ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ああおぞましい!製造が禁止されているクラスター爆弾の製造会社の株式を、年金積立金で保有している日本!

2017年04月08日 | 日本とわたし
「みなさんは、広範囲に小型爆弾をまき散らすクラスター爆弾を作る米企業の株に、みなさんが積み立てている年金が運用されていること、知ってましたか?」

↑これは、昨日ツィッターに流したものです。
なぜ流したかというと、以下の二つの記事を読んだからです。

GPIF、クラスター爆弾製造の米企業の株保有
【朝日新聞】2017年4月7日
http://www.asahi.com/articles/ASK4741M5K47UTFK00B.html

GPIF 爆弾製造会社の株式保有は禁止されず 政府答弁書
【NHKニュース】2017年4月7日
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170407/k10010940631000.html

政府は、公的年金の積立金を運用しているGPIF=年金積立金管理運用独立行政法人が、
クラスター爆弾を製造している企業の株式を保有している
、とする質問主意書に対し、
こうした企業の株式の保有は、法律上禁止されていない、とする答弁書を決定しました。

この答弁書は、民進党の長妻元厚生労働大臣が提出した、質問主意書に対するもので、7日の閣議で決定されました。
長妻氏の質問主意書では、GPIF=年金積立金管理運用独立行政法人が、平成27年度末の時点で、
国内で製造が禁止され、国際的にも使用、開発などが禁止されているクラスター爆弾を製造している「テキストロン社」の株式を、およそ192万株保有しているとして、政府の見解を求めています。

これに対し、政府は答弁書の中で、
「わが国では、クラスター弾等禁止法で、製造の禁止や所持などの規制を定めているが、
GPIFが、クラスター爆弾を製造している外国企業の株式を保有することを、禁止しているものではない」
としています。
一方で、
「諸外国では、特定の企業の株式を、公的年金の積立金の運用における、投資の対象外とする措置を講じている事例があると承知している」としています。

GPIFは、NHKの取材に対し、
「法律上、運用にあたって、個別の株式の銘柄の選定は、委託した運用機関が決めることになっており、みずから選ぶことはできない」としています。


******* ******* ******* *******

『クラスター爆弾』というのは、広範囲に小型爆弾をまき散らす上に、紛争や戦争が終わっても、残った不発弾によって、住民の方々が巻き込まれるというもので、
その非人道性が問題視され、2010年に、『国際条約で使用、開発、製造が禁じられている』おぞましい爆弾です。
そういうことから、ヨーロッパ諸国では、このような非人道的なものを製造している企業の株式を、公的年金の投資対象から外す措置を講じているのです。
そのクラスター爆弾を製造している「テキストロン社」の株式を、みなさんの年金の積立金を管理運用している行政法人が、およそ192万株保有しているのです。

みなさんのお金が、このような人殺しのための、しかも国際条約で使用、開発、製造が禁じられてるような武器を製造する企業とつながっている。
いやじゃありませんか?
やめなさいと言いたくありませんか?
もしかして、まだ他にあるのではないか、気になりませんか?
年金の支給額、わずかであれ、今月から減らされてしまっています。
ご存知でしたか?
2015年の5月に、自民党は、2020年までの財政健全化を目指して、社会保障費を大幅に削減すると発表しました。
その第一弾として、年金の減額案が上がっているのです。

正式には、アベノミクスによって、国債中心の運用方法から、株式運用中心に変更させたために、
何かと社会的に不安定で、株式も乱高下しやすい時期に、調子に乗って株式運用メインの年金運用をしてしまったために、8兆円もの年金損失をしでかしたのもGPIFです。

このことに対しても、それほど大きな怒りの声が上がりませんでした。
株式運用についても、批判の声が上がりませんでした。
報道がしっかり伝えないからなのでしょうか?
それとも、暮らしに政治が深く関わっていることに、まだ気づいていない人がいるからなのでしょうか?

