『フタバから遠く離れて』
故郷から遠く離れた場所で、現在も避難生活を送っている福島県双葉町民の日常を描いたドキュメンタリー
監督:舩橋淳 エンディングテーマ:坂本龍一
以前にも何度か、このブログでも紹介させていただいたことがあるこの映画。
舩橋監督と生でお出会いしたのは、小出先生の講演があったマンハッタンの教会。
その時に、この映画のことを知った。
米国での上映を必ず叶えたいとおっしゃっていて、わたしはその日を、今か今かと待っていた。
自称『若草物語 in NJ』のびじょびじょ4人集のうち、わかちゃんとあゆみちゃん、そしてわたしの3人、行けなくなったレイチェルのかわりにまなっちゃんが、会場の『FILM FORUM』に集合。
ご近所のあゆみちゃんとわたしは、同じ電車に乗ってマンハッタンへ。
地下鉄に乗ってると、椅子とコンガを持ち込んだ陽気なお兄ちゃんが、ボブ・マーリーの歌を歌い出した。
歌いながら突如、「ニホンジンデスカ?」と聞かれたので、「はいはい」と答えた途端、
思いっきりこちらに集中して歌うお兄ちゃん……わかりましたよ、チップ払います、はい。
ノリノリなのでピンぼけ。けど、歌もコンガもうまかった♪
仕事から電車までの時間がギリギリで、何も食べずに来てしまったので、劇場すぐ近くの、メキシカンのテイクアウト店で腹ごしらえ。
小さなお店には、料理人とレジ係のふたりだけ。
どちらも中国人で、こちらが英語で注文すると、それを中国語で伝え合う。
店の壁には、中国語が満載……なんか不思議な空間だった。
以下は、フェイスブックのYukio Gionさんの写真をちょいと拝借。
ニューヨーク・タイムズの芸術版にも、デカデカと載っていた。
映画を観て、しばらく考え込んでいた。
というか、考えるというより、双葉町の方々が避難された『騎西高校』に自分の身を置いていた。
ある日突然、なんの前触れも予告もなく、それまでの暮らしを根こそぎ失う。
いくら同じ村で住んでいたからといっても、いきなりなんの間仕切りもないひとつの部屋で、何家族もが暮らすという異常さ。
布団を敷くぐらいの空間が自分の住処となり、椅子など置く隙間も無く、食べ物は床。
そのまま1週間が1ヵ月、そして1年と、月日だけがのたりのたりと過ぎていく。
気に障ることもだんだんに増えてくる。
嫌いな人もいる。
配給されるばっかりの食べ物に、飽きたりイヤになったりする人もいる。
そんなことは当たり前のこと。
ありがたいけどイヤ、ありがたいけど嫌い、ありがたいけどムカつく。
この生々しさに、わたしは心を打たれた。
打たれた心はそのまんま、スクリーンの中の人たちに寄り添った。
あれほどの大勢の人たちが、あれほど長い間暮らしたというのに、
自分たちで食べ物が作れるよう、プレハブでもいいから、台所を作ってあげることはできなかったのか。
せめて、簡単なつい立てやアコーディオンカーテン(今も言うのかな?)でもいいから取り付けて、家族を分けてあげることができなかったのか。
ものすごく大切な会議にやってきた、海江田氏と細野氏が、神妙な顔して短い挨拶をし、その直後に公用だからと退席する。
とりあえず私は、多忙にも関わらず、体だけは運びましたと言わんばかりに。
護衛されてさっさと立ち去る政治屋たちを、苦虫を踏みつぶしたような顔をして見送る、原発立地地域の首長さんたち。
けれども、誰もなにも言わない。
ひと言も。
「せめて話ぐらい、同じ部屋の中で聞いてから帰れ!」と、わたしは心の中で叫んでた。
部屋の中で日本酒を酌み交わしながら、とりとめのないことを話しているおっちゃんたち。
その部屋のテレビの画面では、深刻な顔をした政治屋が、あることないことを話してる。
それは、ほんとうは、めちゃくちゃ関係のあることのはずなのに、
そのおっちゃんたちと政治屋との間には、何万光年もの隔たりがある。
それほどに、政府というものは、人に寄り添えないものなのだと、わたしはそのシーンが一番くやしかった。
そりゃ帰りたいよ。懐かしいよ。
もう帰れないな、それはわかってる。
わざわざバスで東京まで出て行って、デモで陳情して、その後にずらっと並んで待ち受けてた自民党の(なんで自民党だとわかるのかというと、全員なぜかタスキをかけていた)議員らと握手して、
あんなこと言ってもしゃあないのにな、戻れんのわかってるのに戻せー!とか言ってもな、などと言っているおばあちゃん。
もっともっと知らなければならないと思った。
↓以下は、
公式サイトに掲載されている、監督とプロデューサーからの言葉です。
「私たちも原発事故の当事者である」
何も見えない。
311後の日本は、何も見えないことにフラストレーションを抱えてきた。
あの原発で何が起こっているのか?
