世界中の軍隊よ、今すぐ武器を捨て、救助隊になりなさい!
人を殺さず、人を救いなさい!
まず、自分の国を救いなさい!
明日は最初で最後の、カーネギーコンサート(4/5)の本番もどきリハーサルです。
先日の水曜日、冷たい雨と冷たい風がびゅうびゅうと吹き荒れる中、マンハッタンの貸しスタジオに行って、サラと合わせの練習をしてきました。
彼女は、一言も言葉にして頼んでいないのに、こんなふうに弾いてくれたら……とわたしが望んでいる音や表情を表してくれるので、
ついつい感動して、聞き惚れて、自分のことがおろそかになり間違える……などという、トホホなことになってしまうわたし……。
本番は気をつけなくちゃ!
家猫のおしっこの量がまた、ガンガン増えてきたので、今朝早く、血糖値の検査も兼ねて診てもらおうと、病院に行ってきました。
血糖値は180、とても良い数字です。
きちんと世話と看護ができている証拠だと、キャメロン先生に褒めてもらいました。
触診や聴診の結果もとても良好なので、腎臓の動きを整えるカプセル剤を、餌に混ぜて服用させることになりました。
などと、なかなか練習に心身を向けることができない上に、ネットはしないと公言までしたくせに、こんなことをしている自分が、なんともはや……。
パソコンをつけない、それだけではだめなんですね。
携帯でつい、軽い気持ちで見てしまうんですから……。
そして、こんな記事を見つけてしまった日にゃ~……。
今回も丸ごと、コピペの作業のみの転載をさせていただきます。
↓以下、転載はじめ
<集団的自衛権>元イラク派遣自衛官の警告~イラク派遣により在職中に死亡した隊員は35名もいた!
<集団的自衛権:柳澤協二さん(2)>抑止だけが戦略ではない2/28(文字起こし)
私がよく申し上げているのは、自分が経験したイラク派遣でありますけど、
撤収の際に、小泉総理が記者会見をする、その時に、総理に私が申し上げたのは、
「総理、この自衛隊は、1発の弾も撃たずに見ずに、ま、交通事故はあったけど、一人のけが人も出さずに無事に帰ってきた。
これがすごく大事なことで、なかなか簡単にできる事じゃないんです」という事を申し上げたら、
小泉さんも「うん、そうだ」という事で、記者会見で、盛んにそれを強調しておられた。
第一次安倍政権で、官邸の主要メンバーとして安全保障分野を担当し、自衛隊のイラク派遣等にもかかわってきた、
柳澤協二さんのお話を文字起こししていて、
柳澤さんが、「交通事故はあったけど」という時に、言い淀んだ感じがあったので、
なんとなくずっと、「交通事故」という言葉が、私の心の中に引っ掛かっていました。
そのイラク派遣の時に、その交通事故に遭われた、元イラク派遣自衛官の記事です。
国に裏切られた元イラク派遣自衛官が警告
-安倍政権「集団的自衛権の行使」の行く先にあるもの
志葉玲 フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和) 2014年3月18日
取材に応じる、元イラク派遣自衛官の池田頼将さん
「もう、何度も死のうか、と思いました。
でも、私のような経験をする自衛官を、これ以上出してはいけない。
国に対して、責任を認めさせなければ、死んでも死にきれない……!」
元イラク派遣航空自衛隊員の池田頼将さんは、そう静かに、だが固い決意を込めて語った。
池田さんは、2006年(平成18年)7月、イラク派遣部隊の一員として、イラク隣国クウェートの基地に滞在中、米軍関係車両にはねられた。
だが、事件は隠蔽され、池田さんは、まともな治療を受けられないまま、帰国すら許されなかった。
そのために、池田さんには、重い後遺症が残ってしまった。
今、安倍政権は、米国等との共同軍事行動を可能とするべく、「集団的自衛権の行使」の解禁を目指している。
その先にあるものは、米国の戦争に日本も巻き込まれ、池田さんのような自衛官を、何人も出すことになるという、平和国家としての終焉ではないか。
◯隠蔽されたイラク派遣中の事故、まともな治療を受けさせず、放置
イラク戦争(03年3月開戦)を支持した日本政府は、開戦直後から、自衛隊イラク派遣を推し進め、
航空自衛隊は、04年1月から08年12月まで、16期にわたりイラクに派遣。
池田さんが派遣されたのは、第9期(06年3月~7月)。
小牧基地所属の航空自衛隊小牧通信隊として、愛知県・小牧基地から、イラク隣国クウェートのアリ・アルサレム基地へ派遣された。
事故が起きたのは、06年7月4日のこと。
基地内での米軍主催のマラソン大会に参加した池田さんは、米民間軍事会社KBRの大型バスに、後方から衝突されたのだった。
「突然、ドスンという鈍い音がして、私は意識を失いました」(池田さん)。
