最近、自分の問題ばかり抱え込んでいたので、ミクシィからも、ブログからも遠ざかっていたのですが、
ちょっと気になったので、チベットについて少し書く気になりました。
実は、ダライ・ラマの自伝を読んだことがあり、
何故、チベットの宗教指導者であり精神的指導者である彼が、今インドにいるのか?
ということの疑問が氷解した経緯があるのです。
なぜ、ダライ・ラマという卓越した宗教指導者が、中国共産党に完全に包囲される前に、命をかけてインドへ亡命したのかというと、
この方法が、チベットが中国共産党に侵略されたという事実を伝える唯一の手段だったからなのです。
もし、劇的なこの逃避行を行わなければ、多分、今のように、世界各国の人々がチベットのことを心配する事は、無かったのだと思います。
私はこの自伝を読んで、ダライ・ラマに対して尊敬の念を抱くようになりました。
この辺に興味のある方は是非ダライ・ラマの自伝を読んで頂きたいと思うのですが、
実際は、世界中で北京政府がチベットに行っているようなことを色んな国の政府が大なり小なり行っているのです。
今は既に過去の事件になってしまったソビエト連邦の崩壊も、
私が中学生の頃は、可能性すら全くあり得なかった出来事であったし、
ソビエト連邦拡大時における中央アジア諸国に対する激烈な「共産化政策」は、その国の国民の何分の一かを虐殺していった血の歴史であるのは既に周知の事実です。
つまり、今の中国政府も、このような時代遅れな事を行っていれば、いずれ旧ソビエト連邦の二の舞を踏むのは当然な成り行きになるような気がするのです。
もっとも大事なのは、虐待される側の民族なり、国民が、徹して彼ら自身のアイデンティティを保つ努力を持つことだと思うのです。
そして当事者ではない我々が、しっかりと「今何が起きているのか」を知り、記憶することだと思うのです。
権力者というのは、いずれ滅びます。
実は権力というのは、実体の無いものなのです。
権力者は、権力を奪われた瞬間から、か弱い実存的な人間になるのです。
ヒトラーが最悪の見本例ですが、彼は自分が何を行ってきたか自分で知っていたから、自殺したわけです。
彼自身、権力の魔性に魅入られ、破滅した最近の最悪の例でしょう。
生きる主体こそが実在しているもの、なのですから、
チベットの人々は、自らの誇りを捨てることなく、権力者の煽動に惑わされず、賢く生き抜いてほしい、と祈らずにいられません。
というか、今の自分にできることは、「事実を知ること」と「祈ること」しか現実的にできません・・・・。
でも、「祈ること」は、気休めではなく、祈ったことが現実に起こる事は経験で知っているので、私の言う「祈り」はアクティブな活動の一つです。
ところで、仏教では、他人や社会、そして自らの生命をも犠牲にし、傷つける「無明」という魔性の存在と、
自らも、そして他人も、更には世界をも犠牲にせずに正しく利益せしむる「仏性」の存在を、誰の中にも欠けることなく存在する、と説いています。
ガンジーの「非暴力運動」は、まさにその思想に裏打ちされた「相手の善性(仏性)を呼び覚ます行動」だった訳ですが、
中国がチベットに行っていること、また、日本も含めて世界中の国が行っている
「他人の不幸の上に己の幸福を築く行為」は、
「絶対悪」である
という思想を広めることこそが、
人類が何千年と行ってきた侵略の歴史を根本的に解決する唯一の方法なのだと思うのです。
今我々は、チベットと中国との関係、そして、この事実を自らの利益に摩り替えようとする「誰かの欺瞞」に対して、冷静に判断することが賢明に思えるのです。
要は、チベットを侵略しているから、中国人を差別する、という短絡的な考えに陥るのではなく、
もっとより身近に、物事を判断する必要があるのではないでしょうか??
北京オリンピック・ボイコットとか言っているけど、大国間の思惑のせいで、4年に一度の世界的なスポーツ・イベントが縮小され出場できなくなる選手が可哀想だと思いませんか??
ボイコットは、確かに効き目のある「反対行動」なのかもしれませんが、オリンピックが様々な国の代表者達が交流を深めるきっかけになるのは事実なのですから、
政治と民間交流は切り離して考えるべきだと私は思います。
ともあれ、「生存の権利」を無視する行為は絶対に許してはならない。誰かを誰かの都合の良いように操ってはならない。
北京政府は、各自治区、少数民族に対し、独立が必要か否かという意思決定の選挙をそのうち行うべきだと思う。
これこそが、北京政府を国際的に認めさせる最も大事な行動だと思うのです。
ちょっと気になったので、チベットについて少し書く気になりました。
実は、ダライ・ラマの自伝を読んだことがあり、
何故、チベットの宗教指導者であり精神的指導者である彼が、今インドにいるのか?
