ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

チェンマイ編 [その1]

2013年02月09日 | 日本とわたし
チェンマイのホテルに到着。


中庭の、多分、パーティなんかをするための広場。


プールサイド。多分ここも、わたしらには縁がないやろう。
なんせ母は、スパもマッサージも、ほんでもってこんなとこでゆったりするのも大っきらいな人やから。


どこのホテルにも、おそらく商売してはるとこはどこも、こんなふうに商いの神さんが祭られてある。


エレベーターにもエキゾティックな銅板が飾られ、


重厚な板はまろやかな輝きに包まれてる。




部屋に通じる廊下の向こうには、こんな風景が存在する。


入った途端に気持ちがゆる~くなる部屋。
ほんでもって再びここも、簡易ベッド以外はすべて、2人用の用意しかされてないことを知った母が文句を言い出す。


浴槽の向こうには、小さな滝が流れてて、チョロチョロといい声で歌ってくれる。


バンコックのホテルでもここでも、ただで飲み食いできる物と有料の物をチェックする。


このベランダではタバコが吸える。いちいち建物の外に出ていかんでもようなった弟はめちゃ嬉しそう。




そのベランダから見える景色。




対岸に見えるこのホテルのシンボルの木。


バンコックに到着した時よりもちょいと慣れてきて、ホテルのワゴンでナイトバザールの場所まで送ってもらうことにした。

夜店が延々と続く市の端っこに到着。
ありゃりゃ?これはもしや……。


やっぱりそうでした。こちょばそぉ~。






その店の隣で、大にぎわいの海鮮食堂見っけ。


3人でこれを分けんこした。


ずっとこんな感じ。


豚さんの丸焼き。


初めて乗ったトゥクトゥク。行きしなに教えてもろた100バーツ以内やったので乗る。おっちゃん、ブイブイ飛ばすの巻。


帰ってお風呂に入ろうとしたら、水の出が悪い。
シャワーに切り替えると、ノズルの根元から水がジャアジャア漏れ出す。
こんなんやったら朝までかかると、また母が怒り出す。
フロントに電話して見て欲しいと頼むと、何を勘違いしたのか、トイレのシュポシュポを持った男性がやって来た。
いや、う◯ちが詰まったやなんて全然言うてへんし……。
そして、こんな修理に全然慣れてないお兄ちゃんの格闘が始まった。
なんやったら部屋替えましょか?とフロントは言うてくれるけど、今から荷物をまたまとめるやなんてイヤやと母。
彼女は部屋に着くなり、自分の荷物をあちこちの引き出しに入れてしもてる。
ほな、直してもらうまで待つしかないやんか。
ああもう、なんでこんなことになるん?部屋も暗うて(間接照明)見えにくいし、明日の朝は早いねんから早よ寝たいのに……えとせとらえとせとら……。

78才、ごねまくる。
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バンコック編 [その2]

2013年02月09日 | 家族とわたし
母と弟に合流するべく、ニューヨークのラガーディア空港からシカゴ、シカゴから成田、成田から名古屋へと飛行機を乗り継いでいった。
シカゴから成田の13時間の間だけ、通路側の席が取れんかった。
まあでも、通路からひとつ中に入っただけの席やから、なんとかなるかと思たのが甘かった。
隣に座った男性は、お相撲さんみたいにでっかい人で、席に座るなり眠り始めた。
ほんでもって、急に起きたかと思たら今度はゲーム。熱中しまくってる。
そんなこんなで、声をかけそびれること10回以上。
もうあかんと、一回だけ、申し訳ないけれども起こした。
あと一回は、彼がやっと立ち上がって自分からトイレに行ってくれた時だけ。
13時間を、あそこまで座り続けて過ごす人は初めてやった。

そして翌日、名古屋のホテルでトイレに入った時、それは突然やってきた。
膀胱炎……。
しもた……昨日の飛行機や……。
名古屋から台湾への飛行機の中で、それはどんどんどんどん悪化していき、案の定血尿が出始めた。
乗務員に、抗生物質は無いかと尋ねたら、機内にお医者様がいらっしゃるかもしれないからと、機内放送をしてくれた。
しばらくすると、わたしの席に、優しそうな女医さんがやって来て、「どうなさいました?」と尋ねてくれた。
事情を話すと、あいにく持ち合わせていないので、台湾での乗り換えの際に、空港内の医療室に行ってくださいと言われた。
台湾に着いて尋ねると、医者の診療が必要なので75ドル払えと言われ、そんなお金を使うぐらいなら、なんとかタイまで我慢して、そこで薬を買おうと思た。
なんのために旅行保険を支払うたのか……という気がせんでもなかったけど。

