ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「数日間考え抜いて、一票を投じることにしようや!微笑みをもって正義をなせ!」by 屋代 聡さん

2014年01月23日 | 日本とわたし
脱原発派候補『一本化』。
こんな言葉がツィッターで流れてきた。
え?なんのこと?
頭の中に?マークをいっぱい並べながらあれこれ調べてると、
なんでこんなことに……と思うようなことが次々と出てきて、わたしはすっかり混乱してしまいました。
それからまだ、3日しか経っていません。
それにしても残念でなりません。

ずっとずっと考えています。
だいぶ考えもまとまってきました。
その考えと、限りなく近い、想田監督と屋代 聡さんが書いてくださったものを、ここに紹介させていただきます。

↓以下、転載はじめ

脱原発派候補「一本化」論議に思うこと ー 映画作家・想田和弘
【マガジン9】

都知事選に、細川護煕元首相が、「脱原発」を争点に立候補し、小泉純一郎元首相が支援を表明しました。
 
すると、脱原発派の方々からは、「脱原発候補を一本化するために、宇都宮健児氏は立候補を取り下げるべきだ」という意見が、多数出てきました。
 
たしかに、脱原発を目指す立場からいえば、票が割れるのは好ましくありません。
僕も、脱原発を心から望む人間ですから、候補者同士で意見の摺り合わせができるなら、一本化されるのが理想だと思います。
 
しかし、です。
一本化を主張している方々に、僕は敢えて問いたいのです。
「みなさんは、超能力者なのですか?」と。
 
僕は、この原稿を、1月20日に書いています。
告示日の3日前です。
しかし依然として、細川・小泉連合の「脱原発」が何を意味するのか、その政策の具体像は分かりません。
政策の準備が間に合わず、2度も、立候補会見が遅れたからです。
 
つまり、現時点では、細川氏の「脱原発」が本気なのかどうか、細川氏とその側近以外、誰にも分からないはずです。
再稼働を容認するのかどうかも、判然としません (「電話で細川氏が再稼働を容認しないことを確約した」という方もおられますが、なぜそれを細川氏が公言されないのかは謎です) 。
 
細川氏の本気度が分からないのに、「一本化」を主張されるのは、いったいどういうことなのでしょうか?
 
舛添要一候補は、去年の12月に、ラジオで「もんじゅは継続すべき」と発言をしていたにもかかわらず、
立候補会見で取ってつけたように、「私もずっと脱原発です」と言いました。
もし、細川氏の「脱原発」が、彼と同レベルの一貫性に欠くものだったら、どうするのでしょうか?
 
思い出してください。
「脱原発」を盛んにアピールしていた橋下徹大阪市長は、土壇場で、あっさりと大飯原発の再稼働を認めてしまいました。
その後の彼は、脱原発について、ほとんど口にもしなくなりました。
もし、細川・小泉連合の「脱原発」が、彼と同レベルのお粗末なものだったら、どうするのでしょうか?
 
しかも、細川氏は佐川急便事件という、かなり大きな爆弾を抱えています。
彼が、本気で「脱原発」に取り組み、原発に利権を持つ勢力と闘うことになったら、必ず突かれてくるであろう泣き所があるのです。
(もし僕が、原発ムラの人間だったら、細川氏の弱点をネチネチいたぶる作戦を採ると思います)。
つまり、たとえ細川氏が当選したとしても、自らの弱点を庇うために、「脱原発」政策を一向に進めることができない、という状況になることも、充分に考えられるのです。
この点についての細川氏の見解も、依然として示されていません。
 
「脱原発」以外の政策についても、「分からないこと」ばかりです。
 
言うまでもなく、都知事選で争点になるべき政策課題は、福祉、貧困問題、災害対策、築地市場移転問題、オリンピックなど、多岐にわたります。
ところが細川氏は、現時点で、「脱原発」以外の政策については、一切公にしていません。
秘密保護法や、集団的自衛権や、TPPへのスタンスも分かりません。
(保護法や集団的自衛権やTPPに、批判的だとの報道もありますが、細川氏本人が、正式に反対を表明したわけではありません)。
したがって、私たちが、とても賛同できないような政策を、掲げる可能性だってあるはずです。
(もちろん、そうでない可能性もあります)。
つまり、これも、現時点では分かりません。
分からないのに、「一本化」を主張されるのは、いったいどういうことなのでしょうか?
 
