あと10日に迫ってきたコンサート本番。
今だに朝晩になると、堂々と零下4~7℃に下がってしまう、北風がビュウビュウ吹き荒れる毎日で、
周りには、風邪ひきさんがウジャウジャいて、だから気分的に、なんとなぁ~く熱っぽかったりするのですが、
コンサート当日までは、なにがなんでも健康でいたい!
という思いで、つい先日も、記事を書かない宣言っぽいものをしたくせに、
なんのこっちゃない、やっぱりついつい覗いてしまったツィッターで、見逃せない記事を見つけてしまい……。
いつもの生活のペースだけでも、十分に疲れている、ということを、わたしはやはりちゃんと認められずにいる甘ちゃんだ。
そのことを、通しリハの当日に、しっかりと思い知らされました。
その日(先週の土曜日)は、いつになく暖かで、春めいていました。
けれどもわたしは、もやもやとした緊張感にどっぷりとつかっていて、そんなお天気の良さを喜べない状態でした。
こんなことでどうする?
だいたい、誰も一度も聞いたことがない曲を演奏するのだ。
わたしが音を外そうが、変になろうが、パートナーのサラと自分以外、誰にもわからないのだ。
そもそもどうして、そんなにはじめから、きちんと弾けそうにない、などと思い込んでしまっているのか?
それもこれもきっと、自分というものをきちんと管理できなかった、いろんなことを甘く見ていたわたしが招いた自信喪失なのだ、
後悔先に立たずを、いったいわたしは何度経験したら学べるのか……と、かなり落ち込んだりもしました。
マンハッタンへの電車の中、どんどんと体調がおかしくなり、サラとのリハ前の合わせはもちろんのこと、通しリハも大丈夫か?と思うような、かなり辛い状態になりつつも、とりあえずどちらも無事?終了。
曲の全容を、コンサートの出演者全員に聞いてもらい、好評をいただきましたが……そりゃ創った本人を前にして誰もけなせないですもんね……、
それまでずっと、緊張が生んだ不調だと思い込んでいたら、なんのこっちゃない、また膀胱炎になりかけていて、熱まで出てきました。
にわとりが先か、卵が先か。
どちらにしても、わたしはアホです。
でも、でも、体調がどんなであったにせよ、あんなんじゃダメだ。
あと2週間、とにかく頑張ろう。
そう思いました。
素人ながらも曲を書かせてもらい、そしてそれを一緒に演奏してくれる人がいて、しかもその演奏をカーネギーホールで聞いてもらえる。
こんな幸運を授かっているのに、そのために、たくさんの人が支えてくれているというのに、なにやっとんじゃ~自分!
今日は雪が降るという予報が出ていたのに、カラリと晴れて気温は2℃。今夜は零下8℃まで下がります。
北風がビュンビュン吹いていて、体感温度は多分零下5℃以下だと思います。
日本では、桜がそろそろ咲き始めているのですね。
三寒四温というけれど、今年はもうずっと、ずっとずっと寒いので、マイナス2℃が暖かく感じられたりしてしまいます。
あの通しリハを終えて、へとへとで家に戻ると、家猫が家出をしている最中でした。
旦那が、あまりに気持ちの良い暖かな日だったので、つい一緒に、玄関から出てしまったのでした。
そのあと、ご近所さんとしゃべっているうちに見失ってしまい、それっきり戻ってこないのだと。
で?
