えちごやさんのブログ『とべないポスト』に、この映画が紹介されていました。
この映画のことは、前から気になっていました。
さあ、上映開始、という段になって突如、全国の映画館から上映拒否をされたといううわさを聞き、余計に気になってきました。
なぜこの映画が、上映禁止にならなければならないのか。
そのことを、わたしたちが、自分の頭で考えないといけません。
↓以下、転載はじめ
原発事故の悲劇を描いた映画「朝日のあたる家」ご紹介

原発事故の悲劇を描いた、太田隆文監督作品である。
ストーリーはまさに、福島事故後の被災者家族を描いている、といえるものだ。
この映画の上映が、各地で拒否されているという。
「原発映画に客が入らない」のが理由とか。
どなたかの顔色をうかがう自粛の臭いがしてならないのだが、
ニホン社会の文化水準を考えるとき、あながちいいわけでもないだろうとも思う。
上映を中止させる、ある筋の圧力もあるかもしれない。
体制になびこうとするニホン社会の、危険な側面もあるかもしれない。
では、それらがまったくなかったなら、映画館は盛況になるだろうか。
社会全体の問題意識の低さを思うとき、私は悲観的にならざるを得ない。
日本映画の最高傑作、黒澤 明の「どですかでん」を理解できない大衆が相手では、
この映画も、商業的に成功するとは思えない。
「いいもの」を商業ベースに乗せるには、意識水準が高まるのを待つしかない。(この国では当分は無理)
「いいもの」を世に送り出す工夫をしなければ、文化水準は下がるしかない。
企業や自治体、各種サークル等のスポンサーをみつけることや、
サポーター支援、ネットの有料配信も検討されてよい。
配信態勢の流すものだけに甘んじていては、私たちはマイルドコントロールされてしまう。
『朝日のあたる家』"The House of Rising Sun"
あらすじ
静岡県、湖西市。
自然に囲まれた美しい町。
そんな町に住む平田一家。
お父さん(並樹史朗)は農業、お母さん(斉藤とも子)は主婦。
長女(平沢いずみ)は大学生、妹(橋本わかな)は中学生。
日本中、どこにでもいる平凡な家族。
ただ、長女のあかねだけは、この町が好きではなかった。
大きなショッピングセンターがない。
映画館やコンサートホールがない。
そう思って、都会の大学を受けたが、合格したのは近所の大学のみ。
就職は大都会でして、一人暮らしを夢見ていた。
そんなとき起こった大きな地震。
原子力発電所で事故。
やがて避難勧告。
そして避難所へ。
1日で帰れると思っていたら、何ヶ月も帰れない。
父は仕事を失い、 母はノイローゼになり、妹は病気になる。
ようやく許可された一時帰宅も、1時間の制限付き。
荷物を取ってくることしか許可されない。
福島と同じ事態になっていた。
もう他人事ではない。
あかねたちの家族もまた、大きな悲しみの渦に巻き込まれて行く……。
出演:斉藤とも子、橋本わかな、並樹史朗、平沢いずみ
監督:太田隆文
日本語音声英語字幕
「朝日のあたる家」公式サイト
http://asahinoataruie.jp/
映画「朝日のあたる家」予告編
映画監督・太田隆文氏の「原発事故の悲劇を描く映画「朝日のあたる家」監督日記 」 より
なぜ、原発事故の映画を作ったのか?(1)
僕の映画のテーマは、「親子につたえる大切なこと」
今の時代、いろんな問題があり、昔のように簡単に答えが見つからない。
だから、何かの手がかりになるメッセージを、映画を通じて伝えるのが、僕の映画。
「ストロベリーフィールズ」も「青い青い空」も同じ。
そんな中、311が起こり、原発事故が起きた。
興味を持ち、いろいろと調べて行くと、マスコミの伝えない福島の、過酷な状況が見えて来た。
特に、子供たちへの影響が大きい。
チェルノブイリにも行ったが、事故後に、多くの子供が、病気になり死んで行った。
でも、日本では、そこに目を向けず、「安全です。直ちに被害はない」を繰り返す。
なぜ、危険性を認めようとしないのか?
