晴さんが連れてってくれた官邸前のデモ(1/10/2014)の最中に、手渡してもらった用紙より
一陽来復
陰の極まる冬至には、陽の気がひとつ、すでにまた巡り来ている。
人の世でも、悪い事の重なった後、必ず善い事がやってくる。
『来福』は、幸福願う掛け詞。
福島、沖縄の人々と分かちあう、本物の幸福を招く合い言葉は、
あけましてあべだとう
2011年9月11日から始まった、泊まり込みの経産省前テント。
ヒバク被害に人も獣もない。
スズメの座り込みも増えて、3度目の越冬が始まってます。
テント裁判での私の陳述書。
自己紹介&近況報告&念頭抱負にかえて、テント仲間・デモ仲間・この世で縁ある全ての皆様への恭賀の辞として、お受け取り願います。
(今年からしばらく年賀状はお休みします)。
自分でウンザリするほど文章がダメなので、それでも伝えたい希望の灯、人としての義侠の道に生きる、名も無き仲間たちの姿を、映像でお知らせしてきました。
国会はファシストに占領され、廃墟と化しましたが、民衆自身の運動は成長を続けています。
また、DVDでお伝えしますが、私がその一人、あなたがその一人、今年も共に歩みましょう!
2014年・正月 S.
2013年9月11日
陳述書
東京地方裁判所
民事第37部
御中
平成25年(ワ)第8000号事件に於いて撤去が請求されている、経産省前脱原発テントと私の関係について、以下のとおり陳述します。
住所 東京都新宿区
氏名 澤田
記
私は、経産省前テントに2011年の当初から参加している男性です。
福島に『東京原発』を押しつけてきた東京都民であり、幾世代もの子々孫々にヒバクを強い、核のゴミを残す日本国民であり、
草や木や虫や鳥や牛や魚や、生きとし生けるものの世界を汚染させてしまった人類の一人です。
自分と社会との関わりを問い、自身の加害者性に気づき、大人としての責任を果たそうとして、経産省の前に2年間も座り続ける人々こそ、日本の良心であり、民主主義の実践者たちです。
原発推進の司令塔である経産省は、その安全管理の責任官庁でした。
福島原発事故の加害者である経産省が、被害者である私たち国民に対して、訴訟を起こしました。
『土地明け渡し』という形式的な口実と、個人2名に巨額の金銭を請求することで、脱原発=民の声を封じ込めようとする経産省の姿勢には、原発事故責任の反省の欠片もありません。
だからこそ、脱原発テントは、他のどこでもなく、経産省のど真ん前になければならないのです。
2011年9月11日以来、経産省の一角、それほど広くもない国有地が、国民の共有地として生き生きと活用され、
創意工夫して飾り付けされたテントの前をちょっと行き交うだけでも、人の心は温まります。
テントは、誰を傷つけることもなく、歩道を含めてこまめに清掃され、全国から訪れる老若男女が語り合い、知恵を出し合って、能動的な世論の形成に寄与しています。
裁判所に働く皆さんも、目と鼻の先のご近所なのですから、ぜひお立ち寄りください。
実際、経産省の人をはじめ、各省庁にお務めの方々も、通りすがりに声をかけてくれます。
核とヒバクという問題は、右も左も、人も獣もない問題で、最近は、雀の母子も座り込みに加わっています。
2012年3月までの半年ほど、自営業であった私は、3日に1度は時間をつくってテントを訪れ、座り込みに参加し、その様子をビデオに撮って友人に知らせたりしていました。
運営や泊まり込みの役割分担を引き受ける余力はなくて、野次馬のような参加ですが、
各々が自分にできることを自主的にする、その集積が、脱原発テント広場であり、私も間違いなく、当裁判の当事者としての権利を有しています。
テントでは、福島の原発被災者のお話を、直接に具体的に伺うことができました。
世界中から訪れる人々と意見を交換することも、貴重な体験です。
万人に開かれた〈ひろば〉が、24時間オープンされているから可能なのです。
時には、原発賛成の人も来ます。
その中には、騒ぎを起こすことだけが目的らしく、はじめから対話を拒み、暴力と破壊行為に終始する人たちがいます。
それに対して、人間的に対応してテントを守るには、大変な覚悟と忍耐を要します。
嵐も吹雪もありました。
病気もします。
様々な困難にもかかわらず、昼夜のテント座り込みを続けて来なければならなかったのは何故なのでしょう。
現国会議員の山本太郎さんが、経産省包囲行動の際になさったスピーチが、テントを守る人々のエネルギーの根拠を、こう言い表しています(2011年11月11日)。
「テントに警察と右翼団体が押し寄せたとしても、この気持ちは変わらない。
自分自身も生きていたい。
子どもたちも生きていたい。
子どもの未来を守りたい。
今日ここで警備をされている警察官の皆さんにも、この経産省のビルの中で働いている皆さんにも生きていてほしい。
そのためには、原発を止めないといけないんです。
そうしないと、日本の未来は無いと思います」
現在、私は、仕事の都合から、週に一度しかテントに行けなくなっています。
そうなって初めて、痛感していることがあります。
仕事に追われて、社会的活動、政治的抵抗が、ままならない日本の勤労者の大半にとってこそ、テントひろばが必要だということです。
様々な人間が、少しずつの努力、微力を持ち寄ることで、日本と世界の命運を左右する、政治的表現を実現しているのがテントひろばです。
「テントは私の第二のふるさと。なくさないで下さい」という痛切な思いは、福島の女性だけのものではありません。
行政の無責任と横暴に対しての、裁判所ー司法の良識に期待します。
尚、この陳述の内容を補うために、戦術したビデオ映像を提出する用意があります。
テント設営からの2年間。
テントのありんままをご覧いただけます。
以上
旅の最後に、毎週金曜日に行われている、官邸前のデモに参加すべく、東京に向かった。
ツィッターでぼそっと「官邸前に行こうと思う」とつぶやいたら、晴さんから、なんともありがたいメールが送られてきた。
「一緒に行きましょう。
なんだったらうちに泊まって。久しぶりに蕎麦を打ちましょう」
いやもう、どないかしていつか逢いたい、できたら早く逢いたいと思い続けてた家族なのである。
黒森庵という、それはそれはすてきなお蕎麦屋さんをやっていた、蕎麦打ち職人の晴さんと、黒い森の子リスと呼ばれている5人の子どもたち。
原発事故後、食材の安全を保証できないままに、お客さまに料理を食べていただくわけにはいかないと、営業を停止し続けてはる。
5人の子どもたちはそれぞれに、現世を卒業されたお母さんの魅力を受け継いだ、優しくて、好奇心が旺盛で、曲がったことが大嫌いなすてきな人たち。
だから、家族みんなで脱原発!
東京までの新幹線。いつものように、富士山の見える側の窓際に座る。今回は残念ながら、分厚い雲の帽子を被ってた。

