昨日、親友のわかちゃんから教えてもらった、この方のこと、この本のこと、この詩のこと。
こんどはわたしからみなさんへ。
世界の人たちへ
僕は、ユアン・マクレガーが主演した「ゴーストライター」という映画で描かれている、まさにそのゴーストライターを仕事にしています。
本来は、学者、著名人、俳優などの代わりに、ゴーストのように陰に隠れて、本を書くのが仕事です。
しかし、東日本大震災が起きた3・11から、ゴーストではいられなくなりました。
なぜなら、3・11のこと、とくに、福島第一原子力発電所で起きた事故のことを本にしようとすると、誰も協力してくれないからです。
電力会社は、30年、40年と長い時間をかけて、多額の寄付金やスポンサー料を払うことで、
学者、著名人、俳優などが、電力会社に不満を言えない環境を作っていたのです。
それでも僕は、日本で起きたこと、福島で起きたこと、東京のパニックぶりを、書いて残す必要がありました。
誰も書かないのなら、自分がやるしかない。
ゴーストのままではおられない。
自分の姿を現して、本を出すことに決めました。
僕はこの本を、福島原発事故が起きた2011年9月から書き始め、2012年3月で筆を置きました。
そしてすぐに、自費出版したのです。
この本は、国内の大手出版社、何社かと話をすすめていました。
編集部はこの本を支持してくれ、出版にも乗り気でした。
しかし、営業部の人はまるで逆でした。
「神原さんの書いた、放射能を恐れて東京から逃げ出す、という内容はいけません。
そんな本を出版してしまえば、雑誌に広告を出しているスポンサーの怒りに触れ、スポンサーが会社に、お金を出してくれなくなるかもしれない。
神原さんの本を出すメリットよりも、スポンサーがいなくなるデメリットのほうが大きい。
こんな内容の本は出せません」
スポンサーというのは、東京を拠点とする、不動産会社、旅行代理店、ホテル、鉄道会社、ディズニーランドなどが、名前として挙げられていました。
確かに、どの企業も、東京に価値をおいて事業をしているので、東京が放射能汚染された、ということを本に書かれてしまうのは避けたいのでしょう。
いくつかの出版社で、同じように拒否されました。
どの出版社も、10年以上仕事の付き合いがある、僕とは親しい会社です。
その出版社の判断に、とても失望しました。
しかし、東日本大震災が起きた3・11のこと、続く福島第一発電所の原発事故のことを、
偽ることなく、真実をすべて記録として、本にして出版しなければいけないと思いました。
なぜなら、日本のマスコミは、テレビも新聞も、本当のことをまったく知らせなかったからです。
「ただちに避難する状況ではない」
「ただちに健康に影響はない」
「放射能汚染された野菜も肉も、食べても健康に影響はない」
「放射能汚染された建物の残骸を、日本全国に運んで、(生活ごみを燃やす)焼却炉で燃やそう。それが日本人の絆だ」
このように、国民を守るどころか、電力会社の責任を曖昧にして擁護し、放射能の健康被害も過小評価、
さらに、国民が被曝しても平気という対応が、一年半たった今でも続いているのです。
体の弱い年寄り、幼い子ども、妊婦、すべてが電力会社を守るため、政治家の票集めのために、捨てられているのです。
その証拠に、福島第一原子力発電所では、事故の収束にあたった作業員が、1年6ヶ月の間に4~5人、突然死していますが、
放射能との関係はないとし、電力会社へは、警察の捜査すらありません。
このような状況ですから、なおさら、本の出版を諦めるわけにはいきませんでした。
そのため、この本は、日本では自費出版と呼ばれる、著者が自分でお金を出して出版する方法をとりました。
これなら、誰に文句を言われることもありません。
しかし、金銭的な負担は重く、また、プロモーションをかける費用も場所もないので、人から人へ、ツイッターを使って、口コミで宣伝をしたのです。
このようにして出版しましたが、未だに日本の社会では、「放射能汚染を怖がる人は頭が異常だ」というレッテルをはってごまかしています。
インターネットを使って、海外の専門家の情報を得られる人、チェルノブイリなどのデータを検証できる人たちと繋がれる人たち以外は、
テレビと新聞の情報しかないために、どちらかと言えば「安全、安心の情報に頼りたい」という心理が働いていて、
命や健康を守るための、正しい判断ができないのです。
これは、経済の中心である東京が顕著です。
そんな東京も汚染がひどく、土壌汚染で言えば、1万ベクレルから10万ベクレルまで、学校の校庭や家庭の庭先、駅前などから、ふつうに見つかっています。
どうか、この本を読んだ世界のみなさんが、日本に向けて声を出してください。
弱い老人を、子どもを、妊婦を守って欲しいと言ってください。
世界の人たちが行動を起こしてくれない限り、日本人は放射能汚染に気がつかないふりをして、このまま生活を続けていくでしょう。
東京から西へ、できれば海外へ逃げて欲しいと、メッセージをください。
この本は、序章(第一章)の部分は、フリーで公開したいと思っています。
ブログにまるごと掲載しても、引用して本の紹介をしていただいてもかまいません。
とにかく日本で、東京で起きていることを、広く知って欲しいと思っているのです。
世界の新聞が、テレビがラジオが、そして出版社が、この本に気づいてくれて、そして広い地域にこの本が渡っていってくれるとうれしいです。
