ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

父よ、母よ、子どもよ、海よ、山よ、ふるさとよ、

2014年03月09日 | 音楽とわたし
父よ、母よ、子どもよ、

海よ、山よ、ふるさとよ、

地震で、津波で、奪われたすべての命に向かって、いのりを捧げたい。

その願いを心に創った曲です。

だから歌うことに決めました。

今日はヴァイオリニストのサラとの合わせ練習その③。

本番リハーサルまで、あと10日強、となってしまいました。

ここは津波がだんだんと押し寄せてくるところ。
そして多くの命が一瞬にして、容赦なく奪われてしまった。

サラは黙って、音符を見つめながら、わたしの話を聞いてくれます。

「ここ、サラのメロディーを2オクターブ下で歌ってもいい?日本語で」

録音してみました。
ちょっと変かもしれないけれど、心がずしんと落ち着きました。


ガリガリに痩せ細って戻ってきた家猫は、だいぶ落ち着き、食欲も戻ってきました。
餌の量を以前より減らし、しかも嫌いな練り餌(カリカリではない)なのですが、
腹が減っては文句も言えません、とりあえずいやいやながら、茶碗を空っぽにできるようになりました。
目力も、それとともに戻ってきたような気がします。




やっとやっとの春のしっぽが見えてきましたが、根雪はまだまだデ~ンと居座っています。


でも、こんなふうにきれいだったりもするので、まあ許せたりします。


ケムトレイルという言葉を知ってから、よく空を見上げるようになりました。
うちの家の上空には、けっこう頻繁に現れます。


全然良くないことなんですけれども……。


思いやりのある旦那は、今夜も、練習ばっかしてる妻に代わって、夕飯を担当してくれました。


感謝!!
コメント (6)
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「原発は事故が起きれば電力会社が破綻する。原発を止め、中電の為に愛を注ごう」アーサー・ビナード氏

2014年03月09日 | 日本とわたし






初参加家族ら『原発NON』

反原発運動を進める市民団体などが、超党派で企画し、山口市の維新百年記念公園で8日にあった集会、
『上関原発を建てさせない山口県民大集会』
集まった約7千人(主催者発表)の中には、同様の集会に参加したことがなかった人の姿も目立った。

山口で県民大集会

「何とまあすごいねえ」
集会の共同呼びかけ人の児童文学作家那須正幹さんは、壇上での第一声で、感嘆の声を漏らした。
駐車場は、約50台のバスが出入りし、県内外からの車で埋まった。
会場内の約50の飲食や展示のブースも、家族連れなどであふれ、売り切れる店も続出した。

集会では、広島市在住の詩人、アーサー・ビナードさんが講演。
今日は、中国電力を愛する人たちの集まり。
原発は事故が起きれば、電力会社が破綻する。
原発を止め、中電のためになる愛を注ごう
」と、ユーモアを交えて語った。

東北などから県内に移住した人らでつくる『県避難移住者の会』の浅野容子代表は、
「上関原発が建たなかったおかげで、山口に安心して避難することができた」と話した。

反原発集会に初めて参加する人も目立った。
宇部市の医師、松本聡さん(44)は、家族5人で参加した。
原発に賛成ではなかったが、3.11後に(原発反対の)思いがより強くなった。
上関原発を造るのは現実的でなく、国は原発がないことを前提にした、エネルギー政策を考えてほしい


広島市中区の喫茶店経営、佐伯尚利さん(32)も、家族3人で参加。
原発は安全だと思っていたが、震災後に考えが変わった。
上関原発は、山口だけの問題ではなく、広島も関わっている。
最前線で闘ってきた人たちの、生の声が聞けて良かった
」と話した。


上関と『3.11』の橋渡し役に

集会の実行委事務局長を務めたのは、防府市の牧師、草地大作さん(40)。
上関原発に、長年ノーを訴えてきた人と、3.11後に原発の危険性に気づいた人との、橋渡しがしたかった

幼少期を東京で過ごし、11歳の時に神戸に移った。
NGOで働いていた父の故・賢一さんは、世界各地へ支援に向かい、家に戻ると、紛争や災害を写した写真を見せた。
「世界の理不尽さを、父を通して学んだ」

関西学院大神学部で学んでいた時、阪神大震災が起きた。
兵庫県西宮市の下宿先は全壊。
避難先の学校には、多くの遺体が運び込まれた。
「生かされている以上は、命を人のために使わないといけない」
卒業後は教会に入り、『行動派の牧師』として、災害時に支援活動に出かけていった。

2007年に、防府教会の牧師に就き、
非暴力で理不尽さと闘う祝島の人たちを、何とか支えなければと思った
上関原発の準備工事が始まった際には、座り込みにも出かけた。

集会を終えて、充実感を覚えている。
「これまで関わりがなかった人も来てくれた。
それだけでも、僕が事務局長をやった意味があったかな」
(小川裕介)



上記の草地さんのお話の中にもある、非暴力で理不尽さと闘ってこられた祝島の人たち。
この、神々しいまでに美しい島、祝島には、腹の据わった大人がたくさん暮らしておられます。


何十年もの間の、毎週行われる反対運動が、彼らの暮らしをどれだけ蝕んできたか、そのことに思いを馳せるたび、軽い目眩を感じます。


非暴力を通すお年寄りに、電力会社はあの手この手で、時には夜襲などの方法で、そして時には、強面の男たちを雇い、強引に物事を進めようとしてきました。




わたしらは海は売らん。


祝島の根性と信念のおかげで、原発がひとつ、増えずに済んでいます。


これが日本人魂。
海を愛し、土を愛し、食べものにこだわり、代々受け継がれてきた文化や慣習、つながりを大切にする。
平和を愛し、戦争を拒み、丁寧で心のこもった仕事をするための努力を惜しまず、誇りを持つ。

日本人の良いところを、今の混沌を機会に、どんどん世界にアピールしていきませんか。
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