原子炉の中はどうなっているのか?
放射能はどこへいったのか?
自分は被爆したのか?
被爆したとしたら、どうなってしまうのか?
今回の事故で、日本政府と東電の対応は、とても似通っていた。
事実の公表をさけ、「健康にただちの被害はない」という文言に終始する。
肥大する政府不信と東電不信・・・日本国民だけでなく、世界中からも不信を買ってしまった・・・国が推進してきた原子力政策。
それが破綻を来し、危険だという理由から、警戒区域の中を見ることはできなくなった。
大手メディアも国の命令に従い、僕たちの「知る権利」は宙吊り。
何も見えない、知らされない恐怖と闘い続けるのが、ポスト311の日本の日常となった。
そんなとき、もっとも割を食う、もっとも無視され放置されるのが、避難所の人たちだ。
自分たちの家に帰られるのか、仕事はどうなるのか?
基本的な質問に対する解答が、永遠に引き伸ばされ続ける。
その宙ぶらりの時間を、記録しなければいけない。
忘れ去られてはいけない。
そんな強い衝動に駆られて、僕はキャメラを手にした。
まだ地震・津波の被害状況ばかりがニュースで、その甚大さばかりが強調された、2011年3月末のことである。
この映画は、避難民の時間を描いている。
1日や1週間のことではない、延々とつづく原発避難。
今回の原発事故で失われたのは、土地、不動産、仕事・・・金で賠償できる物ばかりでない。
人の繋がり、風土、郷土と歴史、という無形の財産も吹き飛んでしまった。
それに対する償いは、あいにく誰も用意していない。
用意できるものでもない。
そして、僕たちは、その福島で作られた電気を使いつづけてきた。
無意識に、加害者の側に立ってしまっていた。
いや、我々は東電じゃないんだから、加害者じゃない、というかもしれない。
本当にそうなのか。
地方に、危険な原発を背負わせる政府を支えてきたのは、誰なのか。
そんな犠牲のシステムに依存して、電気を使ってきたのは誰なのか。
いま 僕たちの、当事者意識が問われている。
監督:舩橋淳(ふなはしあつし)
映像作家。
東京大学教養 学部表象文化論分科卒後、ニューヨークで映画制作を学ぶ。
長篇映画『echoes』は、仏アノネー国際映画祭で審査員特別賞、観客賞を受賞。
第2作『BIG RIVER』(主演オダギリジョー、製作オフィス北野)は、ベルリン映画祭、釜山映画祭でプレミア上映される。
また、ニューヨークと東京で、時事問題を扱ったド キュメンタリーの監督も続けており、
アルツハイマー病に関するドキュメンタリーで、米テリー賞を受賞。
今作の撮影過程を記録した著書「フタバから遠く離れて―避難所からみた原発と日本社会(仮題)」を、今秋出版予定。
【劇場用映画 Feature Films】
2012 『桜並木の満開の下に(仮題)』(2013年公開予定)
2012 『フタバから遠く離れて(NUCLEAR NATION)』
2009 『谷中暮色 (Deep in the Valley)』(2010年全国公開)
2006 『BIG RIVER』(2006年全国公開)
2001 『echoes』(2001年全国公開)
「そのとき、自分には何ができるのか?」
2万人以上の死者・行方不明者を出した、2011年3月11日の東日本大震災。
そして最悪の事態を引き起こした、福島第一原発の事故。
震災の翌日、一号機水素爆発の直後に出された避難指示により、
住民たちは、着の身着のまま避難を余儀なくされ、大量の「核・避難民」が生まれてしまった。