意識を失った池田さんは、救急車で、米軍の衛生隊に搬送された。
その時、一度、意識を回復し、自分が事故にあったことを悟った、と言う。
池田さんにとって不幸であったのは、KBRのバスに跳ねられたことだけではなく、事故後、自衛隊による「裏切り」が、幾度も続いたことだった。
「眼球の奥や、首、肩がすごく痛く、体を動かすことすらできなかったのに、米軍の衛生班には『異常なし』と診断されました。
自衛隊側も、『米軍側が異常なしと言っているのに、それと反する診断ができるわけない』という有り様。
クウェートの病院に連れて行ってもらったのですが、言葉の違いもあり、私の症状をうまく伝えられず、治療はできませんでした」(池田さん)。
結局、池田さんは、米軍、民間軍事企業側からも、謝罪や補償は得られなかった。
その上、治療のための帰国を、何度も上司にかけあったにもかかわらず、
事故にあってから2ヶ月弱もの間、ろくな治療も受けられないまま、池田さんは帰国が許されなかったのだ。
当時、池田さんの事故について、情報を掴み、報道した記者は、皆無だった。
池田さんの事件が公表されなかったのも、彼の帰国が許されなかったのも、
事故発覚による、自衛隊イラク派遣への影響を、防衛省、あるいは政府自体が懸念したからではないだろうか。
池田さんが事故に遭ったのは、2006年7月4日。
航空自衛隊が、それまでイラク南部サマワ周辺までだった活動範囲を、中部のバグダッド周辺までに拡大した直前のこと。
この、バグダッド周辺への空輸拡大には、米国側から強い要請があった。
それは、航空自衛隊「国連など人道復興支援関係者や物資の運搬」という、当時の日本政府の説明とは裏腹に、
米軍など、多国籍軍の兵員や物資などの運搬が、主だったものだったからだ(関連記事)。
そうした政治情勢の中で、池田さんの事件は、絶対に国民に知られてはいけない事件だったのだろう。
◯何度も考えた自殺、同じような犠牲を出さないための裁判
池田さんの食事は流動食のみ
池田さんは帰国後も、事故の後遺症をめぐり、自衛隊内で執拗な嫌がらせを受け、肉体的にも働くことが難しかったため、2011年10月、退職。
結婚していた池田さんだが、退職が原因となり、離婚した。
池田さんは現在も、深刻な後遺症に悩まされている。
左腕は肩から上にあがらず、右手も力を入れると震えて、自分の名前すらまともに書けない。
池田さんは、あごの蝶番となる軟骨円板を失ったため、1ミリ程度しか、口を開けることができない。
一般の食事は一切取れず、わずかな隙間から流動食を流し込む、それが現在の池田さんの食事の全てだ。
「眼球の奥や首、肩、腰などの、慢性的な痛みに悩まされ、大量の睡眠薬を使って強引に眠らないと、睡眠を取ることすらできません」と池田さんは言う。
以前は、野球観戦に行くのが趣味だった池田さんだが、体が思うように動かず、今は、ほとんど自室に篭りきりだ。
「自殺することを何度も考えた」と語る池田さん。
その池田さんが、辛うじて踏みとどまり、2012年9月、国を相手取っての裁判を起こした理由は、
「恐らく、同じ様な境遇にいる自衛隊員がきっといる」という思いだ。
池田さんの裁判は、現在も、名古屋地裁で係争中である。
◯米国のために、自衛官の命と安全を差し出す安倍政権
「二度と、自分と同じような経験を、自衛官達にさせてはいけない」と語る池田さんだが、
安倍政権が、今国会中にも目指すという「集団的自衛権の行使容認」の閣議決定がなされたら、
池田さんの様に、国に裏切られ、使い捨てにされる自衛官達が、続出するかもしれない。
集団的自衛権とは、端的に言えば、「米国の戦争に巻き込まれ権」だ。
米国が何者からか攻撃された場合、日本が攻撃を受けてなくとも、日本は米国と共に、その「敵」と戦うというものである。
米国は、太平洋戦争後から現在に至るまで、常に、紛争当事国であった国だ。
集団的自衛権の行使が、容認されるようになれば、米国の抱える紛争に日本も巻き込まれ、
米国のために、自衛隊が、戦地へ送り出されることになるかもしれない。
自衛官の負傷や、死亡する事態は、避けられないだろう。
そうなれば、日本を守るためでなく、米国の戦争に駆り出され、自衛官の負傷や死亡することに、日本の世論が批判的になることを嫌い、
自衛官の負傷や死亡は、隠蔽されやすくなる。
安倍首相が、憲法改正を経ずに、閣議決定のみで「集団的自衛権」を行使できるようにしようとすること自体、
憲法を無視した独裁者の振る舞いであり、噴飯ものだ。
その上、米国のために、自衛官の命や安全を差し出すことは、許されないだろう。
元内閣官房副長官補の柳澤氏は、
「イラク派遣では交通事故のほかは一人のけが人もなく帰ってきた」とおっしゃっていますが、
事実はどうだったのでしょうか?