晴さんに、最寄りの駅まで迎えに来てもらい、子リスちゃんたちが待ってくれてる家に向かう。
ああもう、めっちゃ嬉しい!
子リスちゃんたちが作ってくれたスィーツや、焼きたてのパンをいただきながら、しゃべるしゃべるしゃべる!
時間が来て、さあ出発!

まずはぐるりと一周、晴さんに教えてもらいながら、デモの様子を見せてもらう。



やっぱ、デモでも楽しくやりたいよね~と、晴さんがおっ始めたチャリデモ。思いはそれぞれ違うかもしれないけれども、仲間がうんと増えた。

スピーチ広場。例の「再稼働反対!」の連呼が続いた場所。

その反対側の角に集まる人々。

二郎さ~ん、明日香ちゃ~ん、来たよ~!けど、見つかったらスピーチせぃ~とか言われるに決まってるから、徹底的に隠れるよ~ん!

あ、明日香ちゃんや!いつものごとく、うまいなあ、スピーチが。

うわ、火炎瓶テツさんの生声!これまた心にガツガツと食い込む、すばらしいスピーチ!

再び今度は、子リスちゃんに案内してもらって、歩いてデモ見学。

『かくめい(革命)喫茶』

三女リスちゃんのピカピカコスチューム!
可愛いったらないけど、目立ちまくる彼女の横で居たせいで、二郎さんにすっかり見つかってしもうた。

そしてスピーチ台に……じぇんじぇん考えてなかったから、もうグダグダで、しかも途中で経験したことがないような頭痛に襲われ撃沈……ずぶずぶずぶ。
あの頭痛はいったいなんやったんやろう……おっきな金槌持った妖精に囲まれて、ガツンガツンと交互に殴られてたみたいな感じ。
核の無い、戦争の無い、原発の無い世界の実現を祈って。





暗闇の中の元国会。今はただの悪党の箱。

しずみんの心意気。

チャリデモ終了。こんな寒い夜にありがとう!

ニンジンさんだって再稼働反対!

