団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

ダスティン・ホフマンさんを最初に見た映画は「卒業」でした。

2025-03-06 01:54:09 | 日記
 中日新聞の中日春秋に、下記の事が書かれていました。

 中日春秋
 2025年3月3日 分

 ある演劇学校のクラスでこんな投票をしたそうだ。「ここにいる役者の中で誰が最も成功しそうにないか」

 気の毒に、ある若者に票が集まった。投票した人は後悔したはずだ。その若者はやがて米国の映画界を代表する演技派の俳優となった。アカデミー賞に2度輝いた名優、ジーン・ハックマンさんが亡くなった。95歳。昭和世代の洋画ファンは寂しかろう。

 『ポセイドン・アドベンチャー』で転覆した客船から人々を避難させる牧師。『フレンチ・コネクション』で演じた粗野で暴力的なドイル刑事。数々の魅力あふれる登場人物が浮かぶ。二枚目とは違うが、その味のある顔が演技にリアルさと、においを与えた。観客に登場人物の背景まで想像させることができた俳優だろう。

 父親の話を聞かれ、言葉を詰まらせる場面をインタビュー番組で見たことがある。13歳のとき、父親が家出した。涙声で、そういうつらい経験があるからいい役者になれる、自分の感情に向き合えるから、と語っていたのが印象に残る。

 タフガイのイメージが強いが、繊細な方だったのだろう。『フレンチ・コネクション』では暴力シーンを嫌い、降板も考えたという。

 あの演劇学校のひどい投票で、ハックマンさんとともにもう1人、成功しないと選ばれた若者がいる。ダスティン・ホフマンさん。2人は一時、共に暮らしていた。明日を信じて。

 以上です。

 私はジーン・ハックマンさんの印象に残っている映画は、スーパーマンの悪役です。

 やはり名演技でした。
 
 ダスティン・ホフマンさんを最初に見た映画は「卒業」でした。

 失礼ながら、こんな顔でも主役に抜擢されるんだと思いました。




中森明菜『飾りじゃないのよ涙は』明菜with井上陽水&玉置浩二 1987年#中森明菜 #井上陽水 #玉置浩二 #安全地帯 #飾りじゃないのよ涙は #歌姫
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2 コメント

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Unknown (佐貫卓球ルーム2)
2025-03-06 07:36:17
(masamikeitas)さんおはようございます~~~
今朝は曇りで雨は止んでます
天気予報では一日曇りで雨は降らづ明日からは晴れるそうです
やっと雨から解放されそうです

【ダスティン・ホフマンさんを最初に見た映画は「卒業」でした。
 失礼ながら、こんな顔でも主役に抜擢されるんだと思いました。】


映画卒業は東京に就職して監督見習いの頃洋画3本安い映画館で見ました
仕事中夏の暑い日昼寝をする為映画館で仲間は椅子に座りながら爆睡してましたが
私は一人真剣に見ていました
その時頭に浮かんだのは両親の事でした
時代も背景も違いますが両親の駆け落ちを空想していました
手に手を取り海岸を〇泊〇日逃避行した様子を卒業のバスのシーンと重ねていました
私は自分もそんな女性と巡り合い恋愛したいと感じました
でも振り返ると似ています義父に反対されたのは・・・
義母は自分が農家に嫁いで苦労したので娘はサラリーマンに嫁に行って欲しかったようです

しかも安定性のある会社の社員です
出来れば市役所関係の会社のようです 国関係でしたら潰れる心配はないですね
義父の反対は一人娘なので将来は田舎に住んで結婚して欲しかったそうです
擁するに結婚し近くに置きたかったそうです
妻は子供の頃からそんな夫婦を見ていたので東京に就職したそうです
私も田舎の狭い風習から逃げ出したいので長男ですが東京に就職を決めました
両親には就職が決まるまで報告はしませんでした
母は他人の飯を食べて暮らすのも勉強だと言いました
父は「28歳にはかならづ帰れ」と言い送りだしました
要するに「東京は10年間だけだぞ」と言う意味でしょう
私は田舎には戻らないと決めていました
返信する
こちらは曇りのち晴れのようです。 (masamikeitas)
2025-03-06 08:12:46
佐貫卓球ルーム2さん、おはようございます。

こちらは曇りのち晴れのようです。

今朝は眼科に行き、明日は耳鼻科に行きます。
私は自転車で病院に行きますので、雨でない日に予約します。

>映画卒業は東京に就職して監督見習いの頃洋画3本安い映画館で見ました
仕事中夏の暑い日昼寝をする為映画館で仲間は椅子に座りながら爆睡してましたが
私は一人真剣に見ていました
その時頭に浮かんだのは両親の事でした
時代も背景も違いますが両親の駆け落ちを空想していました
手に手を取り海岸を〇泊〇日逃避行した様子を卒業のバスのシーンと重ねていました
私は自分もそんな女性と巡り合い恋愛したいと感じました
でも振り返ると似ています義父に反対されたのは・・・
義母は自分が農家に嫁いで苦労したので娘はサラリーマンに嫁に行って欲しかったようです

しかも安定性のある会社の社員です
出来れば市役所関係の会社のようです 国関係でしたら潰れる心配はないですね
義父の反対は一人娘なので将来は田舎に住んで結婚して欲しかったそうです
擁するに結婚し近くに置きたかったそうです
妻は子供の頃からそんな夫婦を見ていたので東京に就職したそうです
私も田舎の狭い風習から逃げ出したいので長男ですが東京に就職を決めました
両親には就職が決まるまで報告はしませんでした
母は他人の飯を食べて暮らすのも勉強だと言いました
父は「28歳にはかならづ帰れ」と言い送りだしました
要するに「東京は10年間だけだぞ」と言う意味でしょう
私は田舎には戻らないと決めていました

田舎は古い慣習がありますので、住みづらいですよね。
東京に行かれたので素敵な奥様に出会え、結婚出来たので、東京に行かれて正解でしたね。

私はいつか実家に帰るつもりでしたが、子供達があの不便な場所から学校へ通うと思うとかわいそうで実家に戻るのをやめました。
帰らなくて良かったです。
帰ったらかみさんと父が揉めて離婚する羽目になったかも知れません。

かみさんの母親は私の顔が気に入らなかったようですが、かみさんが押しきったそうです。😅
ありがたかったです。
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