その結果、日本政府が対応を改めて、国民の命と健康を守ることを優先し、
被曝を不安に思っている弱い立場の人たちが、不安のない土地に逃げて行けるようになればうれしいです。
僕は日本語しか使えないので、この本は友人に紹介してもらい、ホワイトさんに翻訳してもらいました。
まったく知らない関係でしたが、本の内容に共感していただいて、作業が進みました。
本当に感謝しています。
2012.9.13
引っ越しをした広島県呉市の家のベランダにて
「あなたが語ってくれたこと 「移住者の声」より」
「あなたが語ってくれたこと 「移住者の声」より」
年収1000万円を捨てた。
2ヶ月だけ住んだ、新築の一戸建てを捨てた。
雑誌に毎月載るような、人気のパン屋を3店舗捨てた。
7年かけて開拓して、夫婦の夢だったチーズを作る牧場を捨てた。
豊かな山と川が近くにあって、地域の年配者らと交わりながら幼児を育てる、こだわりの保育所を開園2週間前に捨てた。
夫婦二人三脚でやってきた、二代目を継いだ美容室を捨てた。
いくつもの難儀な仕事を一緒に乗り越えてきた、スタッフたちを捨てた。
全国大会で優勝した、ソフトボールのチームメイトを捨てた。
最後まで避難に反対した、病気ひとつせず家族のために働いてきた夫を捨てた。
放射能が怖いなら子ども生まなければいいじゃん、と言った妻を捨てた。
お前だけは健康でいて欲しいと言って送り出してくれた、大好きな両親を捨てた。
家族同然で暮らしてきたペットを捨てた。
僕らは「放射能不安症」と呼ばれて、マスクをしていると気にしすぎだよと苦笑いされる。
産地を確かめ、安心できる料理を用意しようとすると、「風評被害で困るんだよ」と罵られる。
僕らは傷つきながら、子どもの手を引いて避難をした。
僕らは泣きながら、一人で暮らす新しい家の玄関に、ただいまと声をかける。
大丈夫だよと、毎晩寝る前に、自分に言い聞かせる。
友だち以上に思えたあの人や、あの人や、あの人の態度が、よそよそしくなったことに気がついて、原発のばかやろう!と叫びたくなる。
おかしな国だよと、毎日ため息をつくのが癖になった。
両手に抱えられるだけの幸せがあればいいやと自分を励ます。
ありがとうと、素直に感謝を口に出せるようになった。
311母子避難、家族移住者たち。
たしかに今、ここに僕らは生きている。
例えテレビが話題にしなくても、僕らはここで声をあげ続ける。
お気に入りの家や、大好きな家族や、大切な仲間たちに、届いて欲しいと声をあげる。
みんなでこの国の上で生きたい。
あなたと生きたい。
神原 将(Sho Kamihara)
1974年沖縄県生まれ。
東日本大震災以前は、主に芸能人や文化人などのゴーストライターとして、多数の企画、書籍に関わる。
現在は、311母子避難、家族移住者の取材を行っている。
過去に、企画・製作・執筆に関わった本としては、『自衛隊員が撮った東日本大震災』『玉川徹のちょっと待った!総研』『吉田拓郎とつま恋と僕』『輝き続ける星 東方神起』『飯島愛 孤独死の真相』『「こんな家」に住んではいけない!』『おふくろさんよ』『ルー炎上!』『しょこたんの貪欲☆ラジオ』などがある。
To the People of the World:
To the People of the World:
My name is Shou Kamihara. I'm a ghost writer in Japan. Or should I say, I used to be one. Like the kind Ewan McGregor portrayed in the 2010 movie "Ghost Writer." Essentially I write books for academics, famous authors, actors and actresses and so on, all the while hiding in the shadows as a "ghost." But ever since the Great East Japan Earthquake on March 11, 2011, I felt I couldn't be just a ghost anymore. That's because when I tried to put the events of 3.11 into a book, especially the accident that occurred at the Fukushima No. 1 Nuclear Power Plant, I couldn't get anyone to give me their cooperation. For a long time - 30 or 40 years - the electric companies have given out large donations and provided sponsorships. This has created an environment in which academics, authors, and entertainers who received money or want to receive money can't say anything against those companies.