嫌らしいようですけど、改めて問いたいのです。
「みなさんは、超能力者なのですか?」と。
 
もちろん、超能力者である可能性は低いでしょう。
では、なぜ、「一本化」を主張されるのか?
 
変な言い方ですけど、みなさんは、恋をしているのではないですか。
「脱原発派の東京知事誕生」、というイメージに対して。
 
たしかにそれは、私たち脱原発派をワクワクさせます。
魅力的です。
思わずすべてを投げうって、飛びつきたくなります。
それが「恋」というものです。
 
でも、みなさんは、肝心要の、「細川護煕+小泉純一郎」という恋の相手を、よく知っているといえるのでしょうか?
いや、もしかしたら、かつて恋して、がっかりさせられた相手だったのではないですか?
 
この問題は、実は、「選挙とはどうあるべきか」という問題とも、深く関わっているように思います。
なぜなら、一本化を主張する方々の多くは、こうも口を揃えるからです。
 
「政策的には宇都宮さんが一番しっかりしてるし、人物も信頼できる。だけど、今回の選挙はどうしても勝たなくてはならない。そのためには、悪魔と手を結ぶことも必要だ」
 
政策も人物も、宇都宮さんが一番なのに、なぜ、細川・小泉連合に一本化せよというのか。
その理由は、ひとつしか考えられません。
 
知名度、です。
世間的な人気、です。
 
しかし、ちょっと冷静に思い出してみてください。
 
私たちは、選挙があるたびに、「知名度」だけを武器にしたタレント候補が乱立し、当選していく様子を、砂を噛むような思いで眺めてきたのではなかったでしょうか?
「これでは民主主義が形骸化する。選挙は人気投票ではない。政策本位で候補者を選ぶべきだ」と訴えてきたのではなかったでしょうか? 
そういう原則論は、今回だけは、「なし」なのでしょうか?
 
「なし」だとすれば、それはなぜ? 
今回は、(いつもと違って)脱原発を訴える(ようにみえる)人気者に、勝てる見込みがあるから、でしょうか?
 
もしかしたら、僕の考えのおよびのつかない理由があるのかもしれません。
 
いずれにせよ、僕は、脱原発運動は(残念ながら)、長く果てしない闘いになるのではないかと覚悟しています。
なにしろ、原発は、日本という国家の中枢――政・官・学・産・マスコミ――を、中毒させてきたドラッグのようなものだからです。
ドラッグをやめようとすれば、禁断症状で悲鳴をあげる人々があまりにも多いわけで、だからこそなかなかやめられない。
私たちは、そういう大きな問題と闘っているのです。
 
「対症療法」に安易に飛びつくのではなく、本格的に足腰を鍛え、体質を改善し、「根本治療」の道を地道に進んでいくことが必要なのではないでしょうか。


続いてこれは、

屋代 聡 @yashirosatoru さんによる 都知事選一本化問題について、21日の朝8時過ぎから夜7時半まで書き綴られたツィートのまとめです。

「今回の選挙が、脱原発のための最後のチャンスなのです」
あまりこういうことは言いたくないけれど、あほか。ほんまに。
何で「最後の」チャンスなんだよ。
では仮に、舛添えが勝ったら、もうチャンスは永遠に訪れない、どんなことが起きようとも、日本の原発は稼働し続ける、そう言いきるのか?