平成19年11月13日
河野洋平議員へ、その時の内閣総理大臣、福田康夫首相からの答弁書です。
内閣衆質一六八第一八二号 平成十九年十一月十三日 内閣総理大臣 福田康夫
衆議院議長 河野洋平 殿
衆議院議員照屋寛徳君提出イラク帰還自衛隊員の自殺に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。
衆議院議員照屋寛徳君提出イラク帰還自衛隊員の自殺に関する質問に対する答弁書
一について
我が国は、平成13年9月11日の、アメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる、国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して、我が国が実施する措置、及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法(平成13年法律第百十三号。以下「テロ対策特措法」という。)に基づき、延べ約1万900人の海上自衛隊員をインド洋に派遣してきたところである。
二について
我が国が、イラクにおける人道復興支援活動、及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法(平成十五年法律第百三十七号。以下「イラク特措法」という。)に基づき、派遣した自衛隊の部隊の一部については、イラクに入国していない場合があることから、お尋ねの人数について、確定的にお答えすることは困難であるが、平成19年(2007年)11月7日現在までに、我が国は、イラク特措法に基づき、延べ約5千600人の陸上自衛隊員、延べ約330人の海上自衛隊員及び延べ約2千870人の航空自衛隊員を派遣してきたところである。
三及び四について
テロ対策特措法又はイラク特措法に基づく派遣と隊員の死亡との関係については、一概には申し上げられないが、
平成19年(2007年)10月末現在で、
テロ対策特措法又はイラク特措法に基づき派遣された隊員のうち
在職中に死亡した隊員は、
陸上自衛隊が14人、
海上自衛隊が20人、
航空自衛隊が1人であり、
そのうち、
死因が自殺の者は、
陸上自衛隊が7人、
海上自衛隊が8人、
航空自衛隊が1人、
病死の者は、
陸上自衛隊が1人、
海上自衛隊が6人、
航空自衛隊が零人、
死因が事故又は不明の者は、
陸上自衛隊が6人、
海上自衛隊が6人、
航空自衛隊が零人である。
また、防衛省として、お尋ねの、
「退職した後に、精神疾患になった者や、自殺した隊員の数」については、把握していない。
海外に派遣された隊員を含め、退職後であっても、在職中の公務が原因で死亡した場合には、
国家公務員災害補償法(昭和二十六年法律第百九十一号)の規定が準用され、一般職の国家公務員と同様の補償が行われるほか、
その尊い犠牲に思いをいたし、哀悼の意を表するとともに、その功績を永く顕彰するため、
毎年、自衛隊記念日行事の一環として、防衛大臣の主催により、内閣総理大臣の出席の下、自衛隊殉職隊員追悼式を執り行っている。
政府としては、海外に派遣された隊員が得た経験については、今後の自衛隊の活動に、最大限いかしてまいりたい。
参考までに、この答弁書に対する質問主意書
イラク帰還自衛隊員の自殺に関する質問主意書
山田洋行や日本ミライズなどの、防衛専門商社と官僚、政治家の癒着や、利権疑惑が、大きな社会問題になっている。
守屋武昌前防衛事務次官の、山田洋行からのゴルフ接待、飲食接待は、国民の常識を超えるもので、接待を受けての見返りは明らかである。
一方、在沖米軍基地が集中し、今なお、米軍再編の名の下に、基地機能の強化が進む沖縄では、米軍基地利権疑惑が急浮上している。
巨大な防衛利権を、許してはならない。
巨悪を眠らせないために、検察も、勇気を持って、適正な捜査を断行し、利権構造にメスを入れてもらいたい。