今回の、去年の末から2週間かけての日本滞在中、ネットから完全に離れてた。
そしたらもう、日本は全く、3.11以前のそれと全く変わりのない、それどころか、6年後のオリンピックを楽しみにしてたりする、
まあまあ安全で、まあまあ暮らせて、まあまあ便利で、まあまあやっていける、原発事故を適当に隠し続けてこられてたそれまでの日本に思えた。
テレビのつまらん騒がしい番組はもちろん、ニュースでさえも、わたしが気になってることはついに、ほとんど話題にのぼってこんかった。
いったいなんなんやろう、このワンダーランドっぷりは。
恐いほどに現実を、事実を無視しようとする、積極的な態度は。
いや、でも……わたし自身、この旅行中、そういう日本に甘えた。
普段なら、絶対に口にせんような物を食べた。
もちろん、旅行中に変な雰囲気にならんよう、せっかくの、久しぶりの、母との時間を互いに楽しめるよう、いつもなら断ることも受け入れた。
こんな、国全体が不思議の国と化した日本で、現実をきちんと見つめ、これまでのように生きながら、歩こうとしてた道の変更を決意し、実際に歩き出す力と勇気の量を思う。
2014年のデモ初日。
こんな寒い日に、これだけの人が集まった。
けども、日本全体から考えたら、いったいこれだけの人は何割になるのやろか。
世界は、全体の5%が動けば変わる。
5%の実現は、この年叶うのやろか。
あけましてあべだとう!
あけましてたびだとう!
一陽来復
陰の極まる冬至には、陽の気がひとつ、すでにまた巡り来ている。
人の世でも、悪い事の重なった後、必ず善い事がやってくる。
『来福』は、幸福願う掛け詞。
福島、沖縄の人々と分かちあう、本物の幸福を招く合い言葉は、
あけましてあべだとう
2011年9月11日から始まった、泊まり込みの経産省前テント。
ヒバク被害に人も獣もない。
スズメの座り込みも増えて、3度目の越冬が始まってます。
テント裁判での私の陳述書。
自己紹介&近況報告&念頭抱負にかえて、テント仲間・デモ仲間・この世で縁ある全ての皆様への恭賀の辞として、お受け取り願います。
(今年からしばらく年賀状はお休みします)。
自分でウンザリするほど文章がダメなので、それでも伝えたい希望の灯、人としての義侠の道に生きる、名も無き仲間たちの姿を、映像でお知らせしてきました。
国会はファシストに占領され、廃墟と化しましたが、民衆自身の運動は成長を続けています。
また、DVDでお伝えしますが、私がその一人、あなたがその一人、今年も共に歩みましょう!
2014年・正月 S.
2013年9月11日
陳述書
東京地方裁判所
民事第37部
御中
平成25年(ワ)第8000号事件に於いて撤去が請求されている、経産省前脱原発テントと私の関係について、以下のとおり陳述します。
住所 東京都新宿区
氏名 澤田
記
私は、経産省前テントに2011年の当初から参加している男性です。
福島に『東京原発』を押しつけてきた東京都民であり、幾世代もの子々孫々にヒバクを強い、核のゴミを残す日本国民であり、
草や木や虫や鳥や牛や魚や、生きとし生けるものの世界を汚染させてしまった人類の一人です。
自分と社会との関わりを問い、自身の加害者性に気づき、大人としての責任を果たそうとして、経産省の前に2年間も座り続ける人々こそ、日本の良心であり、民主主義の実践者たちです。
原発推進の司令塔である経産省は、その安全管理の責任官庁でした。
福島原発事故の加害者である経産省が、被害者である私たち国民に対して、訴訟を起こしました。
『土地明け渡し』という形式的な口実と、個人2名に巨額の金銭を請求することで、脱原発=民の声を封じ込めようとする経産省の姿勢には、原発事故責任の反省の欠片もありません。
だからこそ、脱原発テントは、他のどこでもなく、経産省のど真ん前になければならないのです。
2011年9月11日以来、経産省の一角、それほど広くもない国有地が、国民の共有地として生き生きと活用され、
創意工夫して飾り付けされたテントの前をちょっと行き交うだけでも、人の心は温まります。