それはつまり、この選挙で負ければ、今後の脱原発運動は無意味だ、自己満足な反対のための反対に終始する、と言っているに等しい。
これがどれだけ自縄自縛の言説か、わかっていない。

人間の歴史において、最終決戦なんてないんだよ。
闘いは続く。
僕は、今後も闘い続けるための選挙にする。
結局あなた方は、早くけりをつけたがっている。
そろそろ疲れてきた。
だから、闘争や運動を、(どこかで、無意識のうちに)勝利のうちに終わらせたいと思っている。

しかし、今回の選挙で、宇都宮、細川が勝てば、原発推進派の息の根が止まると思っているの? 
脱原発を志向する国民が7割いても、いま、10基再稼働しようとしている連中だよ? 
だから甘すぎるんだよ。

今日というか、ここ2週間は本当に忙しいけど、時間があれば、何とか整理してみます。

脱原発運動の方は、今一度、原点に立ち戻って考えていただきたい。
なぜ、東北と日本海側に、原発はあるのか。
この問いを、近代日本150年の歴史を踏まえて考えてほしい。
原発を誘致しなければならないほど、かの地が貧しいのはなぜなのか。
いや、考えてほしいと言ったが、取り消す。
考えねばならない。

脱原発運動を展開してきて、今回、「細川氏で一本化」などと考えた人は、本当に浅慮であった。
ご高名な方もおられたが、彼らが、「今回の選挙は絶対負けられない、負けたら終わりだ」というように発言なさるのを聴いて、
次の3つの意味で、残念であった。

1つは、
「負けたら終わり、最後のチャンス」という表現が、どういう影響を与えるかについて、考察が浅いこと。
当然ながら、原発再稼働を認めるか否かは、都知事選だけで決まるわけもない。
大きな影響を与えるのは間違いないが、なぜ、都知事の意向で決まると誤解してしまうのか。

「都知事選に負けたら終わり、これは最後のチャンス」という言説には、
”再稼働容認の是非を巡る最大ファクターは、原発立地地域の人びとの意思であるべき”という、
およそ当たり前の事が、すっぽり抜け落ちている。
普段は考えていても、目先の勝ち負けにこだわるあまり、今の彼らには見えないのであろう。

次いで残念だったのは、
彼らがラストチャンスをアピールすればするほど、彼らの短期的発想が目につくことである。
ラストチャンスを活かせなかった時は、彼らは、脱原発はもう無理だと考え、手を引くつもりなのだろう。
これがラストチャンスと自身で銘打ち、これに敗れた時は、残りは残務処理しかない。

いや、我われは、敗れても闘ってゆくと言うならば、「今回で負けたら終わり」と、人びとを鼓舞したのはアジテーションにすぎないし、
脱原発運動を割った責任は、途轍もなく大きい。
退路を断つ必要など全くないのに、自分でリミットを区切った。
なぜか。

脱原発運動の、一部の人たちは焦っている。
3年も経とうというのに、いや、3年経って、再稼働の動きが出てきたからこそ、彼らには、自分たちのやってきた運動の成果が欲しい。
しかし、数度の国政選挙でも、原発は争点にさえならなかった。
そして自公が勝った。
脱原発派一部の焦燥感は、高じるばかりだ。

彼らのなかには、
「脱原発さえ争点になれば、選挙は勝てる。
しかし、これまでの選挙は(不思議にも)それが争われなかったから負けた。
あれは結局民意ではないのだ」という考えがあるのだろう。
しかし、そうではない。
国民は、残念ながら、脱原発を主要争点にしなかったのだ。

脱原発運動の一部の方々の、「早く脱原発運動の目に見える成果が欲しい」という表現が、
3年にわたる運動による疲れの表れ、それゆえの功を焦る態度と心性が、正直な反応であるだけに、僕は残念でならない。
なぜ待てないのか。

そして3つ目の残念な点は、
いま一部の脱原発派が、意図的か否か、脱原発を、再生エネルギー問題と放射線の危険、という観点からのみ問題にしていることである。
彼らには耳の痛い話だろうが、彼らは原発さえなくなればいいと思っているし、少なくともそれがスタートだと思っている。
しかし、それは全く違う。