Still, I felt there was a need to write about what happened in Japan, at Fukushima, and the panic that gripped Tokyo. If nobody else is going to write about it, it's up to me. I can't be a ghost. I decided to show myself and publish this book.
I began writing this book in September of the same year as the nuclear accident, 2011, and finally put my pen down in March 2012. Then I immediately put it out for publication at my own expense. I was getting pretty far along in talks with some major domestic publishers. The editing departments supported my efforts and seemed willing to publish. But the people in sales were the exact opposite.
"We can't publish a book like you wrote, about someone who fled Tokyo because they were afraid of the radiation. If we put a book like that out, it would anger our sponsors, and we might lose our income from them. The risk for loss from our sponsors leaving is greater than the possible profits we could make off of the book. We can't publish a book about this sort of thing."
The sponsors they mentioned were mainly those places like real estate agencies, travel agencies, hotels, rail companies, and Disneyland, which have their main bases of operation in the Tokyo area. Of course, all of these companies are in business with their chips on Tokyo, so naturally they'd want to avoid writing a book about Tokyo's nuclear contamination.
I was turned down in the same way by a number of different publishing companies. I was on friendly terms with all of these places, having done business with all of them for more than 10 years. Their decisions caused me to become depressed. But I truly felt that a book needed to be published about the disaster on 3.11 and the Fukushima accident, a book that told the truth without twisting anything. The Japanese mass media - television as well as newspapers - hadn't told the people anything.
"There is no need for immediate evacuation." "There is no immediate threat to human health." "There is no risk to one's health from eating vegetables or meat contaminated by radiation." "We need to send the contaminated rubble from the disaster site to (garbage) incinerators all over the country to be burned. This is the kizuna, the bond, of the Japanese people."
This response of defending the electric companies and dismissing the issue of their responsibility, underestimating the health risks of nuclear radiation, and not caring about whether the citizenry is exposed to radiation or not - in other words, doing nothing to protect the people - has continued in Japan to this day a year and a half later. The elderly, infants, pregnant women and so on are being thrown under the bus so that the electric companies can survive and the politicians can gather votes. As proof that this is the prevailing attitude, despite the fact that in these 18 months four or five workers cleaning up the Fukushima plant have suddenly died, they insist that there is no connection to radiation and there hasn't even been a police investigation.
Precisely because Japan is in this state, I couldn't afford to give up on publishing this book.
Therefore, this book was published at my own expense, meaning I covered all the charges and fees associated with getting it out. This way no one would be able to complain about anything. But the financial burden was considerable, and I can't afford to hold promotions to sell this book to the world like that which a typical author or publisher would. So I advertised over Twitter and spread news about it through word of mouth.
So somehow I finally got this book published, but there are still those in Japanese society who brand those worried about radiation contamination as "abnormal" or "crazy." Aside from those people who use the Internet to get their information from specialists overseas or inspect data from the Chernobyl disaster, most people have no source of information apart from Japanese TV and newspapers. Affected by the psychological drive to rely on "safe, secure" information more than a desire for the truth, they are unable to make the right decisions for their lives and their health. This is remarkable for Tokyo, the central hub of Japan's economy. Contamination there is severe - soil contamination has been measured at between 10,000 and 100,000 becquerels - and contamination is routinely detected in school yards and in front of homes and train stations.