ホテルに着くや否や尋ねると、日本人従業員がいるからと呼んでくれはった。
べっぴんさんがやってきて、親切に、ホテル内の医療室に案内してくれた。
抗生物質代20バーツ也。
抗生物質を一日二回、水をガブガブ飲んで、とにかく観光が始まってしまうまでに治す。根性で治す。

なんとなく治った感じで一日目を無事に過ごし、ここからが二日目。
ホテルから車で2時間ちょっと走った所にある、洞窟の中の仏さんを観に行く。これが主要目的。

道中、塩田が延々と広がる所を観た。


ここの塩はめちゃくちゃ美味いらしい。買いたいけど、こんな大袋ではなあ……。


まずは寝釈迦さんを尋ねる。でっか~い!


目がモノを言う。


コチョコチョしとうなる。


ええ顔してはる。


とにかくデカイ。ずぅっとずぅっと先に足先が見える。


ご利益ご利益!とばかりに、象さんに金ぱくをせっせと貼る。


洞窟に着いた。猿が多いとは聞いてたけど、ほんまに多い。人間より多い。


砂の洞窟は天井がすっぽ抜けてる。トトロの気分。








仏さんがぎょうさん。








ここにも寝釈迦さん。


タイ人にとって、誕生日の曜日がすっごく意味があって大事なんやそうで、何曜日に生まれたんと聞かれた。
知らんし……。


さて、そろそろまた、あっつい地上に出ましょか。


帰り道、猿も木から落ちるを絵に描いたようなんを目撃。
仲間の猿もびっくりして、いっせいに見る。


落ちましたけど、なにか?
このお猿さん、胸に入れ墨がある。これは、今年は繁殖に励みませんのマーク。



お次は王様の別荘見学。
ケーブルでぐんぐんぐんぐん登った山の頂上にある。


これはその王様の趣味。


花が咲き乱れていてきれい!




なんとなく梅林っぽい。


花はこんな感じ。


回廊が延々と続く。


この王様は卯年。


ここにもトウモロコシ頭。


母もてくてく歩く。わたしも78才になった時、こんなふうにしっかり歩けますように。


タイではタバコを吸える場所は限られている。
アナンさん、かなりのタバコ吸いみたいで、チャンスを見つけては弟を誘うてスパスパ。


タイにもイージーパス!


運転手さんは可愛らしい女の子。50バーツ札で作られたお守り。


タイ名物トクトク!


午後はゆっくりホテル見学。
こんなホテルにはもう二度と、おそらく一生泊まれんやろうと思いながら。














ところが、こんな立派な建物のすぐ裏側に、庶民の暮らしが息づいてる。


換金のお世話になった、表向きは仕立て屋さんの換金所。


町の通りで売られてるもん。






それからこれらは、デパートの食料品売り場。






川のナマズくん。我々の食パン12斤をあっという間にたいらげたナマズくんの10分の1ぐらいのサイズ。


こんなお弁当もあるでよ。


タイ名物のマンゴスチンとズク。




アルファベットはHOKKAIDO、平仮名はほっかいとう……惜しい。


takoomeさんがぜひぜひ観てや、と教えてくれた、タグボートに引っ張られる巨大貨物船。ほとんど沈みかけてる。


貨物の先頭には家があって、そこには人が住んでる。


ワンコもいる。


夕日がめちゃきれい。


案内をありがとう。アナンさんとお別れ。



ホテルの豪華さに圧倒されながら部屋に入り、点検をしていた母が、なんでタオルも歯ブラシも二人分しかないの?と怒り出す。
元々は2人部屋に簡易ベッドを入れてもらい、そこで3人で泊まるというのは、多分珍しいことなんやろう。
けれども母は納得せえへん。
もちろん、タオルも歯ブラシもスリッパも、それから飲むためとうがい用の水も、それぞれに必要なもんやから、フロントに電話して持ってきてと頼むから。
それでも母は、日本やったらこんなことはあり得へんと、気が済まへん様子。


旅行の行程表に、注意事項が書かれてあった。
チップのこと、タバコのこと、お水のこと。
ほんで、タイ人には、声を荒げてもめたり怒ったりしたらあかん。
そういうことに全く慣れてないので、混乱して、余計に事態を悪くしてしまう。
なので、冷静に、笑みを忘れずに、ゆっくりと言いたいことを伝えて欲しいと。
そやから電話であっても気をつけた。
けども、フロントの人でさえも、わたしが言わんとすることがあまり理解できひんみたいで、
それはもちろん、わたしの英語力にも問題があるのかもしれんけれども、とにかくちゃんと、3人分の物が揃うという日はとうとう来んかった。

