ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

なり振り構わず愚行に走るバケモノに、乗っ取られるかどうかの瀬戸際に

2013年12月16日 | 日本とわたし
あのね、自民党という党は、確かに、明らかに、原発推進に邁進してきた党です。
そして、官庁はじめ、大手金融機関は、グルです。
自分たちの立場を大いに活用し、やりたい事をやりたいだけ、高笑いしながらやってきた。
そんな党を、どうしたことか、どういうわけか、選挙のシステムが狂ってるといっても、どこの党に、誰に入れても変わり様がないと絶望してたといっても、

なんで返り咲きなんかさせてしもたんですかっ?!
なんでねじれまで解消させてしもたんですかっ?!


こんな悲惨な放射能汚染が発生し、海のチェルノブイリと言われる地球規模の大迷惑をかけ、
今後、どれだけの被害を、自国と他国に及ぼすのかも定かではない、とんでもない事態に陥っていて、
大勢の国民が、暮らしを続けてはいけない地域から出られずにいて、
それをなんとかしなければと、自身の生活のリズムを崩しながら、必死で奔走している人たちが出てきても、
権力と金にモノを言わせ、ありとあらゆる方法を使って邪魔をする。
自分たちが粛々と、大いなる無責任を発揮してやってきた政策を、反省もせず謝罪もせず責任も取らず、
こんなクソったれの代表みたいな人間を、なんで政治の場に戻してしもたのか、それを大いに問うて欲しいです。

これが現実。
ウソ丸出しの選挙と民主主義。
なり振り構わず愚行に走るバケモノらの本性。
日本はそんなバケモノに占領されてるんです。
食われてしまいますか?
それとも、抵抗しますか?

このバケモノの栄養は、下記の金貸し屋です。
せめて、それらの銀行を使うのをやめてみませんか?
なにやっとんねん、ドアホ!という気持ちをこめて。



原発復権 本性あらわ
【京都新聞】2013年12月14日

国会混乱最中に公表/有識者入れ替え
慎重派の声置き去り

東京電力福島第一原発事故後初めて、策定するエネルギー基本計画は、原発再稼働を打ち出すことになった。
経済産業省や自民党の推進派は、『原発復権』へ
なり振り構わず走り、小泉純一郎元首相らの、脱原発を求める声は置き去りにされた。
核のごみ処理では、国主導をうたうが、行き場が定まる見通しはない。


国エネルギー基本計画

「われわれは、原子力という選択肢を、捨てるつもりは全くない」
10日午前に開かれた自民党の会合で、経産省資源エネルギー庁の上田隆之長官が言い切った。
国策として、原発推進の旗を振ってきた経産省が、再び本性をあらわにした瞬間だった。

経産省が、基本計画の内容を永田町に説明し始めたのは、6日午前、
特定秘密保護法案をめぐり、国会が混乱を極めていたタイミングだった。
どさくさに紛れるように、同日午後、内容を公表するスピード処理には、自民党内からも「横暴」(中堅議員)との声が上がる。

経産省は今年3月、基本計画を論議する有識者会議から、脱原発を唱える富士通総研の高橋洋主任研究員らを外し、
京都大原子炉実験所の山名元教授ら、推進派に入れ替えた。

「非常に偏った集まりだと感じる。国民の声を代表できていない」
一部の委員は、メンバー構成に異論を唱えたが、会議の会長を務める三村明夫新日鉄住金相談役は、
「他の委員に失礼だ。我慢できない」と、語気を荒げて抑え込んだ。
会議の結論は、始めから見えていた。

自民党内の原発推進派は5月、基本計画に意向を反映させようと、『電力安定供給推進議員連盟』と発足させた。
100人規模に膨れ上がった議員は翌月、原発を重要な電源と位置づけることを求める提言をまとめ、再稼働へレールを敷いた。

さらに、「新増設は無理でも、(古い原発を新しく置き換える)リプレースまでは書ける」(議連所属議員)と、経産省を強力に後押しした。
リプレースが実現すれば、原発は、長期間にわたって重要な電源の座を明け……

↑これ以降は、記事が切れていて、書き起こしが無責任になってしまいますので、ここで中止します。

↓以下は、では具体的にどんなふうに金繰りをするかについての記事です。
転載はじめ

東電融資枠、4.5兆円維持 国は支援増額へ
朝日新聞デジタル 2013年12月16日

東電支援の仕組み

主力銀行の東電への融資は急増している

政府の原子力損害賠償支援機構と東京電力、東電に融資している大手銀行などの金融機関は、
東電本体への融資上限を4兆5千億円にする方向で、最終調整に入った。
来年以降は、追加で新規に貸し出すことはしない。
ただし借り換えには応じ、残高4兆5千億円を当面維持したうえで、全額を無担保融資にする、追加支援を検討する。

除染や原発被害の賠償などにかかる費用が、増える見通しになり、東電の資金繰りを、国と銀行が支える今の仕組みを続けるのは難しい、と判断した。
仕組みを抜本的に改め、国は支援額を増やす。
年内にまとめる総合特別事業計画(再建計画)に盛り込み、国が支援を強める姿勢を鮮明にする。