I want to ask the people all around the world who read this book to raise your voices to Japan. Please tell Japan that you want them to protect the elderly, children, and pregnant mothers. As long as there no movement from outside Japan, Japanese people will almost certainly continue to pretend they don't notice the radiation and go on with their lives. Please tell the people of Japan that you wish they'd move west of Tokyo, or even overseas if possible.
I'm thinking that I'd like to make the first part of this book (the prologue) open to the public for free. It's perfectly fine if you'd like to post the entire chapter on your blog, or use quotes to introduce the book over the Internet. Anyway, I'd like for what's happening in Japan, in Tokyo, to be as widely known as possible. I would be happy to see the newspapers, the TV and radio stations, and the publishing companies of the world take notice of this book, and I hope this information spreads all over the globe. Maybe that will lead to a change of heart in the Japanese administration, and they'll begin to place priority on protecting the lives and health of the citizenry. I would be overjoyed if all those people without power or voice who are worried about radiation exposure could move to a place where they don't have to worry anymore.
I don't speak anything but Japanese, so I had this book translated by Mr. White, who was introduced to me by a mutual friend. Though we didn't know anything about each other, he was able to sympathize with the contents of the book and the work moved along smoothly. I'm very thankful for that.
September 13, 2012
On the veranda of our new home in Kure, Hiroshima
We are looking for media-related persons who will help us introduce this book to the rest of the world.
We look forward to hearing from anyone who might be interested in introducing the first part of this book ( the prologue) or selected parts of it to their readers/viewers/subscribers, or to the general public as a whole.
Any TV, radio, magazines, or newspapers would be most welcome.
We are also looking for a publisher that would be interested in publishing this book overseas.
Please contact us at the following e-mail address:
toiawase@genpatsu-hikkoshi.info
Here as well is our official website:
http://genpatsu-hikkoshi.info/
Things you told me, from “Voice of the migrants”
Things you told me, from “Voice of the migrants”
Shou Kamihara
I gave up a 10 million yen annual income.
I gave up a newly constructed house that had been lived in for only two months.
I gave up three popular bakery stores, written up in magazines each month.
I gave up the ranch that produced cheese which was a husband-and-wife dream and had taken 7 years to develop.
I gave up the special nursery school that raised infants in communion with the elderly in the neighborhood, surrounded by rich mountains and rivers, 2 weeks before opening.
I gave up the beauty salon taken over from the previous generation, which was run by husband and wife.
I gave up the staff and co-workers who together had overcome a number of difficult tasks at work.
I gave up the teammates who were a national champion softball team.
I gave up my husband who worked for the family, never taking a sick day in his life, who opposed the evacuation till the end.
I gave up my wife who said she just does not choose to have children, for fear of radioactivity.
I gave up my dear parents who sent me away, saying we want you healthy, and only you.
I gave up my pet that had lived with us as family
We were said to have “radioactivity anxiety syndrome”, given wry smiles when we wore cotton medical masks. We were abused for being “troubled by harmful rumors” if we tried to have peace of mind by questioning the food producing area about ingredients for preparing our meals.
We evacuated, tugging at our child’s hands, with our minds wounded.
We said we are back now at the door of a new home, to live alone, as we cried.
It will be fine, I said to myself every night before sleep.
Damn the nuclear power plant! I want to shout after noticing the attitudes of those people, who were good friends and who have now become aloof.
I was sick of sighing every day, only feeling how strange a country this is.
I encouraged myself by thinking things will be OK if there is enough happiness to hold in both hands.
Thank you, I have become someone who expresses thanks without hesitation.
Two groups of March 11 evacuees: mothers with children and family migrants.
Now, we are living here, certainly.
We continue to raise our voice for here I am, but even TV does not talk about it.
We raise our voices and wish for reaching our favorite home, dear families and precious friends.
I want to live on in this country with everyone
I want to live with you.
