昨日、私の故郷 多治見で弟の還暦を祝って昼食を弟妹としました。
三人でうなぎの長焼きを注文しました。まあまあの味でした。ただうなぎのタレがもう少し甘い方が私の好みなのにと思いました。
多治見という町は陶器の町です。陶器を焼くために釜に入るのですが、釜は当然高熱ですので、体力を消耗します。そのため、栄養補充をかねて鰻屋が結構多い町とのことです。
又、多治見はうなぎとカッパから「うなかっぱ」というマスコットがいます。
私は弟にユニコロのパンツとシャツに赤のソックスをプレゼントしました。私も還暦の時に息子に赤のソックスをプレゼントされましたので、そのまねをしました。
弟、妹の三人だけで食事するのは初めてのことでしたが、結構話がはずみました。
この昼食会を設定したのは妹ですが、わざわざこの為に長野から出てきてくれました。
食事が終わって、多治見駅に向かって三人で歩きました。
私達が子供の頃住んでいました商店街も昔のような賑やかさがなく、私達三人が歩いているだけでした。
道幅が狭く、今の車社会では商店街として成り立たないと思われました。
私の父親がやっていました店も、買われた方が引き続き商売をやってみえましたが、今は閉店されているようでした。
饅頭屋、食堂、履物屋などを経営している同級生は、まだ商売をやっているようでした。
傘屋の同級生は閉店していて、店先には商品のかけらもありませんでした。
私が子供の頃あった店も半分以上なくなってしまったようです。
弟や妹に、ここの店は同級生の店などとしゃべりながら歩いていますと、多治見駅付近に着いたので、近くにあった喫茶店に入り、コーヒーを飲みました。
若かりし頃の母親の実家は結構金持ちでしたので、どうして貧乏だった親父と一緒になったんだろうという話になりました。
弟が、母親が親父と結婚する前に結婚を申しこまれた人がいて、断ったことがあるという話が出て、私は初めて聞ききビックリしました。
いろいろ世間話をして、盛り上がりました。
兄弟がまだ健在でいることの有難さを感じました。
昼ということもあり、また多治見は日本一暑い町だけあって、私の住んでいる町より気温が一、二度高いような気がしました。
三人でうなぎの長焼きを注文しました。まあまあの味でした。ただうなぎのタレがもう少し甘い方が私の好みなのにと思いました。
多治見という町は陶器の町です。陶器を焼くために釜に入るのですが、釜は当然高熱ですので、体力を消耗します。そのため、栄養補充をかねて鰻屋が結構多い町とのことです。
又、多治見はうなぎとカッパから「うなかっぱ」というマスコットがいます。
私は弟にユニコロのパンツとシャツに赤のソックスをプレゼントしました。私も還暦の時に息子に赤のソックスをプレゼントされましたので、そのまねをしました。
弟、妹の三人だけで食事するのは初めてのことでしたが、結構話がはずみました。
この昼食会を設定したのは妹ですが、わざわざこの為に長野から出てきてくれました。
食事が終わって、多治見駅に向かって三人で歩きました。
私達が子供の頃住んでいました商店街も昔のような賑やかさがなく、私達三人が歩いているだけでした。
道幅が狭く、今の車社会では商店街として成り立たないと思われました。
私の父親がやっていました店も、買われた方が引き続き商売をやってみえましたが、今は閉店されているようでした。
饅頭屋、食堂、履物屋などを経営している同級生は、まだ商売をやっているようでした。
傘屋の同級生は閉店していて、店先には商品のかけらもありませんでした。
私が子供の頃あった店も半分以上なくなってしまったようです。
弟や妹に、ここの店は同級生の店などとしゃべりながら歩いていますと、多治見駅付近に着いたので、近くにあった喫茶店に入り、コーヒーを飲みました。
若かりし頃の母親の実家は結構金持ちでしたので、どうして貧乏だった親父と一緒になったんだろうという話になりました。
弟が、母親が親父と結婚する前に結婚を申しこまれた人がいて、断ったことがあるという話が出て、私は初めて聞ききビックリしました。
いろいろ世間話をして、盛り上がりました。
兄弟がまだ健在でいることの有難さを感じました。
昼ということもあり、また多治見は日本一暑い町だけあって、私の住んでいる町より気温が一、二度高いような気がしました。