ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

原発事故の悲劇を描いた映画は「客が入らんから」と、上映を拒否するクソったれな日本の映画館!

2013年08月01日 | 日本とわたし
えちごやさんのブログ『とべないポスト』に、この映画が紹介されていました。
この映画のことは、前から気になっていました。
さあ、上映開始、という段になって突如、全国の映画館から上映拒否をされたといううわさを聞き、余計に気になってきました。

なぜこの映画が、上映禁止にならなければならないのか。

そのことを、わたしたちが、自分の頭で考えないといけません。

↓以下、転載はじめ

原発事故の悲劇を描いた映画「朝日のあたる家」ご紹介



原発事故の悲劇を描いた、太田隆文監督作品である。
ストーリーはまさに、福島事故後の被災者家族を描いている、といえるものだ。

この映画の上映が、各地で拒否されているという。

「原発映画に客が入らない」のが理由とか。

どなたかの顔色をうかがう自粛の臭いがしてならないのだが、
ニホン社会の文化水準を考えるとき、あながちいいわけでもないだろうとも思う。

上映を中止させる、ある筋の圧力もあるかもしれない。
体制になびこうとするニホン社会の、危険な側面もあるかもしれない。

では、それらがまったくなかったなら、映画館は盛況になるだろうか。

社会全体の問題意識の低さを思うとき、私は悲観的にならざるを得ない。
日本映画の最高傑作、黒澤 明の「どですかでん」を理解できない大衆が相手では、
この映画も、商業的に成功するとは思えない。

「いいもの」を商業ベースに乗せるには、意識水準が高まるのを待つしかない。(この国では当分は無理)
「いいもの」を世に送り出す工夫をしなければ、文化水準は下がるしかない。

企業や自治体、各種サークル等のスポンサーをみつけることや、
サポーター支援、ネットの有料配信も検討されてよい。
配信態勢の流すものだけに甘んじていては、私たちはマイルドコントロールされてしまう。


『朝日のあたる家』"The House of Rising Sun"

あらすじ

静岡県、湖西市。
自然に囲まれた美しい町。
そんな町に住む平田一家。

お父さん(並樹史朗)は農業、お母さん(斉藤とも子)は主婦。
長女(平沢いずみ)は大学生、妹(橋本わかな)は中学生。
日本中、どこにでもいる平凡な家族。

ただ、長女のあかねだけは、この町が好きではなかった。
大きなショッピングセンターがない。
映画館やコンサートホールがない。
そう思って、都会の大学を受けたが、合格したのは近所の大学のみ。
就職は大都会でして、一人暮らしを夢見ていた。

そんなとき起こった大きな地震。
原子力発電所で事故。
やがて避難勧告。

そして避難所へ。
1日で帰れると思っていたら、何ヶ月も帰れない。
父は仕事を失い、 母はノイローゼになり、妹は病気になる。

ようやく許可された一時帰宅も、1時間の制限付き。
荷物を取ってくることしか許可されない。
福島と同じ事態になっていた。

もう他人事ではない。
あかねたちの家族もまた、大きな悲しみの渦に巻き込まれて行く……。

出演:斉藤とも子、橋本わかな、並樹史朗、平沢いずみ
監督:太田隆文
日本語音声英語字幕


「朝日のあたる家」公式サイト
http://asahinoataruie.jp/



映画「朝日のあたる家」予告編






映画監督・太田隆文氏の「原発事故の悲劇を描く映画「朝日のあたる家」監督日記 」 より

なぜ、原発事故の映画を作ったのか?(1)

