ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

初遠距離出張、無事終了なり

2013年02月28日 | 家族とわたし
昨夜、入社早々、初めての遠方出張に出かけてた次男Kが、無事に仕事を終えて帰ってきた。
しかも、その出張中にしっかりと、おっきなゲームトーナメントにも出場してたりして、そこまでの旅費も出してもろてたりして、
なんちゅうか、そつがないというか、調子がええというか……。
その、なんとも親切な会社は、大学を卒業して間もなかった息子が、わたしらも知らんうちにさっさと面接をうけたとこで、
なんでも京セラと提携して、新しい携帯電話を開発し、それをこちらの、大手の携帯電話会社に売り込もうとしてる?らしい。
らしいとしか言えんのは、彼からなんぼ説明してもろても、やっぱりはっきりわからんからであって、その会社が怪しいのでは絶対ない。
で、肝心の、息子はそこでどんな仕事をさせてもろてるのかというと、さらにはっきりわからんのである。

という感じで、大学で学んできたんとは全く違う世界で働くことになったわけやけど、我が家でもピカイチのバイリンガル脳を生かせる職場であることは確か。
ドラキュラ生活を長らく続けてた彼が、朝の6時半に起き、シャワーを浴び、ここから車で半時間ほどの職場に出かけていくのは、
見てるこっちが大丈夫かいな……と心配してしまうほどに信じ難いのやけれど、まあこれも人生、いろいろの中のひとつ。

旦那は、まだやっぱり、自分の若かった頃と比べてしまうのか、こんねん真面目に会社員して、それが平気やっちゅうのが不思議らしい。
しかも、クライアントさんはすべて日本人やし、日本からのお客さんもいるし、上司もみんな日本人。
そやし、敬語でしゃべったり書いたり、それがかなり難しいらしいけど、なんとか教えてもらいながらもできてるみたいやし、
いったいいつ、どんなふうにして、そういうことを身につけてたんか、それもかなり不思議。

さて、いまだに時々、4才ぐらいやった頃のKと夢で会うてるおかんとしては、出張中のやり残してた報告やら領収証の伝達やらを、食卓でやってる若者を見ても、イマイチ現実味に欠けたりする。

今夜のお月さんはええ感じやで。


お祝いか、お疲れさんか、まあ、どっちゃでもええか。
美味しそうなマダイを見っけてん。
こっちでは、魚の頭なんか欲しい人おらへんから、お頭付きで内蔵だけ取ってもらうのん、なかなか伝わらんで困ってん。

今夜はその、入荷したてのごっつう新しい、ニューヨーク州で獲れたマダイの焼き魚と豚汁で乾杯!
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「これこそ戦争の惨禍に目覚めた本当の日本人の声なのだよ」by 永井隆医師の遺言『いとし子よ』より

2013年02月28日 | 日本とわたし
如古堂: 「如己堂(にょこどう」


永井隆博士が過ごされた家「如己堂」の名は、博士が生きる指針とした、「聖書」の一節、
「己の如く隣人を愛せよ(如己愛人)」という言葉から、如己堂と名づけられている。(新約聖書マルコによる福音書12章31節)
 
「なんじの近き者を、己の如く愛すべし」 

人はともすれば、わが欲に心を奪われ、この最も大きな掟を忘れがちなものである。
それゆえ、 私はこの、私らの住む家に、「如己堂」と名をつけた。【いとし子よ】より 


Yoko Miyazatoさんとおっしゃる方が、FBで紹介しておられたものです。
転載させていただきます。

「いとし子よ、愛で身を固めなさい」
長崎の被爆者、永井隆さんの遺言:
長崎で、原爆に被爆なさり、夫人を亡くされ、ご自分も被爆により43才で世を去られた長崎医大の医師、永井隆さんが、二児に残された遺言です。
63年の時をこえて、肉声が伝わってくるように思います。

*******       *******       *******



いとし子よ。

あの日イチビの実を皿に盛って、母の姿を待ちわびていた誠一(まこと)よ、かやのよ、

お母さんはロザリオの鎖ひとつをこの世にとどめて、ついにこの世から姿を消してしまった。

そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものはなんであるか。

原子爆弾。
いいえ、それは原子の塊である。
そなたたちの母を殺すために原子が浦上にやってきたわけではない。
そなたたちの母を、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。

戦争が長引くうちには、はじめ戦争をやりだしたときの名分なんかどこかに消えてしまい、
戦争がすんだころには、勝った方も、負けた方も、何の目的でこんな大騒ぎをしたのか、わからぬことさえある。

そして生き残った人々はむごたらしい戦場の跡を眺め、口を揃えて「戦争はもうこりごりだ。これきり戦争を永久にやめることにしよう」

……そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、何となくもやもやと、戦争がしたくなってくるのである。

私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。

我が子よ。
憲法で決めるだけならどんなことでも決められる。

憲法はその条文通りに実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。

どんなに難しくても、これは良い憲法だから、実行せねばならぬ。
自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。
これこそ戦争の惨禍に目覚めた本当の日本人の声なのだよ。

しかし理屈はなんとでも付き、世論はどちらへもなびくものである。

日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、「憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ」と叫ぶ声が出ないとも限らない。
そしてその叫びにいかにももっともらしい理屈をつけて、世論を日本の再武装に引き付けるかもしれない。

もしも日本が再武装するような時代になったら、その時こそ、誠一よ、かやのよ。
たとえ最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと戦争絶対反対を叫び続け、叫び通しておくれ。

敵が攻めだした時、武器が無かったら、みすみす皆殺しされてしまうではないか、と言う人が多いだろう。

しかし、武器を持っているほうが果たして生き残るだろうか。
武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るだろうか。

オオカミは鋭い牙を持っている。
それだから人間に滅ぼされてしまった。

ところが鳩は何一つ武器を持っていない。
そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。

愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、
平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。
コメント (6)
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木の急須

2013年02月28日 | ひとりごと
旦那の鍼灸師学校時代からの友人が、日本に旅行に行った。
お土産にと、木の急須を買うてきてくれた。


ふたり分にぴったりのサイズで、木やからもちろん軽い。

この蓋がまた、微妙に、ぎしぎしという感じで、ねじ込むようにせんとはまらへんのやけど、


いったんはまると外れへんのやから、お茶を注ぐ時に心配せんでもええのがありがたい。

さて、これに熱湯とか注いでもええんやろか……と、物知らずのわたしはしばし悩んでた。
見たところ、漆塗りっぽいのやけど、お茶にいろんなもんが溶け出してしまわへんやろか、などと考えたりした。
う~んう~ん……。

熱湯で湯通ししてみた。
くんくん嗅ぐと、やっぱり漆の匂いがプンプンする。
う~ん……この匂いが混じったお茶なあ……。

そや、濃い濃い緑茶をここで作って、しばらく置いてみたらどないやろ。
やってみた。

くんくん……緑茶の匂いしかせんようになった。

今夜から、よろしゅうに。
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