団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

 若い警官だったから、見逃してくれたんでしょうね。

2023-09-24 00:14:52 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「警官にこり 闇米の記憶」というタイトルで、81歳の男性が投稿されていました。

 戦争が終わっても食糧難は続き、名古屋市の実家でも家族8人の食材をそろえるのに四苦八苦していたみたいでした。

 就学前のある日、「子どもには警察も甘いだろうから」と祖母と一緒に静岡県に向かい、農家を巡って闇米を買いました。

 道中の駅待合室でおにぎりを頬張っていたら路上生活者らしき子ども10人ぐらいに囲まれてしまい、目を合わせずに何とかやり過ごしました。

 帰りの列車に黒い制服の警察官が乗り込み、私たち乗客の持ち物検査を始めました。

 私は、米が入ったリュックを抱えて座席下に潜り込みました。

 しばらくして見上げた際、若い警官と目が合って「もう駄目だ」と観念しましたが、警官はにこりと笑い、視線を外してくれました。

 摘発をわざと見逃したのでしょう。

 今も米を口にする際、あの光景を思い出しては感謝が込み上げてきます。

 以上です。

 若い警官だったから、見逃してくれたんでしょうね。

 頭が硬い警官でなかったのが幸いしたようです。

 81歳になられてもこの若い警官が見逃してくれた光景は忘れられないようで、若い警官の行為に感謝されていますね。

 この若い警官の話で、ユダヤ人を救った杉原千畝(すぎはらちうね)さんの事を思い出しました。 

>就学前のある日、「子どもには警察も甘いだろうから」と祖母と一緒に静岡県に向かい、農家を巡って闇米を買いました。

 お婆ちゃんの思惑が成功したのかな?

 でも就学前の子どもには、荷が重かったのでは。

>道中の駅待合室でおにぎりを頬張っていたら路上生活者らしき子ども10人ぐらいに囲まれてしまい、目を合わせずに何とかやり過ごしました。

 戦争で親を亡くした孤児達が、日本中に12万人もいたそうです。

 戦争って、戦争が終わっても子ども達を不幸にしていたんだ。







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コメント (2)
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