ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

『森友&加計学園問題』を徹底追及するよう市民の声で後押ししよう!日本の現政権と右傾化を吹っ飛ばそう!

2017年04月14日 | 日本とわたし
安倍政権にすでにうんざりしている皆さまへ。
『森友学園』問題は、安倍政権の驕りと腐敗の象徴です。
いま、市民の怒りがはっきり見える姿で抗議することが求められています。


これは、川原茂雄さんが『どうなってるの?森友学園〜さよなら安倍さん キャンドルウォーク』(4月13日実施)を呼びかけるツィートで書かれたものです。

その通りだと思います。
森友学園と加計学園問題は、安倍政権の驕りと腐敗の象徴です!

さて、遅まきながらやっと取り上げられ始めた『加計学園』問題。
安倍首相が、総理大臣という地位を利用して、巨額の便宜を図った腹心の友、加計学園の加計孝太郎氏。
この加計氏は、仲がいいどころか、安倍首相の親族である岸信介の外孫であることがわかりました。
岡山理科大・吉備大学・九州福祉大学・順正学園・千葉理科大学の、5大学への便宜額4百億円
国家反逆罪とも言えるほどの案件です。
なのにどうして、検察は動かないのでしょう?
国会で野党が厳しく問い詰めても、意味不明の応答で済ませたり、恫喝したり、挙句の果てには証拠資料は全て破棄したと嘘をつく。
これでは追及の仕様がありません。

そこで、野党としては、以下の動画にあるような行動に出ざるを得なかったようですが、
この件については、野党各党でバラバラにやるより、一つの共同体を作って徹底抗戦を練った方がいいと思います。

動画を載せるとおかしくなるので、以下↓の青文字部分をクリックして観てください。
https://www.youtube.com/watch?v=TF3uqvnHOJ4

この審議、強行採決(またか…)に至った経過と、それに対する解説を書いてくださった方がいらっしゃいました。

↓以下、転載はじめ(文字の強調、色分けは、わたしが加えました)

■森友のこと質問したから質疑終了、採決な!
http://anond.hatelabo.jp/20170412171905

背景知識がないと、民進党の柚木議員が悪い、みたいにおっしゃるかたもいらっしゃると思いますが、
今までの慣例から考えて、質疑冒頭に、出席者に簡単に答弁を求めることは、これまでにも多々あったことです。
また、予算委員会が終わり、森友学園、天下り問題についての総理入りの集中審議の開催を、与党は拒否し続けているので、
森友学園に関することを総理に答弁を求める機会は、今のところありません
したがって、柚木議員が、総理入りの厚労委員会で、冒頭に総理に質問すること自体は、何も不自然ではなく、よくあることです。
また、議員には、一般質問をする権利、質問権が保障されているので、口頭での一般質問をすることも、本当によくあることです。


柚木議員の質問
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=47024&media_type=fp

柚木道義:
先週の金曜日も、昭恵夫人とプレミアムフライデーということで、ハンバーガーをお食べになり、大変結構なことでございますが、
ただ、ぜひ、公の場でご説明をいただけるように、お話し合いはされましたか。
総理から昭恵夫人に、お話はされましたか。
あるいは、総理が止めていらっしゃるんですか。

安倍晋三:
あ、重要広範質疑ということで、介護保険、改正案について、出席をさせていただいている、非常に貴重な時間だと、柚木さんにとっても貴重な時間なんだろうと、このように思うわけでありますが、
この問題につきましては、今、柚木議員からご質問をいただいたことも含めてですね、もう何回も、既に何回も、再三再四、答弁をさせていただいているところでございます。
いずれにいたしましても、従来より答弁をしている通りでございますし、この問題につきましては、会計検査院が調査、結論を出す、それを待ちたいと、こう思っておるしだいでございます。

丹羽秀樹委員長:
質疑は議題の範囲内で、お願いします。

柚木道義:
私も早く、通告した質問に入りたいので、総理、簡単なことですので、ひとつ答弁をお願いします。
財務省の森友学園との交渉記録データが、復元可能であると、財務省が答えている。
財務省によりますと、今年6月に、システムが入れ替わる予定とのことで、このままでは証拠隠滅の恐れがある
ぜひ、総理から一言で結構ですから、森友学園との交渉記録データを、復元して公表するようにと、一言ご指示いただけませんか。