それは、原発ビジネスが儲かるから。
危険性を認めてしまうと、ビジネスができなくなるから。
だから、福島から子供を避難させない。
むしろ、危険な地区に、人々を戻そうとする。
なぜ、原発事故の映画を作ったのか?(2)
確かに、医学の世界ではまだ、放射能の低線被曝の危険性は、完全に証明されてはいない。
が、それを待っていると、何十年もかかる。
その間に、多くの子供たちが病気になり、原因不明として、死を迎えることになる。
ウクライナでは、国を挙げて、その解明に掛かっているが、日本は認めようとしない。
何より、原発ビジネスで儲けたい人がたくさんいる。
これはもう、死の商人と同じ。
危険があるなら、それが可能性が低くても、子供たちを守るべきが大人の役目。
なのに、日本は今、それをせずに、大人たちが金儲けに走っている。
子供たちだけではなく、原発事故は、日本を壊滅させる可能性もあるのに、それを続けようとしている。
多くの人がそれに抗議し、デモが続いていた。
しかし、僕には、それを訴える学術的知識も、
山本太郎さんように、デモの先頭に立ち、情報を発信する知名度も、
上杉隆さんのような、ジャーナリストとして立場もない。
何もできない。
日本人として、子供たちが、数年後にどんどんと病気になる可能性がありながら、何もできない。
いや、できることがある!
事実を元にした、原発事故の映画。
原発事故の悲劇を描いた映画、「朝日のあたる家」
イチゴ農家を営む平田家。
原発事故で避難。
数ヶ月後、ようやく一時帰宅許可。
だが、家に帰るには、防護服を着なければならない。
さらに、帰った家の中は……。
事実を元にしたエピソードは、胸を締め付ける。
完成披露上映は静岡県湖西市で、大盛況!
http://asahinoataruie.jp/wp/?cat=3
原発に反対する奴は、冤罪で葬られる?
こわ?
原発事故の悲劇を描いた映画、「朝日のあたる家」を作ろうと考えたとき、何人かに相談した。
業界の先輩は、こう言った。
「原発映画は、業界ではタブーなんだよ。
そんなもの作ったら、二度と商業映画は撮れなくなるぞ」
これは冗談ではなく、あり得る話だ。
311以前は、原発に批判的な芸能人は、テレビ番組には出られなかった。
発言すると、レギュラーでも降ろされてしまう。
さらに数年遡るが、RCサクショッションの反原発アルバム『カバーズ』、
あれが発売中止にされたのも、同じ構図。
そして、カタギの女友達はこう言う。
「せっかく、太田監督は、素敵な青春映画を何本も撮っているのに、
ここで原発ものなんてとったら、色眼鏡で見られるようになって、イメージが悪くなるから止めてほしい!」
彼女は、原発を、政治活動だと思っているようだ。
が、原発問題は命の問題であり、政治ではない。
カタギの男友達はこういった。
「太田ぁ、そんな映画作ったら殺されるぞ。ある日、東京湾に浮かんでいたなんて、原因不明の事故死で片付けられる.... 止めてくれよ」
ちょっと不安になって、原発関係に詳しい法律家に訊いた。
こう言われる。
「もう、今さら、原発反対者を殺すようなことはしないよ。
ただ、ある種の人たちは、こんな手を使う人もいるので注意した方いい。
満員電車で、突然に、「痴漢です!」とか若い女性に言われて、冤罪で逮捕される。
その種の裁判では、まず勝てないから、痴漢をした犯罪者といわれ、社会的信用を失い、葬られる。
その人が、どんないいことを言おうと、もう誰も耳を傾けなくなる。
ある種の組織が、個人を黙らせるときに使う手なんだ……」
「朝日のあたる家」映画館上映の応援。感謝! [映画館公開に向けて]
映画館交渉が難航している、と書いたら、毎日のように提案を頂くようになった。
「***館での上映はどうですか?」
「**市は**劇場がいいですよ」
「**シアターなら必ず上映してくれます!」
多くの方が、「朝日のあたる家」を応援してくれていることを感じ、本当にありがたい。
心からお礼を伝えたい。
ひとつひとつにお返事はできないが、参考にさせてもらっている。
また、映画館名を上げて、ブログ上で、
「**館はすでに断られています」、と書くのは憚られる。
理由を説明するのも難しい。
館側が、映画を高く評価してくれても、どーしても上映できないとき、
それを名指しで、「駄目でした」と書くべきではない。
理不尽な対応で、拒絶する館もあるが、だからといって、名前を上げて批判するべきではない。
こちらからは見えない、側面もあるはず。
「**館は駄目でした」と書くと、
そこと密接な別の映画館が、交渉前に、「だったらウチもヤメだ」となる可能性もある。
上映拒否が続いていることもあり、ネットでは、慎重に伝えることが大切。
ひとつひとつの提案、問い合わせにはお答えできないが、みなさんの応援、情報は、本当に感謝しています。
これからも応援、お願いします。
日本各地の映画館から上映拒否が続く! [映画館公開に向けて]
映画「朝日のあたる家」、全国の映画館と、交渉を続けている。
原発事故を題材とした映画なので、大手映画館チェーンは上映拒否だと分かっていたが、
原発ドキュメンタリーを上映する、独立系の映画館からも、拒否が続いている。
「最近は、原発映画に客が入らない」
というのが理由らしい。
しかし、湖西市の完成披露上映会では、3千人が来場。
浜松の特別上映でも、満員御礼。
このフェイスブック、ツイッターには、
「どこで上映していますか?」
「**市では上映しますか?」
「**館で上映してほしい」
との連絡が、日本中から、毎日のように来る。
「地元で上映されるときに応援します!」
そう言ってくれる、反原発団体も多い。
さらには、出演者の山本太郎さんが、参議院選に当選。
時に人だ。
彼のファンからも、コメントを多数頂いている。
「映画も応援します!!」
これだけ条件が揃っていることを伝えても、
「だったら、どこかの映画館で大入りになれば、考えます」
との返事。
どこもここも、同じ答え。
何を考えているのか!