僕の映画のテーマは、「親子につたえる大切なこと」

今の時代、いろんな問題があり、昔のように簡単に答えが見つからない。
だから、何かの手がかりになるメッセージを、映画を通じて伝えるのが、僕の映画。

「ストロベリーフィールズ」も「青い青い空」も同じ。

そんな中、311が起こり、原発事故が起きた。
興味を持ち、いろいろと調べて行くと、マスコミの伝えない福島の、過酷な状況が見えて来た。

特に、子供たちへの影響が大きい。
チェルノブイリにも行ったが、事故後に、多くの子供が、病気になり死んで行った。

でも、日本では、そこに目を向けず、「安全です。直ちに被害はない」を繰り返す。

なぜ、危険性を認めようとしないのか?
それは、原発ビジネスが儲かるから。
危険性を認めてしまうと、ビジネスができなくなるから。

だから、福島から子供を避難させない。
むしろ、危険な地区に、人々を戻そうとする。


なぜ、原発事故の映画を作ったのか?(2)

確かに、医学の世界ではまだ、放射能の低線被曝の危険性は、完全に証明されてはいない。
が、それを待っていると、何十年もかかる。
その間に、多くの子供たちが病気になり、原因不明として、死を迎えることになる。

ウクライナでは、国を挙げて、その解明に掛かっているが、日本は認めようとしない。

何より、原発ビジネスで儲けたい人がたくさんいる。
これはもう、死の商人と同じ。

危険があるなら、それが可能性が低くても、子供たちを守るべきが大人の役目。

なのに、日本は今、それをせずに、大人たちが金儲けに走っている。
子供たちだけではなく、原発事故は、日本を壊滅させる可能性もあるのに、それを続けようとしている。

多くの人がそれに抗議し、デモが続いていた。

しかし、僕には、それを訴える学術的知識も、
山本太郎さんように、デモの先頭に立ち、情報を発信する知名度も、
上杉隆さんのような、ジャーナリストとして立場もない。

何もできない。

日本人として、子供たちが、数年後にどんどんと病気になる可能性がありながら、何もできない。
いや、できることがある!

事実を元にした、原発事故の映画。
原発事故の悲劇を描いた映画、「朝日のあたる家」
イチゴ農家を営む平田家。
原発事故で避難。
数ヶ月後、ようやく一時帰宅許可。
だが、家に帰るには、防護服を着なければならない。

さらに、帰った家の中は……。

事実を元にしたエピソードは、胸を締め付ける。

完成披露上映は静岡県湖西市で、大盛況!
http://asahinoataruie.jp/wp/?cat=3

原発に反対する奴は、冤罪で葬られる?
こわ?


原発事故の悲劇を描いた映画、「朝日のあたる家」を作ろうと考えたとき、何人かに相談した。

業界の先輩は、こう言った。

「原発映画は、業界ではタブーなんだよ。
そんなもの作ったら、二度と商業映画は撮れなくなるぞ」

これは冗談ではなく、あり得る話だ。

311以前は、原発に批判的な芸能人は、テレビ番組には出られなかった。
発言すると、レギュラーでも降ろされてしまう。

さらに数年遡るが、RCサクショッションの反原発アルバム『カバーズ』、
あれが発売中止にされたのも、同じ構図。

そして、カタギの女友達はこう言う。

「せっかく、太田監督は、素敵な青春映画を何本も撮っているのに、
ここで原発ものなんてとったら、色眼鏡で見られるようになって、イメージが悪くなるから止めてほしい!」

彼女は、原発を、政治活動だと思っているようだ。
が、原発問題は命の問題であり、政治ではない。

カタギの男友達はこういった。

「太田ぁ、そんな映画作ったら殺されるぞ。ある日、東京湾に浮かんでいたなんて、原因不明の事故死で片付けられる.... 止めてくれよ」

ちょっと不安になって、原発関係に詳しい法律家に訊いた。
こう言われる。

「もう、今さら、原発反対者を殺すようなことはしないよ。
ただ、ある種の人たちは、こんな手を使う人もいるので注意した方いい。
満員電車で、突然に、「痴漢です!」とか若い女性に言われて、冤罪で逮捕される。
その種の裁判では、まず勝てないから、痴漢をした犯罪者といわれ、社会的信用を失い、葬られる。
その人が、どんないいことを言おうと、もう誰も耳を傾けなくなる。
ある種の組織が、個人を黙らせるときに使う手なんだ……」


