町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

川崎市電702号車

2016年02月10日 | 保存車両・廃車体・特殊車両

現在では路線バス専業となっている川崎市交通局ですが、かつては路面電車も運営していました。市電川崎(現在の東口バスターミナル辺り)~塩浜間の6.7キロという短距離路線で、太平洋戦争末期の1944年、軍需工場への労働者を輸送するために開通しながら直後に米軍の空襲を受け市電としての機能を果たせなくなる憂き目に見舞われるも、その後は京浜工業地帯への通勤客で大きな賑わいを見せていました。しかし、高度経済成長期の車社会到来から他地域の路面電車と同じように邪魔者扱いされるようになり、また既に川崎鶴見臨港バスが市内中心部に路線網を形成していたため中途半端な存在になってしまい1969年に全線廃止、僅か25年の短い歴史に幕を閉じました。現在は川崎区大島1丁目の桜川公園に市電702号車1両が保存されており往時を伝えていますが、今回は久々に渡田地区へ足を伸ばす機会があったので桜川公園にも立ち寄り様子を見てきました。

園内に保存されている702号車。元を辿れば東京都電の木造ボギー車が由来ですが、車体更新・制御装置変更で700形に改められました。車体が2440mmと、路面電車にしては広く設計している為ずんぐりした印象を受けます。施設を京浜急行の車両限界に合わせていたため、このような大柄な車両を導入できたようですね。

初めてここに来た時は雨ざらしだった記憶があるのですが、いつの間にやら立派なホームと屋根が設置されました。以前は車内に立ち入る事も出来ましたが、現在は柵で囲まれ非公開になっています。犬を連れ込む利用者や、車両を破損する行為が見受けられた為の措置のようですが、屋外での車両保存の難しさを痛感させられます。

市電の概要を簡単に纏めた解説板も設置されていましたが、一部が剥がれてしまっています。。。

JFE前停留所にて。かつてはここに市電の日本鋼管前電停がありました。現在は市営バスの川40系統(川崎駅~塩浜営業所)が当時の市電のルートをほぼ忠実になぞる形で運行されています。また、日進町・元木町から渡田地区に掛けての道路には「市電通り」の名称が残り、かつて市電が行き交っていた事を21世紀の今に伝えています。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする