金吾さんからふたつ、ビデオを教えてもらいました。
フランスとドイツで放送された2本の報道番組です。
チェルノブイリの原発事故が起こった時、原発の事故の悲惨さ、厳しさ、恐ろしさを、わたしは日本のテレビ局が報道した、優れた番組によって知りました。
その時、ああ、ソ連の国民でなくてよかった。
万が一、日本の原発が事故を起こしても、あんな酷い目に遭わないはず
なによりも、科学技術が発達している、しかも几帳面で堅実な日本人が管理している、どこよりも安全な原発やもの、そもそも事故なんか起こるわけがないし……。
ああ、なんと能天気で、物知らずな大人だったんでしょうか。
あの事故が起こり、それによって生じた様々な不条理や不手際を、散々調べて報道していた国が、
その当時の、初めてだから仕様が無かった混乱と失敗を、まるで聞いたこともないかのように、知らないふりをして、同じことを、いや、当時のソ連よりも後手後手に、
あれやこれやと誤摩化し、のらりくらりと先延ばしにし、隠したりウソをついたりしながら、ひたすら時間稼ぎをしている……。
最低の国だった……。
だから、「私たちは殺されかかっているようなものなので」という、いわき市の市民の方の言葉は、決して大げさでもなく、本当のことだと思います。
だから、そんな恐ろしい連中によって牛耳られている国に生まれてしまった子どもたち、これから生まれてきてしまう子どもたちのために、
わたしたち大人が、何かしなければならないのではないのですか?
フランスFR3「フクシマ・地球規模の汚染へ」 和訳全文
スイスの決意。
それは、20年後に、原発をゼロにすること。
日本で、福島原発が大事故を起こした直後の決定である
「福島原発では、今日も、新たに2回の爆発が、同時に起こりました」
津波の後 福島原発が連続爆発してからというもの、スイス人は、放射能に対して、ひときわ敏感になった。
「『日本の汚染魚にノー!』韓国は、福島産のすべての海産物を、輸入禁止しました」
バーゼルの研究所が、昨年10月に発見した。
スイスのスーパーで売られていた魚が、放射能汚染をしていたのだ。
太平洋産のマグロから、セシウム134と137が検出された。
福島原発事故由来の汚染である証拠だという。
「ご覧のように、セシウム134と137の両方を含有してました」
「どれくらいの量?」
「0.1から0.5ベクレル/ Kgです」
所長によれば 基準値以下のため、健康には危険はないということだ。
われわれのために、別のサンプルも分析してくれる。
「この魚は何ですか?」
「タラです」
「太平洋産タラ…バーゼル市内の店で買いました」
「セシウム検査をするために…」
【バーゼル研究所】
マルクス・ツェーリンガー・放射能研究チームリーダー:
「二つのセシウムが同時に検出されたら、福島が汚染の原因だと言えます」
分析の結果、タラも、福島の放射能に汚染されていた。
行政の基準によれば、危険はない量とのことだが……。
しかし、国境の向こうのフランスには、別の意見の専門家もいる。
「『放射能が無害』などという発言は、非常識だ」と彼は言う。
【クリラッド測定所】
ブルーノ・シャレロン ・核物理学エンジニア:
「被ばくには『しきい値』というものは、存在しないのです」
「最少量のベクレルでも、ガンマ線やベータ線を外部や内部から受ければ、後年、それがガンになっていくキッカケになり得ます」
だから、被ばくとは闘わなければいけない。
終わりのない戦争だ。
それが地球の裏側では、3年前から猛威をふるっている。
日本……。
その日、マグネチュード9の大地震が、日本の沿岸部を襲った。
数十分後、巨大な水の壁が、太平洋岸一帯を飲み込む。
犠牲者は、2万人を超えた。
5千人が行方不明だ。
津波は、福島第一原発も壊滅させた。
これが、運命の瞬間である。
巨大な波が施設を襲う。
冷却用タービンは水没して壊れ、原子炉はメルトダウンを始めた。
次々に爆発が起こった。
世界は、チェルノブイリ以来、史上最悪の原発事故を、目の当たりにした。
原発から放射能雲が発生し、国土の大きな面積を覆った。
政府は、3万人の住民避難を決定。
原発周辺に、最初は20km、やがて、30kmの閉鎖区域を設けた。
3年が過ぎた……。
福島周辺では、今でも、津波の爪痕が生々しい。
見渡すかぎりの瓦礫の山、家や家具の残骸、壊れた車、トラック……。
この地方全体が、巨大な除染作業の現場と化した。
放射能雲は、いたる所を通過した。
たくさんの作業隊が、表土を5cm掻き取り、巨大な黒い袋に詰めている。
別の作業員が、それを積み上げる。
処分法がないからだ。
日本政府によれば、『現場はコントロールされている』。
しかし、現地の住民は安心できず、自分たちで何とかする決意をした。
例えば、原発から20km の南相馬市。
事故の翌日に、避難を命じられた町だが、2012年4月、閉鎖区域から外された。
住民は、放射能という『毒』を、自ら計測することにした。
事故後、独立した団体が、数多く結成された。
「仮置き場が見えますよ」
「放射性物質が貯蔵されてる所です」
「積み上げられて ゴミの山になります」
こうした団体の代表者は、ガイガーカウンター持参で、住民のSOSに駆けつける。
丘のふもとの、立派な家に呼ばれた。
家は、市の除染を受けたばかりだ。
しかし家主は、安心できずにいる。
「全部 測りましょうね」
日本政府の定めた許容基準値は、毎時0.23マイクロシーベルト。
つまり、年間1ミリシーベルト。
国際的な基準によれば、それ以上の被ばくは危険である。
「素敵なお宅ですね」
「放射能がなければ、もっと素敵ですよね」
家主は、名のある陶芸職人だ。
調査を始めると、たちまち測定器が鳴る。
基準値の20倍……。
「ここの除染は完了しています」
「放射性物質はすべて除去したと、行政は主張してますが、このコンクリートの上など、5マイクロシーベルトあります」
「普通は、年間1ミリシーベルト以上、放射能を受けてはいけません」
「ここの年間の被ばく量は、4.3ミリシーベルトです」
「チェルノブイリなら避難地域に指定される量です」
「居住禁止のはずです」
「ここは誰も住んではいけない場所なのです」
彼は、妻と3人の子供を、300km離れた場所に移住させた。
しかし、自分は残るつもりだ。
大山弘一さんは 原発事故以来、ここに一人で住んでいる。
「15年前にここに来て、チェーンソーで土地を切り開きました」
「この家は、自分で建てました」
「庭も家も全部、自分で設計しました」
大山さんの家計は、惨憺たるものだそうだ。
補償はなく、顧客もないので、収入はゼロ。
しかし、税金は今でも毎年取られる
テラスの線量は強烈だ。
基準値の40倍を超える
「素敵な家ですから、売りに出してはいかがですか?」
「誰も買いたがりませんよ」
「どうして?」
「だって、放射能汚染してますもの」
「放射線管理区域内です」
「ここの家を買う人なんていません」
南相馬はどこも、放射能だらけだ。
政府は、地域の学校すべてに、モニタリングポストを設けた。
保護者を安心させるために、リアルタイムの線量が示される。
0.13マイクロシーベルト/時。
基準値よりずっと低い。
しかし、数メートル離れた道端の数値は、0.8マイクロシーベルトまで上がる。
学校前の公式数値の5倍だ。
吉田邦博・市民放射線測定所(CRMS)代表:
「学校は除染されましたから」
「当然、数値も低くなっています」
「でも、10メートル離れただけで、数値は変わります」
「4倍から5倍に上がります」
「10倍に上がる所もあります」
「私に言わせれば、モニタリングポストは、何の役にも立ちません」
「税金の無駄遣いです」
「これは自然放射線なんですか?」
「もちろん違います」
「自然放射線だったら、0.05マイクロシーベルトくらいです」
地域のすべての学校が、行政によって除染された。
いわき市、福島原発の南40km。
この日、小学校では、みんな熱狂していた。
地元野球チームの人気選手を迎えたのだ。
そして、グラウンドの片隅では、気ぜわしい様子のお母さん3人……。
彼女たちも、公式数値をチェックするグループを結成したのだ。
1メートルごとに、グラウンドを測定する。
千葉ゆみ・主婦:
「そこの場所が、学校では一番高いです」
「0.18マイクロシーベルト以上です」
「グラウンドにしては高いですね」
「健康にはまったく害がないと、保証されている数値です」
「でも原発事故前と比べると、3倍から4倍高いですね」
グラウンドの次は、校庭だ。
子供の健康を心配して、お母さんたちは、天(お上)任せにはしない。
「このタブレット、GPS機能が付いていて、直接線量を記録するんです」
学校責任者は、万事順調だと主張するが、動揺を隠し切れない瞬間もある……。
「学校の除染は済んでますか?」
「はい、人が来て、学校の裏の木や、あそこの木を切りました」
「でも、正式の除染はされてません」
「子供が遊んでも安全なのですか?」
「私個人としての意見ですか?それならノーコメントです」
教頭の後ろには、モニタリングポストが2台も立っている。
1台目の数値は、0.09マイクロシーベルト。
2台めは、ずっと高い数値を示している。
毎時0.14マイクロシーベルトだ。
「長い話になるのですが、私の聞いたところでは、1台はある会社で作られたのですが、性能を満たしていないということで、文部科省が契約を解除したそうです」
「その後、新しい機械が設置されました。裁判になってると思います」
「同じ数値が出ますか?」
「こっちの方が良くないようです。性能が満たされていないそうです」
妙な話だ。
われわれは、取材旅行中ずっと、隣り合わせ(に立っている2台)のモニタリングポストに出会った。
政府が設置したモニタリングポストは、隣りの計器より低い線量のことが多い。
この差はどこから来るのか?
東京に戻る。
この倉庫は、契約解除された計器のメーカーのものだ。
彼が、社長の豊田氏。
豊田勝則・株式会社アルファ通信社長 ;
「これが文部科省が発注したものです」
「省は600台 この、リアルタイムの計測システムを注文し、福島県に設置しました」
ところが、使用が始まった数週間後、省は、計測値を補正するように要請した。
『計器の表示する値は高すぎる』という理由である。
省の通知は、厳しい口調だった。
「省から届いた通知です」
2011年10月26日付
「ここに、『表示値が高すぎる』とあります」
「彼らは、6基のモニタリングポストを、現場で検査し、省のガイガーカウンターに比べて、私どもの計器の値は、はるかに高いと」
「従って、表示値の補正が必須であると」
「即座に調整を行なうように、要請されました」
しかし、豊田氏の計測器は、国際基準に従ってアメリカで製造されていた
そして、アメリカの製造者は、補正を拒否した。
「アメリカ側とコンタクトを取り、数値を下げてくれ、と頼みました」
「『機器は、国際基準に則している』という返答でした」
「『なぜ、日本の基準に合わせる必要があるのかわからない』と、補正を拒否されました」
放射線量というのは、不確定であるため、20%程度の振れ幅が適用される。
しかし、ほとんどの国が、慎重をきして最高値を採用している。
日本の官庁は、われわれの問い合わせに応じなかった。
豊田氏との裁判を控えているため、という口実である。
国民の不安をあおるのを恐れて、危険を最小限に見せる
事故当初から 国のこの態度に、日本人は苛立っている。
安全発言を告発するために、隠しカメラの使用を辞さないジャーナリストもいる。
日本では普通、ほとんど使われない。
そのため、このジャーナリストの顔を、公開することはできない。
『桐島 瞬』は、彼の筆名だ。
この3年間、原発内部を撮影するため、定期的に作業員として働いている。
この日は、東京のある労働組合で、目撃したことを報告した。
集まっているのは、原発労働者。
クビになる恐れがあるので、顔は公開できない。
「海を見るとすごく綺麗だけど、原発内部は、メチャメチャです」
「これは?」
「一号機のタービンです」
「汚染水用のホース 破れたものです」
原発内の仕事は、キツくて危険だ。
5千人の作業員は、みんな志願者だ。
桐島 瞬は、写真を撮ることは、自分の義務だと考えている。
「危険は承知です。48歳、もう若くないですから、構わないです」
「本当のことが知りたかったんです」
「何が一番大切か、考えました」
「危険を冒すほかない。原発内で起こっていることを、本当に知るために……」
彼は、私が、福島原発に接近する手助けをしてくれることになった。
2012年以来、閉鎖地域は、原発周囲の円状ではなく、放射能の広がりにほぼ沿っている。
許可なしで入ることは、不可能だ。
報道陣に許可の出ることは稀で、非常に規制されている。
しかし彼は、通行許可を持っているのだ。
私は、彼の車のトランクに隠れて、閉鎖区域に入ることになった。
「チェックポイントです。しばらくジッとしていて!」
「こんにちは!」
「申告することはありませんね?はーい どうぞ!」
数キロ先、人目のない場所で、トランクから出る。
だが、顔を隠すようにアドバイスされた。
「こうやって、日本人っぽくして、外国人だとわからないようにしました」
「日本人っぽく見える?」
「ああ、これなら目立たない」
原発に向うと、ガイガーカウンターが鳴り始める。
許容基準値0.23μを超えている、明らかな証拠だ。
「10.4」
「危険?」
「ああ、高すぎる」
「10.4?高すぎる、危険だ」
「ほら、ここを左折すると、1キロ半で原発だ」
双葉小学校の駐車場に、案内してもらう。
政府のモニタリングポストには、標準の50倍の線量。
桐島 瞬は激怒する。
「バッテリーを地面に置いてある!」
「ガンマ線はブロックされてしまいます」
「計器は、バッテリーと鋼鉄板の上に設置されてます」
「ガンマ線は、センサーに届きません」
「公式の線量は少なくなります」
その証拠に、2メートル離れた草の中では、21マイクロシーベルト/ 時、公式線量の2倍に近い。
校舎の裏では、測定器は狂ったように鳴る。
「ほぼ40マイクロシーベルト」
「地面に置くと、単位が変わります」
「ミリシーベルトになりました」
「0.32ミリシーベルト。つまり、320マイクロシーベルトですね」
安全基準の1300倍を超える。
日本政府は、双葉町が、何十年も住めないと宣言した。
「10年、50年は帰れません」
「ここに住んだら、許容基準の50倍の線量を、浴びることになります」
「年間50ミリシーベルト以上……不可能です」
「あまり長居しない方がいい……行きましょう」
「ここによく来るのですか?こんな危ないのに……」
「私は、福島原発で長く働いたので、もういいんです。でも、あなたみたいな普通の人は、こういう場所に長居しない方がいい」
閉鎖地域の線量は、基準値をはるかに超える。
原発の周りの村では、2011年3月の震災の爪痕もそのままに、時間は止まってしまった。
しかし、日本政府はいつか、住民を帰還させる希望を失わない。
そもそも、家を捨てることを拒否した人も多い。
この農夫は、原発から14kmの場所に住んでいる。
「私はレジスタントです、神風、牛のテロリストです」
吉沢正巳さんは、300頭の牛と一緒に暮らしている。
みんな被ばくをしている。
「茶色い牛は日本特有で、黒いのとは全然違うんです」
「出荷できませんし、食べることもできません」
「譲渡も、売買も、よそに持ち出すことも、政府に禁じられています」
東電からは、2千万円の賠償金を受け取った。
「7.9マイクロシーベルト……」
「7.6マイクロ、この辺りは高いです」
吉沢さんは、危険にもかかわらず、ここに残る決意をした。
「人生の最後まで、群れにエサをやる、牛飼いでいたいんです」
「牛を売れなくても、もう関係ないです」
「原発事故があった……仕方ないんです、原発が爆発してしまったんだから……」
「何が起ころうと最後まで、生き物たちの世話をするんです、残りの20年」
しかも、牛たちは病気だ。
事故から一年、皮膚に白斑が現われた。
「2012年8月から、白斑が出はじめました」
「黒毛牛ですが、首や背中や体のあちこちに、白い斑点が出ています」
「すこし減りましたが、こっちの牛にも出てます。被ばくをしているせいだと思います」
「皮膚や色素の変異みたいなものでしょう」
事故以来、200頭以上の牛が死んだ。
原因は不明だ。
政府は獣医を派遣して、調査を行なったが、結果は一度も送られて来ない。
「この牛は。突然死にました」
「健康に見えたのですが、突然元気がなくなって、原因はわかりません。子牛も一緒に死にました」
「原因不明です、元気だったのに……」
一頭ずつ、死んだ牛のために、慰霊碑を建てている。
しかし、自分自身の体調については、語りたがらない。
「DNAの検査を二度ほど受けました」
「大丈夫だと言われました」
「少し心配な部分もあるけれど、 標準の範囲だと言われました」
「若い人ほど心配だそうです」
「私は来年60歳になるので……そんな年だから、もう心配ないんです」
それでも、われわれに、診断書を貸すことを承知してくれた。
検査によれば、彼のDNAは、損傷を受けていた。
問診をした日本の医師は、手で書き込みをしている。
『やや高めですが、心配ありません』
しかし、別の医師は、この記述に憤慨した。
チェルノブイリ事故後、ウクライナで、長く働いた医師だ。
「ある畜産家が、検査で、DNAの損傷を認められましたが、医師は問題ない、と言っています」
「それは、お医者さんが言ったんですか?とっても危ないですね」
河田昌東・分子生物学者:
「上昇がどういう意味を持つのかは、わからないのです」
「わかるのは、体内で何か大変なことが起こっているということです」
「DNAが損傷すると何が起こるのですか?」
「発癌リスクが非常に高まります」
「しかし、チェルノブイリでは癌も増えましたが、他の病気も多く現われました」
「実は、癌は、チェルノブイリ事故後に現われた病気の、10%に過ぎません」