海上自衛隊によるインド洋での補給活動の、法的根拠であったテロ対策特別措置法が、2007年11月2日午前零時をもって期限切れとなった。
石破防衛大臣は、
「テロ対策特措法に基づく対応措置の終結に関する命令」を発出し、海上自衛隊の補給艦「ときわ」と、護衛艦「きりさめ」に、撤収命令を出した。
私は、アフガン戦争、イラク戦争の開戦に反対し、テロ対策特別措置法やイラク対策特別措置法の制定に、反対をしてきた立場である。
さて、イラク、インド洋、クウェートなどに派遣された、自衛官の自殺等による死者が、多数に上っているらしいとの事実が判明している。
以下、質問する。
一 テロ対策特別措置法に基づき、インド洋における補給活動に派遣された海上自衛隊員の、派遣時から撤収時までの、重複を含むのべ人数を明らかにされたい。
二 イラク対策特別措置法に基づき、イラクに派遣された自衛隊員の、派遣時から現在までの、重複を含むのべ人数を明らかにされたい。
三 インド洋における補給活動に派遣された自衛隊員、及びイラクに派遣された自衛隊員のうち、
在職中に死亡した隊員の数、そのうち死因が自殺であった者、死因が傷病の者、死因が「事故または不明」の者の数を、陸海空自衛隊員毎に明らかにした上で、
これらの方々の尊い犠牲に対する政府の見解を示されたい。
四 自衛隊員のうち、インド洋、イラク、クウェートなどに派遣された経験者で、帰還し、退職した後に、精神疾患になった者や、自殺した隊員の数を、陸海空自衛隊員毎に、その数を明らかにした上で、
元隊員、または、ご遺族に対し、政府としては、どのような形で責任をとるつもりなのか、見解を示されたい。
右質問する。
<集団的自衛権:柳澤協二さん(2)>抑止だけが戦略ではない2/28(文字起こし)
政府は従来から、国、または国に準ずる相手に対して武器を使えば、
それは、憲法が禁止する、国際国際紛争解決のための武力行使になる恐れがあるからという意味で、
いわゆる、駆けつけ警護のような、積極的な武器使用は出来ないんだよ、という解釈をとっていました。
あるいは、ガイドラインとか、イラクなんかで使われている言い分ですが、
非戦闘地域で後方支援をやるというのは、当該やっているアメリカなんかの戦闘行為と一体化しないから、憲法上許されるという、そういう理屈をとってきている訳です
国、または国に準ずる相手とは、戦いを交えませんという事は、
第三国の内戦には関与しません、という事を原則として言っている訳です。
もうひとつは一体化。
各国の武力行使と一体化しない、という事はつまり、直接の武力攻撃には加担しないと、こういう事を言っている訳で、
非常に私は、理にかなっている(と思っています)。
イラクでは、自衛隊は、武器を使わないだけじゃなくて、銃を向けた事もありませんでした。
イラクへの派遣に関しての賛否は別として、
柳澤氏がおっしゃるところの、制約のある中での派遣でさえ、これほど多数の犠牲者が出ています。
これから安倍政権がやろうとしている集団的自衛権は、
「武器を使い、銃を向け、人を殺すこともできる」ようになるという事で、
この、イラク派遣時の、自衛隊の死亡者どころじゃないほどに被害が大きくなる事は、簡単に想像できます。
でも、イラク派遣の自衛隊に、こんなに死亡者がいたとは知りませんでした><;
答弁書に書かれていた人数を、表にしてみました。
「退職後の死亡人数は把握していない」という事なので、実態は、この何倍も多いのではないかと思います。
ー追記ー
自殺が26名と、コメントで教えていただきました。
赤旗の記事を見つけましたので追記します。
自衛官の自殺26人 国民平均の14倍/イラク派兵から帰国後 赤嶺議員に防衛省回答(しんぶん赤旗)より
米国『NATO(実質アメリカ軍)こそがテロリスト。最悪な間違いだった。目覚め始めたアメリカ兵』事情
戦争反対!
軍隊はいらん!
武器もいらん!