憤慨の日々が続いている......。
太田隆文監督インタビュー/「朝日のあたる家」を監督した理由
映画「朝日のあたる家」・太田隆文監督インタビュー(LAのジャパン・フィルム・フェスティバル時)
(上に記した、監督日記の内容と少し重複します)
Q. 太田監督の思いをこの映画に託している、と感じましたが、どうしてこの、重いテーマを映画にしたのでしょうか?
僕の映画のテーマは、「親子につたえる大切なこと」―今の時代、
いろんな問題があり、昔のように簡単に答えが見つからない。
だから、何かの手がかりになるメッセージを、映画を通じて伝えたかったのです。
前作の「ストロベリーフィールズ」も「青い青い空」も同じ―。
そんな中、3.11が起こり、あの原発事故です。
興味を持ち、いろいろと調べて行くと、マスコミの伝えない過酷な状況、
特に、子供たちへの影響が大きいことが見えてきました。
チェルノブイリにも取材に行きましたが、事故後に多くの子供たちが病気になり、死んでいきました。
日本では、そこに目を向けずに、「安全です。直ちに被害はない」を繰り返しています。
なぜ、危険性を認めようとしないのか?
そこに疑問を持ちました。
Q. 政府や関係者が、危険性をひた隠しにしている訳は?
それは、原発ビジネスが儲かるから。
危険性を認めてしまうと、ビジネスが今まで通りできなくなるからです。
だから、福島から子供たちを避難させないー。
むしろ、危険な地区に戻そうとします。
確かに、医学の世界では、まだ、放射能の低線被曝の危険性は、完全に証明されてはいないのですが、
それを待っていると、何十年もかかる。
その間に、多くの子供たちが病気になり、原因不明として死を迎えることになる。
ウクライナでは国をあげて、その解明に掛かっていますが、日本はまだ認めようとしません。
何より、原発ビジネスで儲けたい人が、今も沢山います。
でも、危険性が少しでもあるのなら、まず子供たちを守るべき。
それが大人の役目です。
なのに、日本は今もそれをせずに、一部の大人たちが金儲けに走っているのです。
Q. いろいろと、原発の恐ろしさを発信する方法があると思うのですが、なぜ映画ですか?
子供たちだけではなく、原発事故は、日本を壊滅させる可能性もあるのに、将来的にも原発を続けようとしています。
多くの人が抗議デモに参加、原発反対を表明する文化人もたくさんいます。
僕も何かできないか?と思いましたが、
訴えるべき学術的知識も、
今回の映画「朝日のあたる家」に出演してくれた山本太郎さんのように、デモの先頭に立ち、情報を発信する知名度も、
上杉隆さんのような、ジャーナリストとして立場もありません。
でも、日本人として、子供たちが、数年後にどんどん病気になる可能性がありながら、何もできなかったではすまされない!
何かできることは……と考えて、「映画を作ればいいんだ!」と気づきました。
僕のテーマは、「親子に伝える大切なこと」。
今こそ、それを貫く時期ではないか?
これを伝えずして、映画監督でい続けることはできない。
ここで沈黙を決めて、真実を知らない振りして映画を撮り続けたら、どんなに後悔するか?
もう、「親子に伝える映画」なんて、二度と口に出来なくなる。
だから、「作らねば!」と思ったのです。
Q. 幸せとは?大事なこととは何でしょうか?
僕のテーマ「親子に伝える大切なこと」を突き詰めると、
「人の幸せとは何か?」、という問題に突きあたります。
幸せとは何か?
お金持ちになること?
有名になること?
大きな家に住むこと?
日本人は戦後、アメリカのようになることが幸せだと思い、
「お金」と「物」をたくさん手に入れることこそ、幸せだと信じて生きてきました。
そしてバブル時代に、その両方を手に入れた。
でも、「幸せ」だと感じる人が、どれだけいたでしょうか?
