中旬頃から咲き出すものなど、 さまざま。 また、桜とちがって、 咲き方も散り方もゆっくり。 ・木の花が ほとんど咲いていない冬に、 「ついに梅が咲き出した♪」 という、 うれしさのインパクトは大きい。 ・漢名でもある「梅」の字音の 「め」が変化して 「うめ」になった。 ・「紅梅(こうばい)色」■ → 色 いろいろ へ ・いろいろな園芸種がある。 ・とてもよい香りの5弁花。 「馥郁(ふくいく)たる梅の香り」 の”馥郁”とは、 「とてもよい香り」の意味。 (そういえばこの言葉って、 梅の香りにしか 使われないような気がする♪) ・中国原産。 奈良時代の遣隋使(けんずいし) または遣唐使(けんとうし)が 中国から持ち帰ったらしい。 「万葉集」の頃は白梅が、 平安時代になると 紅梅がもてはやされた。 万葉集では梅について 百首以上が詠まれており、 植物の中では「萩」に次いで多い。 ・幹がゴツゴツしているのが特徴。 花を見ただけでは 桜などと区別がつきにくい。 ・実が梅干しとなる(白梅の場合)。 梅雨の頃に収穫する (梅干し、おいしいです)。 江戸時代には、 各藩が非常食として梅干を 作ることを奨励したため、 梅林が全国で 見られるようになった。 ちなみに 「梅雨(つゆ)」の名の由来は、 梅の実がなる頃に 雨が多いかららしい。 ・梅の字は「母」の字を含むが、 中国ではつわりのときに 梅の実を食べる習慣があるらしい。 ・薬効 せきどめ、解熱 ・薬用部位 未熟果 ・生薬名 「烏梅(うばい)」 ↑ 上へ ★「鶯宿梅(おうしゅくばい)」の 故事 ある時、 宮殿の前の梅が枯れてしまった。 そのときの天皇、村上天皇は これを残念に思い、 かわりの木を探させていたが、 ある屋敷で良い梅の木を見つけて それを勅命で宮殿に献上させた。 そしてその木を植えてみたところ、 屋敷の女主人の書いた歌が 紙で結びつけてあり、 「勅なれば いともかしこし 鶯(うぐいす)の 宿はと問(と)はば いかがこたえむ」 とあった。 歌の心を知る天皇は、 すぐにこの梅の木を 元の屋敷に返したという。 (ほのぼのとしたお話です) ↑ 上へ ・「松 竹 梅(しょうちくばい)」 ・中国の 「四君子(竹、梅、菊、蘭)」 の一つ。 水墨画の画材にもよく使われる。 ・「梅に鶯(うぐいす)」 梅に鶯を配した豪華な図柄 → とりあわせの良いものの たとえ。 他に「獅子に牡丹」 「紅葉に鹿」
(季節の花300より)
