団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

会社の同僚が、キューピッドでした。

2010-10-25 10:39:00 | 日記
先日、家内に私は最近雨男と呼ばれる程、どこかえ行こうとすると雨が降るという話をしていました。

「この住宅に引っ越しする時は雨が降らなかったのに。」と話していた時、親戚一同の中に会社の同僚が1名だけわざわざ引越しの手伝いに来てくれたことを思い出しました。

彼は私と家内が結婚するきっかけを作ってくれた男です。

家内とは真夏のキャンプ場で知り合いましたが、私は友人と来ていた為、キャンプ場の帰りはその友人と電車で帰りました。

家内は偶然、私の会社の同僚の彼らと帰りの電車が一緒になり、帰ったとのことでした。

翌日の昼休みに、会社の同僚の彼とキャンプの話をしていましたら、彼が家内の勤めている会社名を聞いたと言うので、私は早速電話帳で家内の会社の電話番号を調べ、家内に会いたい旨の電話をしました。

私はキャンプで家内の事が気になっていましたが、後日キャンプの写真展があると聞いていたので、その会場で話しかければ良いと思っていました。
もし同僚の彼が会社名を聞いていなかったら、写真展の会場には家内は友人と来ていましたので、挨拶程度で終わっていたかも知れません。
それを思うと会社の同僚の彼が、私達の結婚へのキューピッドだと感謝しています。

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昨日の中日対巨人戦は、大変スリリングな試合でした。

2010-10-24 11:28:00 | 日記
昨日の夜、セリーグ・クライマックスシリーズ最終戦の第4戦をテレビで観戦しました。
第1戦から第3戦までは、テレビの地上放送は、8時50分くらいで終わってしまったので、昨日も8時50分で終わると思っていましたら、放送が延長され最後まで視ることが出来ました。
昨日の試合は第4戦までの中で一番良かった試合で、中日が勝ち越すと巨人が追いつくという本当に手に汗にぎる試合でした。
どちらが勝ってもおかしくなかったが、最後は勝利の女神が中日にほほ笑んだように思います。
この試合、もし中日が負けていたら、巨人の日本シリーズ出場という奇跡が起こったかも知れない。
中日の落合監督は、昨日の試合を落とすことを恐れていたと話されている。
いやな予感が脳裏に走っただろうと思う。
昨日負けてもまだ中日有利に見えるが、現場の人間から見るとそうでもないということなのかも知れない。

私にとって地元の中日が日本シリーズに出ることは喜ばしいことです。
勢いのあるロッテになんとか勝って、日本一の栄冠を勝ち取って欲しいと願います。
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歳を重ねても深みは増さない!

2010-10-23 08:53:00 | 日記
小説家の渡辺惇一さんが、ある対談で20歳の頃は、「50代、60代の男はいろいろと深く考えているんだろう」なんて思うけど、自分がなってみるとなんにも深くなってないんだな。本当になってみないと分からない。

と語ってみえましたが、私も60代になりましたが、20代の頃とあまり変わってない。
変わったのは外見だけ年寄りになっただけです。
これを実感できるのは、自分がその歳になって初めて実感できると思います。

物事を深く考えている人は、若い時から深く考えているように思います。
例えば野球のイチローさんのように。
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言葉は大事にしてほしい。

2010-10-22 08:02:00 | 日記
朝からなんなんですが、NHKで放送されている「セカンドバージン」のタイトルに違和感を覚えます。
脚本家・大石静さんが付けられたと思いますタイトル「セカンドバージン」。
二十年くらい男性と接触していないので、主人公の気持ちが、「バージン」ということでこんな言葉が許されるなら、純情・無垢な恋でしたら、何度でも「初恋」という言葉を使っても良いということになってしまう。

視聴者に衝撃を与えるタイトルを狙ったとしても、間違った言葉はいけないと私は思います。
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延命処置をしてまで、生きたくない!

2010-10-21 08:16:00 | 日記
先日、久しぶりに茶飲み友達と喫茶店に行きました。
その喫茶店の以前のモーニング・サービスは、サンドイッチ、アンか、バター・トーストに茶碗蒸しが付くなどしたのですが、今回はトーストのみでした。
喫茶店の経営も大変のようです。

お茶の最中に、私は彼女に「胃ろうをしてまで生きたくない!アンケートによると92%の人がそう思っている。」と話したところ、彼女が「現在胃ろうをしている人は、どう思っているのかを聞かなければ不公平。胃ろうしても生きたいと思っている人はみえる。家族も、できるだけ長生きしてほしいと思っている。」と反論されました。
確かに現在胃ろうしている人に聞かなければ、不公平には違いない。
ただ痴呆などで、何人の方が答えられるのか分かりませんが。
本来胃ろうとは、病気の為に食事をできない人を一時的に栄養を取る為の処置だったと思いますが、老人ホームの施設には、食事を自発的に取れない人が、胃ろうの処置をされている。
ただ生きるために!
こんなの何か変に思えて仕方ない!
一時的な病気の為の処置としての胃ろうは止む得ないが、ただ生きるための処置の胃ろうは、私はやっぱり拒否する。
自分で物が食べることが出来なくなった時、生物として生きる意味がないように思うから。(これは自分の価値観です。当然人とは違います。)

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