原発立地、稼働計画は、近代日本の国土・国家デザインの一部として、描かれてきたのである。
もっとはっきり言えば、中央政府による地方収奪のなかで、選択された政策である。
それゆえ、ただ原発を止めたとしても、中央による収奪・統制は繰り返される。

明治以降、ずっと、東北と日本海側諸県、沖縄を中心に、そうした収奪がなされてきた。
それゆえ、本当にこの国のあり方を変えたいと願うのであれば、ただ自民打倒や脱原発といった、一面的な政策を前面に出すのではなく、
多角的に、根本的に、我々の生活を変える覚悟をもった人を、行政に推して然るべきなのだ。

しかし、管見の限り、今回の一本化論者には、そうした中長期的考えをもっている人はいない。
全くとは言わないまでも、ほとんどいない。
いないからこそ、あんな愚挙に出たのだ。

彼らは3年近く、声を挙げてきた。
しかし、その間に何を学んだのか。
そして、何を学ばなかったのか。
彼ら自身で考えるべきだった。

僕は、昨夏の参院選挙直後、こう呟いた。

そして今日、山本太郎という、反原発運動にとってある種のイコンが、国会に行ったことは歓迎すべきであるが、
これが終わりの始まりではない、とは断言できない。
彼が、国会において徒手空拳となったとき、審議に存在感を示せないときがこわい。
次の選挙までに、反原発運動は、緩やかな総括が必要だろう、と思う。

一応の成果が出たからこそ、脱原発は完敗しなかったからこそ、考えるべきだ。
そして、今回の選挙のように、投票は自己に任せてゆくか、
それとも、最も原発問題に真摯に取り組む政党を、団体票のような形になっても推してゆくか。
もちろん後者の場合、他の争点で一致できるわけがないのだから、運動は割れる。

緩やかな連帯を志向するにしても、運動の再活性を、常に考える時期に差し掛かっている。
今、人々を結びつけていた絆は、しがらみになりかけている。
人と人とのつながりは、マンネリを防ぐために、常に更新されねばならない。

近視眼的な社会学者や、経済学の論客が言うようには、反原発運動は敗北していない。
それは今日、よくわかった。
次へのステップが見込める。
だからこそ、今、ではないか。
今日の勝利は一応喜ばしいが、それだけ、僕らが取り組む課題は増えたのだと思う。

残念ながら、僕の予想はあたったようだ。
本当に、本当に、残念である。

近代日本の発展の歪みの1つとして、「国家内辺境」に強制された原発、という事態はある。
40年間、国策として進められてきたのです。
手強いに決まっているじゃないですか。
「3年も闘ってきた」、なんて甘すぎる。
僕らは短くて10年、長ければ30年、50年かけて、倒してゆかねばならないのです。 

原発との闘いは30年、50年先に勝てばいい、と思って闘うべき。
そう言うと、「30年?50年?そんなにかかるの?そんなに待てないよ。いま地震来たらどうする!?」と返す人が絶対にいる。
しかしながら、現実にそれくらいかかるのであって、そんなに待てないというなら、あなたは本気ではない。

「いま地震来たらどうする!?」という問いはナンセンスだから、できるだけ再稼働を食い止めましょう、としか言えない。
「そのために運動を続けましょう、30年だろうが、50年だろうが」と。

やれやれ、もう一気に書いちゃうか。

脱原発を、真に実現したいと願うなら、たとえ自分の生きている間に実現できなくとも、子どもや孫たちの生きる世界が救われればよいと思って、声をあげ続けるべきだ。
自分たちが、運動のスターターであることに、誇りを持て。
第二走者を見て走るんだ。
アンカーは、僕らの後ろにいる次世代に任せよう。

これまで、脱原発運動を担ってきた市民よ。
僕らは時に手を取り、時に争い、袂を分かち、それでも互いのやることを注視してきた。
そして、距離の取り方に苦悩しながらも、努力してきたじゃないか。
あれほど、自民や民主の卑怯なやり方に、唾をはいてきたじゃないか。
ここにきて、勝ち急ぐのは止めよう。