むしろ空しい、大切な物をどこかで失った、喪失感が漂っていました。
戦後、日本人が、「お金」と「物」に走り出したときに、捨ててしまったものこそが、
一番大切なものだったのではないか……。
そう、大切なのは「お金」ではなく、人の「絆」だったのではないか?、と思えるのです。
Q.「朝日のあたる家」を作った目的
人が本当に大事なものを知るのは、実は「不幸」に出会ったとき。
戦争に直面して、命の大切さを痛感する。
悲しいけど、それが人……。
その意味で、原発事故というのは、戦争を越える究極の不幸。
戦争は、降参すれば終わるが、放射能は降参しても、何万年も放射線を出し、人々を苦しませます。
そんな原発事故を見つめることで、奪われた家、引き裂かれた家族、バラバラになったクラスメート。
そんな別れと悲しみの状況を見つめることで、本当に大切なことが見えてくるのではないか?と思いました。
子供を思う親がいる。
自分を心配してくれる友達がいる。
辛いときに助けてくれる兄弟姉妹がいる。
金持ちでなくても、大きな家に住めなくても、
その「絆」こそが、「幸せ」というものではないか?
あたりまえの日常にこそ、「幸福」は存在する。
だからこそ、悲惨な原発事故の物語を描くことで、
それをリアルに伝えられるのではないか?、と考えたのです。
↑以上、転載おわり
わたしは戦争の、巨大地震の、巨大津波の、重大な原発事故の、直接的な被害を受けたことがない人間。
そやから、それらが突如襲いかかってきた時の、とてつもない恐怖と痛みと苦しさは、
なにかを読んで、なにかを観て、人の口から直接聞いて、想像し、自分のことのように感じるしかない。
けど、いくら自分のことのように、とがんばってみても、それはやっぱり自分のことではなく、
そもそもそういう態度が、かえって当事者の人たちの気に障ったり、傷つけたりしてしまうこともある。
あんたは安全なとこで、ぬくぬくと暮らしてるくせに。
時々、そんな言葉を投げつけられる。
事実、今のわたしの周りは、とりあえず安全で、しかもぬくぬくと暮らしてる。
子どもの頃のように、同じ屋根の下で、チンピラと愛人に、セクハラまがいのいやがらせを受けんでもいいし、
自分の父親と母親が、裁断ハサミを手に罵り合うてるのを、震えながら聞いてんでもええし、
ティーンの頃のように、事故の後遺症に苦しめられたり、死を宣告されたり、やくざに追い回されたりせんでもいい。
未成年の時に一回、それから、大人になってからもう一回、
それまでに生き得てきたすべてのことをまるまる残したまんま、人生をリセットした。
未成年の時は、親が招いた事情で、大人になってからは、自分が長い長い年月をかけて考えた結果で。
自分の身にもし、原発事故がふりかかってきたらどうするやろ……。
今までに何回考えてきたか。
多分わたしは、やっぱりまた、それまでに生き得てきたすべてのことをまるまる残したまんま、
人生をリセットするやろと思う。
そのことで、少なくない数の人を怒らせ、悲しませ、苦しませることになっても、
その人たちの頭の上で、あぐらをかいて生きるような、無神経な人間やと思われても、
やっぱりわたしは、大切な自分と自分の家族をまず、心配し、助けたいと思う。
そうやって、ひとつひとつの命が、愛され、守られ、助けられることで、
国という集合体に暮らす人々の命が、輝いてくるのとちゃうやろか。
人を愛するには、守るには、助けるには、
まずその、自分が置かれた状況をしっかりと見、騙そうとしている者の罠から身を遠ざけなあかん。
そのためにも、騙されるな!気づけ!と訴えてくれてる人の声を、無視せず、まず聞いてみてほしい。
その上で、自分はどうするか、どうしたいか、どうするのがいいか、
そのことについて、自分自身の心の内に問いかけてみてほしい。
たいそうなことをせんでもええねん。
たとえばこの、映画の上映を願うことでもいい。
上映されてるとこを調べて、行ってみるのでもいい。
なにかの勉強会に行くのでもいい。
集会やデモの端っこやしっぽの方で、ちょっと立って見てみるのもいい。
ツィッターやLINEやFacebookで、ぼそぼそっとつぶやいてみるのもいい。
みんなのやりやすいようなことを、ちょっと試しにやってみてほしい。