みんなでみんなを助け合おう!
人を殺さず、人を救いなさい!
まず、自分の国を救いなさい!
明日は最初で最後の、カーネギーコンサート(4/5)の本番もどきリハーサルです。
先日の水曜日、冷たい雨と冷たい風がびゅうびゅうと吹き荒れる中、マンハッタンの貸しスタジオに行って、サラと合わせの練習をしてきました。
彼女は、一言も言葉にして頼んでいないのに、こんなふうに弾いてくれたら……とわたしが望んでいる音や表情を表してくれるので、
ついつい感動して、聞き惚れて、自分のことがおろそかになり間違える……などという、トホホなことになってしまうわたし……。
本番は気をつけなくちゃ!
家猫のおしっこの量がまた、ガンガン増えてきたので、今朝早く、血糖値の検査も兼ねて診てもらおうと、病院に行ってきました。
血糖値は180、とても良い数字です。
きちんと世話と看護ができている証拠だと、キャメロン先生に褒めてもらいました。
触診や聴診の結果もとても良好なので、腎臓の動きを整えるカプセル剤を、餌に混ぜて服用させることになりました。
などと、なかなか練習に心身を向けることができない上に、ネットはしないと公言までしたくせに、こんなことをしている自分が、なんともはや……。
パソコンをつけない、それだけではだめなんですね。
携帯でつい、軽い気持ちで見てしまうんですから……。
そして、こんな記事を見つけてしまった日にゃ~……。
今回も丸ごと、コピペの作業のみの転載をさせていただきます。
↓以下、転載はじめ
<集団的自衛権>元イラク派遣自衛官の警告~イラク派遣により在職中に死亡した隊員は35名もいた!
<集団的自衛権:柳澤協二さん(2)>抑止だけが戦略ではない2/28(文字起こし)
私がよく申し上げているのは、自分が経験したイラク派遣でありますけど、
撤収の際に、小泉総理が記者会見をする、その時に、総理に私が申し上げたのは、
「総理、この自衛隊は、1発の弾も撃たずに見ずに、ま、交通事故はあったけど、一人のけが人も出さずに無事に帰ってきた。
これがすごく大事なことで、なかなか簡単にできる事じゃないんです」という事を申し上げたら、
小泉さんも「うん、そうだ」という事で、記者会見で、盛んにそれを強調しておられた。
第一次安倍政権で、官邸の主要メンバーとして安全保障分野を担当し、自衛隊のイラク派遣等にもかかわってきた、
柳澤協二さんのお話を文字起こししていて、
柳澤さんが、「交通事故はあったけど」という時に、言い淀んだ感じがあったので、
なんとなくずっと、「交通事故」という言葉が、私の心の中に引っ掛かっていました。
そのイラク派遣の時に、その交通事故に遭われた、元イラク派遣自衛官の記事です。
国に裏切られた元イラク派遣自衛官が警告
-安倍政権「集団的自衛権の行使」の行く先にあるもの
志葉玲 フリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和) 2014年3月18日
取材に応じる、元イラク派遣自衛官の池田頼将さん
「もう、何度も死のうか、と思いました。
でも、私のような経験をする自衛官を、これ以上出してはいけない。
国に対して、責任を認めさせなければ、死んでも死にきれない……!」
元イラク派遣航空自衛隊員の池田頼将さんは、そう静かに、だが固い決意を込めて語った。
池田さんは、2006年(平成18年)7月、イラク派遣部隊の一員として、イラク隣国クウェートの基地に滞在中、米軍関係車両にはねられた。
だが、事件は隠蔽され、池田さんは、まともな治療を受けられないまま、帰国すら許されなかった。
そのために、池田さんには、重い後遺症が残ってしまった。
今、安倍政権は、米国等との共同軍事行動を可能とするべく、「集団的自衛権の行使」の解禁を目指している。
その先にあるものは、米国の戦争に日本も巻き込まれ、池田さんのような自衛官を、何人も出すことになるという、平和国家としての終焉ではないか。
◯隠蔽されたイラク派遣中の事故、まともな治療を受けさせず、放置
イラク戦争(03年3月開戦)を支持した日本政府は、開戦直後から、自衛隊イラク派遣を推し進め、
航空自衛隊は、04年1月から08年12月まで、16期にわたりイラクに派遣。
池田さんが派遣されたのは、第9期(06年3月~7月)。
小牧基地所属の航空自衛隊小牧通信隊として、愛知県・小牧基地から、イラク隣国クウェートのアリ・アルサレム基地へ派遣された。
事故が起きたのは、06年7月4日のこと。
基地内での米軍主催のマラソン大会に参加した池田さんは、米民間軍事会社KBRの大型バスに、後方から衝突されたのだった。
「突然、ドスンという鈍い音がして、私は意識を失いました」(池田さん)。