探したよ、もちろん、もう5回も、あちこち探した。
でも見つかってないやん。
たまらなくなって、コートをまた羽織り、表に出ました。
彼女の名を呼びながら、かなり遠くの通りまで探しに歩きましたが、どこにもいません。
日中は暖かでしたが、夜になるとぐんぐん気温が下がり、おばあちゃんの彼女には全然良くありません。
糖尿病治療で入院、そして退院してからは、嫌いな缶詰の餌に変えられ、朝晩インシュリンの注射を打たれ、そして前日にはまたまた獣医に連れて行かれ、新しく薬を餌に混ぜられ……と、
散々な毎日を過ごしているのに、その上にわたしがバタバタと忙しくしていたり、ピアノをガンガン弾いてたりしていたので、
ついに我慢の緒が切れて、家出をしてしまったか……そう思うとものすごく悲しくなり、カエデの爺さんのところに行きました。
上の写真中、リスくんや鳩さんが、ビュウビュウ風に吹かれながらもくつろいで?いる、憩いの場でもあるカエデの爺さんの木です。
「カエデの爺さん、お願いです。彼女を見つけて伝えてください。帰りなさいと言うたってください」
ぶっとい体にペタリとおでこをくっつけて、お願いしました。
すっかり暗くなっていたのは幸いでした。
わたしは真剣だし、カエデの爺さんにはきっと伝わっていたと信じていますが、他の人から見たら異様な光景でしょうから。
でも、それから数分後に、彼女は帰ってきてくれました。
なんでもなかったかのように、ちょっと散歩してただけやんか、とでもいうように。
彼女が戻って来るまでは眠れない、と思っていたので、本当に助かりました。
もうかなり熱っぽかったし、ちゃんと寝ないと、後にひびくのは確実でしたから。
でも、翌日起きてみると、体はもうヘロヘロで、探しては泣き、見つかっては泣きと、たくさん泣いたので目はボウボウに腫れて、かなり悲惨な様相でした。
あと10日。
集中すること。大事をとること。甘くみないこと。
そのことを忘れずに、残された日を一日一日頑張ります。
今だに、首からガラスバッジなどというものをぶら下げさせられてまでして、放射線量の高い所に住まわせられてる子どもたち。
そのガラスバッジにつけられたストラップには、『がんばろう日本!』と書かれてあるのだそうです。
「いやあ、放射能が高いけどさ~、日本のために頑張ってよ。どれだけ被ばくしてどんなふうに体がなっていくか、ちゃんと記録したげるからさ~」
「そういう記録っての、めっちゃ意味があるんだよ~」
なんという国かと思います。
がんばろうだの応援しようだの、いったい誰が、誰のために、わたしたちに押し付けているのか、そのことを見誤ってはいけません。
そんなふうに、いろいろと考えることが出てきて、なかなか追いつきません。
記事はもう、コンサートが終るまでは絶対に書かないと決めましたが、わたしは毎日、考え続けていこうと思います。
子どもたちを助けたい。
その願いや祈りもこめて、一所懸命練習しようと思います。
今だに朝晩になると、堂々と零下4~7℃に下がってしまう、北風がビュウビュウ吹き荒れる毎日で、
周りには、風邪ひきさんがウジャウジャいて、だから気分的に、なんとなぁ~く熱っぽかったりするのですが、
コンサート当日までは、なにがなんでも健康でいたい!
という思いで、つい先日も、記事を書かない宣言っぽいものをしたくせに、
なんのこっちゃない、やっぱりついつい覗いてしまったツィッターで、見逃せない記事を見つけてしまい……。
いつもの生活のペースだけでも、十分に疲れている、ということを、わたしはやはりちゃんと認められずにいる甘ちゃんだ。
そのことを、通しリハの当日に、しっかりと思い知らされました。
その日(先週の土曜日)は、いつになく暖かで、春めいていました。
けれどもわたしは、もやもやとした緊張感にどっぷりとつかっていて、そんなお天気の良さを喜べない状態でした。
こんなことでどうする?
だいたい、誰も一度も聞いたことがない曲を演奏するのだ。
わたしが音を外そうが、変になろうが、パートナーのサラと自分以外、誰にもわからないのだ。
そもそもどうして、そんなにはじめから、きちんと弾けそうにない、などと思い込んでしまっているのか?
それもこれもきっと、自分というものをきちんと管理できなかった、いろんなことを甘く見ていたわたしが招いた自信喪失なのだ、
後悔先に立たずを、いったいわたしは何度経験したら学べるのか……と、かなり落ち込んだりもしました。
マンハッタンへの電車の中、どんどんと体調がおかしくなり、サラとのリハ前の合わせはもちろんのこと、通しリハも大丈夫か?と思うような、かなり辛い状態になりつつも、とりあえずどちらも無事?終了。
曲の全容を、コンサートの出演者全員に聞いてもらい、好評をいただきましたが……そりゃ創った本人を前にして誰もけなせないですもんね……、
それまでずっと、緊張が生んだ不調だと思い込んでいたら、なんのこっちゃない、また膀胱炎になりかけていて、熱まで出てきました。
にわとりが先か、卵が先か。
どちらにしても、わたしはアホです。
でも、でも、体調がどんなであったにせよ、あんなんじゃダメだ。
あと2週間、とにかく頑張ろう。
そう思いました。
素人ながらも曲を書かせてもらい、そしてそれを一緒に演奏してくれる人がいて、しかもその演奏をカーネギーホールで聞いてもらえる。
こんな幸運を授かっているのに、そのために、たくさんの人が支えてくれているというのに、なにやっとんじゃ~自分!