「多かったのは心臓病です。セシウムは体内に入ると、すい臓と心臓に溜まるからです」
「それから体全体に広まることが、わかってきています」
福島では、こうした健康被害リスクが、2011年3月以来、現実にある。
原子炉建屋が次々と爆発し、高濃度の放射性プルームが放出されたから。
甲状腺癌の蔓延を恐れて、日本政府は、大規模な健康調査を実施している。
0~18歳の36万人の子供が、ホールボディーカウンター測定と、甲状腺の超音波検査を受けなければならない。
しかし、保護者にとって、検査は良識的とは言えない。
郡山市。原発から50Km。
ここも、放射能雲が通過したため、ひどい放射能汚染をしている。
住民は、子供の心配をしている。
「見て、まだ毛があるよ」
「うん、僕、毛があったの」
野口とき子さんは、二児の母親だ。
13歳のユメちゃんと、9歳のダウン症児、リンタロウ君。
リンタロウ君は、原発事故直後に、髪の毛を失った。
医者によると、ストレスが原因だ。
「一番危険だったのは、3月15日だったと思います」
「爆発後、何時間のタイムラグがあって、放射能が風に乗ってきたのが、15日だと思います」
「それが15日の雪雲で、郡山市に降り注いだのです」
昨年、ユメちゃんとリンタロウ君も、県民健康管理調査に参加させられた。
甲状腺の超音波検査を受けたのだ。
「甲状腺検査を受けるためには、保護者はサインと捺印をします」
「結果は、子供の名宛で郵送されます」
「“野口リンタロウ様”とあります」
「封筒には、“親展”とあるので、彼しか開けられません」
「まだ小学校四年の身障者なのに!それで、私たちが開封しました」
「結果は、20ミリ以下ののう胞があると、それだけです。数もサイズも、図も無しです」
「最後に、『A2判定』だとあります」
「次の検査は2年後だそうです。信じられません!のう胞があるのに、2年も待つなんて!」
「ショックもありますが、怒りの方が大きいかな……」
とき子さんの子供は、二人ともA2判定だった。
保護者に渡された書類によれば、検査結果は、次のように分類されている。
A1判定=甲状腺に異常は見られませんでした。
A2判定=のう胞、または結節がありますが、問題はありません。
BとC判定は、二次検査、または手術を必要とする。
この不十分な情報に、保護者は安心することができない。
すでに、75人の甲状腺癌と、疑いが発見されているだけに、なおさらだ。
通常の発症率の15倍だ。
各地で、真実を探るための協会が、動き出した。
その一つ、三春村も、放射能雲の影響を受けた地域だ。
この日、学校の体育館で、たくさんの家族が順番を待っていた。
「ここの黒く見えるシミが、のう胞と呼ばれるものです」
この医師は、甲状腺癌のスペシャリストだ。
ボランティアで、検診を行なっている。
「甲状腺の左側に、結節があります。サイズは 8.2×3.6ミリ……」
「福島県の甲状腺検査は、信頼できない」と、彼は言う。
そして、権威機関の主張とは逆に、「日本で、癌が多発する恐れがある」と言う。
西尾正道・北海道がんセンター院長:
「15年か20年後には、大変な状況になる可能性があります」
「今の日本では、地上1mの線量が年20mSv になる場所に、人が住んでいます」
「チェルノブイリの基準ならば、住民を移住させなければいけません。年間3mSv以上で移住でしたから」
「しかし、日本は年20mSv まで、居住を許しています。このままでは、大変なことになります」
およそ100家族が、西尾医師の診察を受けに来た。
「結果はいかがでしたか?」
「問題ないそうです。安心しました」
政府が沈黙する中、こうした協会が、人々に、わずかな安心と希望をもたらす。
鈴木薫・いわき市市民放射能測定室事務局長:
「特別なことをやってるわけではありません」
「私たちのまわりは、放射能だらけです。いつ次の爆発が起こるか、わかりません。私たちは、そういう状況に生きてます」
「そんな中で、子供たちを放射能から守るには……、私たちは殺されかかっているようなものなので……、何かしなければなりません」
「とっても受身な姿勢ですが、闘わなければなりません」
日本政府は信用ならない、と評価されている。
その政府を相手に、闘うすべのない保護者たち。
事故後政府は、このアドバイザーを任命し、すべてが始まった。
このビデオは、インターネット上でも拡散された。
山下医師の発言は、日本中を震撼させた。
「放射能の影響は、ニコニコしている人には来ません。クヨクヨしていると来ます。これは、明確な動物実験でわかっています」
山下医師は、われわれの取材依頼に応じなかった。
その代わり、後任者に会うことができた。
鈴木医師だ。
「保護者が不安に思う必要はない」と、彼は言う。
鈴木眞一・福島医科大学付属病院病院長:
「二人に一人の子供は、医療措置を受ける必要がありません」
「のう胞があるのに?」
「はい 問題ありません」
「甲状腺癌の数も、まったく異常ではない」と、鈴木医師は言う。
一番危険なのは、不安をあおること、だそうだ。
「放射線は目に見えません」
「放射線による被害は、すぐには現われません。ですから事故当初、みなさんが心配をされたのは普通です」
「しかし、私の個人的意見ですが、放射線よりも、放射線への恐怖の方が、日本人に大きな影響をもたらしています」
「放射線を怖がるのが、一番いけません。わかりますか?」
だが、疑いがあるのか、福島大学は、巨大な放射線影響研究所を建設中だ。
2016年に開業予定だ。
日本は、暗い時代の到来に、備えているわけだ。
制御不可能なモノの制御を試みるため、日本政府は、原発から60kmの福島市に、原子力災害対策本部を設置した。
すべての関連省庁が、ここに集まっている。
そして、原発を所有する東電もいる。
広報班長の木野正登さん。
事故当初から、本部を指揮している。
彼の任務は。まだまだ続くだろう。
木野正登・原子力災害対策本部(経済産業省):
「もう三年近くここにいます」
「今のところ、後どれくらい、ここにいなければいけないかわかりません」
「放射能がなくなるまでは、30年、40年かかるでしょう。ですから、まだ長い間、ここで働くことになるでしょう」
原発を解体するのに40年。
しかし、目下、メルトダウンした原子炉を、冷却しなければならない。
常時、水を掛け続けるのだ。
非人間的な仕事だ。
漏水ばかりしている。
何百人もの作業員が、危険にもかかわらず、リレー作業を続ける。
汚染をなんとか遮蔽しようと、応急処置をしている。
毎日300トンの高濃度汚染水が、太平洋に流れている。
「みなさん、環境の心配をされています。高濃度汚染水が、海に流れていますから」
「当然です、特に、漁業の方は心配されています」
「一日も早く、汚染水の問題を、解決しなければなりません」
原発から海に漏れる汚染水が、魚を汚染させている。
昨年、水揚げされたこのアイナメは、基準値の2500倍の汚染をしていた
漁業は、沖合い40kmまで禁止されている。
いわき市のトロール船は、外洋まで操業に出なければならない。
捕獲が許可されているのは、約40種類の魚だけだ。
その一部は、検査に出さなければらない。
港では、県の役人が待ち受けている。
「魚は、研究所に持って行きます。放射能の検査をするためです」
この数ヶ月、県の検査結果は、魚を売ったり食べたりするのに、安心な値になってきている。
鈴木みつのり・漁師:
「食べるんですか?」
「もちろん。タコ」
「生で?」
「もちろん食べるよ。汚染ないもの」
「放射能ゼロだもの。これも放射能ゼロ」
タコやイカは、放射能に敏感ではなく、漁を許されている数少ない魚種だ。
しかし、漁師たちは、全面解禁を願っている。
「常時モニタリングしていると、基準値超えの魚も見つかります。100ベクレル以上ということです」
「でも、検査のたびに、値は下がってます」
「政府は、とても慎重なんです。だから、何百回も検査して、はじめて漁の許可を出します」
日本政府は、汚染の続く限り、漁業を監視・制限すると宣言している。
日本気象研究所も、モニタリングに参加している。
青山道夫は、2011年以来政府の委託で、太平洋の放射能の拡散を観察している。
そして。安心できる見解を表明した。