そしたらきっと、なぁ~んや、別にそんなたいそうなことやないな……と思うと思うよ。
あたりまえの日常、とりあえず食べたり働いたり寝たりできること、
これが、どれほどの奇跡と幸運によって与えられてるものか、
それを痛感するような辛い瞬間を、自ら招いてしまうようなことにならんように。
この映画のことは、前から気になっていました。
さあ、上映開始、という段になって突如、全国の映画館から上映拒否をされたといううわさを聞き、余計に気になってきました。
なぜこの映画が、上映禁止にならなければならないのか。
そのことを、わたしたちが、自分の頭で考えないといけません。
↓以下、転載はじめ
原発事故の悲劇を描いた映画「朝日のあたる家」ご紹介

原発事故の悲劇を描いた、太田隆文監督作品である。
ストーリーはまさに、福島事故後の被災者家族を描いている、といえるものだ。
この映画の上映が、各地で拒否されているという。
「原発映画に客が入らない」のが理由とか。
どなたかの顔色をうかがう自粛の臭いがしてならないのだが、
ニホン社会の文化水準を考えるとき、あながちいいわけでもないだろうとも思う。
上映を中止させる、ある筋の圧力もあるかもしれない。
体制になびこうとするニホン社会の、危険な側面もあるかもしれない。
では、それらがまったくなかったなら、映画館は盛況になるだろうか。
社会全体の問題意識の低さを思うとき、私は悲観的にならざるを得ない。
日本映画の最高傑作、黒澤 明の「どですかでん」を理解できない大衆が相手では、
この映画も、商業的に成功するとは思えない。
「いいもの」を商業ベースに乗せるには、意識水準が高まるのを待つしかない。(この国では当分は無理)
「いいもの」を世に送り出す工夫をしなければ、文化水準は下がるしかない。
企業や自治体、各種サークル等のスポンサーをみつけることや、
サポーター支援、ネットの有料配信も検討されてよい。
配信態勢の流すものだけに甘んじていては、私たちはマイルドコントロールされてしまう。
『朝日のあたる家』"The House of Rising Sun"
あらすじ
静岡県、湖西市。
自然に囲まれた美しい町。
そんな町に住む平田一家。
お父さん(並樹史朗)は農業、お母さん(斉藤とも子)は主婦。
長女(平沢いずみ)は大学生、妹(橋本わかな)は中学生。
日本中、どこにでもいる平凡な家族。
ただ、長女のあかねだけは、この町が好きではなかった。
大きなショッピングセンターがない。
映画館やコンサートホールがない。
そう思って、都会の大学を受けたが、合格したのは近所の大学のみ。
就職は大都会でして、一人暮らしを夢見ていた。
そんなとき起こった大きな地震。
原子力発電所で事故。
やがて避難勧告。
そして避難所へ。
1日で帰れると思っていたら、何ヶ月も帰れない。
父は仕事を失い、 母はノイローゼになり、妹は病気になる。
ようやく許可された一時帰宅も、1時間の制限付き。
荷物を取ってくることしか許可されない。
福島と同じ事態になっていた。
もう他人事ではない。
あかねたちの家族もまた、大きな悲しみの渦に巻き込まれて行く……。
出演:斉藤とも子、橋本わかな、並樹史朗、平沢いずみ
監督:太田隆文
日本語音声英語字幕
「朝日のあたる家」公式サイト
http://asahinoataruie.jp/
映画「朝日のあたる家」予告編
映画監督・太田隆文氏の「原発事故の悲劇を描く映画「朝日のあたる家」監督日記 」 より
なぜ、原発事故の映画を作ったのか?(1)
僕の映画のテーマは、「親子につたえる大切なこと」
今の時代、いろんな問題があり、昔のように簡単に答えが見つからない。
だから、何かの手がかりになるメッセージを、映画を通じて伝えるのが、僕の映画。
「ストロベリーフィールズ」も「青い青い空」も同じ。
そんな中、311が起こり、原発事故が起きた。
興味を持ち、いろいろと調べて行くと、マスコミの伝えない福島の、過酷な状況が見えて来た。
特に、子供たちへの影響が大きい。
チェルノブイリにも行ったが、事故後に、多くの子供が、病気になり死んで行った。
でも、日本では、そこに目を向けず、「安全です。直ちに被害はない」を繰り返す。
なぜ、危険性を認めようとしないのか?