翻訳協力:子どもたちを放射能から守る世界ネットワーク
"World Network for Saving Children from Radiation"
http://www.save-children-from-radiation.org/
こんどはわたしからみなさんへ。
世界の人たちへ
僕は、ユアン・マクレガーが主演した「ゴーストライター」という映画で描かれている、まさにそのゴーストライターを仕事にしています。
本来は、学者、著名人、俳優などの代わりに、ゴーストのように陰に隠れて、本を書くのが仕事です。
しかし、東日本大震災が起きた3・11から、ゴーストではいられなくなりました。
なぜなら、3・11のこと、とくに、福島第一原子力発電所で起きた事故のことを本にしようとすると、誰も協力してくれないからです。
電力会社は、30年、40年と長い時間をかけて、多額の寄付金やスポンサー料を払うことで、
学者、著名人、俳優などが、電力会社に不満を言えない環境を作っていたのです。
それでも僕は、日本で起きたこと、福島で起きたこと、東京のパニックぶりを、書いて残す必要がありました。
誰も書かないのなら、自分がやるしかない。
ゴーストのままではおられない。
自分の姿を現して、本を出すことに決めました。
僕はこの本を、福島原発事故が起きた2011年9月から書き始め、2012年3月で筆を置きました。
そしてすぐに、自費出版したのです。
この本は、国内の大手出版社、何社かと話をすすめていました。
編集部はこの本を支持してくれ、出版にも乗り気でした。
しかし、営業部の人はまるで逆でした。
「神原さんの書いた、放射能を恐れて東京から逃げ出す、という内容はいけません。
そんな本を出版してしまえば、雑誌に広告を出しているスポンサーの怒りに触れ、スポンサーが会社に、お金を出してくれなくなるかもしれない。
神原さんの本を出すメリットよりも、スポンサーがいなくなるデメリットのほうが大きい。
こんな内容の本は出せません」
スポンサーというのは、東京を拠点とする、不動産会社、旅行代理店、ホテル、鉄道会社、ディズニーランドなどが、名前として挙げられていました。
確かに、どの企業も、東京に価値をおいて事業をしているので、東京が放射能汚染された、ということを本に書かれてしまうのは避けたいのでしょう。
いくつかの出版社で、同じように拒否されました。
どの出版社も、10年以上仕事の付き合いがある、僕とは親しい会社です。
その出版社の判断に、とても失望しました。
しかし、東日本大震災が起きた3・11のこと、続く福島第一発電所の原発事故のことを、
偽ることなく、真実をすべて記録として、本にして出版しなければいけないと思いました。
なぜなら、日本のマスコミは、テレビも新聞も、本当のことをまったく知らせなかったからです。
「ただちに避難する状況ではない」
「ただちに健康に影響はない」
「放射能汚染された野菜も肉も、食べても健康に影響はない」
「放射能汚染された建物の残骸を、日本全国に運んで、(生活ごみを燃やす)焼却炉で燃やそう。それが日本人の絆だ」
このように、国民を守るどころか、電力会社の責任を曖昧にして擁護し、放射能の健康被害も過小評価、
さらに、国民が被曝しても平気という対応が、一年半たった今でも続いているのです。
体の弱い年寄り、幼い子ども、妊婦、すべてが電力会社を守るため、政治家の票集めのために、捨てられているのです。
その証拠に、福島第一原子力発電所では、事故の収束にあたった作業員が、1年6ヶ月の間に4~5人、突然死していますが、
放射能との関係はないとし、電力会社へは、警察の捜査すらありません。
このような状況ですから、なおさら、本の出版を諦めるわけにはいきませんでした。
そのため、この本は、日本では自費出版と呼ばれる、著者が自分でお金を出して出版する方法をとりました。
これなら、誰に文句を言われることもありません。
しかし、金銭的な負担は重く、また、プロモーションをかける費用も場所もないので、人から人へ、ツイッターを使って、口コミで宣伝をしたのです。
このようにして出版しましたが、未だに日本の社会では、「放射能汚染を怖がる人は頭が異常だ」というレッテルをはってごまかしています。
インターネットを使って、海外の専門家の情報を得られる人、チェルノブイリなどのデータを検証できる人たちと繋がれる人たち以外は、
テレビと新聞の情報しかないために、どちらかと言えば「安全、安心の情報に頼りたい」という心理が働いていて、
命や健康を守るための、正しい判断ができないのです。
これは、経済の中心である東京が顕著です。
そんな東京も汚染がひどく、土壌汚染で言えば、1万ベクレルから10万ベクレルまで、学校の校庭や家庭の庭先、駅前などから、ふつうに見つかっています。
どうか、この本を読んだ世界のみなさんが、日本に向けて声を出してください。
弱い老人を、子どもを、妊婦を守って欲しいと言ってください。
世界の人たちが行動を起こしてくれない限り、日本人は放射能汚染に気がつかないふりをして、このまま生活を続けていくでしょう。
東京から西へ、できれば海外へ逃げて欲しいと、メッセージをください。
この本は、序章(第一章)の部分は、フリーで公開したいと思っています。
ブログにまるごと掲載しても、引用して本の紹介をしていただいてもかまいません。
とにかく日本で、東京で起きていることを、広く知って欲しいと思っているのです。