ということの疑問が氷解した経緯があるのです。
なぜ、ダライ・ラマという卓越した宗教指導者が、中国共産党に完全に包囲される前に、命をかけてインドへ亡命したのかというと、
この方法が、チベットが中国共産党に侵略されたという事実を伝える唯一の手段だったからなのです。
もし、劇的なこの逃避行を行わなければ、多分、今のように、世界各国の人々がチベットのことを心配する事は、無かったのだと思います。
私はこの自伝を読んで、ダライ・ラマに対して尊敬の念を抱くようになりました。
この辺に興味のある方は是非ダライ・ラマの自伝を読んで頂きたいと思うのですが、
実際は、世界中で北京政府がチベットに行っているようなことを色んな国の政府が大なり小なり行っているのです。
今は既に過去の事件になってしまったソビエト連邦の崩壊も、
私が中学生の頃は、可能性すら全くあり得なかった出来事であったし、
ソビエト連邦拡大時における中央アジア諸国に対する激烈な「共産化政策」は、その国の国民の何分の一かを虐殺していった血の歴史であるのは既に周知の事実です。
つまり、今の中国政府も、このような時代遅れな事を行っていれば、いずれ旧ソビエト連邦の二の舞を踏むのは当然な成り行きになるような気がするのです。
もっとも大事なのは、虐待される側の民族なり、国民が、徹して彼ら自身のアイデンティティを保つ努力を持つことだと思うのです。
そして当事者ではない我々が、しっかりと「今何が起きているのか」を知り、記憶することだと思うのです。
権力者というのは、いずれ滅びます。
実は権力というのは、実体の無いものなのです。
権力者は、権力を奪われた瞬間から、か弱い実存的な人間になるのです。
ヒトラーが最悪の見本例ですが、彼は自分が何を行ってきたか自分で知っていたから、自殺したわけです。
彼自身、権力の魔性に魅入られ、破滅した最近の最悪の例でしょう。
生きる主体こそが実在しているもの、なのですから、
チベットの人々は、自らの誇りを捨てることなく、権力者の煽動に惑わされず、賢く生き抜いてほしい、と祈らずにいられません。
というか、今の自分にできることは、「事実を知ること」と「祈ること」しか現実的にできません・・・・。
でも、「祈ること」は、気休めではなく、祈ったことが現実に起こる事は経験で知っているので、私の言う「祈り」はアクティブな活動の一つです。
ところで、仏教では、他人や社会、そして自らの生命をも犠牲にし、傷つける「無明」という魔性の存在と、
自らも、そして他人も、更には世界をも犠牲にせずに正しく利益せしむる「仏性」の存在を、誰の中にも欠けることなく存在する、と説いています。
ガンジーの「非暴力運動」は、まさにその思想に裏打ちされた「相手の善性(仏性)を呼び覚ます行動」だった訳ですが、
中国がチベットに行っていること、また、日本も含めて世界中の国が行っている
「他人の不幸の上に己の幸福を築く行為」は、
「絶対悪」である
という思想を広めることこそが、
人類が何千年と行ってきた侵略の歴史を根本的に解決する唯一の方法なのだと思うのです。
今我々は、チベットと中国との関係、そして、この事実を自らの利益に摩り替えようとする「誰かの欺瞞」に対して、冷静に判断することが賢明に思えるのです。
要は、チベットを侵略しているから、中国人を差別する、という短絡的な考えに陥るのではなく、
もっとより身近に、物事を判断する必要があるのではないでしょうか??
北京オリンピック・ボイコットとか言っているけど、大国間の思惑のせいで、4年に一度の世界的なスポーツ・イベントが縮小され出場できなくなる選手が可哀想だと思いませんか??
ボイコットは、確かに効き目のある「反対行動」なのかもしれませんが、オリンピックが様々な国の代表者達が交流を深めるきっかけになるのは事実なのですから、
政治と民間交流は切り離して考えるべきだと私は思います。
ともあれ、「生存の権利」を無視する行為は絶対に許してはならない。誰かを誰かの都合の良いように操ってはならない。
北京政府は、各自治区、少数民族に対し、独立が必要か否かという意思決定の選挙をそのうち行うべきだと思う。
これこそが、北京政府を国際的に認めさせる最も大事な行動だと思うのです。
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