それは、原発ビジネスが儲かるから。
危険性を認めてしまうと、ビジネスができなくなるから。
だから、福島から子供を避難させない。
むしろ、危険な地区に、人々を戻そうとする。
なぜ、原発事故の映画を作ったのか?(2)
確かに、医学の世界ではまだ、放射能の低線被曝の危険性は、完全に証明されてはいない。
が、それを待っていると、何十年もかかる。
その間に、多くの子供たちが病気になり、原因不明として、死を迎えることになる。
ウクライナでは、国を挙げて、その解明に掛かっているが、日本は認めようとしない。
何より、原発ビジネスで儲けたい人がたくさんいる。
これはもう、死の商人と同じ。
危険があるなら、それが可能性が低くても、子供たちを守るべきが大人の役目。
なのに、日本は今、それをせずに、大人たちが金儲けに走っている。
子供たちだけではなく、原発事故は、日本を壊滅させる可能性もあるのに、それを続けようとしている。
多くの人がそれに抗議し、デモが続いていた。
しかし、僕には、それを訴える学術的知識も、
山本太郎さんように、デモの先頭に立ち、情報を発信する知名度も、
上杉隆さんのような、ジャーナリストとして立場もない。
何もできない。
日本人として、子供たちが、数年後にどんどんと病気になる可能性がありながら、何もできない。
いや、できることがある!
事実を元にした、原発事故の映画。
原発事故の悲劇を描いた映画、「朝日のあたる家」
イチゴ農家を営む平田家。
原発事故で避難。
数ヶ月後、ようやく一時帰宅許可。
だが、家に帰るには、防護服を着なければならない。
さらに、帰った家の中は……。
事実を元にしたエピソードは、胸を締め付ける。
完成披露上映は静岡県湖西市で、大盛況!
http://asahinoataruie.jp/wp/?cat=3
原発に反対する奴は、冤罪で葬られる?
こわ?
原発事故の悲劇を描いた映画、「朝日のあたる家」を作ろうと考えたとき、何人かに相談した。
業界の先輩は、こう言った。
「原発映画は、業界ではタブーなんだよ。
そんなもの作ったら、二度と商業映画は撮れなくなるぞ」
これは冗談ではなく、あり得る話だ。
311以前は、原発に批判的な芸能人は、テレビ番組には出られなかった。
発言すると、レギュラーでも降ろされてしまう。
さらに数年遡るが、RCサクショッションの反原発アルバム『カバーズ』、
あれが発売中止にされたのも、同じ構図。
そして、カタギの女友達はこう言う。
「せっかく、太田監督は、素敵な青春映画を何本も撮っているのに、
ここで原発ものなんてとったら、色眼鏡で見られるようになって、イメージが悪くなるから止めてほしい!」
彼女は、原発を、政治活動だと思っているようだ。
が、原発問題は命の問題であり、政治ではない。
カタギの男友達はこういった。
「太田ぁ、そんな映画作ったら殺されるぞ。ある日、東京湾に浮かんでいたなんて、原因不明の事故死で片付けられる.... 止めてくれよ」
ちょっと不安になって、原発関係に詳しい法律家に訊いた。
こう言われる。
「もう、今さら、原発反対者を殺すようなことはしないよ。
ただ、ある種の人たちは、こんな手を使う人もいるので注意した方いい。
満員電車で、突然に、「痴漢です!」とか若い女性に言われて、冤罪で逮捕される。
その種の裁判では、まず勝てないから、痴漢をした犯罪者といわれ、社会的信用を失い、葬られる。
その人が、どんないいことを言おうと、もう誰も耳を傾けなくなる。
ある種の組織が、個人を黙らせるときに使う手なんだ……」
「朝日のあたる家」映画館上映の応援。感謝! [映画館公開に向けて]
映画館交渉が難航している、と書いたら、毎日のように提案を頂くようになった。
「***館での上映はどうですか?」
「**市は**劇場がいいですよ」
「**シアターなら必ず上映してくれます!」
多くの方が、「朝日のあたる家」を応援してくれていることを感じ、本当にありがたい。
心からお礼を伝えたい。
ひとつひとつにお返事はできないが、参考にさせてもらっている。
また、映画館名を上げて、ブログ上で、
「**館はすでに断られています」、と書くのは憚られる。
理由を説明するのも難しい。
館側が、映画を高く評価してくれても、どーしても上映できないとき、
それを名指しで、「駄目でした」と書くべきではない。
理不尽な対応で、拒絶する館もあるが、だからといって、名前を上げて批判するべきではない。
こちらからは見えない、側面もあるはず。
「**館は駄目でした」と書くと、
そこと密接な別の映画館が、交渉前に、「だったらウチもヤメだ」となる可能性もある。
上映拒否が続いていることもあり、ネットでは、慎重に伝えることが大切。
ひとつひとつの提案、問い合わせにはお答えできないが、みなさんの応援、情報は、本当に感謝しています。
これからも応援、お願いします。
日本各地の映画館から上映拒否が続く! [映画館公開に向けて]
映画「朝日のあたる家」、全国の映画館と、交渉を続けている。
原発事故を題材とした映画なので、大手映画館チェーンは上映拒否だと分かっていたが、
原発ドキュメンタリーを上映する、独立系の映画館からも、拒否が続いている。
「最近は、原発映画に客が入らない」
というのが理由らしい。
しかし、湖西市の完成披露上映会では、3千人が来場。
浜松の特別上映でも、満員御礼。
このフェイスブック、ツイッターには、
「どこで上映していますか?」
「**市では上映しますか?」
「**館で上映してほしい」
との連絡が、日本中から、毎日のように来る。
「地元で上映されるときに応援します!」
そう言ってくれる、反原発団体も多い。
さらには、出演者の山本太郎さんが、参議院選に当選。
時に人だ。
彼のファンからも、コメントを多数頂いている。
「映画も応援します!!」
これだけ条件が揃っていることを伝えても、
「だったら、どこかの映画館で大入りになれば、考えます」
との返事。
どこもここも、同じ答え。
何を考えているのか!