政府は、除染や賠償に充てるために、東電に貸し出す公的資金の上限を、今の5兆円から、9兆~10兆円まで引き上げる方向だ。
東電が最終的に負担する除染費用は、最大2・5兆円とみている。
このうち、3500億円超を来年度政府予算案に盛り込む方針を、財務省が固めた。
これで、政府予算に盛り込まれた除染関係費は、累計2兆円弱になる。
賠償費用は、支払い済みの約3兆円を含めて、5兆~6兆円にふくらむ見込みだ。
【野上英文、藤崎麻里】


↑以上、転載おわり
なお、この記事には続きがありますが、わたしには読むことができません。

↓以下は、上の記事の金融機関主要11者の東京電力への融資額一覧です。






コメント (8)
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明日はあなたと、あなたの子供かもしれない

2013年12月16日 | 日本とわたし
フェイスブックつながりで知った記事です。
この事故のことは、わたしも覚えていました。けれども、うっすらとだけ、です。
わたしは当時二十歳で、家のこんがらがった事情のため、自分が生きられることにのみ集中していた頃で、
だからニュースは、どんな内容のものであれ、テレビの画面に映るよそ事で、かまっている余裕なんかなかったのだけれども、
このニュースを観た時、ふたりの子どもたちは、痛みや苦しみを感じる間もなく亡くなったのだろうか、
それとも、痛い痛いと言って、苦しんだのだろうか、
全身のやけどという、この世で一番痛みがきつい怪我を負い、子どもの生還だけを頼りに頑張った母親が、
我が子の死を知った時の悲しみの深さは、いったいどれほどのものであったろうかと、
自分なりに、この事故の経過を追っていたことを思い出しました。

その事故に、こんな惨たらしい、汚らしい思惑が絡んでいたなんて、全く知らずにいましたが、
今のわたしには、心から納得できる、行政と自衛隊の対応です。

わたしたちは、いつまでのんびりしているつもりなんでしょうか。
自分が、あるいは自分の家族が、友人が、命や暮らしを根こそぎ奪われなければ、実際にその目に遭わなければ、
我が事のように思えず、だから知らなかった、聞かなかった、見なかったことにして、
本当はこれまで通りの暮らしが続けられるかどうかちょっと心配だけども、それを口に出すと面倒なことになりそうなので黙りこくって、
これまで通りの暮らしを、だってしょうがないんだからと言い訳をしながら、これからも続けていくつもりなんでしょうか。

当事者になってから慌てても、遅いんです。
当事者になってしまったら、生きることだけで精一杯になってしまうんです。
当事者は、自分の身に起こったことを受け止めるだけで、いっぱいいっぱいなんです。

それでも当事者は、当事者だからこそ、叫ばなければなりません。
引っ込んでいてはいけません。
自分が受けた不条理や痛み、苦しみ、悲しみを、声を振りしぼって、外に伝えなければなりません。
その声を受け取るわたしたち非当事者は、だからこそ、我が事のように感じ、捉えていなければなりません。
そしてその声を、水面に広がる輪のように、どんどんと広めていって、国全体の叫びにしなければなりません。


転載されていただきます。

↓以下、転載はじめ

1977年に起きた、米軍機墜落事故。

この事故で子を失い、ご自身も大やけどを負いながら、一時は回復されたものの、
精神的なダメージから亡くなった、母親のお父様が描かれた本があります。
『米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ』http://www.amazon.co.jp/dp/4822807568/



<横浜でおきた、あの事件を思い出した~横須賀米軍ヘリ墜落事故にあたり>



明日は、あなたとあなたの子供かもしれない。

35年前、横浜市緑区(現在は青葉区青葉区荏田北三丁目・大入公園付近)に、アメリカ軍の戦闘機「ファントム」が墜落した。

全長19メートル、重量26トンの機体は、ジェット燃料がほぼ満載の状態で住宅地に突っ込み、
付近の住宅地20戸を豪炎で襲い、そこに住んでいた3歳と1歳の子供、そして母親はじめ住民9人が、炎に包まれた。

子供は、その翌日すぐに亡くなり、母親は、数十回の皮膚移植手術を受けながら回復したが、
精神的ショックから立ち直れず、半ば強制的に、精神病院に収容され、4年後に亡くなった。


二人のパイロットは、パラシュートで脱出し無事。
陸自のヘリは、燃えさかる阿鼻叫喚の現場を素通りし、無傷のパイロットを収容し、厚木基地へ帰還、二度と戻ってこなかったそうだ。
米軍は、墜落1時間後に現場を封鎖、エンジンなどを回収。
作業にあたる兵士は、カメラに向かってピースサインを出して、記念撮影をしていた
という。

1985年、港の見える丘公園に、犠牲者をモデルとした「愛の母子像」という、ブロンズ像が設置されたが、
行政側は、その碑文に関して、事故の概要を載せることをよしとせず、碑文が設置されるまで、21年の歳月がかかったという。

この話は、早乙女勝元氏により、「パパ ママ バイバイ」という本として出版された。
私は、たまたま家にあったその本を読んだ。

今日、横須賀で墜落した(不時着と言われているようだが)ヘリコプターのニュースを聞き、私が小学生のときの記憶が、いきなり蘇った。

沖縄も含め、常に、私たちは「そのなか」に生きている。
ただ、沖縄ほど、リアリティをもって感じていないだけだ。

このように繰り返される事実に対して、「民間機だって同じだろ」「基地はいらないというのか」という議論をする必要があるのだろうか。

いま、この国が、気が狂ったようにめざす方向に対して、彼らは、忘却の彼方に忘れ去られてしまっていいものなのだろうか。

コメント (5)
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