丹羽秀樹委員長:
柚木君に申し上げます。
質疑は議題の範囲内で、お願いいたします。

ーーーーーーー ーーーーーーー ーーーーーーー ーーーーーーー

この後、安倍総理は答弁しないまま、同様の要請を柚木議員が要請した後、質疑に入りました。
そのあと、各議員の質疑ののち、維新の河野議員の質疑終了後に、丹羽秀樹委員長が、総理の退出を宣言し、緊急の理事会を招集しました。


突然の質疑終局、採決の決定

1時間ほどの中断の後、なんの説明もなく再開されましたが、中島議員、阿部議員、堀内議員、河野議員から、いきなり採決する、ということについての、苦情が述べられます。
そして、最後の河野議員の質疑終了後、

丹羽秀樹委員長:
三ツ林ひろみくん。

三ツ林ひろみ:(マイク拾ってない)
本法案の、質疑終局、終局討論省略、ただちに採決すべき。

野党議員:
せめて理事会開いてくださいよー。
こんなのおかしいだろ。

丹羽秀樹委員長:
三ツ林ひろみくんの質疑終局等論省略、ただちに採決すべきとの動議に、賛成の諸君の起立を求めます(与党議員起立)。
起立多数、よって、そのように決しました。
これより採決に入ります。

野党議員:
委員長は、与党理事の言いなりなんですか?
今日採決するなんて聞いてないよ。

丹羽秀樹委員長:
採決をいたします。
本案に賛成の諸君の、起立を求めます。(与党議員起立)
起立多数、よって本案は、原案のとおり可決すべきものと決しました。

野党議員:
委員長は公平中立にやってくださいよ!
地方公聴会もやってないじゃないか!

******* ******* ******* *******

この介護保険法の改正は、重要広範質疑ということで、公聴会を開いて、地方で有識者の意見を聞いたりとか、そういうこともよくあるわけですが、
いきなりの終局宣言からの採決、これも見たことがない。
中島議員から、「採決すると、その理由も、重要広範質疑の内容について」と説明があったとおり、
どうも中断の間に、理事会で、「森友のこと聞いてきたから、質疑打ち切り、採決する」との決定がされたようです。

宮崎岳志議員が、地方創生特別委員会で、このことについてコメントしていました。
曰く、与野党の筆頭理事(たぶん後藤茂之と井坂信彦)の間では、金曜日にも質疑を継続する予定であったこと、
重要広範質疑に関わらない質疑をおこなったことから、質疑を続けられないと決定した、という話がありました。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=47025&media_type=fp


追記
一般的な法案審議の流れ


委員会で審議される法案は、一般的には、法案提出→趣旨説明→質疑→討論→採決、という流れで審議されます

提出者が、法案の趣旨を説明し、質疑をします。
国会議員が質問したり、政府や民間から参考人を呼び、意見を聞いたり、国会に利害関係者を招き、公聴会を開いたり、
逆に、議員が地方に行って、地方公聴会を行うのも質疑です。
質疑が十分に尽くされた、と委員長が判断したとき、委員長は質疑終局を宣言します。
そののち、討論を行います。
討論は、本案、修正案ともに行われ、それぞれ案件に対す賛否と。その理由を論じます。
その後、採決に移ります。
採決においても、修正案の採決から行われ、修正案を否決した後、本案を採決することが多いです。



委員長が突然、質疑終局を宣言する意味

野党議員が全員、公式野党の維新ですら苦情を述べていましたが、
もし野党議員が、修正案を出す準備をしていた場合、このような突然の質疑終了をされると、修正案の審議の機会がありません。
その採否はともかく、提出する機会すら、与えられないことになります。

ですから、審理日程については、与野党の理事の間でしっかりと協議して、合意した上で法案審理を進めるのです。
こういった建前は、実はとても大切です。
これをなし崩し的に行うなら、与党は、その多数を頼って、法案の趣旨説明ののち、いきなり採決に入ることすら可能になるからです。
国会の審理は、その結果に関わらず、野党議員がどういう意見を述べたか、ということが記録されることも、重要なのです。

そういう大切な建前を、安倍が答えにくい質問をしたからという理由でとっぱらってしまった、今回の採決の頭のおかしさは、際立っているといえます。


さらに追記
どうやら、長尾たかし議員や高橋千鶴子議員のツイートによると、
安倍の委員会入りで、野党に安倍の質問時間を全部やるかわりに、森友関連の質問はするなと、筆頭理事間で約束していたのを破ったからだ、と言ってるらしいですね。
これを正当な理由だと言いたげな長尾も、大概だと思うよ。
理事の間での約束事を破ったから、質疑終了、採決だって?
どこにそんなルールがあるんだよ。
次回の野党の持ち時間を減らす、嫌がらせとかならまだ理解するけどさ。
大体、こんな意味不明な取引してる時点で、厚労委員会の与党理事どもは、安倍の委員会入りに泥を塗られたとか思ってんだろ?
マジでおまえら、いっぺん選挙落ちて頭冷やせ。