今日は雪が降るという予報が出ていたのに、カラリと晴れて気温は2℃。今夜は零下8℃まで下がります。
北風がビュンビュン吹いていて、体感温度は多分零下5℃以下だと思います。
日本では、桜がそろそろ咲き始めているのですね。
三寒四温というけれど、今年はもうずっと、ずっとずっと寒いので、マイナス2℃が暖かく感じられたりしてしまいます。
あの通しリハを終えて、へとへとで家に戻ると、家猫が家出をしている最中でした。
旦那が、あまりに気持ちの良い暖かな日だったので、つい一緒に、玄関から出てしまったのでした。
そのあと、ご近所さんとしゃべっているうちに見失ってしまい、それっきり戻ってこないのだと。
で?
探したよ、もちろん、もう5回も、あちこち探した。
でも見つかってないやん。
たまらなくなって、コートをまた羽織り、表に出ました。
彼女の名を呼びながら、かなり遠くの通りまで探しに歩きましたが、どこにもいません。
日中は暖かでしたが、夜になるとぐんぐん気温が下がり、おばあちゃんの彼女には全然良くありません。
糖尿病治療で入院、そして退院してからは、嫌いな缶詰の餌に変えられ、朝晩インシュリンの注射を打たれ、そして前日にはまたまた獣医に連れて行かれ、新しく薬を餌に混ぜられ……と、
散々な毎日を過ごしているのに、その上にわたしがバタバタと忙しくしていたり、ピアノをガンガン弾いてたりしていたので、
ついに我慢の緒が切れて、家出をしてしまったか……そう思うとものすごく悲しくなり、カエデの爺さんのところに行きました。
上の写真中、リスくんや鳩さんが、ビュウビュウ風に吹かれながらもくつろいで?いる、憩いの場でもあるカエデの爺さんの木です。
「カエデの爺さん、お願いです。彼女を見つけて伝えてください。帰りなさいと言うたってください」
ぶっとい体にペタリとおでこをくっつけて、お願いしました。
すっかり暗くなっていたのは幸いでした。
わたしは真剣だし、カエデの爺さんにはきっと伝わっていたと信じていますが、他の人から見たら異様な光景でしょうから。
でも、それから数分後に、彼女は帰ってきてくれました。
なんでもなかったかのように、ちょっと散歩してただけやんか、とでもいうように。
彼女が戻って来るまでは眠れない、と思っていたので、本当に助かりました。
もうかなり熱っぽかったし、ちゃんと寝ないと、後にひびくのは確実でしたから。
でも、翌日起きてみると、体はもうヘロヘロで、探しては泣き、見つかっては泣きと、たくさん泣いたので目はボウボウに腫れて、かなり悲惨な様相でした。
あと10日。
集中すること。大事をとること。甘くみないこと。
そのことを忘れずに、残された日を一日一日頑張ります。
今だに、首からガラスバッジなどというものをぶら下げさせられてまでして、放射線量の高い所に住まわせられてる子どもたち。
そのガラスバッジにつけられたストラップには、『がんばろう日本!』と書かれてあるのだそうです。
「いやあ、放射能が高いけどさ~、日本のために頑張ってよ。どれだけ被ばくしてどんなふうに体がなっていくか、ちゃんと記録したげるからさ~」
「そういう記録っての、めっちゃ意味があるんだよ~」
なんという国かと思います。
がんばろうだの応援しようだの、いったい誰が、誰のために、わたしたちに押し付けているのか、そのことを見誤ってはいけません。
そんなふうに、いろいろと考えることが出てきて、なかなか追いつきません。
記事はもう、コンサートが終るまでは絶対に書かないと決めましたが、わたしは毎日、考え続けていこうと思います。
子どもたちを助けたい。
その願いや祈りもこめて、一所懸命練習しようと思います。