青山道夫・気象庁気象研究所:
「福島原発から流出した放射能は、まず黒潮に乗ります。そして東に進みます」
「ただし、それほど東進しません」
「2011年冬から2012年春にかけて、汚染は東に流れました。そこで冷やされて、沈みます」
「深く沈んだ後、方向を変えて、南に向います。そして西に戻ります」
「日本に帰ってくるのです」
「こうして一部は、日本に帰ってきます」
「福島から、2500~3000キロに運ばれた放射能は、水深400mまで沈んでしまっています」
青山教授によれば、太平洋の生物には、まったく危険はない、ということだ。
「絶対ですか?」
「太平洋の魚は、まったく問題ありません。危ないのは、福島原発に接する海域の魚だけです」
「ここで育つ魚の遺伝子は、放射能で、ほんのすこし傷ついています」
「けれど、外洋の魚は、浅い所でも、深海でも、まったく大丈夫です」
「放射能が蓄積していても関係ありません」
「魚は食べて大丈夫なんですね?」
「大丈夫です。私も食べてます」
この、青山教授の説は、東京のある科学者を、困惑させた。
崎山比早子さんは、この日、放射能情報センター(原子力資料情報室?)に招待されていた。
放射線科学研究所の所長である崎山さんに、青山氏の説を話してみると……。
「魚が、高濃度汚染水の中を泳いでも、まったく問題ないそうです」
「ほんとに!?」
崎山比早子・福島原子力発電所事故調査委員会委員:
(*崎山氏より、「海洋学は専門外」と断りがありました
「そんなこと、聞いたことありません。海洋学の青山先生ですよね?」
「魚が出られないように、網は張ってあるけれど、汚染水は自由に流れるから……」
「セシウムは、砂や泥について水の底に沈むけれど、それを食べる魚だっているし、回遊してくるから、もちろん影響はあります」
「影響がないなんて、あり得ません」
「(私は専門外なので)何故、彼がそんなことを言ったのか、わかりません」
日本政府は大丈夫、と言っているが、太平洋汚染の危機は現実、ということだ。
太平洋の向こう側では、その危機感が広まっている。
アメリカ……。
サンフランシスコ。
毎週、ボランティア達が、流れてくる津波の瓦礫を清掃する。
環境を守ろうとする彼らにとって、今回の汚染は大惨劇だ。
「海は、私たちの命です」
「地球の70%が、海です」
「原発事故は、もちろん海に影響を与えます」
「悲劇です」
「日本からアメリカまで、生態は被害を受けるでしょう」
津波による瓦礫の大部分は、今年の春、アメリカ沿岸に届くはずだ。
しかし、科学者が一番心配しているのは、生態への影響だ。
ニューヨーク州ストーニーブルック大学。
この海洋学者は、放射能汚染したマグロの、切り身を保存している。
ダニエル・マディガン・ストーニーブルック大学生物学研究者:
「太平洋産のマグロです。サンディエゴ沖15~150キロの海域で、捕獲されました」
「分析の結果 福島原発由来の、セシウム134と137が検出された」
「このピークは、福島の放射能でなければ現われません」
「セシウム134がとび抜けている以外には、目立ったところはありません」
カリフォルニア沿岸中で、科学者グループは動き出している。
ダニエル・ハーシュ教授は、リフォルニア大学で、原子力政治学を教えている。
「福島原発事故は、地球規模の被害をもたらす大惨事だ」と言う。
ダニエル・ハーシュ・カリフォルニア大学原子力政治学教授:
「放射能に、安全なしきい値のないことは、わかっています」
「海に流された汚染水によって、被ばくの危険は上昇しました。どの程度かはわかりませんよ」
「福島原発事故は、世界規模の事故でした。被害は、グローバルに出るでしょう」
「どのようなものかはわかりませんが、人類に現われる健康被害は、膨大でないにしても、ゼロということもありません」
太平洋汚染への不安から、カリフォルニアでは、人々は警戒を怠らない。
ヨーロッパはどうだろう?
海は影響を受けなかったが、放射能雲は届いていた。
その大きさは?
フランスの科学者達は、それを突き止めようとした。
パリ近郊。
「大事故……そう、大惨事でした」
IRSNは、福島由来の放射能雲の通過コースを、シミュレーションした。
これが、その結果だ。
オリヴィエ・イスナール・フランス放射線防護原子力安全研究所・放射線防護課副課長:
「プルームは、太平洋に広がり、北米大陸に向かい、合衆国とカナダの間、そしてカリフォルニアの、アメリカ沿岸に達しました」
「そのまま、北米大陸、特にアラスカに広がりました」
「ボストンから大西洋に抜けます」
北極圏からも広がっています」
そしてスエーデンから北欧に入ります」
東欧に達し 南北と東西に流れながら、徐々にフランスにも広がりました」
「フランス人に、危険はなかったのですか?」
「ありません。十分に低いレベルでしたから」
「ヨーロッパに住む人には、健康被害は出ません」
だが、独立の立場の専門家は、そんなに簡単な問題ではない、と言う。
確かに、ヨーロッパの放射能汚染は少なかったが、リスクは現実だったと、クリラッドの専門家は言う。
「フランスの住民も、福島の放射能を、ある程度受けました」
「呼吸と食物を通してです」
「幸い、チェルノブイリの時の1000分の1程度でしたので
例えば、安定ヨウ素剤の服用と言った、勧告を行なう必要はありませんでした。
とはいえ、あらゆる追加被ばく量は、健康リスクを上昇させます。
ですから、長期的な目で見て、影響がないと断言することは不可能です」
「これは、日本だけでなく、世界中の人に言えることです」
ふたたび日本。
南相馬市。福島原発から20km。
いわもとてるおさん・退職者:
三歳の時から、地元の川で釣りをしている。
祖父に教えてもらった。
彼の生活スタイルなのだ
「ナマズ」
「食べられますか?」
「いいえ」
「どうして?」
「放射能に汚染されてます。たぶん1000ベクレル近く」
「危険ですか?」
「ええ 今の日本の基準が、100ベクレルです。太田川は900とか、1000ベクレル出てます」
いわもとさんは、鰻釣りの名人だ。
日本人の大好物だ。
しかし、高濃度汚染しているので、もう食べられない。
自宅に戻って、検査するために、鰻を切り刻む。
原発事故以来、彼の趣味は終わった。
「定年退職して、人生を、これから楽しもうと思っていました。まさにその時 原発事故が起こったんです」
「こんなこととは、関係なく生きたかった。放射能測定なんてこととは……」
「いつかまた川の魚を、食べられる日が来ますか?」
「私の生きている間は、来ないでしょう」
いわもとさんは自主的に、放射能測定を行なっている。
それが義務なのだ、と言う
未来の世代が、この悲劇を繰り返さないように。
故郷の川と……これほど多くの人生を、破壊してしまった悲劇。
フランスとドイツで放送された2本の報道番組です。
チェルノブイリの原発事故が起こった時、原発の事故の悲惨さ、厳しさ、恐ろしさを、わたしは日本のテレビ局が報道した、優れた番組によって知りました。
その時、ああ、ソ連の国民でなくてよかった。
万が一、日本の原発が事故を起こしても、あんな酷い目に遭わないはず
なによりも、科学技術が発達している、しかも几帳面で堅実な日本人が管理している、どこよりも安全な原発やもの、そもそも事故なんか起こるわけがないし……。
ああ、なんと能天気で、物知らずな大人だったんでしょうか。
あの事故が起こり、それによって生じた様々な不条理や不手際を、散々調べて報道していた国が、
その当時の、初めてだから仕様が無かった混乱と失敗を、まるで聞いたこともないかのように、知らないふりをして、同じことを、いや、当時のソ連よりも後手後手に、
あれやこれやと誤摩化し、のらりくらりと先延ばしにし、隠したりウソをついたりしながら、ひたすら時間稼ぎをしている……。
最低の国だった……。
だから、「私たちは殺されかかっているようなものなので」という、いわき市の市民の方の言葉は、決して大げさでもなく、本当のことだと思います。
だから、そんな恐ろしい連中によって牛耳られている国に生まれてしまった子どもたち、これから生まれてきてしまう子どもたちのために、
わたしたち大人が、何かしなければならないのではないのですか?