みなさんの大切な、一所懸命働いて得たお金です。
どんなふうに使われているのか、そのことをもっと知って考える。
そして、もし納得がいかなかったり、いやだなと思ったら、そのことを議員に直接伝え、町や村の議会で議論させる。
日本会議は、何十年もの間、ひたすら反対運動をやってきて、議会に根を張り巡らせました。
今度はわたしたちが、わたしたちが納得できる、いやじゃない社会を実現させるべく、反対運動をコツコツと積み上げていく番です。
一つ一つ、おかしい、正しくない、いやだと思うことを、伝え手である議員にはっきりと伝える。
そして町から市に、市から県に、県から国に上げていくかどうか、その過程をしっかりと見張る。
暮らしは政治です。
暮らしの中に政治について考える、考えたことを話す時間が無い人は、それは暮らしていないということになります。
そんな人が多ければ多いほど、ずるい政治家は増長し、わたしたちの暮らしを生き辛いものにしていくのです。
そろそろ、政治家の掃除をしなければなりません。
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春の別れ

2017年04月08日 | ひとりごと
まだ彼女が荒井由実という名前で歌っていたときの歌を、わたしは強烈に覚えている。
といっても、歌を歌う余裕がまだそこそこあった、16歳から19歳の頃のことで、だからとても短い間に限定されている。
「ひこうき雲」「ベルベット・イースター」「やさしさに包まれたなら」「海を見ていた午後」「たぶんあなたはむかえに来ない」「卒業写真」「ルージュの伝言」「少しだけ片想い」「雨のステイション」「中央フリーウェイ」…。

今朝、フェイスブックで紹介されていた動画を見て、わたしは泣いてしまった。
https://www.youtube.com/watch?v=GlaA_1YGshQ

だって、その歌と景色は、その時のわたしを思い出すのに十分だったから。

何度も書いたから、また書くのはちょっと申し訳ないような気がするけれど、この季節になると必ずわたしの心の中に帰ってくる思い出なので、やっぱり書こうと思う。



別に意図したわけではないのだけれど、わたしの日本生活最後の日は、43歳の誕生日だった。
渡米までの1週間、息子たちとわたしの3人は、母の家に居候させてもらっていた。
いよいよ出発という日は、ポカポカと暖かく、桜の花が満開だった。



電車駅までの坂道の桜並木も満開だった。
見上げると、花びらの笑顔の向こうに、真っ青な空が見えた。
わたしはそれを見ながら、泣かずにさよならを言おうと思った。



プラットホームに立つ母は、いつもより少しちっちゃく見えた。
母は、それまで住んでいた大津の家に帰るわたしたちを見送るかのように、大したことではないようなふりをしていたけれど、
電車のドアが閉まると、彼女らしくない、満面の笑顔を見せてくれた。
わたしはびっくりして、けれども彼女の気持ちに応えたくて、負けずに顔いっぱい笑顔にして手を振った。
「バイバイ、ちょっと行ってくるね」



電車は、山と山の間の狭い場所を、ガタンゴトンと走って行く。
窓の外には満開の桜。
電車が通る風に吹かれた何本もの花びらの帯が、窓の向こうに流れていった。

バイバイ今までのわたし。
バイバイ日本。



ちょっと嬉しくてちょっと寂しくて、ちょっと楽しみでちょっと心配で、ちょっとワクワクしていてちょっとビクビクしていた。
いろんな気持ちが一緒くたになって戸惑っているわたしに、日本が「さよなら」って言ってくれた気がした。

でも、その時の自分を思い出して涙ぐむんだから、やっぱりわたしはとても悲しかったんだな。

******* ******* ******* *******

今日もとっても肌寒い。
しかも、強い風がビューンビューン吹くものだから、ほぼ満開のぽんちゃんが、花びらを散らし始めた。


ももちゃんは五分咲き。




レモングラスも雑草も、お日様の光を浴びて、力強くニョキニョキと。




毎度のぽんちゃん晴れ姿。


















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