世界の新聞が、テレビがラジオが、そして出版社が、この本に気づいてくれて、そして広い地域にこの本が渡っていってくれるとうれしいです。
その結果、日本政府が対応を改めて、国民の命と健康を守ることを優先し、
被曝を不安に思っている弱い立場の人たちが、不安のない土地に逃げて行けるようになればうれしいです。
僕は日本語しか使えないので、この本は友人に紹介してもらい、ホワイトさんに翻訳してもらいました。
まったく知らない関係でしたが、本の内容に共感していただいて、作業が進みました。
本当に感謝しています。
2012.9.13
引っ越しをした広島県呉市の家のベランダにて
「あなたが語ってくれたこと 「移住者の声」より」
「あなたが語ってくれたこと 「移住者の声」より」
年収1000万円を捨てた。
2ヶ月だけ住んだ、新築の一戸建てを捨てた。
雑誌に毎月載るような、人気のパン屋を3店舗捨てた。
7年かけて開拓して、夫婦の夢だったチーズを作る牧場を捨てた。
豊かな山と川が近くにあって、地域の年配者らと交わりながら幼児を育てる、こだわりの保育所を開園2週間前に捨てた。
夫婦二人三脚でやってきた、二代目を継いだ美容室を捨てた。
いくつもの難儀な仕事を一緒に乗り越えてきた、スタッフたちを捨てた。
全国大会で優勝した、ソフトボールのチームメイトを捨てた。
最後まで避難に反対した、病気ひとつせず家族のために働いてきた夫を捨てた。
放射能が怖いなら子ども生まなければいいじゃん、と言った妻を捨てた。
お前だけは健康でいて欲しいと言って送り出してくれた、大好きな両親を捨てた。
家族同然で暮らしてきたペットを捨てた。
僕らは「放射能不安症」と呼ばれて、マスクをしていると気にしすぎだよと苦笑いされる。
産地を確かめ、安心できる料理を用意しようとすると、「風評被害で困るんだよ」と罵られる。
僕らは傷つきながら、子どもの手を引いて避難をした。
僕らは泣きながら、一人で暮らす新しい家の玄関に、ただいまと声をかける。
大丈夫だよと、毎晩寝る前に、自分に言い聞かせる。
友だち以上に思えたあの人や、あの人や、あの人の態度が、よそよそしくなったことに気がついて、原発のばかやろう!と叫びたくなる。
おかしな国だよと、毎日ため息をつくのが癖になった。
両手に抱えられるだけの幸せがあればいいやと自分を励ます。
ありがとうと、素直に感謝を口に出せるようになった。
311母子避難、家族移住者たち。
たしかに今、ここに僕らは生きている。
例えテレビが話題にしなくても、僕らはここで声をあげ続ける。
お気に入りの家や、大好きな家族や、大切な仲間たちに、届いて欲しいと声をあげる。
みんなでこの国の上で生きたい。
あなたと生きたい。
神原 将(Sho Kamihara)
1974年沖縄県生まれ。
東日本大震災以前は、主に芸能人や文化人などのゴーストライターとして、多数の企画、書籍に関わる。
現在は、311母子避難、家族移住者の取材を行っている。
過去に、企画・製作・執筆に関わった本としては、『自衛隊員が撮った東日本大震災』『玉川徹のちょっと待った!総研』『吉田拓郎とつま恋と僕』『輝き続ける星 東方神起』『飯島愛 孤独死の真相』『「こんな家」に住んではいけない!』『おふくろさんよ』『ルー炎上!』『しょこたんの貪欲☆ラジオ』などがある。
To the People of the World:
To the People of the World:
My name is Shou Kamihara. I'm a ghost writer in Japan. Or should I say, I used to be one. Like the kind Ewan McGregor portrayed in the 2010 movie "Ghost Writer." Essentially I write books for academics, famous authors, actors and actresses and so on, all the while hiding in the shadows as a "ghost." But ever since the Great East Japan Earthquake on March 11, 2011, I felt I couldn't be just a ghost anymore. That's because when I tried to put the events of 3.11 into a book, especially the accident that occurred at the Fukushima No. 1 Nuclear Power Plant, I couldn't get anyone to give me their cooperation. For a long time - 30 or 40 years - the electric companies have given out large donations and provided sponsorships. This has created an environment in which academics, authors, and entertainers who received money or want to receive money can't say anything against those companies.
