ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

近辺に病院もヘリの発着場も無い上に「事故が起きても救急車を呼ぶな。東電に報告せよ」と言う人でなし

2014年04月13日 | 日本とわたし
東京新聞の『ふくしま作業員日誌』より
ふたつの、一年半前のものと、現在のものを紹介します。

もう3年以上も、こんな悲惨な環境の中で、毎日何千人もの方々が作業してくださっています。
わたしたちは、早急に、もっと強く、環境の改善とドクターヘリの発着場の建設を、東電と国に要請しなければなりません。
いったい議員たちは、どこを向いて仕事をしているのでしょう。
特に福島県の議員に、わたしはそれを問いたいと思います。


福島第一原発4号機から取り出した、未使用の核燃料を調べる作業員 - 東京電力提供

ふくしま作業員日誌

事故、熱中症 報告できない

震災・原発1年半

「会社に迷惑、仕事失うかも」

東日本大震災による事故発生から、1年半を向かえる東京電力福島第一原発の現場では、
今も、見えない放射線と闘いながらの、厳しい作業が続く。
作業員に取材していくと、作業中に事故や熱中症になっても、東電まで報告せずに処理され、労災になっていないケースもあるという。
仕事がもらえなくなるのを恐れるがために
廃炉まで30年以上。
安全が守られない現場で、今後も担い手が集まるのか。(片山夏子)


汚染水かぶっても、倒れても

建屋地下で作業をしていた男性は、足場の上にいた同僚が、床に倒れ込むのを見て驚いた。
名前を呼んでも背中をはたいても、反応がない。
「これはまずい」
すぐに背負って外に運んだ。

外にいた作業員に同僚を頼み、地下に戻ると、他の作業員たちも、頭を抱えたり座り込んだりしていた。

医務室の医師は、「軽い熱中症」と診断したが、酸欠や一酸化炭素中毒の症状を示していた。
一人は、数日間動けなかった。
しかし、元請けから連なる下請け各社のうち、一つ上の会社から、
給料を補償するから、報告しないでくれ」と言われた。
元請け会社には、「熱中症」と報告された。
労災にもならなかった

別の作業員は、作業中に、頭から汚染水をかぶった。
自分たちで、放射性物質の検査をすると、頭部の数値が高かった。
シャワーを浴びても下がらず、バリカンで丸刈りに。
かっぱを着ていたため、体は大丈夫だった。
汚染している場合は、手足の毛も剃り、たわしで血が出るほど擦る
線量が下がったので、東電には報告しなかった」
と、仲間の一人は言う。

報告すれば、根掘り葉掘り聞かれて、数日間は仕事にならない。
仕事がもらえなくなる不安もあった






35才男性

死亡事故起きたのに

事故で作業員が亡くなったのに、作業は、先週末の二日間中止になっただけで再開された。
事故現場の作業は止まっているが、どうしてもやらなくてはならない作業以外も、すぐに再開したのには驚いた。

中止の間に、元請け会社や東電の社員が来て、危険な場所の点検をしただけだった。
事故についても、発生当日は何の説明もなく、週明けの朝礼で触れただけ。
黙とうもしなかった。

朝礼では、事故が起きたら、救急車を呼ぶのではなく、まず東電に報告するように言われた
勝手に呼ぶと、東電や元請けに迷惑がかかる、という感じだった。
でも、命に関わる事故だったら、一刻も早く救急車を呼ばないと助からない。

福島第一原発事故後は、周辺の病院は閉鎖されているから、搬送に時間がかかる
作業員の中では、
事故に遭ったり、急病になったりしたら助からない。報告より先に119番しよう」と話した。

それにしても今、福島第一では、一日何千人もが働いていて、危険な作業もしている。
でも、敷地内に、ドクターヘリの発着場は無い
タンクでいっぱいで、ヘリの降りられる場所が無いかもしれないが、作業員の命に関わること。
発着できる場所を造ってほしい。(聞き手・片山夏子)
コメント (2)
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「僕は『アトムの子』」にいみまことさん

2014年04月13日 | 日本とわたし
フェイスブックで知り合った、Makoto Niimiさんが書かれた「僕は『アトムの子』を読ませていただいた時、
そうや、わたしも『アトムの子』やと、しみじみ考えさせられました。
この文章は、「非核の政府を求める静岡の会の会報『非核しずおか』」の、連載第一回目のものです。
そもそも、静岡に、「非核の政府を求める会」というものが存在していることすら知りませんでした。
最近わたしは、主権者としてできる行動として、自分の暮らす地域の町や市の議会という場を無視せず、大いに参加すること、
通える範囲の場所に、世の中に実現してもらいたい事に対する働きかけや勉強ができる場を作ることなど、
ネット以外にも行動の範囲を広げなければと思っているのですけれども、
それと同時に、今まで無頓着だった様々な社会の有り様を知るうちに、
その中のひとつである放射線汚染は、わたしがこの世の生まれた、今から実に57年も前の頃から、被害の多少はあるにせよ、ずっと続いてきたことを知り、
自分の外部、内部被ばくのことについて、よく考えるようになりました。