フランスFR3「フクシマ・地球規模の汚染へ」 和訳全文
スイスの決意。
それは、20年後に、原発をゼロにすること。
日本で、福島原発が大事故を起こした直後の決定である
「福島原発では、今日も、新たに2回の爆発が、同時に起こりました」
津波の後 福島原発が連続爆発してからというもの、スイス人は、放射能に対して、ひときわ敏感になった。
「『日本の汚染魚にノー!』韓国は、福島産のすべての海産物を、輸入禁止しました」
バーゼルの研究所が、昨年10月に発見した。
スイスのスーパーで売られていた魚が、放射能汚染をしていたのだ。
太平洋産のマグロから、セシウム134と137が検出された。
福島原発事故由来の汚染である証拠だという。
「ご覧のように、セシウム134と137の両方を含有してました」
「どれくらいの量?」
「0.1から0.5ベクレル/ Kgです」
所長によれば 基準値以下のため、健康には危険はないということだ。
われわれのために、別のサンプルも分析してくれる。
「この魚は何ですか?」
「タラです」
「太平洋産タラ…バーゼル市内の店で買いました」
「セシウム検査をするために…」
【バーゼル研究所】
マルクス・ツェーリンガー・放射能研究チームリーダー:
「二つのセシウムが同時に検出されたら、福島が汚染の原因だと言えます」
分析の結果、タラも、福島の放射能に汚染されていた。
行政の基準によれば、危険はない量とのことだが……。
しかし、国境の向こうのフランスには、別の意見の専門家もいる。
「『放射能が無害』などという発言は、非常識だ」と彼は言う。
【クリラッド測定所】
ブルーノ・シャレロン ・核物理学エンジニア:
「被ばくには『しきい値』というものは、存在しないのです」
「最少量のベクレルでも、ガンマ線やベータ線を外部や内部から受ければ、後年、それがガンになっていくキッカケになり得ます」
だから、被ばくとは闘わなければいけない。
終わりのない戦争だ。
それが地球の裏側では、3年前から猛威をふるっている。
日本……。
その日、マグネチュード9の大地震が、日本の沿岸部を襲った。
数十分後、巨大な水の壁が、太平洋岸一帯を飲み込む。
犠牲者は、2万人を超えた。
5千人が行方不明だ。
津波は、福島第一原発も壊滅させた。
これが、運命の瞬間である。
巨大な波が施設を襲う。
冷却用タービンは水没して壊れ、原子炉はメルトダウンを始めた。
次々に爆発が起こった。
世界は、チェルノブイリ以来、史上最悪の原発事故を、目の当たりにした。
原発から放射能雲が発生し、国土の大きな面積を覆った。
政府は、3万人の住民避難を決定。
原発周辺に、最初は20km、やがて、30kmの閉鎖区域を設けた。
3年が過ぎた……。
福島周辺では、今でも、津波の爪痕が生々しい。
見渡すかぎりの瓦礫の山、家や家具の残骸、壊れた車、トラック……。
この地方全体が、巨大な除染作業の現場と化した。
放射能雲は、いたる所を通過した。
たくさんの作業隊が、表土を5cm掻き取り、巨大な黒い袋に詰めている。
別の作業員が、それを積み上げる。
処分法がないからだ。
日本政府によれば、『現場はコントロールされている』。
しかし、現地の住民は安心できず、自分たちで何とかする決意をした。
例えば、原発から20km の南相馬市。
事故の翌日に、避難を命じられた町だが、2012年4月、閉鎖区域から外された。
住民は、放射能という『毒』を、自ら計測することにした。
事故後、独立した団体が、数多く結成された。
「仮置き場が見えますよ」
「放射性物質が貯蔵されてる所です」
「積み上げられて ゴミの山になります」
こうした団体の代表者は、ガイガーカウンター持参で、住民のSOSに駆けつける。
丘のふもとの、立派な家に呼ばれた。
家は、市の除染を受けたばかりだ。
しかし家主は、安心できずにいる。
「全部 測りましょうね」
日本政府の定めた許容基準値は、毎時0.23マイクロシーベルト。
つまり、年間1ミリシーベルト。
国際的な基準によれば、それ以上の被ばくは危険である。
「素敵なお宅ですね」
「放射能がなければ、もっと素敵ですよね」
家主は、名のある陶芸職人だ。
調査を始めると、たちまち測定器が鳴る。
基準値の20倍……。
「ここの除染は完了しています」
「放射性物質はすべて除去したと、行政は主張してますが、このコンクリートの上など、5マイクロシーベルトあります」
「普通は、年間1ミリシーベルト以上、放射能を受けてはいけません」
「ここの年間の被ばく量は、4.3ミリシーベルトです」
「チェルノブイリなら避難地域に指定される量です」
「居住禁止のはずです」
「ここは誰も住んではいけない場所なのです」
彼は、妻と3人の子供を、300km離れた場所に移住させた。
しかし、自分は残るつもりだ。
大山弘一さんは 原発事故以来、ここに一人で住んでいる。
「15年前にここに来て、チェーンソーで土地を切り開きました」
「この家は、自分で建てました」
「庭も家も全部、自分で設計しました」
大山さんの家計は、惨憺たるものだそうだ。
補償はなく、顧客もないので、収入はゼロ。
しかし、税金は今でも毎年取られる
テラスの線量は強烈だ。
基準値の40倍を超える
「素敵な家ですから、売りに出してはいかがですか?」
「誰も買いたがりませんよ」
「どうして?」
「だって、放射能汚染してますもの」
「放射線管理区域内です」
「ここの家を買う人なんていません」
南相馬はどこも、放射能だらけだ。
政府は、地域の学校すべてに、モニタリングポストを設けた。
保護者を安心させるために、リアルタイムの線量が示される。
0.13マイクロシーベルト/時。
基準値よりずっと低い。
しかし、数メートル離れた道端の数値は、0.8マイクロシーベルトまで上がる。
学校前の公式数値の5倍だ。
吉田邦博・市民放射線測定所(CRMS)代表:
「学校は除染されましたから」
「当然、数値も低くなっています」
「でも、10メートル離れただけで、数値は変わります」
「4倍から5倍に上がります」
「10倍に上がる所もあります」
「私に言わせれば、モニタリングポストは、何の役にも立ちません」
「税金の無駄遣いです」
「これは自然放射線なんですか?」
「もちろん違います」
「自然放射線だったら、0.05マイクロシーベルトくらいです」
地域のすべての学校が、行政によって除染された。
いわき市、福島原発の南40km。
この日、小学校では、みんな熱狂していた。
地元野球チームの人気選手を迎えたのだ。
そして、グラウンドの片隅では、気ぜわしい様子のお母さん3人……。
彼女たちも、公式数値をチェックするグループを結成したのだ。
1メートルごとに、グラウンドを測定する。
千葉ゆみ・主婦:
「そこの場所が、学校では一番高いです」
「0.18マイクロシーベルト以上です」
「グラウンドにしては高いですね」
「健康にはまったく害がないと、保証されている数値です」
「でも原発事故前と比べると、3倍から4倍高いですね」
グラウンドの次は、校庭だ。
子供の健康を心配して、お母さんたちは、天(お上)任せにはしない。
「このタブレット、GPS機能が付いていて、直接線量を記録するんです」
学校責任者は、万事順調だと主張するが、動揺を隠し切れない瞬間もある……。
「学校の除染は済んでますか?」
「はい、人が来て、学校の裏の木や、あそこの木を切りました」
「でも、正式の除染はされてません」
「子供が遊んでも安全なのですか?」
「私個人としての意見ですか?それならノーコメントです」
教頭の後ろには、モニタリングポストが2台も立っている。
1台目の数値は、0.09マイクロシーベルト。
2台めは、ずっと高い数値を示している。
毎時0.14マイクロシーベルトだ。
「長い話になるのですが、私の聞いたところでは、1台はある会社で作られたのですが、性能を満たしていないということで、文部科省が契約を解除したそうです」
「その後、新しい機械が設置されました。裁判になってると思います」
「同じ数値が出ますか?」
「こっちの方が良くないようです。性能が満たされていないそうです」
妙な話だ。
われわれは、取材旅行中ずっと、隣り合わせ(に立っている2台)のモニタリングポストに出会った。
政府が設置したモニタリングポストは、隣りの計器より低い線量のことが多い。
この差はどこから来るのか?
