ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

一本きりりと通っているなにか

2010年05月01日 | 音楽とわたし
今日はあさちゃんの伴奏者としてのデビューの日。
彼女の歌の邪魔にならないよう、できれば気持ち良く歌ってもらえるよう、そしてわたしの心も織り込ませつつ気持ちを合わせて演奏したいと思いました。

天気の良い日は、夜明けを待たずに、鳥たちの歌がにぎやかに始まります。
どちらかというとうるさいぐらい。
旦那いわく、中に一羽、旦那の名前を連呼するのがいるそうな……三回呼んで休み、また三回……ほんまかいな?
ちなみにわたしの好きな鳥は、「てっぺん禿げたか!」って鳴きます
今日は暑くなるよ~、夏だよ~。
気温は30℃を超え、案の定、チューリップの花は一気に開ききってしまいました。
昨日、あさちゃんと練習している間からワインを飲み始めた旦那、わたし達も合流してからもピッチが下がらずに飲み過ぎ……。
ちゃんと眠れずにごそごそごそごそ、わたしも疲れやら頭の付け根の痛みやらでやっぱり眠れず、朝は最低のさわやか度。
あさちゃんが熟睡できたのがせめてもの慰めです。

午前中、旦那は仕事、わたしもレッスンひとつ、あさちゃんはTの運転でIKEAに。あともうちょい足りない物を買いに出かけて行きました。

会場に着いてもあさちゃん、余裕のよっちゃん。発声練習とかしなくてもいいのか?
わたしが歌う時なんかはもう、喉を守ろうと必死で、それでも恐くて恐くて……なので、やっぱちゃうな~と思ってしまいました。当たり前か。
あさちゃんはよく、自分が歌う歌の歌詞の意味を、ていねいに説明してから歌います。
そうすることで、ドイツ語などの理解しにくい詩の意味を把握して、その場面を想像したり感じたりしながら聞けるので、
彼女の声のひびきそのものだけではなく、彼女が表現する事柄を具体的に感じ、楽しむことができます。
今日は『鱒』の歌詞の説明を英語でやったあさちゃん。
彼女の話し声はとても低くて、どちらかというとハスキーな方でもあるので、歌声とのギャップがすごくてこれも楽しいのです。
伴奏をしていて、とてもいい気持ちがしました。
彼女はわたしに背を向けて歌っているのだけれど、彼女の声の響きが会場中の空気の粒に溶けて、わたしは抱かれているように感じました。

彼女のブログに、こんなメッセージが書かれています。

『歌をうたうにあたって私がいつも考えている事も「空間」!これ以外にありません。
空間をいかに鳴らすかということが音を創造する上では本当に重要なのです。
音を出す前に空間を「感じ」、空間と「調和」して響きを「運ぶ」。
小さい空間は小さいなりに、今日のように1000人の大ホールは大ホールなりにその空間を響きで満たす事が出来たらといつも望んでいます。
とくに声は息に音を乗せて運ぶものですから、いかに遠くへ息を流し、空間を超えて遠く向こう側に届けるかのイメージを持つ事がポイント。
というわけで「大きな声」ではなくて、「響きの豊かな声」を求め、日々学んでいます。
(なんたってからだが小さいのでね~。鳴らさにゃ。)』


わたしはこの『響きの豊かな声』に優しく抱かれて至福の時を過ごすことができました。
ありがとう~あさちゃん!!

演奏会の後、旦那と彼女と三人で近くのイタリアンの店に行った時、
「アマチュアとプロの違いって、なんかこう、一本きりりと通っているなにかがあるかないか、なんだよね」とあさちゃん。
「例えば今日ショパン弾いたすっごくうまい人も、バッハをきれいに弾いた人も、テクニックもあるしうまいしいいんだけど、足りないんだよ、これが」と言って、胸の前でこぶしを作り、一本の棒をなぞるような仕草をするあさちゃん。
「自己陶酔してるってこと?」
「ううん違う。プロだって自己陶酔して演奏してる人いるもん。でも、そうしながらも、内面からほとばしり出る何かがあるんだよねえ」
いったいそれってなんなんだろう……。

あさちゃんのアパートに行き、彼女が今日買った荷物を運びついでに本棚を組み立て、家に戻る車の中でもずっと、このことを考えています。
いったいそれってなんなんだろう……。


コメント (8)
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