「朝日のあたる家」映画館上映の応援。感謝! [映画館公開に向けて]

映画館交渉が難航している、と書いたら、毎日のように提案を頂くようになった。

「***館での上映はどうですか?」
「**市は**劇場がいいですよ」
「**シアターなら必ず上映してくれます!」

多くの方が、「朝日のあたる家」を応援してくれていることを感じ、本当にありがたい。
心からお礼を伝えたい。

ひとつひとつにお返事はできないが、参考にさせてもらっている。

また、映画館名を上げて、ブログ上で、
「**館はすでに断られています」、と書くのは憚られる。
理由を説明するのも難しい。

館側が、映画を高く評価してくれても、どーしても上映できないとき、
それを名指しで、「駄目でした」と書くべきではない。

理不尽な対応で、拒絶する館もあるが、だからといって、名前を上げて批判するべきではない。
こちらからは見えない、側面もあるはず。

「**館は駄目でした」と書くと、
そこと密接な別の映画館が、交渉前に、「だったらウチもヤメだ」となる可能性もある。

上映拒否が続いていることもあり、ネットでは、慎重に伝えることが大切。 

ひとつひとつの提案、問い合わせにはお答えできないが、みなさんの応援、情報は、本当に感謝しています。
これからも応援、お願いします。


日本各地の映画館から上映拒否が続く! [映画館公開に向けて]

映画「朝日のあたる家」、全国の映画館と、交渉を続けている。

原発事故を題材とした映画なので、大手映画館チェーンは上映拒否だと分かっていたが、
原発ドキュメンタリーを上映する、独立系の映画館からも、拒否が続いている。

「最近は、原発映画に客が入らない」
というのが理由らしい。

しかし、湖西市の完成披露上映会では、3千人が来場。
浜松の特別上映でも、満員御礼。

このフェイスブック、ツイッターには、
「どこで上映していますか?」
「**市では上映しますか?」
「**館で上映してほしい」
との連絡が、日本中から、毎日のように来る。

「地元で上映されるときに応援します!」
そう言ってくれる、反原発団体も多い。

さらには、出演者の山本太郎さんが、参議院選に当選。
時に人だ。
彼のファンからも、コメントを多数頂いている。

「映画も応援します!!」

これだけ条件が揃っていることを伝えても、
「だったら、どこかの映画館で大入りになれば、考えます」
との返事。
どこもここも、同じ答え。

何を考えているのか!
憤慨の日々が続いている......。


太田隆文監督インタビュー/「朝日のあたる家」を監督した理由

映画「朝日のあたる家」・太田隆文監督インタビュー(LAのジャパン・フィルム・フェスティバル時)
(上に記した、監督日記の内容と少し重複します)

Q. 太田監督の思いをこの映画に託している、と感じましたが、どうしてこの、重いテーマを映画にしたのでしょうか?

僕の映画のテーマは、「親子につたえる大切なこと」―今の時代、
いろんな問題があり、昔のように簡単に答えが見つからない。

だから、何かの手がかりになるメッセージを、映画を通じて伝えたかったのです。
前作の「ストロベリーフィールズ」も「青い青い空」も同じ―。

そんな中、3.11が起こり、あの原発事故です。

興味を持ち、いろいろと調べて行くと、マスコミの伝えない過酷な状況、
特に、子供たちへの影響が大きいことが見えてきました。

チェルノブイリにも取材に行きましたが、事故後に多くの子供たちが病気になり、死んでいきました。
日本では、そこに目を向けずに、「安全です。直ちに被害はない」を繰り返しています。
なぜ、危険性を認めようとしないのか? 
そこに疑問を持ちました。


Q. 政府や関係者が、危険性をひた隠しにしている訳は?

それは、原発ビジネスが儲かるから。
危険性を認めてしまうと、ビジネスが今まで通りできなくなるからです。

だから、福島から子供たちを避難させないー。
むしろ、危険な地区に戻そうとします。

確かに、医学の世界では、まだ、放射能の低線被曝の危険性は、完全に証明されてはいないのですが、
それを待っていると、何十年もかかる。
その間に、多くの子供たちが病気になり、原因不明として死を迎えることになる。