意識を失った池田さんは、救急車で、米軍の衛生隊に搬送された。
その時、一度、意識を回復し、自分が事故にあったことを悟った、と言う。
池田さんにとって不幸であったのは、KBRのバスに跳ねられたことだけではなく、事故後、自衛隊による「裏切り」が、幾度も続いたことだった。
「眼球の奥や、首、肩がすごく痛く、体を動かすことすらできなかったのに、米軍の衛生班には『異常なし』と診断されました。
自衛隊側も、『米軍側が異常なしと言っているのに、それと反する診断ができるわけない』という有り様。
クウェートの病院に連れて行ってもらったのですが、言葉の違いもあり、私の症状をうまく伝えられず、治療はできませんでした」(池田さん)。
結局、池田さんは、米軍、民間軍事企業側からも、謝罪や補償は得られなかった。
その上、治療のための帰国を、何度も上司にかけあったにもかかわらず、
事故にあってから2ヶ月弱もの間、ろくな治療も受けられないまま、池田さんは帰国が許されなかったのだ。
当時、池田さんの事故について、情報を掴み、報道した記者は、皆無だった。
池田さんの事件が公表されなかったのも、彼の帰国が許されなかったのも、
事故発覚による、自衛隊イラク派遣への影響を、防衛省、あるいは政府自体が懸念したからではないだろうか。
池田さんが事故に遭ったのは、2006年7月4日。
航空自衛隊が、それまでイラク南部サマワ周辺までだった活動範囲を、中部のバグダッド周辺までに拡大した直前のこと。
この、バグダッド周辺への空輸拡大には、米国側から強い要請があった。
それは、航空自衛隊「国連など人道復興支援関係者や物資の運搬」という、当時の日本政府の説明とは裏腹に、
米軍など、多国籍軍の兵員や物資などの運搬が、主だったものだったからだ(関連記事)。
そうした政治情勢の中で、池田さんの事件は、絶対に国民に知られてはいけない事件だったのだろう。
◯何度も考えた自殺、同じような犠牲を出さないための裁判
池田さんの食事は流動食のみ
池田さんは帰国後も、事故の後遺症をめぐり、自衛隊内で執拗な嫌がらせを受け、肉体的にも働くことが難しかったため、2011年10月、退職。
結婚していた池田さんだが、退職が原因となり、離婚した。
池田さんは現在も、深刻な後遺症に悩まされている。
左腕は肩から上にあがらず、右手も力を入れると震えて、自分の名前すらまともに書けない。
池田さんは、あごの蝶番となる軟骨円板を失ったため、1ミリ程度しか、口を開けることができない。
一般の食事は一切取れず、わずかな隙間から流動食を流し込む、それが現在の池田さんの食事の全てだ。
「眼球の奥や首、肩、腰などの、慢性的な痛みに悩まされ、大量の睡眠薬を使って強引に眠らないと、睡眠を取ることすらできません」と池田さんは言う。
以前は、野球観戦に行くのが趣味だった池田さんだが、体が思うように動かず、今は、ほとんど自室に篭りきりだ。
「自殺することを何度も考えた」と語る池田さん。
その池田さんが、辛うじて踏みとどまり、2012年9月、国を相手取っての裁判を起こした理由は、
「恐らく、同じ様な境遇にいる自衛隊員がきっといる」という思いだ。
池田さんの裁判は、現在も、名古屋地裁で係争中である。
◯米国のために、自衛官の命と安全を差し出す安倍政権
「二度と、自分と同じような経験を、自衛官達にさせてはいけない」と語る池田さんだが、
安倍政権が、今国会中にも目指すという「集団的自衛権の行使容認」の閣議決定がなされたら、
池田さんの様に、国に裏切られ、使い捨てにされる自衛官達が、続出するかもしれない。
集団的自衛権とは、端的に言えば、「米国の戦争に巻き込まれ権」だ。
米国が何者からか攻撃された場合、日本が攻撃を受けてなくとも、日本は米国と共に、その「敵」と戦うというものである。
米国は、太平洋戦争後から現在に至るまで、常に、紛争当事国であった国だ。
集団的自衛権の行使が、容認されるようになれば、米国の抱える紛争に日本も巻き込まれ、
米国のために、自衛隊が、戦地へ送り出されることになるかもしれない。
自衛官の負傷や、死亡する事態は、避けられないだろう。
そうなれば、日本を守るためでなく、米国の戦争に駆り出され、自衛官の負傷や死亡することに、日本の世論が批判的になることを嫌い、
自衛官の負傷や死亡は、隠蔽されやすくなる。
安倍首相が、憲法改正を経ずに、閣議決定のみで「集団的自衛権」を行使できるようにしようとすること自体、
憲法を無視した独裁者の振る舞いであり、噴飯ものだ。
その上、米国のために、自衛官の命や安全を差し出すことは、許されないだろう。
元内閣官房副長官補の柳澤氏は、
「イラク派遣では交通事故のほかは一人のけが人もなく帰ってきた」とおっしゃっていますが、
事実はどうだったのでしょうか?