東京に戻る。
この倉庫は、契約解除された計器のメーカーのものだ。
彼が、社長の豊田氏。
豊田勝則・株式会社アルファ通信社長 ;
「これが文部科省が発注したものです」
「省は600台 この、リアルタイムの計測システムを注文し、福島県に設置しました」
ところが、使用が始まった数週間後、省は、計測値を補正するように要請した。
『計器の表示する値は高すぎる』という理由である。
省の通知は、厳しい口調だった。
「省から届いた通知です」
2011年10月26日付
「ここに、『表示値が高すぎる』とあります」
「彼らは、6基のモニタリングポストを、現場で検査し、省のガイガーカウンターに比べて、私どもの計器の値は、はるかに高いと」
「従って、表示値の補正が必須であると」
「即座に調整を行なうように、要請されました」
しかし、豊田氏の計測器は、国際基準に従ってアメリカで製造されていた
そして、アメリカの製造者は、補正を拒否した。
「アメリカ側とコンタクトを取り、数値を下げてくれ、と頼みました」
「『機器は、国際基準に則している』という返答でした」
「『なぜ、日本の基準に合わせる必要があるのかわからない』と、補正を拒否されました」
放射線量というのは、不確定であるため、20%程度の振れ幅が適用される。
しかし、ほとんどの国が、慎重をきして最高値を採用している。
日本の官庁は、われわれの問い合わせに応じなかった。
豊田氏との裁判を控えているため、という口実である。
国民の不安をあおるのを恐れて、危険を最小限に見せる
事故当初から 国のこの態度に、日本人は苛立っている。
安全発言を告発するために、隠しカメラの使用を辞さないジャーナリストもいる。
日本では普通、ほとんど使われない。
そのため、このジャーナリストの顔を、公開することはできない。
『桐島 瞬』は、彼の筆名だ。
この3年間、原発内部を撮影するため、定期的に作業員として働いている。
この日は、東京のある労働組合で、目撃したことを報告した。
集まっているのは、原発労働者。
クビになる恐れがあるので、顔は公開できない。
「海を見るとすごく綺麗だけど、原発内部は、メチャメチャです」
「これは?」
「一号機のタービンです」
「汚染水用のホース 破れたものです」
原発内の仕事は、キツくて危険だ。
5千人の作業員は、みんな志願者だ。
桐島 瞬は、写真を撮ることは、自分の義務だと考えている。
「危険は承知です。48歳、もう若くないですから、構わないです」
「本当のことが知りたかったんです」
「何が一番大切か、考えました」
「危険を冒すほかない。原発内で起こっていることを、本当に知るために……」
彼は、私が、福島原発に接近する手助けをしてくれることになった。
2012年以来、閉鎖地域は、原発周囲の円状ではなく、放射能の広がりにほぼ沿っている。
許可なしで入ることは、不可能だ。
報道陣に許可の出ることは稀で、非常に規制されている。
しかし彼は、通行許可を持っているのだ。
私は、彼の車のトランクに隠れて、閉鎖区域に入ることになった。
「チェックポイントです。しばらくジッとしていて!」
「こんにちは!」
「申告することはありませんね?はーい どうぞ!」
数キロ先、人目のない場所で、トランクから出る。
だが、顔を隠すようにアドバイスされた。
「こうやって、日本人っぽくして、外国人だとわからないようにしました」
「日本人っぽく見える?」
「ああ、これなら目立たない」
原発に向うと、ガイガーカウンターが鳴り始める。
許容基準値0.23μを超えている、明らかな証拠だ。
「10.4」
「危険?」
「ああ、高すぎる」
「10.4?高すぎる、危険だ」
「ほら、ここを左折すると、1キロ半で原発だ」
双葉小学校の駐車場に、案内してもらう。
政府のモニタリングポストには、標準の50倍の線量。
桐島 瞬は激怒する。
「バッテリーを地面に置いてある!」
「ガンマ線はブロックされてしまいます」
「計器は、バッテリーと鋼鉄板の上に設置されてます」
「ガンマ線は、センサーに届きません」
「公式の線量は少なくなります」
その証拠に、2メートル離れた草の中では、21マイクロシーベルト/ 時、公式線量の2倍に近い。
校舎の裏では、測定器は狂ったように鳴る。
「ほぼ40マイクロシーベルト」
「地面に置くと、単位が変わります」
「ミリシーベルトになりました」
「0.32ミリシーベルト。つまり、320マイクロシーベルトですね」
安全基準の1300倍を超える。
日本政府は、双葉町が、何十年も住めないと宣言した。
「10年、50年は帰れません」
「ここに住んだら、許容基準の50倍の線量を、浴びることになります」
「年間50ミリシーベルト以上……不可能です」
「あまり長居しない方がいい……行きましょう」
「ここによく来るのですか?こんな危ないのに……」
「私は、福島原発で長く働いたので、もういいんです。でも、あなたみたいな普通の人は、こういう場所に長居しない方がいい」
閉鎖地域の線量は、基準値をはるかに超える。
原発の周りの村では、2011年3月の震災の爪痕もそのままに、時間は止まってしまった。
しかし、日本政府はいつか、住民を帰還させる希望を失わない。
そもそも、家を捨てることを拒否した人も多い。
この農夫は、原発から14kmの場所に住んでいる。
「私はレジスタントです、神風、牛のテロリストです」
吉沢正巳さんは、300頭の牛と一緒に暮らしている。
みんな被ばくをしている。
「茶色い牛は日本特有で、黒いのとは全然違うんです」
「出荷できませんし、食べることもできません」
「譲渡も、売買も、よそに持ち出すことも、政府に禁じられています」
東電からは、2千万円の賠償金を受け取った。
「7.9マイクロシーベルト……」
「7.6マイクロ、この辺りは高いです」
吉沢さんは、危険にもかかわらず、ここに残る決意をした。
「人生の最後まで、群れにエサをやる、牛飼いでいたいんです」
「牛を売れなくても、もう関係ないです」
「原発事故があった……仕方ないんです、原発が爆発してしまったんだから……」
「何が起ころうと最後まで、生き物たちの世話をするんです、残りの20年」
しかも、牛たちは病気だ。
事故から一年、皮膚に白斑が現われた。
「2012年8月から、白斑が出はじめました」
「黒毛牛ですが、首や背中や体のあちこちに、白い斑点が出ています」
「すこし減りましたが、こっちの牛にも出てます。被ばくをしているせいだと思います」
「皮膚や色素の変異みたいなものでしょう」
事故以来、200頭以上の牛が死んだ。
原因は不明だ。
政府は獣医を派遣して、調査を行なったが、結果は一度も送られて来ない。
「この牛は。突然死にました」
「健康に見えたのですが、突然元気がなくなって、原因はわかりません。子牛も一緒に死にました」
「原因不明です、元気だったのに……」
一頭ずつ、死んだ牛のために、慰霊碑を建てている。
しかし、自分自身の体調については、語りたがらない。
「DNAの検査を二度ほど受けました」
「大丈夫だと言われました」
「少し心配な部分もあるけれど、 標準の範囲だと言われました」
「若い人ほど心配だそうです」
「私は来年60歳になるので……そんな年だから、もう心配ないんです」
それでも、われわれに、診断書を貸すことを承知してくれた。
検査によれば、彼のDNAは、損傷を受けていた。
問診をした日本の医師は、手で書き込みをしている。
『やや高めですが、心配ありません』
しかし、別の医師は、この記述に憤慨した。
チェルノブイリ事故後、ウクライナで、長く働いた医師だ。
「ある畜産家が、検査で、DNAの損傷を認められましたが、医師は問題ない、と言っています」
「それは、お医者さんが言ったんですか?とっても危ないですね」