双葉町は、原発から3キロのところに立地している。
福島県の一時避難所から、3月19日に、役場機能を250キロ離れた埼玉県に移し、避難住民のうち、約1200人も一緒に移動した。
さらにその後、3月末に、映画の舞台となった同県の廃校(加須市/旧・騎西高校)に、再び移動した。
以来、現在にいたるまで、人々は教室で暮らし、子供達はここから、近所の学校へと通っている。
故郷の町は、災害基本対策法に基づく警戒区域に設定され、民間人には、立ち入りが禁止されたままだ。
この未曾有の事態を前に、日本中で多くの人々が、「自分に何ができるか」を問うた。
舩橋淳はディレクターとして、私はプロデューサーとして悩み抜いた末、
震災後3週間目から、この廃校に暮らす双葉町の人々を、記録する事にした。
彼らのおかれた不条理な状況に、共に苦しみ、共に怒り、カメラを回し続けた。
日本の原子力発電所は、1960年代以降、せまい国土に次々と建設された。
現在、アメリカ、フランスに続いて、「54基」(世界第3位)。
そのほとんどが、福井、福島、新潟など、限られた地域に集中して、海沿いに立地されている。
電力を消費する東京など、大都市ではなく、発電所の多くは、電力の消費地とは無縁の、産業の乏しい場所に建設された。
何が起きても原発は安全だという神話と、原発交付金など、立地する自治体にばらまかれたお金。
そうして、地域活性化、雇用促進の名の下に、次々と原発が建設されていった。
大都市で暮らす私たちは、そのことに、あまりにも無自覚であった。
出稼ぎの町だった双葉町にとって、原発は、お金を生み出す魔法の杖だった。
町は、原発との共存共栄を掲げて、発展して来た。
双葉町を見つめる事は、とりもなおさず、日本の産業構造が生み出した、歪んだ原子力行政を問い直す事に他ならなかった。
震災から1年近くたった現在でも、福島県外に避難した人々は、6万人を超え、
この廃校にも、まだ、役場とともに、600人以上の人々が暮らし続けている。
1月、政府は、放射性物質に汚染された、廃棄物の貯蔵施設の建設を、双葉町などに要請した。
原発事故で故郷を追われたうえ、放射性廃棄物の貯蔵施設の受け入れを迫られて、町長は野田首相にこう質問した。
「私たちを国民だと思っていますか、法の下の平等が保障されていますか」と。
「ノアの箱船」のような廃校に暮らす人々は、故郷の双葉町にいつ戻ることができるのか?
5年後?20年後?30年後?
その答は誰にもわからない。
しかし、舩橋と私は、彼らが故郷に帰るその日まで、カメラを回し続ける。
プロデューサー:橋本佳子(はしもと よしこ)
1985年より、ドキュメンタリージャパン代表を20年間務める。
ドキュメンタリー番組を中心に、数多くの受賞作品をプロデュースし、現在も精力的に作品を作り続けている。
個人として、放送文化基金個人賞、ATP個人特別賞、日本女性放送者懇談会賞受賞。
芸術祭賞、芸術選奨、民間放送連盟賞、地方の時代映像祭賞などの審査員や、座・高円寺フィルムフェスティバル実行委員を務める。
プロデュースした映画作品は『遠足 Der Ausflug』(86分/1999/監督:五十嵐久美子)、
『パンダフルライフ』(100分/2008/監督:毛利匡)、
『ニッポンの嘘』(114分/2012/監督:長谷川三郎)、
『dear hiroshima』(90分/2012/監督:リンダ・ホーグランド)がある。