憤慨の日々が続いている......。
太田隆文監督インタビュー/「朝日のあたる家」を監督した理由
映画「朝日のあたる家」・太田隆文監督インタビュー(LAのジャパン・フィルム・フェスティバル時)
(上に記した、監督日記の内容と少し重複します)
Q. 太田監督の思いをこの映画に託している、と感じましたが、どうしてこの、重いテーマを映画にしたのでしょうか?
僕の映画のテーマは、「親子につたえる大切なこと」―今の時代、
いろんな問題があり、昔のように簡単に答えが見つからない。
だから、何かの手がかりになるメッセージを、映画を通じて伝えたかったのです。
前作の「ストロベリーフィールズ」も「青い青い空」も同じ―。
そんな中、3.11が起こり、あの原発事故です。
興味を持ち、いろいろと調べて行くと、マスコミの伝えない過酷な状況、
特に、子供たちへの影響が大きいことが見えてきました。
チェルノブイリにも取材に行きましたが、事故後に多くの子供たちが病気になり、死んでいきました。
日本では、そこに目を向けずに、「安全です。直ちに被害はない」を繰り返しています。
なぜ、危険性を認めようとしないのか?
そこに疑問を持ちました。
Q. 政府や関係者が、危険性をひた隠しにしている訳は?
それは、原発ビジネスが儲かるから。
危険性を認めてしまうと、ビジネスが今まで通りできなくなるからです。
だから、福島から子供たちを避難させないー。
むしろ、危険な地区に戻そうとします。
確かに、医学の世界では、まだ、放射能の低線被曝の危険性は、完全に証明されてはいないのですが、
それを待っていると、何十年もかかる。
その間に、多くの子供たちが病気になり、原因不明として死を迎えることになる。
ウクライナでは国をあげて、その解明に掛かっていますが、日本はまだ認めようとしません。
何より、原発ビジネスで儲けたい人が、今も沢山います。
でも、危険性が少しでもあるのなら、まず子供たちを守るべき。
それが大人の役目です。
なのに、日本は今もそれをせずに、一部の大人たちが金儲けに走っているのです。
Q. いろいろと、原発の恐ろしさを発信する方法があると思うのですが、なぜ映画ですか?
子供たちだけではなく、原発事故は、日本を壊滅させる可能性もあるのに、将来的にも原発を続けようとしています。
多くの人が抗議デモに参加、原発反対を表明する文化人もたくさんいます。
僕も何かできないか?と思いましたが、
訴えるべき学術的知識も、
今回の映画「朝日のあたる家」に出演してくれた山本太郎さんのように、デモの先頭に立ち、情報を発信する知名度も、
上杉隆さんのような、ジャーナリストとして立場もありません。
でも、日本人として、子供たちが、数年後にどんどん病気になる可能性がありながら、何もできなかったではすまされない!
何かできることは……と考えて、「映画を作ればいいんだ!」と気づきました。
僕のテーマは、「親子に伝える大切なこと」。
今こそ、それを貫く時期ではないか?
これを伝えずして、映画監督でい続けることはできない。
ここで沈黙を決めて、真実を知らない振りして映画を撮り続けたら、どんなに後悔するか?
もう、「親子に伝える映画」なんて、二度と口に出来なくなる。
だから、「作らねば!」と思ったのです。
Q. 幸せとは?大事なこととは何でしょうか?
僕のテーマ「親子に伝える大切なこと」を突き詰めると、
「人の幸せとは何か?」、という問題に突きあたります。
幸せとは何か?
お金持ちになること?
有名になること?
大きな家に住むこと?
日本人は戦後、アメリカのようになることが幸せだと思い、
「お金」と「物」をたくさん手に入れることこそ、幸せだと信じて生きてきました。
そしてバブル時代に、その両方を手に入れた。
でも、「幸せ」だと感じる人が、どれだけいたでしょうか?