あ、あとすみません、与野党筆頭はどうやら田村、柚木のようです。


さらにさらに追記
この件に怒った山井が、一旦合意していた共謀罪の審議入りを、拒否したとのニュースみて、「そらそうよ」と思ってたら、
竹下が一言謝罪して、正常化したと受け入れただと。
山井和則はホント、何考えてるんだ?
今回の厚労委員会のアホな行動も、竹下亘は把握してなかったってことだろうが。
そんなやつと協議して、正常化したとか言ってんじゃないよ。
戦うポイント間違えてんな。


さらにさらにさらに追記
厚生労働委員会で、森友学園のことを聞くな、とおっしゃるひとも多いわけですが、議員に質問権が保障されている意義を、考えて欲しい。
ほとんどの委員会に総理が出席していた、一昔前ならいざ知らず、今では、各委員会で、総理入り審議がされる機会なんて、一会期で1回あるかないかなわけですよ。
直接的に、総理大臣と議員がやり取りできる機会は、本当に稀なわけです。
一方、議員は、各委員会の委員であると同時に、国民の代表ですよね。
国民の代表者としての議員が、ただの一回だけかもしれない総理大臣との直接対峙の場面で、総理の言質をとろうとすることがそんなにおかしいかい?
また、法案提出者である内閣閣僚の能力や、誠実性についての疑義というのは、ほとんどすべての委員会で、質疑の対象となってきていたわけですから、
世論調査の結果にしたがって、8割の人が納得していないという話題について、説明をするように促すことが、そんなに場違いだというなら、
さっさと集中審議を開かない、与党の問題
なんじゃないですかね。

あと、偏ってる、バイアスがー、とかいってるやつは、アホなんですかね?
動画貼ってるんだから、自分で見て自分で判断しろよ。
あと、森友ばっかり聞いてるから、とかいってるのも、「私は張られた動画も見ません」と宣言してるようなものなので、ちゃんと見たほうがいいよ。
この手続きのほうが、大きな問題だと思ったけれど、
「自殺者全体が減っている中で、介護関連の自殺だけが増えている中での、介護保険料負担の増額を求めるのはどうなのか」という質問に対して、
「アベノミクスで自殺者が減っている(キリッ」とか答えられる、すばらしい雄姿が見られるぞ。


一般質問権と質疑

質問権は、国会法第74条、75条で保障された権利です。
一般質問は、議長が許す限り、法案、議題に関わらず、何を聞いてもいいものです。
本来、質問と質疑は区別され、質問は書面(質問主意書)を持ってなされ、答弁も書面で行われますが、閣議を経るため返答が遅いものです。
質疑は、議題に関することに関する疑問点の解消、のために行われるものであり、口頭で行われます。
したがって、柚木議員が質疑をさえぎられたことをもって、質問権の侵害だといっていたこと自体には、私は賛成していませんが、
質問権の趣旨に鑑みて、現に議会の運用上、質問権を口頭で行使することが、是認されている状況下で、
それを行使したことの非を以って、懲罰的に質疑を終了する、という行為の愚かしさが、問題
だといっているわけです。



北朝鮮有事かというときに森友かよ、とか言ってる人のヤバさ

森友学園、加計学園、南スーダン日報問題、昭恵夫人と付職員の行動の法的根拠のなさ、これらはすべて、ガバナンスの問題ですよ。
有事にこそ一番求められる、ガバナンスの欠如の問題を、議論しないでどうするわけ?
首相の、馬鹿みたいにうかつな発言のために、黒いものを白いと主張しつづけて、行動せざるを得ない組織を見せ付けられて、
北朝鮮有事で、安倍政権が頼りになると思ってるわけですか?
すげー迂闊に下した判断のために、さらに誤った判断を下し続けるこの2月の状況を見て、そういう判断している人がいるのが、ちょっと信じられないです





「森友」問題答弁求める文書50本に 真相解明は程遠く
【東京新聞】2017年4月15日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201704/CK2017041502000136.html

大阪市の学校法人「森友学園」を巡り、国会議員の質問主意書が、2月下旬以降に急増し、14日までの本紙の集計で、50本に上った。
政府は答弁書で、安倍晋三首相の昭恵夫人付き政府職員が、私的活動や選挙応援にも同行している事実を公表した。
学園の小学校用地に、国有地が格安で売却された核心部分では、紋切り型の回答に終始している。
 