Still, I felt there was a need to write about what happened in Japan, at Fukushima, and the panic that gripped Tokyo. If nobody else is going to write about it, it's up to me. I can't be a ghost. I decided to show myself and publish this book.
I began writing this book in September of the same year as the nuclear accident, 2011, and finally put my pen down in March 2012. Then I immediately put it out for publication at my own expense. I was getting pretty far along in talks with some major domestic publishers. The editing departments supported my efforts and seemed willing to publish. But the people in sales were the exact opposite.
"We can't publish a book like you wrote, about someone who fled Tokyo because they were afraid of the radiation. If we put a book like that out, it would anger our sponsors, and we might lose our income from them. The risk for loss from our sponsors leaving is greater than the possible profits we could make off of the book. We can't publish a book about this sort of thing."
The sponsors they mentioned were mainly those places like real estate agencies, travel agencies, hotels, rail companies, and Disneyland, which have their main bases of operation in the Tokyo area. Of course, all of these companies are in business with their chips on Tokyo, so naturally they'd want to avoid writing a book about Tokyo's nuclear contamination.
I was turned down in the same way by a number of different publishing companies. I was on friendly terms with all of these places, having done business with all of them for more than 10 years. Their decisions caused me to become depressed. But I truly felt that a book needed to be published about the disaster on 3.11 and the Fukushima accident, a book that told the truth without twisting anything. The Japanese mass media - television as well as newspapers - hadn't told the people anything.
"There is no need for immediate evacuation." "There is no immediate threat to human health." "There is no risk to one's health from eating vegetables or meat contaminated by radiation." "We need to send the contaminated rubble from the disaster site to (garbage) incinerators all over the country to be burned. This is the kizuna, the bond, of the Japanese people."
This response of defending the electric companies and dismissing the issue of their responsibility, underestimating the health risks of nuclear radiation, and not caring about whether the citizenry is exposed to radiation or not - in other words, doing nothing to protect the people - has continued in Japan to this day a year and a half later. The elderly, infants, pregnant women and so on are being thrown under the bus so that the electric companies can survive and the politicians can gather votes. As proof that this is the prevailing attitude, despite the fact that in these 18 months four or five workers cleaning up the Fukushima plant have suddenly died, they insist that there is no connection to radiation and there hasn't even been a police investigation.
Precisely because Japan is in this state, I couldn't afford to give up on publishing this book.
Therefore, this book was published at my own expense, meaning I covered all the charges and fees associated with getting it out. This way no one would be able to complain about anything. But the financial burden was considerable, and I can't afford to hold promotions to sell this book to the world like that which a typical author or publisher would. So I advertised over Twitter and spread news about it through word of mouth.
So somehow I finally got this book published, but there are still those in Japanese society who brand those worried about radiation contamination as "abnormal" or "crazy." Aside from those people who use the Internet to get their information from specialists overseas or inspect data from the Chernobyl disaster, most people have no source of information apart from Japanese TV and newspapers. Affected by the psychological drive to rely on "safe, secure" information more than a desire for the truth, they are unable to make the right decisions for their lives and their health. This is remarkable for Tokyo, the central hub of Japan's economy. Contamination there is severe - soil contamination has been measured at between 10,000 and 100,000 becquerels - and contamination is routinely detected in school yards and in front of homes and train stations.