ウクライナでは国をあげて、その解明に掛かっていますが、日本はまだ認めようとしません。

何より、原発ビジネスで儲けたい人が、今も沢山います。
でも、危険性が少しでもあるのなら、まず子供たちを守るべき。
それが大人の役目です。

なのに、日本は今もそれをせずに、一部の大人たちが金儲けに走っているのです。


Q. いろいろと、原発の恐ろしさを発信する方法があると思うのですが、なぜ映画ですか?

子供たちだけではなく、原発事故は、日本を壊滅させる可能性もあるのに、将来的にも原発を続けようとしています。
多くの人が抗議デモに参加、原発反対を表明する文化人もたくさんいます。

僕も何かできないか?と思いましたが、
訴えるべき学術的知識も、
今回の映画「朝日のあたる家」に出演してくれた山本太郎さんのように、デモの先頭に立ち、情報を発信する知名度も、
上杉隆さんのような、ジャーナリストとして立場もありません。

でも、日本人として、子供たちが、数年後にどんどん病気になる可能性がありながら、何もできなかったではすまされない! 
何かできることは……と考えて、「映画を作ればいいんだ!」と気づきました。

僕のテーマは、「親子に伝える大切なこと」。

今こそ、それを貫く時期ではないか?
これを伝えずして、映画監督でい続けることはできない。
ここで沈黙を決めて、真実を知らない振りして映画を撮り続けたら、どんなに後悔するか?
もう、「親子に伝える映画」なんて、二度と口に出来なくなる。
だから、「作らねば!」と思ったのです。


Q. 幸せとは?大事なこととは何でしょうか?

僕のテーマ「親子に伝える大切なこと」を突き詰めると、
「人の幸せとは何か?」、という問題に突きあたります。

幸せとは何か?
お金持ちになること?
有名になること?
大きな家に住むこと?

日本人は戦後、アメリカのようになることが幸せだと思い、
「お金」と「物」をたくさん手に入れることこそ、幸せだと信じて生きてきました。
そしてバブル時代に、その両方を手に入れた。
でも、「幸せ」だと感じる人が、どれだけいたでしょうか? 

むしろ空しい、大切な物をどこかで失った、喪失感が漂っていました。
戦後、日本人が、「お金」と「物」に走り出したときに、捨ててしまったものこそが、
一番大切なものだったのではないか……。

そう、大切なのは「お金」ではなく、人の「絆」だったのではないか?、と思えるのです。


Q.「朝日のあたる家」を作った目的

人が本当に大事なものを知るのは、実は「不幸」に出会ったとき。
戦争に直面して、命の大切さを痛感する。
悲しいけど、それが人……。

その意味で、原発事故というのは、戦争を越える究極の不幸。
戦争は、降参すれば終わるが、放射能は降参しても、何万年も放射線を出し、人々を苦しませます。
そんな原発事故を見つめることで、奪われた家、引き裂かれた家族、バラバラになったクラスメート。
そんな別れと悲しみの状況を見つめることで、本当に大切なことが見えてくるのではないか?と思いました。

子供を思う親がいる。
自分を心配してくれる友達がいる。
辛いときに助けてくれる兄弟姉妹がいる。

金持ちでなくても、大きな家に住めなくても、
その「絆」こそが、「幸せ」というものではないか? 
あたりまえの日常にこそ、「幸福」は存在する。

だからこそ、悲惨な原発事故の物語を描くことで、
それをリアルに伝えられるのではないか?、と考えたのです。


↑以上、転載おわり


わたしは戦争の、巨大地震の、巨大津波の、重大な原発事故の、直接的な被害を受けたことがない人間。
そやから、それらが突如襲いかかってきた時の、とてつもない恐怖と痛みと苦しさは、
なにかを読んで、なにかを観て、人の口から直接聞いて、想像し、自分のことのように感じるしかない。
けど、いくら自分のことのように、とがんばってみても、それはやっぱり自分のことではなく、
そもそもそういう態度が、かえって当事者の人たちの気に障ったり、傷つけたりしてしまうこともある。

