ウード奏者 松尾 賢 のブログ(アラディーン主宰者)

ウード奏者、ダラブッカ奏者、サズ奏者、歌手、アラブ、トルコのオリエンタル音楽演奏家・作曲家である松尾賢のブログ。

音源の採譜

2006-09-17 05:51:37 | 音楽

今回、アラディーンでも、私個人のウードの活動でも「新曲」の採譜にてんてこまいな状態。

でも、21日(木)に共演するイーチャンからのリクエストであり、10月8日(日)のブラジルの超有名ベリーダンサー「ルル・サボンギ」を招いてのショーでも使う「Ana Fi Inti Zaarak」も、30日(土)に共演するバービーマコさんにリクエストである「Eshta Amar」も、今日がんばって採譜し終えました。(おめでとう!!自分)

しかし、あらためて、オリエンタルの曲は構成が素晴らしい!!

「Ana Fi Inti Zaarak」はアラブ世界の美空ひばりである「ウンム・カルスーム」の曲だが、実に良く曲が練られているのを、採譜してじっくりマカーム(オリエンタル音楽で使う音階の総称)を調べてみて、改めてのその素晴らしさに感動しました。

オリエンタルの曲は、マカームという種々の「音階」によって構成されていて、西洋音楽よりも複雑な展開が起きます。

理由は、単旋律音楽であるので、ともすると単調になってしまうところを、数々のポイントでマカームを変えて、展開させているからなのですが、「Ana Fi Inti Zaarak」は、その展開が西洋音楽の概念からは全く想像できない、それでいて実に自然な展開がなされているのです。

しかし、良く歌えるなぁ、なんて思いました。

わが国の「美空ひばり」さんも、難しい曲をさらっと歌ってますね。

さて、今月からアラディーン、または私のソロは、オリエンタル色が強くなります。

あとはMakiさんの分だけです。

明日もほとんど外に出れない、かな?


僕のスウィング

2006-09-13 01:27:18 | 音楽

という、トニー・ガトリフのDVDを見ました。

あぁ、トニー・ガトリフ、なんて素晴らしいのでしょう。

「ラッチョ・ドローム」「ガッジョ・ディーロ」「ベンゴ」、最近では「EXILE」と、良質の映画を生み出して、刺激を与えてくれます。素晴らしい監督ですね。

フランス映画って感じですね。

「僕のスウィング」では「マヌーシュ・ギター」というジャンルの音楽に絡んだ作品で「ジプシー・ジャズ・ギター」の音が随所に出てきます。

なんといっても本物のジプシー・ジャズ・ギタリストの「チャボロ・シュミット」が、役者として出ているので、他のジプシー・ジャズ・ギターがフューチャーされている映画とは、一線を画している感があります。

もちろん、それには理由があるそうなのです。

ところで、出来すぎた話のように感じるかもしれませんが、実は私が民族音楽と呼ばれる世界中の音楽に傾倒しだしたきっかけは、このジプシー・ジャズ・ギターを聞いたからなのでした。

音楽大学を卒業して、すぐに上京してきて、ジャズ・ギターを習いだしたのですが、どちらかというとフュージョンと呼ばれるような音楽の授業が主流でした。

どうもその辺の音楽に、どうしても好きになれなかったのですが、ジプシー・ジャズの創始者である「ジャンゴ・ラインハルト」と、その音楽の後継者達のドキュメンタリー映画を見て、「これだ!」なんて思ったのです。

その後、そのジプシー・ジャズ熱もオリエンタル音楽へ傾倒しだしていってからは、少し下火になっていったのですが、「僕のスウィング」を見てまた再燃しだしました。

さて、話は戻って、先ほどの理由への答ですが、トニー・ガトリフの映画が、何故これほど前にジプシーの音楽にこだわっているのか、というと、彼らの音楽にこそ、その歴史や伝統、文化といったものが集約されているに他ならないから、なのだそうです。

ロマは、死者のことを話すのはタブーとされているために、歴史的な概念がない上、1970年代から、今まで彼らがこだわってきた伝統的な服装をやめて、どんどんロマらしい文化が消えていっている。

そういったなかで、彼らの音楽が、ロマとしてのアイデンティティを語るにふさわしい文化だという訳です。

つまり、トニー・ガトリフは、彼の映画を通してロマの文化を記録しているそうなのです。

いずれにしろ、僕のスウィング、良い映画でした。


物事を作り上げていくということ

2006-09-04 01:52:42 | 音楽

最近、特に感じるのが、物事を成し遂げていくには、人々の善意というものが特に必要であるということです。

つまり、感謝、という気持ちが充満するのか、しないのか。

口だけの感謝なのか、本心からの感謝なのか。

いまさら、何を言ってんの?・・、と、この日記を読んでいる人の中にはいると思われますが、いや、これが大事なんですよね、ホント。

すでに2年前になってしまいましたが、そのころ、私は半導体とか精密機器メーカー相手の精密溶接機の販売会社のセールスエンジニアをやっていました。

なんか、ふと、その時のことを思い出しました。

その時の話は、色々なエピソードがありすぎて、ここでは割愛しますが、つまりは、少しでもインチキな事をすると、そのインチキをされる側の人は、本能でそれを察知する、ということなんですよね、これが。

多分インチキをする人って知らず知らずの内に雰囲気でそれを醸し出してるんですね。

で、一番迷惑をするのが、そのインチキをやる人の下で誠実に一生懸命頑張る人達なんですね。

で、最初は運良く物事が運んでいったとしても、ここ一番の大事なときに、そのインチキをやってきた人は足元をすくわれる結果になってしまうわけです。

しかも、その人だけがひどい目に会えば問題はないのに、周りの人たちにも迷惑をかけてしまうという・・・。

人に疑われる事をする、ということが、つまりインチキをする、ということなんですが、そうはなりたくないものですね。

その反対に、誠実に、着実に努力を重ねて実力をつけていく、公平に人の努力を認める、駄目な時でも見捨てずに励まし合いながらともに前進していく・・・、こういった人には、必ず人が集まってくるし、力を貸してくれる人々も集まってくる。

仏法には、「現証には如かず」という言葉があって、つまりは「実際の結果によって物事を判断する」ということですが、これほど端的な言葉はないと思っています。

善意を勝ち得るには、嘘、偽りのない誠実さしかない。

その上での勝利こそが次へと発展していく大きな力となる。

この言葉を改めて噛み締めて、襟を正して進んでまいりたい、と思った今日、この頃です。