次のホテルは大丈夫やろか……。
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タイ王国親子旅行・バンコック編 [その1]

2013年02月09日 | 家族とわたし
去年の夏、77才にして初めて、ひとり訪米旅行を決行した母。
もうこれが人生最初で最後やと言いながら来た母は、その旅の終わり頃になると、「次は西海岸やな」とつぶやいた。
西海岸やと、日本からもこちらからも、それぞれに歩み寄る形になるので、母にもわたしにも少しは楽やし、という意味やったらしい。

そして去年の、まだやっと秋が深まりつつあった頃、母は当たり前のように、「ちょっとあんた、いつにするん?」と聞いてきた。
「いつにするって何が?」と聞くと、「西海岸」と即答。
ありゃま、いったいどないしたん?
ひょんなことから弟も一緒に旅行することになり、いよいよ旅先を決めなあかんようになって、焦りまくってあれこれ調べ出した。
わたしとしては、なんぼ早ても春ぐらいやろと思てたので、年明けを待つのもまどろっこしいという勢いの母に驚きつつも、この時期行くなら暖かい所、と考えを変えた。
行き先は、西海岸の南端からハワイ、ハワイからタイに変更になった。
タイやと、国の中の物価が安いし、日本から行くのにそれほど大変ちゃうし。
けれどもタイは、わたしも初めてやし、車の運転は日本と同じ左側通行。しかもバンコクは、めちゃくちゃ荒っぽい運転やと聞いて、一気に運転する気が萎えた。
それで、東南アジアを専門としてる旅行会社の友人に頼んで、ガイド付きの旅行を組んでもらうことにした。
なんせ、今回の旅行は、一緒に付き合うてもらうんやからと、母が旅費を支払うと言うてくれたもんで、ガイド付きなんちゅうとんでもない贅沢が可能になった。

いよいよ日が近づいてくると、母はかなり重症の興奮状態になり、毎日何かを確かめたり聞いたりせんと気が済まへん。
気持ちは分かるけど、こちらにも暮らしがあり仕事があり、そして自分の準備もあり、さらに旅行についての下調べもあり、旅行前の健康管理かてせなあかん。
なので、今回は30分ぐらいしか話せへんとか、いつもより早めに寝ようと思てるとか、できるだけ気持ちを害さんように言うても、すっかり拗ねてしまう。
そんなこんなのオカン暴風が吹き荒れる中、行程表の行き先に母が満足するかどうかを調べたり、その費用が妥当かどうか思案した。
そうこうしてるうちに、我々3人がどないして合流するかという、一番難儀な問題も解決せなあかん時がきた。

払てもらうのやから、できるだけ安うしたい。
けども、安うすると、どないしてもタイミングが合わん。
それで、毎日何時間も検索して、やっとこさ折り合いをつけることができた。
わたしがまず、出発の一日前に日本に行き、空港の近くで泊まって、母と弟と合流し、一緒に日本からタイに行く。
時差14時間の日本で一晩過ごし、時差12時間のタイで10日間過ごし、そしてまた14時間の日本で一晩過ごし、こちらに戻ってくる。
ふむ……いったい体はどうなるんやろか……。


タイ王国(バンコック一日目)

貸し切りのボートに乗って、バンコックの街を見学する。


はじめに寄ったのは『あかつき寺』


近寄ってよく見ると、この寺の外壁はみな、このような陶器で飾られている。


先っぽのトウモロコシのようなものについて、ガイドのアナンさんが、流暢な日本語でさかんに説明してくれてたけど、すっかり忘れてしもた。


金ぴかの布袋さん。


この寺の階段がものすごい。一段一段が高いし急で、手すりというか、ロープ状のものを必死で掴むか、階段にしがみつくようにして登らなあかん。


で、登ってみるとこの絶景!