むしろ空しい、大切な物をどこかで失った、喪失感が漂っていました。
戦後、日本人が、「お金」と「物」に走り出したときに、捨ててしまったものこそが、
一番大切なものだったのではないか……。
そう、大切なのは「お金」ではなく、人の「絆」だったのではないか?、と思えるのです。
Q.「朝日のあたる家」を作った目的
人が本当に大事なものを知るのは、実は「不幸」に出会ったとき。
戦争に直面して、命の大切さを痛感する。
悲しいけど、それが人……。
その意味で、原発事故というのは、戦争を越える究極の不幸。
戦争は、降参すれば終わるが、放射能は降参しても、何万年も放射線を出し、人々を苦しませます。
そんな原発事故を見つめることで、奪われた家、引き裂かれた家族、バラバラになったクラスメート。
そんな別れと悲しみの状況を見つめることで、本当に大切なことが見えてくるのではないか?と思いました。
子供を思う親がいる。
自分を心配してくれる友達がいる。
辛いときに助けてくれる兄弟姉妹がいる。
金持ちでなくても、大きな家に住めなくても、
その「絆」こそが、「幸せ」というものではないか?
あたりまえの日常にこそ、「幸福」は存在する。
だからこそ、悲惨な原発事故の物語を描くことで、
それをリアルに伝えられるのではないか?、と考えたのです。
↑以上、転載おわり
わたしは戦争の、巨大地震の、巨大津波の、重大な原発事故の、直接的な被害を受けたことがない人間。
そやから、それらが突如襲いかかってきた時の、とてつもない恐怖と痛みと苦しさは、
なにかを読んで、なにかを観て、人の口から直接聞いて、想像し、自分のことのように感じるしかない。
けど、いくら自分のことのように、とがんばってみても、それはやっぱり自分のことではなく、
そもそもそういう態度が、かえって当事者の人たちの気に障ったり、傷つけたりしてしまうこともある。
あんたは安全なとこで、ぬくぬくと暮らしてるくせに。
時々、そんな言葉を投げつけられる。
事実、今のわたしの周りは、とりあえず安全で、しかもぬくぬくと暮らしてる。
子どもの頃のように、同じ屋根の下で、チンピラと愛人に、セクハラまがいのいやがらせを受けんでもいいし、
自分の父親と母親が、裁断ハサミを手に罵り合うてるのを、震えながら聞いてんでもええし、
ティーンの頃のように、事故の後遺症に苦しめられたり、死を宣告されたり、やくざに追い回されたりせんでもいい。
未成年の時に一回、それから、大人になってからもう一回、
それまでに生き得てきたすべてのことをまるまる残したまんま、人生をリセットした。
未成年の時は、親が招いた事情で、大人になってからは、自分が長い長い年月をかけて考えた結果で。
自分の身にもし、原発事故がふりかかってきたらどうするやろ……。
今までに何回考えてきたか。
多分わたしは、やっぱりまた、それまでに生き得てきたすべてのことをまるまる残したまんま、
人生をリセットするやろと思う。
そのことで、少なくない数の人を怒らせ、悲しませ、苦しませることになっても、
その人たちの頭の上で、あぐらをかいて生きるような、無神経な人間やと思われても、
やっぱりわたしは、大切な自分と自分の家族をまず、心配し、助けたいと思う。
そうやって、ひとつひとつの命が、愛され、守られ、助けられることで、
国という集合体に暮らす人々の命が、輝いてくるのとちゃうやろか。
人を愛するには、守るには、助けるには、
まずその、自分が置かれた状況をしっかりと見、騙そうとしている者の罠から身を遠ざけなあかん。
そのためにも、騙されるな!気づけ!と訴えてくれてる人の声を、無視せず、まず聞いてみてほしい。
その上で、自分はどうするか、どうしたいか、どうするのがいいか、
そのことについて、自分自身の心の内に問いかけてみてほしい。
たいそうなことをせんでもええねん。
たとえばこの、映画の上映を願うことでもいい。
上映されてるとこを調べて、行ってみるのでもいい。
なにかの勉強会に行くのでもいい。
集会やデモの端っこやしっぽの方で、ちょっと立って見てみるのもいい。
ツィッターやLINEやFacebookで、ぼそぼそっとつぶやいてみるのもいい。
みんなのやりやすいようなことを、ちょっと試しにやってみてほしい。
そしたらきっと、なぁ~んや、別にそんなたいそうなことやないな……と思うと思うよ。
あたりまえの日常、とりあえず食べたり働いたり寝たりできること、
これが、どれほどの奇跡と幸運によって与えられてるものか、
それを痛感するような辛い瞬間を、自ら招いてしまうようなことにならんように。