あんたは安全なとこで、ぬくぬくと暮らしてるくせに。

時々、そんな言葉を投げつけられる。
事実、今のわたしの周りは、とりあえず安全で、しかもぬくぬくと暮らしてる。
子どもの頃のように、同じ屋根の下で、チンピラと愛人に、セクハラまがいのいやがらせを受けんでもいいし、
自分の父親と母親が、裁断ハサミを手に罵り合うてるのを、震えながら聞いてんでもええし、
ティーンの頃のように、事故の後遺症に苦しめられたり、死を宣告されたり、やくざに追い回されたりせんでもいい。

未成年の時に一回、それから、大人になってからもう一回、
それまでに生き得てきたすべてのことをまるまる残したまんま、人生をリセットした。
未成年の時は、親が招いた事情で、大人になってからは、自分が長い長い年月をかけて考えた結果で。

自分の身にもし、原発事故がふりかかってきたらどうするやろ……。
今までに何回考えてきたか。
多分わたしは、やっぱりまた、それまでに生き得てきたすべてのことをまるまる残したまんま、
人生をリセットするやろと思う。
そのことで、少なくない数の人を怒らせ、悲しませ、苦しませることになっても、
その人たちの頭の上で、あぐらをかいて生きるような、無神経な人間やと思われても、
やっぱりわたしは、大切な自分と自分の家族をまず、心配し、助けたいと思う。
そうやって、ひとつひとつの命が、愛され、守られ、助けられることで、
国という集合体に暮らす人々の命が、輝いてくるのとちゃうやろか。

人を愛するには、守るには、助けるには、
まずその、自分が置かれた状況をしっかりと見、騙そうとしている者の罠から身を遠ざけなあかん。
そのためにも、騙されるな!気づけ!と訴えてくれてる人の声を、無視せず、まず聞いてみてほしい。
その上で、自分はどうするか、どうしたいか、どうするのがいいか、
そのことについて、自分自身の心の内に問いかけてみてほしい。

たいそうなことをせんでもええねん。
たとえばこの、映画の上映を願うことでもいい。
上映されてるとこを調べて、行ってみるのでもいい。
なにかの勉強会に行くのでもいい。
集会やデモの端っこやしっぽの方で、ちょっと立って見てみるのもいい。
ツィッターやLINEやFacebookで、ぼそぼそっとつぶやいてみるのもいい。

みんなのやりやすいようなことを、ちょっと試しにやってみてほしい。
そしたらきっと、なぁ~んや、別にそんなたいそうなことやないな……と思うと思うよ。

あたりまえの日常、とりあえず食べたり働いたり寝たりできること、
これが、どれほどの奇跡と幸運によって与えられてるものか、
それを痛感するような辛い瞬間を、自ら招いてしまうようなことにならんように。
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家畜的な盲従に自己の一切を委ねてしまった国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任が悪の本体

2013年08月01日 | 日本とわたし
戦争責任者の問題

伊丹万作(故伊丹十三氏の父)

最近、自由映画人連盟の人たちが、映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、
主唱者の中には、私の名前もまじつている、ということを聞いた。
それがいつ、どのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、
それを見た人たちが、私のところに来て、あれはほんとうに君の意見か、ときくようになつた。
 
そこで、この機会に、この問題に対する、私のほんとうの意見を述べて、立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、
実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。
考えれば考えるほどわからなくなる。
そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて、意見のかわりにしたいと思う。
 
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていた、という。
みながみな、口を揃えて、だまされていたという。
私の知つている範囲では、おれがだましたのだといつた人間は、まだ一人もいない。

ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。

多くの人は、だましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしている、
と思つているようであるが、それが実は、錯覚らしいのである。