学園関連の質問主意書は、すべて野党議員と無所属議員からで、衆院が47本、参院が3本だった。
急増は、野党が、政府のこれまでの国会答弁に、納得していないことを物語る
 
だが、政府は答弁書でも、国有地売却を巡る財務省と、学園の交渉記録について、「法に基づき適切に廃棄している」と強調。
首相が、国有地を巡る問題に「関係していたら辞める」と言い切った答弁の意味も、「答弁した通りだ」と素っ気ない。
 
一方、外形的な事実経過に関しては、明確に答える場合が多い。
政府は、14日に決定した答弁書で、昭恵氏が、昨夏の参院選で候補者の応援に行った際、
公表済みの3件以外に、10件でも、夫人付き職員が同行していたことを明らかにした。(金杉貴雄)


******* ******* ******* *******

昭恵夫人は安倍首相本人からの圧力、迫田国税庁長官(前理財局長)は、税務調査の報復を恐れるマスコミの及び腰が原因で、証人喚問には程遠いままです。
谷さんも、イタリアへ栄転が決まりました。
彼女にしても、自分がいつも通りの仕事としてやってきたことが、このような大きな疑惑を呼び、内閣が吹っ飛ばされてもおかしくないほどのスキャンダルにつながっていることを知っているはずです。

加計学園の場合、他の誰でもない、安倍首相本人が加担しているのですから、追及を徹底的にやろうと思えばできます。
この森友学園と加計学園は、安倍政権の奢りと腐敗の象徴です。
だからこそ、この二つの問題を徹底的に掘り下げ、公の場に晒し、責任と罪を問い、怒りをしっかりと表すことが、
今一番危ない転機を迎えている日本を、誤った方向に進ませないことにつながるのです。

では、日本が瀕している危機とは何か?
それをとても明確に解説してくださった、内藤朝雄さん(明治大学准教授・いじめ問題研究)の記事を紹介させていただきます。

世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる
森友学園や安倍政権を決して侮るな

【現代ビジネス】2017年4月14日
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51438

▪️森友学園問題と日本の右傾化

日本中、さらに世界中で「森友疑惑」が報じられ、ひとびとの関心を集めている。

それはおおむね、次のような疑惑だ。

右翼思想を抱く理事長が運営する、学校法人森友学園が、幼稚園児に教育勅語を唱和させている。
運動会では、
「中国、韓国が、心改め、歴史で嘘を教えないよう、お願いいたします。安倍首相、ガンバレ! 安倍首相、ガンバレ! 安保法制国会通過よかったです!」と連呼させていた。

学園は、「よこしまな在日韓国人・支那人」、「韓国や中華人民共和国人の元不良保護者」などと記した文書を、保護者に配布したり、ホームページ(HP)で公開したりしていた。
「お仕置き部屋」などでの暴行虐待も、報告されている。
理事長は、政権中枢を牛耳る右翼仲間の同志であり、首相夫人や、政治家や、上層部の意を忖度する役人たちを通じて、さまざまな便宜をはかってもらっている。

森友学園は、子どもたちを、極右思想で教育する小学校をつくることとし、国の土地を、極端に安い値段で購入できることになった。
首相は、自身および夫人の関与を否認し、もし本当であれば辞任する、と言った。

不正疑惑が報道されると、かつての仲間たちは、トカゲの尻尾切りのような振る舞いをはじめた。
裏切られた理事長は、政権中枢の右翼仲間たちに、都合の悪いことを暴露しはじめた。
このような疑惑のストーリー
である(各種報道より)。

国内では、一つひとつの細かなエピソードをめぐって、芝居見物のようににぎわっている。
疑惑関係者は、それが人間ドラマとして消費され、飽きられて終熄する時を待っているはずだ。

対して、世界のメディアは、もっぱら日本の現政権と右傾化がどうなるかという関心から、森友疑惑を報じている。

というのは、現政権は、日本を戦前(特に昭和初期から敗戦まで)の社会に戻そうとしている、「ウルトラ・ナショナリスト(ultra-nationalist)」政権であると考えられており、
日本が、戦前のタイプの社会に戻るかどうかは、大きな関心事
だからだ。

日本の大衆も、現政権がこれ以上強くなることに、ぼんやりと不安を抱きはじめている。
なんだか変なことになっている。
自分たちの社会は、これからどうなってしまうのだろうか。
自分たちはこれからどうなるのだろう。