河田昌東・分子生物学者:
「上昇がどういう意味を持つのかは、わからないのです」
「わかるのは、体内で何か大変なことが起こっているということです」
「DNAが損傷すると何が起こるのですか?」
「発癌リスクが非常に高まります」
「しかし、チェルノブイリでは癌も増えましたが、他の病気も多く現われました」
「実は、癌は、チェルノブイリ事故後に現われた病気の、10%に過ぎません」
「多かったのは心臓病です。セシウムは体内に入ると、すい臓と心臓に溜まるからです」
「それから体全体に広まることが、わかってきています」
福島では、こうした健康被害リスクが、2011年3月以来、現実にある。
原子炉建屋が次々と爆発し、高濃度の放射性プルームが放出されたから。
甲状腺癌の蔓延を恐れて、日本政府は、大規模な健康調査を実施している。
0~18歳の36万人の子供が、ホールボディーカウンター測定と、甲状腺の超音波検査を受けなければならない。
しかし、保護者にとって、検査は良識的とは言えない。
郡山市。原発から50Km。
ここも、放射能雲が通過したため、ひどい放射能汚染をしている。
住民は、子供の心配をしている。
「見て、まだ毛があるよ」
「うん、僕、毛があったの」
野口とき子さんは、二児の母親だ。
13歳のユメちゃんと、9歳のダウン症児、リンタロウ君。
リンタロウ君は、原発事故直後に、髪の毛を失った。
医者によると、ストレスが原因だ。
「一番危険だったのは、3月15日だったと思います」
「爆発後、何時間のタイムラグがあって、放射能が風に乗ってきたのが、15日だと思います」
「それが15日の雪雲で、郡山市に降り注いだのです」
昨年、ユメちゃんとリンタロウ君も、県民健康管理調査に参加させられた。
甲状腺の超音波検査を受けたのだ。
「甲状腺検査を受けるためには、保護者はサインと捺印をします」
「結果は、子供の名宛で郵送されます」
「“野口リンタロウ様”とあります」
「封筒には、“親展”とあるので、彼しか開けられません」
「まだ小学校四年の身障者なのに!それで、私たちが開封しました」
「結果は、20ミリ以下ののう胞があると、それだけです。数もサイズも、図も無しです」
「最後に、『A2判定』だとあります」
「次の検査は2年後だそうです。信じられません!のう胞があるのに、2年も待つなんて!」
「ショックもありますが、怒りの方が大きいかな……」
とき子さんの子供は、二人ともA2判定だった。
保護者に渡された書類によれば、検査結果は、次のように分類されている。
A1判定=甲状腺に異常は見られませんでした。
A2判定=のう胞、または結節がありますが、問題はありません。
BとC判定は、二次検査、または手術を必要とする。
この不十分な情報に、保護者は安心することができない。
すでに、75人の甲状腺癌と、疑いが発見されているだけに、なおさらだ。
通常の発症率の15倍だ。
各地で、真実を探るための協会が、動き出した。
その一つ、三春村も、放射能雲の影響を受けた地域だ。
この日、学校の体育館で、たくさんの家族が順番を待っていた。
「ここの黒く見えるシミが、のう胞と呼ばれるものです」
この医師は、甲状腺癌のスペシャリストだ。
ボランティアで、検診を行なっている。
「甲状腺の左側に、結節があります。サイズは 8.2×3.6ミリ……」
「福島県の甲状腺検査は、信頼できない」と、彼は言う。
そして、権威機関の主張とは逆に、「日本で、癌が多発する恐れがある」と言う。
西尾正道・北海道がんセンター院長:
「15年か20年後には、大変な状況になる可能性があります」
「今の日本では、地上1mの線量が年20mSv になる場所に、人が住んでいます」
「チェルノブイリの基準ならば、住民を移住させなければいけません。年間3mSv以上で移住でしたから」
「しかし、日本は年20mSv まで、居住を許しています。このままでは、大変なことになります」
およそ100家族が、西尾医師の診察を受けに来た。
「結果はいかがでしたか?」
「問題ないそうです。安心しました」
政府が沈黙する中、こうした協会が、人々に、わずかな安心と希望をもたらす。
鈴木薫・いわき市市民放射能測定室事務局長:
「特別なことをやってるわけではありません」
「私たちのまわりは、放射能だらけです。いつ次の爆発が起こるか、わかりません。私たちは、そういう状況に生きてます」
「そんな中で、子供たちを放射能から守るには……、私たちは殺されかかっているようなものなので……、何かしなければなりません」
「とっても受身な姿勢ですが、闘わなければなりません」
日本政府は信用ならない、と評価されている。
その政府を相手に、闘うすべのない保護者たち。
事故後政府は、このアドバイザーを任命し、すべてが始まった。
このビデオは、インターネット上でも拡散された。
山下医師の発言は、日本中を震撼させた。
「放射能の影響は、ニコニコしている人には来ません。クヨクヨしていると来ます。これは、明確な動物実験でわかっています」
山下医師は、われわれの取材依頼に応じなかった。
その代わり、後任者に会うことができた。
鈴木医師だ。
「保護者が不安に思う必要はない」と、彼は言う。
鈴木眞一・福島医科大学付属病院病院長:
「二人に一人の子供は、医療措置を受ける必要がありません」
「のう胞があるのに?」
「はい 問題ありません」
「甲状腺癌の数も、まったく異常ではない」と、鈴木医師は言う。
一番危険なのは、不安をあおること、だそうだ。
「放射線は目に見えません」
「放射線による被害は、すぐには現われません。ですから事故当初、みなさんが心配をされたのは普通です」
「しかし、私の個人的意見ですが、放射線よりも、放射線への恐怖の方が、日本人に大きな影響をもたらしています」
「放射線を怖がるのが、一番いけません。わかりますか?」
だが、疑いがあるのか、福島大学は、巨大な放射線影響研究所を建設中だ。
2016年に開業予定だ。
日本は、暗い時代の到来に、備えているわけだ。
制御不可能なモノの制御を試みるため、日本政府は、原発から60kmの福島市に、原子力災害対策本部を設置した。
すべての関連省庁が、ここに集まっている。
そして、原発を所有する東電もいる。
広報班長の木野正登さん。
事故当初から、本部を指揮している。
彼の任務は。まだまだ続くだろう。
木野正登・原子力災害対策本部(経済産業省):
「もう三年近くここにいます」
「今のところ、後どれくらい、ここにいなければいけないかわかりません」
「放射能がなくなるまでは、30年、40年かかるでしょう。ですから、まだ長い間、ここで働くことになるでしょう」
原発を解体するのに40年。
しかし、目下、メルトダウンした原子炉を、冷却しなければならない。
常時、水を掛け続けるのだ。
非人間的な仕事だ。
漏水ばかりしている。
何百人もの作業員が、危険にもかかわらず、リレー作業を続ける。
汚染をなんとか遮蔽しようと、応急処置をしている。
毎日300トンの高濃度汚染水が、太平洋に流れている。
「みなさん、環境の心配をされています。高濃度汚染水が、海に流れていますから」
「当然です、特に、漁業の方は心配されています」
「一日も早く、汚染水の問題を、解決しなければなりません」
原発から海に漏れる汚染水が、魚を汚染させている。
昨年、水揚げされたこのアイナメは、基準値の2500倍の汚染をしていた
漁業は、沖合い40kmまで禁止されている。
いわき市のトロール船は、外洋まで操業に出なければならない。
捕獲が許可されているのは、約40種類の魚だけだ。
その一部は、検査に出さなければらない。
港では、県の役人が待ち受けている。
「魚は、研究所に持って行きます。放射能の検査をするためです」