たとえば、民間のものは、軍や官にだまされた、と思つているが、
軍や官の中へはいれば、みな上のほうをさして、上からだまされた、というだろう。
上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされた、というにきまつている。
すると、最後には、たつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、
いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で、一億の人間がだませるわけのものではない。
 
すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりも、はるかに多かつたにちがいないのである。

しかもそれは、「だまし」の専門家と、「だまされ」の専門家とに、劃然と分れていたわけではなく、
いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が、別のだれかをつかまえてだます、
というようなことを、際限なくくりかえしていたので、
つまり、日本人全体が夢中になつて、互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
 
このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、
さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織が、
いかに熱心に、かつ自発的に、だます側に協力していたかを思い出してみれば、直ぐにわかることである。
 
たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ、門から一歩も出られないような、
こつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ、国民自身だつたのである。

私のような病人は、ついに一度も、あの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、
たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、
たちまち、国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、
親愛なる同胞諸君であつたことを、私は忘れない。

もともと、服装は、実用的要求に、幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。
しかるに、我が同胞諸君は、服装をもつて、唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、
そうでなかつたら、思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑として、それを愛用したのであろう。
そして、たまたま、服装をその本来の意味に扱つている人間を見ると、
彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、
自分の立場の保鞏(ほきよう)に、つとめていたのであろう。
 
少なくとも、戦争の期間をつうじて、
だれが一番直接に、そして連続的に、我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、
だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、
直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、
あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や、雇員や労働者であり、
あるいは学校の先生であり、といつたように、
我々が、日常的な生活を営むうえにおいて、いやでも接触しなければならない、
あらゆる身近な人々であつたということは、いつたい何を意味するのであろうか。
 
いうまでもなく、これは、無計画な癲狂戦争の必然の結果として、
国民同士が、相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に、追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。
そして、もしも諸君が、この見解の正しさを承認するならば、
同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が、相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、
等しく承認されるにちがいないと思う。
 
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として、
自分だけは人をだまさなかつた、と信じているのではないかと思う。
 
そこで私は、試みに、諸君にきいてみたい。

「諸君は戦争中、ただの一度も、自分の子にうそをつかなかつたか」と。

たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度も、まちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親が、はたしているだろうか。
 
いたいけな子供たちは、何もいいはしないが、もしも彼らが、批判の眼を持つていたとしたら、
彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず、戦争責任者に見えるにちがいないのである。
 
もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
 
しかし、このような考え方は、戦争中にだました人間の範囲を、思考の中で、実際の必要以上に拡張しすぎているのではないか、という疑いが起る。
 
ここで私は、その疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最少限にみつもつたら、どういう結果になるかを考えてみたい。
 
もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、
はたして、それによつて、だまされたものの責任が解消するであろうか。
 
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、
しかし、だまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも、決して書いてはないのである。
だまされた、とさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、
もう一度、よく顔を洗い直さなければならぬ。
 
しかも、だまされたもの、必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、
私はさらに進んで、「だまされるということ自体が、すでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 
だまされるということは、もちろん知識の不足からもくるが、
半分は、信念、すなわち意志の薄弱からくるのである。

我々は昔から、「不明を謝す」という、一つの表現を持つている。
これは明らかに、知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。
つまり、だまされるということもまた、一つの罪であり、昔から、決していばつていいこととは、されていないのである。
 
もちろん、純理念としては、知の問題は知の問題として終始すべきであつて、
そこに、善悪の観念の交叉する余地はないはずである。
しかし、有機的生活体としての人間の行動を、純理的に分析することは、まず不可能といつてよい。
すなわち、知の問題も、人間の行動と結びついた瞬間に、意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。
これが、「不明」という知的現象に、善悪の批判が介在し得るゆえんである。
 
また、もう一つ別の見方から考えると、
いくらだますものがいても、だれ一人だまされるものがなかつたとしたら、
今度のような戦争は、成り立たなかつたにちがいないのである。
 