▪️「超タカ派」勢力が動かす日本政治

ひとびとはそれを、成熟した大人としてストレートに意識して考えるのではなく、
政治とカネやら、「軍国主義」時代を再現する教育やら、お仕置き部屋の児童虐待やらの、「森友劇場」でもりあがることで、不安を表現している。

報道される人間模様は、きわめて戯画的である。
籠池夫妻、その息子、「アッキー」と呼ばれる総理夫人、便宜をはかる役人、安倍総理、稲田防衛大臣といった、どたばた劇の配役とストーリー。

「森友劇場」を見物して喜んでいる大衆は、悪ふざけに興じているようにも見える。
悪ふざけを通じて、箱庭で遊ぶ子どものようにしか、政治に向き合えない大衆なのかもしれない。

わたしたちは、原発事故と現政権成立以降、いまここに出現した歴史の折り返し点(いったん通過するともう戻れない)を、子どもっぽくやりすごした後、
次に来る本物の全体主義によって、身ぐるみ剥がされ、地獄に突き落とされるかもしれない。


「騒ぎすぎだ」という声もある。
しかし、森友問題は、わたしたちが目の前にあっても見ようとしなかったことを、日の光に晒すための手がかりになるのではないだろうか。
森友問題を入り口にして、現実の危険を直視しよう。


現在、日本を、戦前の状態(特に〈天皇中心の国体〉が暴走した昭和初期から敗戦までの時期)に戻そうとする勢力が、閣僚の大多数、国会議員のほぼ半分を占めている。
日本社会は、その意向のままに造りかえられてしまう、瀬戸際にあるといってよい。


次の資料をみてほしい。

第3次安倍晋三再改造内閣の超タカ派(極右)の大臣たち」(俵義文(子どもと教科書全国ネット21)作成:トップページの左側リストにある当該資料表題をクリック)、あるいは「国会議員いちらんリスト」。

資料を見ると、閣僚のほぼ8割が、「超タカ派(極右)」団体(先進諸国の主要メディアはおおむねそのように見ている。筆者もそれに同意する)のメンバーであることがわかる。
またそれが、国会議員全員の半数に達しようとしている。

これらの団体は、仲間たちがいくつも掛け持ちしていたり、協力しあったりしているので、ひとつの大きなネットワークと考えることができる。

また、彼らは、公明党など他勢力と、利害同盟を組んでいる。
その意味では、ほぼすべての閣僚と半数の国会議員が、上記資料にいうところの「超タカ派」勢力か、それになびく勢力であるといってよい。

これらの勢力が政権の座にあり、目標達成に向けて、着実に歩を進めているのである。


▪️どのような戦前を目指しているのか

彼らがめざすのは、どのような社会か。
そのなかで、わたしたちは、どのような生活を強いられることになるのか。
彼らが、人間の精神を根本からつくりかえることに熱心であるとすれば、わたしたちはどのようにつくりかえられてしまうのか。

一口に戦前といっても、いくつもの時期があり、多種多様な要素が混ざりあっている。
今政権を盛り立てている勢力は、そのうちどの面に対し、ファナティックな情熱を示し、どの面に無関心なのか。
このことから、私たちが、どのような被害を受けることになりそうかを、予測することができる。

彼らは、カミカゼ特攻隊、散華(さんげ)、英霊といったものを、崇高なものとみなし、ファナティックな感動を示す。
また、日本国憲法、個人の権利、個人の自由といったものを憎む。
また、中国と韓国が日本に「逆らう」ことに、常軌を逸した憎悪を示す(中国が超大国になった21世紀に、この上下感覚は滑稽ですらある。そして国防上きわめて危険である)。

対して、日露戦争で局地的な勝利を得た後、自軍が消耗しきっている事実を認識し、高額の賠償金や領土割譲をあきらめた、明治政府の判断をほめたたえる、といったことはしようとしない。
それどころか、アメリカと無謀な戦争をしたエリートたちを、復権しようとする。

これらのことから、現在の「ウルトラ・ナショナリスト」勢力が取り戻そうとしている、「戦前の美しい日本」なるものは、
明治維新以降、さまざまな部分が混ざり合って進む日本近代史のなかで、
昭和初期から敗戦までの時期に暴走し、悲惨な結果をもたらした最悪の要素
であることがわかる。

一言でいえば、それは、個を超えた集合的生命として崇拝される、〈天皇中心の国体〉なるものである。
この共同幻想が、世界の八隅を一つの家のように覆う、(八紘一宇)ことをめざす、祭政一致の全体主義社会。
これが、昭和初期から敗戦までの、大日本帝国
であった。