いったいどれだけの放射能汚染が、わたしの体を痛めつけているのか……。

そんな矢先、Makotoさんのこの「僕は『アトムの子』」と出会えたことは、ただの偶然だとは思えず、お願いして転載させていただくことにしました。

↓以下転載はじめ

今月から「非核の政府を求める静岡の会・会報『非核しずおか』」に連載させて頂くことになった拙文を紹介させてください。
第1回は、核と被ばくの問題と切っても切れない、僕の生い立ちの話。
こうして振り返ると、僕らはみんな、多かれ少なかれ、1945年以降ずっと被ばくさせられていて、
この問題は、原爆被爆者、世界中の核実験場・原子力施設・原発周辺住民、原子力災害被災地住民だけに限った問題じゃないんだってこと、共有して頂けたらと思います。


「僕は『アトムの子』」-第1回

ー はじめまして

今回から「僕らは『アトムの子』」などというわかったようなわからないような題名で、しばらく連載(内容が酷ければすぐに終わると思いますが^^;)をさせて頂くことになった「にいみまこと」です。
この世で私ほど、名前負けな人物はいないことが自慢です・笑。

今日現在は、民医連という団体で役員をさせて頂いていますが、そんな立場とは無関係に、
ここでは、あなたにも私にもとても関係の深い「核≒原子力」をどうしたらなくせるのか、をご一緒に考えられたら、という問題意識で放言します。
どうぞ、しばらく我慢してお付き合いください。

ー 僕の生い立ち

つい先日「被災60年3.1ビキニデー集会 in 焼津」で、総合司会の大役をさせて頂くにあたって、歴史を振り返り再確認したのは、
自分の生きてきた道のりそのものが、核と被ばくの歴史だった」ということ。

そのビキニ被災から5年後の1959年、北半球の大気圏内で、核兵器の実験が最も盛んに行われている最中
9月に愛知県を直撃し、風水害で多くの犠牲者を出した、伊勢湾台風の暴風雨に耐えた母から、まだ復興とはほど遠い瓦礫の街で、僕は生まれた。



この図は、1945年に、アメリカが人類史上初の核実験をおこなって以降、世界で行われた核実験と、原子力災害の推移と、
日本に降り注いだ放射性核種「セシウム137」と「ストロンチウム90」の、降下量を表したもの
で、
自分の生い立ちとの重なりが、この上なく忌まわしく思える図だ。

母のおなかの中、そして産声をあげたのちも、大量に降り注ぐ放射性核種で汚染された、日本の土壌で作られた食品を、摂取し続けて育った

中学生の頃、「ねむの木のこども達」という映画を見て、障害のあるこども達と、浜岡町にあるねむの木学園を知り、福祉の道に進むことを決めた。
と同時に、浜岡原発の建設が進められていることを知った。
大学に進んで知った、この国の被ばくの歴史。
そして、スリーマイル島でのメルトダウン事故を、「チャイナ・シンドローム」という映画とともに知った、成人の年。
最初の子を授かった翌年、チェルノブイリで、レベル7の過酷事故が発生し、こんにちと同じように、安全な食品の確保に悩む日々を過ごした、86年以降
その年から、「反核日本の音楽家たち・名古屋」に参加して、明確に「反核」を表明しておこなってきた音楽活動
そして、人生と子育てのおさらいを、静岡ですることに決まった2011年春に起きた、福島第一原発事故。
事故後、4カ月が経った7月、自身4人目の愛娘が誕生して、内部被ばくを避ける行動もおさらいすることに。
「核と被ばく」の問題は、神が僕に与えたライフワークだと思って、生きている自分がいる。

そう「僕は『アトムの子』」

- つづく


↑転載おわり


自分に深く関わっていることと知りつつ、そのことを気にかけ、行動に移すことを、ずっと避けて生きてきたわたしは、
まことさんと同様に『アトムの子』でも、人生の質はずいぶんと違っています。
わたしの体の内部には多分、様々な核種が今も活きているのだろうし、こんな世の中である以上、100%クリーンな体など、持ち得ないのも事実です。
けれども、それがわかったからといって、やけくそになって、もう何をしてもしなくても同じだ、などとは全く思っていません。
知ることができて良かったと思います。
ミクロの、目に見えない時限爆弾を、いったい何個、何十個、何百個抱えているのか、それはわかりませんが、
『アトムの子』というのが自分に与えられた課題だと捉え、時限爆弾のスィッチが簡単に入らないよう、よく考えて生きていきたいと思っています。

そして、まことさんやわたしのような『アトムの子』が、今後ますます増えていくというような愚かしいことが続かないよう、
この世から、地球から、核というものを廃絶し、未来の地球が今よりも、少しはマシな、まともなものになるよう、
今後もしっかりと考え、行動し続けていきたいと思っています。
コメント (4)
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