つまり、だますものだけでは戦争は起らない。
だますものとだまされるものとがそろわなければ、戦争は起らないということになると、
戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)、当然、両方にあるものと考えるほかはないのである。
 
そして、だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、
あんなにも造作なくだまされるほど、批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、
家畜的な盲従に、自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた、
国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが、悪の本体なのである。
 
このことは、過去の日本が、外国の力なしには、封建制度も、鎖国制度も、独力で打破することができなかつた事実、
個人の基本的人権さえも、自力でつかみ得なかつた事実と、まつたくその本質を等しくするものである。
 
そしてこのことはまた、同時に、あのような専横と圧制を、支配者にゆるした国民の、奴隷根性とも密接につながるものである。
 
それは、少なくとも、個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち、自我の放棄であり、人間性への裏切りである。
また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
 
我々は、はからずも、いま、政治的には一応解放された。
しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を、軍や警察や官僚にのみ負担させて、
彼らの跳梁を許した自分たちの罪を、真剣に反省しなかつたならば、
日本の国民というものは、永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ、便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の、安易きわまる態度を見るとき、
私は、日本国民の将来に対して、暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も、何度でもだまされるだろう。
いや、現在でもすでに、別のうそによつて、だまされ始めているにちがいないのである。
 
一度だまされたら、二度とだまされまいとする、真剣な自己反省と努力がなければ、人間が進歩するわけはない。
この意味から、戦犯者の追求ということも、むろん重要ではあるが、
それ以上に、現在の日本に必要なことは、まず国民全体が、だまされたということの意味を本当に理解し、
だまされるような脆弱(せいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。


以下、省略。

(四月二十八日)
(『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)

底本:「新装版 伊丹万作全集1」筑摩書房
   1961(昭和36)年7月10日初版発行
   1982(昭和57)年5月25日3版発行
初出:「映画春秋 創刊号」
   1946(昭和21)年8月
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初とうもろこしと、瞑想するネコと、巣作りするリスと

2013年08月01日 | ひとりごと
畑からの初トウモロコシ!


ああ、こんなことをしてるうちにも、鮮度は落ちてるはず……もったいないもったいない!
などと、いっちょまえの園芸家みたいに焦ったりしながら、やっぱりこれだけは記念に。

キラキラ光る黄色いつぶつぶ!


いやでも、チビやし……けど、めっちゃ愛おしい♡
とりあえず、水から茹でてみた。
ほんでもって食べてみた。
甘味がそれほど濃くないけど、やっぱ新鮮!
お日様、どうもありがとう!


その夜、月明かりの下で、玄関の網戸ドアのむこうから入ってくる外の空気を、それはそれは美味しそうに、くんくん嗅いでる家猫。


5分ぐらい、じっとここで座ってた。



そして翌日の夕方、夕飯を食べてる最中に、ギョギョっと外を見つめる旦那。
立ち上がり、勝手口から外に出て、はるか彼方の空を見上げてる。

どうやら、カエデ爺さんのてっぺんの枝の先っちょで、誰かが何かをやってるらしい。


よくよく見ると、葉っぱがモサモサ、普通ではない動きをしてる。
う~ん、鳥か?それともリスか?

あ、やっぱリスくん!


近くの枝に移動しては、必死で葉を食いちぎってる。


それを食わえて、枝の先端に運び……なるほど、巣を作ってるんやね。


また戻り、


真ん中の、ちょっとふくらんでるとこが多分、巣……。


欲張っていっぱい食わえてるので、こんなふうに、何本かが上から落ちてくる。旦那はそれを目の端っこに捉えたらしい。


それにしても……どんだけ高いかっていうと、3階建てのうちの屋根よりも、まだまだ上に伸びてる爺さんの、そのまたいっちゃんてっぺん。
あ、また落ちてきた。


赤ちゃん、大丈夫かなあ……。
でも、またうちの、煙突の中に作られたら困るからなあ……。
コメント (2)
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