これはいったい何なのか。


▪️二つの国家観を理解する

二つの国家観(人間のためにつくられたしくみとしての国と、人間を超えた集合的生命としての国=国体)を対比させて考えると、
「ウルトラ・ナショナリスト」勢力の行動様式や、そのめざすものを、理解しやすくなる。
そして、現状を放置すれば、これから日本社会が、どのような被害をこうむるかも予想できる。

第一の国家観では、国家を、ひとりひとりの人間の共存と、福祉のための公共財である、機械装置と考える。

国は、水道や電気や医療や交通網のように、ひとびとの生存にとって、きわめて重要なものだ。
その意味で、危険な国家メンテナンス業務をおこなっている自衛官は、高圧線上で危険な業務をしている技師と同様に、尊敬されて当然である。

また、国に軍隊があるのも当然である(この観点から、日本が普通の先進諸国なみのリベラル国家になった後で憲法9条を改正すべきだと主張する筆者は、「リベラル・タカ派」と呼ばれることがある)。

この第一の国家観からすると、「ウルトラ・ナショナリスト」勢力のいう愛国心は、水道管や電線を愛の対象にするような、奇怪なフェテシズムの情熱である。
すくなくとも、日本で愛国心というとき、そのような意味で語られることが多い。

そのような愛国心ではなく、苦労して磨き上げた、ひとりひとりの人間のための公共財機械装置の、性能のよさに対するプライド、という意味での国家プライドはあるかもしれない。

国家が愛国心などというフェテシズムを万人に要求する制度は、日本国装置の性能の悪さとして、国家プライドを大いに傷つけるだろう。ただし、この国家プライドを新しく「愛国心」と名づけることも可能である。

それに対し、第二の国家観では、国家はひとりひとりの生命を超えた、より高次の、崇高なる集合的生命とみなされる。
このような現実感覚を生きるひとびとにとって、国家装置の防衛メンテナンスのための危険業務組織(軍隊)は、集合的生命の男根のように感じられる。

アメリカに負けて憲法九条を押しつけられたのは、「全能感を断念しなさい」と去勢されてしまったような、屈辱の体験である。

また、集合的生命の根本にあるはずの、神聖にして侵すべからず天皇を、単なる「象徴」にされてしまったのは、
河童に尻子玉を抜かれ、腑抜けにされてしまったような屈辱である。

そして、雄々しき大日本帝国は、自由だの人権だの民主主義だの、甘ったるいおしろいをぺたぺた塗られて、女にされてしまったと感じる。


▪️国体をひかり輝かせること

第一の国家観は、ひとびとの安全と生命を守りながら繁栄をもたらそうとする、リアリズム政治のための基本である。
国益の計算や戦略的思考も、この国家観を前提としなければ、何の意味もない。
また軍隊は、この国家観にしっかり基礎づけて、保有されなければならない。

第二の国家観は、非常時に短時間「だけ」、ひとびとを狂わせるための興奮剤である。
必要がないときに使ってはならない。
そして、21世紀の世界でそれが必要になる時は、もうない。
いまではこういったドラッグは、貧しい国々で誤用され、悲惨な流血や国土の荒廃をもたらす、廃棄すべき毒物でしかない。


この毒物ともいうべき第二の国家観は、どのようにして生まれたか。
江戸幕府が支配していた日本列島は、列強の植民地にされる危険にさらされていた。

クーデター成功後、最弱国日本、最弱明治政府を背負った指導者たちは、ゆっくり変化する時間的余裕がないなかで、
近代国家をつくりあげるために、集合的生命感覚に酩酊させるしかけを、当時入手可能な素材から、でっちあげるしかなかった。

それが、天皇を中心とする、集合的生命としての国体(という共同錯覚)である。
そしてこの興奮剤は効いた。
国家の集合的生命感覚は、天皇を中心とする国体として、ひとびとの魂の底に埋め込まれていった。

生存のための必要に駆られて、このような興奮剤を使うときは、そのまえに目覚まし時計をセットしておき、時がくれば醒めるようにしておかなければならない。
目覚まし時計を管理すべき指導層は、大衆を騙すための薬物に、のめりこんではいけない。

しかし、昭和初期から敗戦にかけて、指導層のあいだでも、「〇〇は国体にそぐわない」やら「不忠」やらといった、自家中毒が蔓延するようになっていった。
ヤクザが売り物の覚醒剤に手を出すように、国家の中枢までもが、緊急用大衆操作劇薬の自家中毒にやられたのだ。

