今日の「休日のバッハ」は、恐らくこのブログでの紹介は初めてだと思いますが、ハープシコード曲です。
なぜ今まで取り上げなかったのかですが、それはどうしても同じ曲ならピアノに編曲された方により魅力を感じたためです。音の表現力がハープシコードとピアノではかなり違います。
しかし、最近購入したこのエディット・ピピト=アクセンフェルトの未発売音源集からのバッハのトッカータ集、中でも今日取り上げるトッカータハ短調BWV911には、ハープシコードでなければ出せない表現と、それを引き出したピピトのどっしりと落ち着いた演奏ぶりには、何度か聴くうちに段々と魅せられてきました。
とりわけ、3分5秒から始まるフーガは気に入っております。
ドイツの哲学者ゲオルク・ピピトの妻と紹介されている彼女は、既に2001年に亡くなっておりますが、これは1990年にウィーンで録音したものです。
哲学者とハープシコード奏者とは、実に面白い組み合わせですね。両方とも、それがなくても日々の生存には何ら支障はありません。しかし、生存を超えた人間としての生きる意味をもし求めるなら、この2つの職業カテゴリーは俄然輝きを増す筈です。その瞬間を生きる人間を永遠化する糧と言ってもいい。
この曲から何を感じるかは人それぞれだと思いますが、こうした淡々とした曲の裏側に見え隠れする、広大な宇宙への想像力へと引き立てられる何物かを感じます。
いつものようにここをクリックしてウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。期間限定の公開です。
なぜ今まで取り上げなかったのかですが、それはどうしても同じ曲ならピアノに編曲された方により魅力を感じたためです。音の表現力がハープシコードとピアノではかなり違います。
しかし、最近購入したこのエディット・ピピト=アクセンフェルトの未発売音源集からのバッハのトッカータ集、中でも今日取り上げるトッカータハ短調BWV911には、ハープシコードでなければ出せない表現と、それを引き出したピピトのどっしりと落ち着いた演奏ぶりには、何度か聴くうちに段々と魅せられてきました。
とりわけ、3分5秒から始まるフーガは気に入っております。
ドイツの哲学者ゲオルク・ピピトの妻と紹介されている彼女は、既に2001年に亡くなっておりますが、これは1990年にウィーンで録音したものです。
哲学者とハープシコード奏者とは、実に面白い組み合わせですね。両方とも、それがなくても日々の生存には何ら支障はありません。しかし、生存を超えた人間としての生きる意味をもし求めるなら、この2つの職業カテゴリーは俄然輝きを増す筈です。その瞬間を生きる人間を永遠化する糧と言ってもいい。
この曲から何を感じるかは人それぞれだと思いますが、こうした淡々とした曲の裏側に見え隠れする、広大な宇宙への想像力へと引き立てられる何物かを感じます。
いつものようにここをクリックしてウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。期間限定の公開です。