もう一度言う。
3年間だ。
疲れもたまる。
10基再稼働計画だって?
冗談よせよって徒労感も出るよね。
でも闘ってる。
新潟県知事だって、眠る暇もないほどさ。
僕らは、脱原発運動のスターターだ。
子どもたちに、しっかりバトンを渡そう。
孫にアンカーになってもらおう。
その為に走る。
それでいいじゃないか。

ちょっと口が悪くなりますよ。
最近フォロワになった方は、びっくりなさらず、関西弁が嫌いな方は、自動翻訳機のご用意を。
では、はじめ。

一本化、一本化って、しょうもないことばっか言うてるけどや、その間、リベラルの政策論議がどんだけ深まったかっちゅうねん。
「勝たねばならない」。
わかってるわ、そんなこと。
「別に負けてもええねん!」を旗印にしてるんちゃうわ。
てか、そんな奴おらんわ。

最初から、無理難題の一本化を費やしてる間に、細川氏が何を打ち出したん?
何もないやん。
いや、脱原発でさえ怪しいやん。
都知事選は国政に影響はあるけど、脱原発が直ちに実現できるわけないンよ。
東京都は別に、東電の大株主ちゃうんやで。
あなたら、お祭り騒ぎしてるだけやん。
いやまじで。

「勝てる候補を」という表現が、選挙を人ごとに捉えてる証なんよ。
市民の仕事は、勝てる候補を担ぐことちゃうねん。
候補者をどう勝たせるかを考えることやねん。
そのためには、候補者が、胸襟をガバって開いて支援者に訴えてこな、何もできへんやん、こっちは。
そやろ?

それやのに、「後出しじゃんけん」?
なめとんか。
これ、市民との協議は要らんいうことやろ? 
討論会キャンセル? 
おいおい、ホンマにヤル気あるん? 
おまけに、公約発表はまた今度って。
いや、脱原発運動だけやなくて、都民は舐められまくってんねん。
いい加減きづけや。

僕らがやるの、AKBの投票やないんやで。
あれだってまだ、所信表明やるやん。
握手会して、「どぶ板」やってるやん。
そもそも、15年も引退してへんやん。
あの子ら、寝る間もなく、ダンスと歌の練習して、最前線立ってるで。
悪いけど、舛添や細川に、そんな努力は全く感じへんで、僕は。

ほんまに「細川さんで!」とか言ってる人は、舐められてんねん。
今度こそは勝つ、勝たなあかん、言うてワーワー言うてるけど、そんだけ細川陣営に舐められたまま支持してるって、そういうのを何ていうの?
うまく言えんけど、奴隷根性とかマゾというか、ごめん、自分で判断して。

脱原発運動の成果は今一つだって焦って、絶対勝たねばと思ってるみたいやけど、
2013年9月15日より、日本では、全ての原発が停止しています
わかる?
きちんと僕らのやってきたことは、カタチになってるわけ。
その運動を、僕ら自身で追い込みそうになってるってことに、気づかなアカンと思うよ。

3年間頑張ってきて、疲れてきたのはわかるよ。
でもね、敢えて言うけどね、やっぱし、まだたった3年やで。
沖縄、見てみ。
戦争で、本土のために、時間稼ぎに使われて、戦後は進駐、占領、米軍統治、おまけに基地問題。
68年間闘ってねん。
しかも敵は、自国政府とアメリカ。
相手はもろに軍やで。
すごいやろ。

それでも諦めてへん。
500億言われたって、辺野古の人は挫けん。
これからも、長い闘いが続くねん。
でも、子や孫のために、屈しない言うて闘い続けてる。
僕が言いたいことわかる?
闘い続けて68年やで。
つまり、この闘いを始めた当初のリーダーは、ほとんどが亡くなってんねん。
でも、彼らは無駄死にや思うか?