平成19年11月13日
河野洋平議員へ、その時の内閣総理大臣、福田康夫首相からの答弁書です。
内閣衆質一六八第一八二号 平成十九年十一月十三日 内閣総理大臣 福田康夫
衆議院議長 河野洋平 殿
衆議院議員照屋寛徳君提出イラク帰還自衛隊員の自殺に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。
衆議院議員照屋寛徳君提出イラク帰還自衛隊員の自殺に関する質問に対する答弁書
一について
我が国は、平成13年9月11日の、アメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる、国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して、我が国が実施する措置、及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法(平成13年法律第百十三号。以下「テロ対策特措法」という。)に基づき、延べ約1万900人の海上自衛隊員をインド洋に派遣してきたところである。
二について
我が国が、イラクにおける人道復興支援活動、及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法(平成十五年法律第百三十七号。以下「イラク特措法」という。)に基づき、派遣した自衛隊の部隊の一部については、イラクに入国していない場合があることから、お尋ねの人数について、確定的にお答えすることは困難であるが、平成19年(2007年)11月7日現在までに、我が国は、イラク特措法に基づき、延べ約5千600人の陸上自衛隊員、延べ約330人の海上自衛隊員及び延べ約2千870人の航空自衛隊員を派遣してきたところである。
三及び四について
テロ対策特措法又はイラク特措法に基づく派遣と隊員の死亡との関係については、一概には申し上げられないが、
平成19年(2007年)10月末現在で、
テロ対策特措法又はイラク特措法に基づき派遣された隊員のうち
在職中に死亡した隊員は、
陸上自衛隊が14人、
海上自衛隊が20人、
航空自衛隊が1人であり、
そのうち、
死因が自殺の者は、
陸上自衛隊が7人、
海上自衛隊が8人、
航空自衛隊が1人、
病死の者は、
陸上自衛隊が1人、
海上自衛隊が6人、
航空自衛隊が零人、
死因が事故又は不明の者は、
陸上自衛隊が6人、
海上自衛隊が6人、
航空自衛隊が零人である。
また、防衛省として、お尋ねの、
「退職した後に、精神疾患になった者や、自殺した隊員の数」については、把握していない。
海外に派遣された隊員を含め、退職後であっても、在職中の公務が原因で死亡した場合には、
国家公務員災害補償法(昭和二十六年法律第百九十一号)の規定が準用され、一般職の国家公務員と同様の補償が行われるほか、
その尊い犠牲に思いをいたし、哀悼の意を表するとともに、その功績を永く顕彰するため、
毎年、自衛隊記念日行事の一環として、防衛大臣の主催により、内閣総理大臣の出席の下、自衛隊殉職隊員追悼式を執り行っている。
政府としては、海外に派遣された隊員が得た経験については、今後の自衛隊の活動に、最大限いかしてまいりたい。
参考までに、この答弁書に対する質問主意書
イラク帰還自衛隊員の自殺に関する質問主意書
山田洋行や日本ミライズなどの、防衛専門商社と官僚、政治家の癒着や、利権疑惑が、大きな社会問題になっている。
守屋武昌前防衛事務次官の、山田洋行からのゴルフ接待、飲食接待は、国民の常識を超えるもので、接待を受けての見返りは明らかである。
一方、在沖米軍基地が集中し、今なお、米軍再編の名の下に、基地機能の強化が進む沖縄では、米軍基地利権疑惑が急浮上している。
巨大な防衛利権を、許してはならない。
巨悪を眠らせないために、検察も、勇気を持って、適正な捜査を断行し、利権構造にメスを入れてもらいたい。