屋根も陶器でできてるのやけど、色が鮮やかで美しい。


もういっちょ、別の角度から。


守り神の鬼と猿。


再び船に乗り込む78才の母の手伝いをする息子52才。見守るガイドのアナンさん55才。


船は、立派な建物の学校の前を通り過ぎ、


お寺の前を通り過ぎ、


病院の前を通り過ぎ、


王様専用の船の倉庫を通り過ぎ、


そして、それらに混じって暮らすバンコック市民の家の前を通り過ぎる。


こんな川の真上に家がある。
川は濁ってて、ゴミや水草がプカプカ浮かんでる。

お寺の前では殺生が許されへんというのを知ってるナマズくん達は、ここでわたしらのような観光客がやってきて、
自分らが普段食べてるような食パン一斤を、豪快に千切っては投げ、また千切っては投げしてくれるのを、大口を開けて待つ。


元集会場やったらしい建物。


行商に出かけるとこのおっちゃん。


船が早うて間に合わんかったけど、左端にポツンと浮かんでた、黒い犬の屍。


その時代時代の王さんが建てた、豪華絢爛そのものの建物の間に、タイの人達の暮らしが存在してる。








市場に寄った。トイレは大丈夫かと聞かれて行きとうなった。3バーツ払て入った公衆トイレ。


トイレットペーパーは流さずに右側のカゴに捨てる。ほんでもって、左横の水を汲み取って排出物を流す。
このトイレの両端に上るのがまた一苦労。高さがけっこうあって、母には無理っぽい。
なので、狭い部屋にふたりで入り、わたしが後ろから介助することにした。
ふたりでやいのやいのと大騒ぎ。これがいわゆるカルチャーショックというもんか……。

市場の中は、美味しいもんでいっぱい。けど、辛そう……辛いもんに滅法弱い我々親子3人。なんでタイに来たん?






と、突然、踊ってはるし……。


お次は、これまた有名な『エメラルド寺院』。ここは由緒ある寺で、ショートパンツやタンクトップでは入られへん。


この人が、お釈迦さんが病気になって死にかけはった時に助けたなんちゃらさん。


やっぱり屋根が美しい。


ひとつひとつはこんな感じ。


エメラルドやけどやっぱり金ぴか。


さらに金ぴか。


なんでこんな細かいことができるのか。


どこもかしこも。


蓮の花がめちゃきれい。




やっぱりここにも守り神。
さて、誰が猿さんで、誰が鬼さんか。
正解は、靴をはいてるのが鬼さんで、はいてないのが猿さん。


蓮の花には大きな意味がある。
どこのお寺にも、この蓮の花のつぼみが置かれていて、それをチョンチョンと水につけ、そのしぶきを体にかける。


王様が象に乗るための台。


王様が神輿に乗るための台。


ヨーロッパ文化に傾倒してた王様が、ロンドンから引っこ抜いて持ち帰ったガス灯。


どの王様も、それぞれ好き勝手をし、散財し、贅沢を極めた。
せやのに国民は、そんな王様を心から慕い尊敬してると言う。
なんでやのん?
そんな率直な質問をアナンさんにぶつけてみた。
「腹なんて立たないよ。王様は王様、我々は我々。最初っからまったく違うんだから」

寺の出口には、若い兵士達の詰め所があった。
『タイ王国では、徴兵対象者は徴兵状が渡されると、各州の講堂に集められる。
くじ引きでは、陸軍、海軍、空軍、徴兵免除の4つのくじが入っており、これらを箱から手で引くことになる。
三軍の中では特に、海軍の訓練が厳しいことで有名で、くじ引きの結果海軍への入隊が決まった者がその場で気絶したこともあった。
この模様はタイ全土にテレビ放映され、毎年の恒例行事の一つとなっている』
↑ウィキペディア参照

アナンさんに聞いた話によると、くじ引きの日が近づいてくると、当たらないようにと、親族一党が寺にお参りに行くんやそうな。
ほんでもってくじ引きの会場には、鳴りものを抱えた親族が大勢寄り集まり、当たるな~当たるな~と、鳴りものをジャンジャカ鳴らして大騒ぎするらしい。

帰りの道中で見つけた、タイ風コインランドリー。


近々、バンコックにはまた、新しい地下鉄ができる。フランス製かイタリア製かともめてたけど、イタリアの方がぎょうさん金をばらまいて勝利をゲット。


バンコックの『どないやねん?電線』。


もうちょっと近くで。


夜は、ここにもよく遊びに来てくれるタイ在住のtakoomeさんと一緒に、大阪出身の女性が経営する多国籍レストランに出かけた。
takoomeさんはもちろんのこと、彼女もパワフル!大阪のおばちゃん万歳!


昔ながらの、中がガラス製の、一日経っても湯気がホクホク出てくる魔法瓶。
近所のチャイナタウンで売ってるそうで、めちゃ欲しかったけど、また次回に。


猫好き。


渋い入り口。


山と積まれた鉄くずの上で、ワンワンとけたたましく吠える犬がいた。


二日目につづく……。
コメント (8)
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