この数ヶ月、県の検査結果は、魚を売ったり食べたりするのに、安心な値になってきている。
鈴木みつのり・漁師:
「食べるんですか?」
「もちろん。タコ」
「生で?」
「もちろん食べるよ。汚染ないもの」
「放射能ゼロだもの。これも放射能ゼロ」
タコやイカは、放射能に敏感ではなく、漁を許されている数少ない魚種だ。
しかし、漁師たちは、全面解禁を願っている。
「常時モニタリングしていると、基準値超えの魚も見つかります。100ベクレル以上ということです」
「でも、検査のたびに、値は下がってます」
「政府は、とても慎重なんです。だから、何百回も検査して、はじめて漁の許可を出します」
日本政府は、汚染の続く限り、漁業を監視・制限すると宣言している。
日本気象研究所も、モニタリングに参加している。
青山道夫は、2011年以来政府の委託で、太平洋の放射能の拡散を観察している。
そして。安心できる見解を表明した。
青山道夫・気象庁気象研究所:
「福島原発から流出した放射能は、まず黒潮に乗ります。そして東に進みます」
「ただし、それほど東進しません」
「2011年冬から2012年春にかけて、汚染は東に流れました。そこで冷やされて、沈みます」
「深く沈んだ後、方向を変えて、南に向います。そして西に戻ります」
「日本に帰ってくるのです」
「こうして一部は、日本に帰ってきます」
「福島から、2500~3000キロに運ばれた放射能は、水深400mまで沈んでしまっています」
青山教授によれば、太平洋の生物には、まったく危険はない、ということだ。
「絶対ですか?」
「太平洋の魚は、まったく問題ありません。危ないのは、福島原発に接する海域の魚だけです」
「ここで育つ魚の遺伝子は、放射能で、ほんのすこし傷ついています」
「けれど、外洋の魚は、浅い所でも、深海でも、まったく大丈夫です」
「放射能が蓄積していても関係ありません」
「魚は食べて大丈夫なんですね?」
「大丈夫です。私も食べてます」
この、青山教授の説は、東京のある科学者を、困惑させた。
崎山比早子さんは、この日、放射能情報センター(原子力資料情報室?)に招待されていた。
放射線科学研究所の所長である崎山さんに、青山氏の説を話してみると……。
「魚が、高濃度汚染水の中を泳いでも、まったく問題ないそうです」
「ほんとに!?」
崎山比早子・福島原子力発電所事故調査委員会委員:
(*崎山氏より、「海洋学は専門外」と断りがありました
「そんなこと、聞いたことありません。海洋学の青山先生ですよね?」
「魚が出られないように、網は張ってあるけれど、汚染水は自由に流れるから……」
「セシウムは、砂や泥について水の底に沈むけれど、それを食べる魚だっているし、回遊してくるから、もちろん影響はあります」
「影響がないなんて、あり得ません」
「(私は専門外なので)何故、彼がそんなことを言ったのか、わかりません」
日本政府は大丈夫、と言っているが、太平洋汚染の危機は現実、ということだ。
太平洋の向こう側では、その危機感が広まっている。
アメリカ……。
サンフランシスコ。
毎週、ボランティア達が、流れてくる津波の瓦礫を清掃する。
環境を守ろうとする彼らにとって、今回の汚染は大惨劇だ。
「海は、私たちの命です」
「地球の70%が、海です」
「原発事故は、もちろん海に影響を与えます」
「悲劇です」
「日本からアメリカまで、生態は被害を受けるでしょう」
津波による瓦礫の大部分は、今年の春、アメリカ沿岸に届くはずだ。
しかし、科学者が一番心配しているのは、生態への影響だ。
ニューヨーク州ストーニーブルック大学。
この海洋学者は、放射能汚染したマグロの、切り身を保存している。
ダニエル・マディガン・ストーニーブルック大学生物学研究者:
「太平洋産のマグロです。サンディエゴ沖15~150キロの海域で、捕獲されました」
「分析の結果 福島原発由来の、セシウム134と137が検出された」
「このピークは、福島の放射能でなければ現われません」
「セシウム134がとび抜けている以外には、目立ったところはありません」
カリフォルニア沿岸中で、科学者グループは動き出している。
ダニエル・ハーシュ教授は、リフォルニア大学で、原子力政治学を教えている。
「福島原発事故は、地球規模の被害をもたらす大惨事だ」と言う。
ダニエル・ハーシュ・カリフォルニア大学原子力政治学教授:
「放射能に、安全なしきい値のないことは、わかっています」
「海に流された汚染水によって、被ばくの危険は上昇しました。どの程度かはわかりませんよ」
「福島原発事故は、世界規模の事故でした。被害は、グローバルに出るでしょう」
「どのようなものかはわかりませんが、人類に現われる健康被害は、膨大でないにしても、ゼロということもありません」
太平洋汚染への不安から、カリフォルニアでは、人々は警戒を怠らない。
ヨーロッパはどうだろう?
海は影響を受けなかったが、放射能雲は届いていた。
その大きさは?
フランスの科学者達は、それを突き止めようとした。
パリ近郊。
「大事故……そう、大惨事でした」
IRSNは、福島由来の放射能雲の通過コースを、シミュレーションした。
これが、その結果だ。
オリヴィエ・イスナール・フランス放射線防護原子力安全研究所・放射線防護課副課長:
「プルームは、太平洋に広がり、北米大陸に向かい、合衆国とカナダの間、そしてカリフォルニアの、アメリカ沿岸に達しました」
「そのまま、北米大陸、特にアラスカに広がりました」
「ボストンから大西洋に抜けます」
北極圏からも広がっています」
そしてスエーデンから北欧に入ります」
東欧に達し 南北と東西に流れながら、徐々にフランスにも広がりました」
「フランス人に、危険はなかったのですか?」
「ありません。十分に低いレベルでしたから」
「ヨーロッパに住む人には、健康被害は出ません」
だが、独立の立場の専門家は、そんなに簡単な問題ではない、と言う。
確かに、ヨーロッパの放射能汚染は少なかったが、リスクは現実だったと、クリラッドの専門家は言う。
「フランスの住民も、福島の放射能を、ある程度受けました」
「呼吸と食物を通してです」
「幸い、チェルノブイリの時の1000分の1程度でしたので
例えば、安定ヨウ素剤の服用と言った、勧告を行なう必要はありませんでした。
とはいえ、あらゆる追加被ばく量は、健康リスクを上昇させます。
ですから、長期的な目で見て、影響がないと断言することは不可能です」
「これは、日本だけでなく、世界中の人に言えることです」
ふたたび日本。
南相馬市。福島原発から20km。
いわもとてるおさん・退職者:
三歳の時から、地元の川で釣りをしている。
祖父に教えてもらった。
彼の生活スタイルなのだ
「ナマズ」
「食べられますか?」
「いいえ」
「どうして?」
「放射能に汚染されてます。たぶん1000ベクレル近く」
「危険ですか?」
「ええ 今の日本の基準が、100ベクレルです。太田川は900とか、1000ベクレル出てます」
いわもとさんは、鰻釣りの名人だ。
日本人の大好物だ。
しかし、高濃度汚染しているので、もう食べられない。
自宅に戻って、検査するために、鰻を切り刻む。
原発事故以来、彼の趣味は終わった。
「定年退職して、人生を、これから楽しもうと思っていました。まさにその時 原発事故が起こったんです」
「こんなこととは、関係なく生きたかった。放射能測定なんてこととは……」
「いつかまた川の魚を、食べられる日が来ますか?」
「私の生きている間は、来ないでしょう」
いわもとさんは自主的に、放射能測定を行なっている。
それが義務なのだ、と言う
未来の世代が、この悲劇を繰り返さないように。
故郷の川と……これほど多くの人生を、破壊してしまった悲劇。