テントは、誰を傷つけることもなく、歩道を含めてこまめに清掃され、全国から訪れる老若男女が語り合い、知恵を出し合って、能動的な世論の形成に寄与しています。
裁判所に働く皆さんも、目と鼻の先のご近所なのですから、ぜひお立ち寄りください。
実際、経産省の人をはじめ、各省庁にお務めの方々も、通りすがりに声をかけてくれます。
核とヒバクという問題は、右も左も、人も獣もない問題で、最近は、雀の母子も座り込みに加わっています。
2012年3月までの半年ほど、自営業であった私は、3日に1度は時間をつくってテントを訪れ、座り込みに参加し、その様子をビデオに撮って友人に知らせたりしていました。
運営や泊まり込みの役割分担を引き受ける余力はなくて、野次馬のような参加ですが、
各々が自分にできることを自主的にする、その集積が、脱原発テント広場であり、私も間違いなく、当裁判の当事者としての権利を有しています。
テントでは、福島の原発被災者のお話を、直接に具体的に伺うことができました。
世界中から訪れる人々と意見を交換することも、貴重な体験です。
万人に開かれた〈ひろば〉が、24時間オープンされているから可能なのです。
時には、原発賛成の人も来ます。
その中には、騒ぎを起こすことだけが目的らしく、はじめから対話を拒み、暴力と破壊行為に終始する人たちがいます。
それに対して、人間的に対応してテントを守るには、大変な覚悟と忍耐を要します。
嵐も吹雪もありました。
病気もします。
様々な困難にもかかわらず、昼夜のテント座り込みを続けて来なければならなかったのは何故なのでしょう。
現国会議員の山本太郎さんが、経産省包囲行動の際になさったスピーチが、テントを守る人々のエネルギーの根拠を、こう言い表しています(2011年11月11日)。
「テントに警察と右翼団体が押し寄せたとしても、この気持ちは変わらない。
自分自身も生きていたい。
子どもたちも生きていたい。
子どもの未来を守りたい。
今日ここで警備をされている警察官の皆さんにも、この経産省のビルの中で働いている皆さんにも生きていてほしい。
そのためには、原発を止めないといけないんです。
そうしないと、日本の未来は無いと思います」
現在、私は、仕事の都合から、週に一度しかテントに行けなくなっています。
そうなって初めて、痛感していることがあります。
仕事に追われて、社会的活動、政治的抵抗が、ままならない日本の勤労者の大半にとってこそ、テントひろばが必要だということです。
様々な人間が、少しずつの努力、微力を持ち寄ることで、日本と世界の命運を左右する、政治的表現を実現しているのがテントひろばです。
「テントは私の第二のふるさと。なくさないで下さい」という痛切な思いは、福島の女性だけのものではありません。
行政の無責任と横暴に対しての、裁判所ー司法の良識に期待します。
尚、この陳述の内容を補うために、戦術したビデオ映像を提出する用意があります。
テント設営からの2年間。
テントのありんままをご覧いただけます。
以上
旅の最後に、毎週金曜日に行われている、官邸前のデモに参加すべく、東京に向かった。
ツィッターでぼそっと「官邸前に行こうと思う」とつぶやいたら、晴さんから、なんともありがたいメールが送られてきた。
「一緒に行きましょう。
なんだったらうちに泊まって。久しぶりに蕎麦を打ちましょう」
いやもう、どないかしていつか逢いたい、できたら早く逢いたいと思い続けてた家族なのである。
黒森庵という、それはそれはすてきなお蕎麦屋さんをやっていた、蕎麦打ち職人の晴さんと、黒い森の子リスと呼ばれている5人の子どもたち。
原発事故後、食材の安全を保証できないままに、お客さまに料理を食べていただくわけにはいかないと、営業を停止し続けてはる。
5人の子どもたちはそれぞれに、現世を卒業されたお母さんの魅力を受け継いだ、優しくて、好奇心が旺盛で、曲がったことが大嫌いなすてきな人たち。
だから、家族みんなで脱原発!
東京までの新幹線。いつものように、富士山の見える側の窓際に座る。今回は残念ながら、分厚い雲の帽子を被ってた。