狂気の興奮剤におかされた指導層は、アメリカと戦争をするといった愚行に走り、
敗戦の条件交渉にいたっては、国民の生命や安全という本来の目的(第一の国家観)よりも、国体護持(第二の国家観)などという、幻想の薬物を大切にするありさまであった。
国家の指導者として、これほどでたらめな酩酊者たちは、類をみない。


学者も含め多くの人たちは、昭和初期から敗戦までの日本のありさまを、「軍国主義」と呼んできた。
軍国主義の社会であれば、軍事的成功を、第一の優先事にするはずである。

しかし、戦争中の日本は、そうではなかった。
合理的に国益を追求したり、戦争に勝ったりすることよりも、国体を護持すること、国体をひかり輝かせることが優先された。

集合的生命としての国体は、単なる全体への外形的服従の積み重ねから成るものではなく、
臣民ひとりひとりが、自発的に個人であることをやめ、〈全体において永遠の今になる〉ことの内側から、高次の命としてひかり輝く。

カミカゼ自爆攻撃などで死ぬ瞬間こそが、その永遠の今であり、人として生まれた最高の栄誉であり、「本当に生きること」である。
それは、華やかに花が咲いたような、生のきらめき(散華)でなければならない。

このような国体の覚醒剤的な疑似哲学作用は、軍隊の合理的運用すら破壊した。

太平洋戦争では、みこまれる戦果と自軍の損失を計算すれば、無意味であることが明白であっても、
散華の輝き自体が目的となった、軍事作戦がなされた(これは即身仏のような自殺儀式であって、軍事的な「作戦」とは言えないのかもしれない)。

毎日新聞記者の栗原俊雄は、このような輝きを、後世に残すためと称して、自爆特攻作戦が続けられた例を紹介する(栗原俊雄「日本人が終戦まで「特攻」を止められなかった、驚きの理由」)。

また、航空機の援護なしに、戦艦大和を沖縄に派遣するのも、国体を輝かせるための集団自殺である。
これが、抗いがたい空気となったのである。

もちろん、国体のなかでは、「西欧流」の個人主義は徹底否定され、すべての臣民が、自発的に、集合的生命の一部で「あらねばならぬ」のであるから、すべてが強制である。
戦争終結の成り行き次第によっては、一億玉砕という、すさまじい「自発的」な散華が、すべての人に強制されたかもしれない。


▪️教育勅語はなぜ問題なのか

「ウルトラ・ナショナリスト」の政治家たちは、なにかと理由をつけて、教育勅語を学校教育に導入したがっている。
だが、国家大改造に成功する一歩手前とはいえ、今の段階では、まだ露骨な全体主義の本性を出すわけにはいかない。

だから、国会の質疑やテレビ番組などでは、
「教育勅語にあるように、親を大切にし、夫婦がなかよく、友だちは信じ合い、法律を守り、互いに誠実に生きるのはよいことではないか」といった理屈で、教育勅語を正当化することが多い。

それに対し、教育勅語に反対する側は、
「一旦緩急(かんきゅう)あれば義勇公に奉じ」と続くのが「軍国主義」につながるからいけない、といった批判を繰りかえす。
それでは、この兵士に関する部分だけ削除すればよいのか?

教育勅語の問題点は、人が人として望ましく生きること全般が、天皇を中心とした国体が生み出したものであり、
それと離れては存在しない(「国体の精華にして」「淵源…これに存す」「皇祖皇宗の遺訓にして」とは、そういうことである)、と、国家が命令していること
だ。
よく考えてみれば、これはきわめておぞましい論理である。

もし誰かから、ありとあらゆる望ましく生きることは、「私との関係から生み出されるものでなければならない」と言われたら、
あまりの気持ち悪さに、胃の内容物を吐瀉してしまうのではないだろうか。
これは国体にかぎらず、さまざまな全体主義に共通する特徴である。

1890年(明治23年)の教育勅語は、大日本帝国が、「国体」というキーワードを打ち出した初期の文書である。

その後、昭和初期から敗戦にかけて、政府は『国体の本義』(1937年)と『臣民の道』(1941年)によって、全体主義としての国体の本性を分かりやすく、あけっぴろげに露出する。