僕はもう、全然思わん。
自分の一生を賭けて闘った人がいる。
だから沖縄は、自然破壊が食い止められてる。
少しずつでも、闘いは前進してる。
あの姿勢やって。
目先の勝利に一喜一憂せず、最終ゴールを見据えて、じりじりと歩む。
近道はないねん。
それを、沖縄の人はわかってんねん。
僕らも彼らに学ぶ時や。


21世紀の後半に、日本から原発が無くなる、その道筋をつけるために、僕らは立ちあがったんや。
声をあげ続けるからお前ら頼むぞって、子どもたちの肩を叩けたらええやないか。
その姿を見せたら、子どもたちは同じように、孫たちを導いてくれるって。
成果は彼らにあげようや。
みんな、大人やろ?笑

それを、「早うせなアカン、最後のチャンスや、一本化、一本化」って、どんだけ狭いねん。
どんだけ近くまでしか見てへんねん。
刹那的やねん。
こういうこと言ってる人は、結局のところ、次世代や市民の力を信じてないねん。
だからこそ、負けつづけてきたんやろ?
だから、勝ちに飢えてんねんやろ?

だけどや、世界見てみようや。
16世紀にはじまった奴隷制度やって、解放されるまで250年かかってんで。
250年やで。
途方もないわ。
でも考えてや。
250年間、細々とやけど、奴隷制度は許せへん!って声をあげ続けた人がいたから、奴隷貿易や奴隷制度はなくなってん。


奴隷制度廃止を最初期に訴えた人は、誰もその結果を知らんよ。
おそらく、無念や言うて亡くなったと思うわ。
でも、正しい事は、ちゃんと根付くねん。
後継者は出るもんやねん。
そして、諦めへん限り、希望はあんねん。
それ、忘れたらアカン。

僕らの手で、原発が一掃されなくてもええやん。
この選挙で流れが変わる思ったら大間違いや。
もう変わってるから。
もう風はちゃんと吹いてるから。
それを無理やり争点化して、風向き変えたらあかん。
ほんまに、無駄以外の何物でもない。

僕も、安倍内閣、自民党は許せへん。
思いは同じ。
だけど戦い方がある。
ほんまに大事な事は、ファシズムとネオ・リベラリズムの台頭。
ほんまのところ、みんなもわかってるけど、闘い方がわからへんだけやろ?
ちょっと頭冷やして、政策比べようや。
まだ政策ださへん奴おるって?
そんな奴、マジやめとけ。

もう、一本化論争は止めたんやろ?
ほんなら、本当に東京都の事を考えてて、弱者の味方で、実績あって、国政の方向にガツンと一発食らわしたる人、探したらええやん。
みんな脱原発言うてるんやし。
勝ちや負けやなくて、誰になってほしいん?
本音で選ぼうや。
なぁ、誰の政策が一番実現してほしい?

細川氏支持の脱原発運動の市民も、「一本化しないと勝てへんから細川!」って言ってただけやろ?
もう一本化はないで。
では、政策に共感できる人に入れようや。
あなたらの論理やと、勝利のために割れてる場合ちゃうんやろ?

宇都宮さんに入れる人は、きっと割れへんで。
最初から政策で選んでるし、ブレへん、まず。
それなら動くべきは、勝てる候補に!って、ちょっとだけ動揺した方ちゃうん? 
誰だって迷う時あるって。
考え直したってええやん。

僕らは誰のために立つか。
誰のために声を挙げるのか。
有権者の多くは、子供や孫がいる。
かけがえのない彼らのために。
努力しても報われない弱者のために。
ともに歩むべきアジアの方のために。
数日間、考え抜いて、1票を投じることにしようや。

「微笑をもって正義をなせ。」
ええ言葉やろ?
これを合言葉にせぇへん?
微笑をもって正義をなせ。
東京デモクラシーのために。
微笑をもって正義をなせ。

↑以上、転載おわり
コメント (18)
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