晴さんに、最寄りの駅まで迎えに来てもらい、子リスちゃんたちが待ってくれてる家に向かう。
ああもう、めっちゃ嬉しい!
子リスちゃんたちが作ってくれたスィーツや、焼きたてのパンをいただきながら、しゃべるしゃべるしゃべる!
時間が来て、さあ出発!

まずはぐるりと一周、晴さんに教えてもらいながら、デモの様子を見せてもらう。



やっぱ、デモでも楽しくやりたいよね~と、晴さんがおっ始めたチャリデモ。思いはそれぞれ違うかもしれないけれども、仲間がうんと増えた。

スピーチ広場。例の「再稼働反対!」の連呼が続いた場所。

その反対側の角に集まる人々。

二郎さ~ん、明日香ちゃ~ん、来たよ~!けど、見つかったらスピーチせぃ~とか言われるに決まってるから、徹底的に隠れるよ~ん!

あ、明日香ちゃんや!いつものごとく、うまいなあ、スピーチが。

うわ、火炎瓶テツさんの生声!これまた心にガツガツと食い込む、すばらしいスピーチ!

再び今度は、子リスちゃんに案内してもらって、歩いてデモ見学。

『かくめい(革命)喫茶』

三女リスちゃんのピカピカコスチューム!
可愛いったらないけど、目立ちまくる彼女の横で居たせいで、二郎さんにすっかり見つかってしもうた。

そしてスピーチ台に……じぇんじぇん考えてなかったから、もうグダグダで、しかも途中で経験したことがないような頭痛に襲われ撃沈……ずぶずぶずぶ。
あの頭痛はいったいなんやったんやろう……おっきな金槌持った妖精に囲まれて、ガツンガツンと交互に殴られてたみたいな感じ。
核の無い、戦争の無い、原発の無い世界の実現を祈って。





暗闇の中の元国会。今はただの悪党の箱。

しずみんの心意気。

チャリデモ終了。こんな寒い夜にありがとう!

ニンジンさんだって再稼働反対!

今回の、去年の末から2週間かけての日本滞在中、ネットから完全に離れてた。
そしたらもう、日本は全く、3.11以前のそれと全く変わりのない、それどころか、6年後のオリンピックを楽しみにしてたりする、
まあまあ安全で、まあまあ暮らせて、まあまあ便利で、まあまあやっていける、原発事故を適当に隠し続けてこられてたそれまでの日本に思えた。
テレビのつまらん騒がしい番組はもちろん、ニュースでさえも、わたしが気になってることはついに、ほとんど話題にのぼってこんかった。
いったいなんなんやろう、このワンダーランドっぷりは。
恐いほどに現実を、事実を無視しようとする、積極的な態度は。
いや、でも……わたし自身、この旅行中、そういう日本に甘えた。
普段なら、絶対に口にせんような物を食べた。
もちろん、旅行中に変な雰囲気にならんよう、せっかくの、久しぶりの、母との時間を互いに楽しめるよう、いつもなら断ることも受け入れた。
こんな、国全体が不思議の国と化した日本で、現実をきちんと見つめ、これまでのように生きながら、歩こうとしてた道の変更を決意し、実際に歩き出す力と勇気の量を思う。
2014年のデモ初日。
こんな寒い日に、これだけの人が集まった。
けども、日本全体から考えたら、いったいこれだけの人は何割になるのやろか。
世界は、全体の5%が動けば変わる。
5%の実現は、この年叶うのやろか。
あけましてあべだとう!
あけましてたびだとう!