I want to ask the people all around the world who read this book to raise your voices to Japan. Please tell Japan that you want them to protect the elderly, children, and pregnant mothers. As long as there no movement from outside Japan, Japanese people will almost certainly continue to pretend they don't notice the radiation and go on with their lives. Please tell the people of Japan that you wish they'd move west of Tokyo, or even overseas if possible.
I'm thinking that I'd like to make the first part of this book (the prologue) open to the public for free. It's perfectly fine if you'd like to post the entire chapter on your blog, or use quotes to introduce the book over the Internet. Anyway, I'd like for what's happening in Japan, in Tokyo, to be as widely known as possible. I would be happy to see the newspapers, the TV and radio stations, and the publishing companies of the world take notice of this book, and I hope this information spreads all over the globe. Maybe that will lead to a change of heart in the Japanese administration, and they'll begin to place priority on protecting the lives and health of the citizenry. I would be overjoyed if all those people without power or voice who are worried about radiation exposure could move to a place where they don't have to worry anymore.
I don't speak anything but Japanese, so I had this book translated by Mr. White, who was introduced to me by a mutual friend. Though we didn't know anything about each other, he was able to sympathize with the contents of the book and the work moved along smoothly. I'm very thankful for that.
September 13, 2012
On the veranda of our new home in Kure, Hiroshima
We are looking for media-related persons who will help us introduce this book to the rest of the world.
We look forward to hearing from anyone who might be interested in introducing the first part of this book ( the prologue) or selected parts of it to their readers/viewers/subscribers, or to the general public as a whole.
Any TV, radio, magazines, or newspapers would be most welcome.
We are also looking for a publisher that would be interested in publishing this book overseas.
Please contact us at the following e-mail address:
toiawase@genpatsu-hikkoshi.info
Here as well is our official website:
http://genpatsu-hikkoshi.info/
Things you told me, from “Voice of the migrants”
Things you told me, from “Voice of the migrants”
Shou Kamihara
I gave up a 10 million yen annual income.
I gave up a newly constructed house that had been lived in for only two months.
I gave up three popular bakery stores, written up in magazines each month.
I gave up the ranch that produced cheese which was a husband-and-wife dream and had taken 7 years to develop.
I gave up the special nursery school that raised infants in communion with the elderly in the neighborhood, surrounded by rich mountains and rivers, 2 weeks before opening.
I gave up the beauty salon taken over from the previous generation, which was run by husband and wife.
I gave up the staff and co-workers who together had overcome a number of difficult tasks at work.
I gave up the teammates who were a national champion softball team.
I gave up my husband who worked for the family, never taking a sick day in his life, who opposed the evacuation till the end.
I gave up my wife who said she just does not choose to have children, for fear of radioactivity.
I gave up my dear parents who sent me away, saying we want you healthy, and only you.
I gave up my pet that had lived with us as family
We were said to have “radioactivity anxiety syndrome”, given wry smiles when we wore cotton medical masks. We were abused for being “troubled by harmful rumors” if we tried to have peace of mind by questioning the food producing area about ingredients for preparing our meals.
We evacuated, tugging at our child’s hands, with our minds wounded.
We said we are back now at the door of a new home, to live alone, as we cried.
It will be fine, I said to myself every night before sleep.
Damn the nuclear power plant! I want to shout after noticing the attitudes of those people, who were good friends and who have now become aloof.
I was sick of sighing every day, only feeling how strange a country this is.
I encouraged myself by thinking things will be OK if there is enough happiness to hold in both hands.
Thank you, I have become someone who expresses thanks without hesitation.
Two groups of March 11 evacuees: mothers with children and family migrants.
Now, we are living here, certainly.
We continue to raise our voice for here I am, but even TV does not talk about it.
We raise our voices and wish for reaching our favorite home, dear families and precious friends.
I want to live on in this country with everyone
I want to live with you.
翻訳協力:子どもたちを放射能から守る世界ネットワーク
"World Network for Saving Children from Radiation"
http://www.save-children-from-radiation.org/