海上自衛隊によるインド洋での補給活動の、法的根拠であったテロ対策特別措置法が、2007年11月2日午前零時をもって期限切れとなった。
石破防衛大臣は、
「テロ対策特措法に基づく対応措置の終結に関する命令」を発出し、海上自衛隊の補給艦「ときわ」と、護衛艦「きりさめ」に、撤収命令を出した。
私は、アフガン戦争、イラク戦争の開戦に反対し、テロ対策特別措置法やイラク対策特別措置法の制定に、反対をしてきた立場である。
さて、イラク、インド洋、クウェートなどに派遣された、自衛官の自殺等による死者が、多数に上っているらしいとの事実が判明している。
以下、質問する。
一 テロ対策特別措置法に基づき、インド洋における補給活動に派遣された海上自衛隊員の、派遣時から撤収時までの、重複を含むのべ人数を明らかにされたい。
二 イラク対策特別措置法に基づき、イラクに派遣された自衛隊員の、派遣時から現在までの、重複を含むのべ人数を明らかにされたい。
三 インド洋における補給活動に派遣された自衛隊員、及びイラクに派遣された自衛隊員のうち、
在職中に死亡した隊員の数、そのうち死因が自殺であった者、死因が傷病の者、死因が「事故または不明」の者の数を、陸海空自衛隊員毎に明らかにした上で、
これらの方々の尊い犠牲に対する政府の見解を示されたい。
四 自衛隊員のうち、インド洋、イラク、クウェートなどに派遣された経験者で、帰還し、退職した後に、精神疾患になった者や、自殺した隊員の数を、陸海空自衛隊員毎に、その数を明らかにした上で、
元隊員、または、ご遺族に対し、政府としては、どのような形で責任をとるつもりなのか、見解を示されたい。
右質問する。
<集団的自衛権:柳澤協二さん(2)>抑止だけが戦略ではない2/28(文字起こし)
政府は従来から、国、または国に準ずる相手に対して武器を使えば、
それは、憲法が禁止する、国際国際紛争解決のための武力行使になる恐れがあるからという意味で、
いわゆる、駆けつけ警護のような、積極的な武器使用は出来ないんだよ、という解釈をとっていました。
あるいは、ガイドラインとか、イラクなんかで使われている言い分ですが、
非戦闘地域で後方支援をやるというのは、当該やっているアメリカなんかの戦闘行為と一体化しないから、憲法上許されるという、そういう理屈をとってきている訳です
国、または国に準ずる相手とは、戦いを交えませんという事は、
第三国の内戦には関与しません、という事を原則として言っている訳です。
もうひとつは一体化。
各国の武力行使と一体化しない、という事はつまり、直接の武力攻撃には加担しないと、こういう事を言っている訳で、
非常に私は、理にかなっている(と思っています)。
イラクでは、自衛隊は、武器を使わないだけじゃなくて、銃を向けた事もありませんでした。
イラクへの派遣に関しての賛否は別として、
柳澤氏がおっしゃるところの、制約のある中での派遣でさえ、これほど多数の犠牲者が出ています。
これから安倍政権がやろうとしている集団的自衛権は、
「武器を使い、銃を向け、人を殺すこともできる」ようになるという事で、
この、イラク派遣時の、自衛隊の死亡者どころじゃないほどに被害が大きくなる事は、簡単に想像できます。
でも、イラク派遣の自衛隊に、こんなに死亡者がいたとは知りませんでした><;
答弁書に書かれていた人数を、表にしてみました。
「退職後の死亡人数は把握していない」という事なので、実態は、この何倍も多いのではないかと思います。
ー追記ー
自殺が26名と、コメントで教えていただきました。
赤旗の記事を見つけましたので追記します。
自衛官の自殺26人 国民平均の14倍/イラク派兵から帰国後 赤嶺議員に防衛省回答(しんぶん赤旗)より
米国『NATO(実質アメリカ軍)こそがテロリスト。最悪な間違いだった。目覚め始めたアメリカ兵』事情
戦争反対!
軍隊はいらん!
武器もいらん!
みんなでみんなを助け合おう!