この2冊を熟読すれば、閣僚の8割、国会議員の半分弱を占める勢力が、どのような「美しい国のかたち」をめざすかを理解することができる。

いくつか抜粋しよう。

「我らの行住坐臥(ぎょうじゅうざが)の一つとして国家に関係ないものはない。」
「我らの生命は我がものにして我がものにあらずといわねばならない」
「日常我らが私生活と呼ぶものも、畢竟(ひっきょう)これ臣民の道の実践」
「一腕の食、一着の衣といえども単なる自己のみのものではなく、また遊ぶひま、眠るまといえども、国を離れた私はなく、すべて国とのつながりにある。
かくて我らは私生活のあいだにも天皇に帰一し、国家に奉仕する念をわすれてはならない」(『臣民の道』)

「人は孤立せる個人でもなければ、普遍的な世界人でもなく、まさしく具体的な歴史人であり国民である。
従って我らにあっては、人倫すなわち人がふみ行うべき道は、抽象的な人道や観念的な規範ではなく、具体的な歴史の上に展開せられる皇国の道である。
人たることは日本人たることであり、日本人たることは皇国の道にのっとり臣民の道を行ずることである。(『臣民の道』)

「皇国の道と一体たり得ざる学は、真の学たり得ざるもの」(『臣民の道』)

「祭政一致の我が国体」(『臣民の道』)

「我が国こそまさしく世界の光明である」(『臣民の道』)

「我が皇位が、天壌無窮(てんじょうむきゅう:天地ともにきわまりない)であるという意味は、実に過去も未来も今において一になり、わが国が永遠の生命を有し、無窮に発展することの意である。
我が歴史は、永遠の今の展開であり、我が歴史の根底にはいつも、永遠の今が流れている」(『国体の本義』)

「我らは、その生命と流動の源を、常に天皇に仰ぎ奉るのである。
それ故に、天皇に奉仕し、天皇の大御心を奉体することは、我らの歴史的生命を今に生かす所以(ゆえん)であり、ここに国民のすべての道徳の根源がある。
絶対随順は、我を捨て私を去り、ひたすら天皇に奉仕することである。
この忠の道を行ずることが、我ら国民の唯一の生きる道であり、あらゆる力の源泉である。
されば、天皇の御ために身命を捧げることは、所謂(いわゆる)自己犠牲ではなくして、小我を捨てて大いなる御稜威(おみいつつ:天皇の威光)に生き、国民としての真生命(真の命、ほんとうの命)を発揚する所以(ゆえん)である」(『国体の本義』)

我らは「忠において生命を得」る。(『国体の本義』)



その他、『国体の本義』『臣民の道』では、自由主義、個人主義、平等主義、合理主義、普遍的人道(ヒューマニズム)、夫婦中心の家族、などあらゆる「西洋的」なものを激しい口吻で否定する。
立憲主義や三権分立も否定する。

「忠を離れて孝は存せず」として、親子関係も国体のものであるとし、そのような「忠孝一本」を日本の道理としている。
そして、乃木希典夫妻(子どもが全員戦死した)のように、育てた子を国に捧げることを、本当の親子の情愛関係とする。

「すめろぎにつかえまつれと我を生みし我が垂乳根(たらちね)は尊くありけり」というわけである。
また、日々の労働の内容も、なにからなにまで国体への奉仕であるとする。


これから日本は、どのようなかたちであるべきか、天皇を中心とする国体に戻したいか、戦後の自由と民主主義と個の尊厳を守りたいか、決断を迫られる時期がきた。
私たちは、『教育勅語』、『国体の本義』、『臣民の道』を熟読した方がよい。


▪️日本に蔓延する全体主義

最後に、日本の学校が全体主義的であり、これが全体主義に抵抗がない大衆を生み出す、強力なインフラストラクチャーになっていることをつけ加えたい。
学校の全体主義について知りたい方は、拙著『いじめの構造――なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書)を手にとってください。

もうひとつ、世界各国の腐敗の程度をランキングした、以下の資料を参考にされたい。
全体主義の国ほど腐敗がひどく、人権を尊重する個人主義自由主義の国ほど腐敗が少ないことが、一目瞭然となっている。

・トランスペアレンシー腐敗認識指数(http://www.ti-j.org/CPI2016ranking1.pdf
・トランスペアレンシージャパン(http://www.ti-j.org/
山本七平は、戦争中に製粉会社におしかけたパン屋の社長が、大げさな国家への奉仕の話を延々しているが、それはすべて小麦粉をまわしてほしいというビジネスの要求であったというエピソードを紹介する(山本七平『ある異常体験者の偏見』文藝春秋)。

ビジネスと政治が分かれない祭政一致の社会は、すさまじく腐敗するのである。
「森友劇場」の口利きや忖度、国有地格安払い下げに関する疑惑のエピソードをながめながら、このことを思い出した。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする