↓以下は、先月の11月23日に、mikushka719さんという方がツィートで話してくださった、ドイツのデモ事情です。
デモは誰が何と言おうと、人数が命だ。
日比谷の野音デモに参加してた一人として、こういう事はあまり言いたくないが、
一万なんて人数では、本当は話にならない。
影響は与えられても、動かせない。
それが100万になれば、話はもちろん変わってくるだろうけど。
ここから、ドイツのデモ事情をちょっと紹介。
まず、平日に大きなデモは打たない。
絶対、土曜か日曜日にやる。
土曜が一番多い。
ベルリンはデモの街。
ドイツ全土からその日をめがけて、遠方からもデモにやってくる。
遠方から来る人の為に、安い交通網情報をネットで紹介したり、
宿泊する人たちのために、倉庫みたいな所や大きな市場などを押さえて、
デモの参加者達が、無料で泊まれるようになっている。
但し、寝袋は持参。
それがイヤな人は、低価格で泊まれるホテルや、ユースホステルなどを使っている。
参加してみて初めて分かったが、参加者へのケアは、本当に素晴らしい。
誰も知り合いがいなくても、孤立しないようになっている。
残念ながら、日本のデモでは感じが大きく違う。
組織で参加してる人は別として、個人の参加者は孤立しやすい。
友人などと来ている人は別として。
次。食事のサポート。
デモ用に、専用の料理人がいる。
食事は無料で、出発会場、宿泊施設などで振舞われる為、食事の心配をいちいちする必要が無い。
ゴアレーベンなどで大活躍した伝説の料理人を、友人を通して知る機会があったので、
デモ前夜のプレパーティで、様子を見せて頂いたが、
日本では見たこともないような大鍋を幾つも使って、次の日のデモの為に、スープや煮込み料理を仕込んでいた。
こういう規模には、日本のデモはまだ程遠い。
文化的背景が違う、というのもあるだろう。
だがしかし、大人数でデモを闘い抜き、脱原発を民衆の手で勝ち取った、ドイツのデモのやり方に、
私達は、学ぶべき所が沢山あるように思う。
因みに、プレパーティというのは、デモ参加者達が(全員ではないが)前日に行う、準備を兼ねたパーティの事。
ここでも食事は振舞われる。
しかも、お酒なども買える。
飲み物は全て有料だったが、どれも安い。
そしてテクノの街、ベルリンでは、テクノディスコのようなコーナーもあって、
参加者達が踊れるようにもなっている。
ここで、私が特に素晴らしいと感じたのは、
お一人さまの参加者がいると、様々な人が声をかけて、孤立しないようにしている事だ。
もちろん、デモ中は、みんな好き勝手に歩いているだけだが、
プレパーティみたいな場所では、お一人さま参加者は孤立しやすい。
そこら辺のサポートは、日本のデモとは比べ物にならないくらい上手で、オトナだな~と私は思ったのでありました。
日本は、デモの歴史があちらに比べれば浅いから、ある意味当然なんだろうけど、
まだまだ成長する必要があると思う。
但し、残された時間はあまり無いかもしれないが。
以上、ドイツのデモ事情、連投ツイさせて頂きました。
↑以上、転載おわり
デモ……。
わたしが初めてデモというものに参加したのは、イラク戦争反対を訴えるマンハッタンデモでした。
訴えていることはとても深刻なことでしたが、みなそれぞれ、思い思いのプラカードを持ったりして、
それまでもっていた印象と、かなり違うな……と思いながら歩いたのを覚えています。
99%デモでは、拡声器を一切使わず、中心に居る人の言葉を、近くの集団がまずくり返し、
その後は順に、伝言ゲームのようにして、後ろまで伝えていくという、
その人の声と思いとが、水面の輪のように広がる様に、とても感動を覚えました。
デモは、いてもたってもいられなくなった人たちの行き場所。
本当にそう思います。
山本太郎氏らと共に三宅洋平氏が「大デモ」開催
「デモは、いてもたってもいられない人たちの行き場所」
7月の参議院選挙に立候補し、17万票を獲得したミュージシャンの三宅洋平氏が提唱した「大デモ」が、12月7日行われ、
スタート時に、およそ3000人の参加者(主催者発表)が、東京都渋谷区の代々木公園から渋谷・原宿を巡った。
デモには山本太郎参議院議員や、山田正彦元農林水産大臣らも参加した。
デモは、前日に成立した特定秘密保護法案成立を受けて、反対の声を上げる人が多くを占めた。
その他、政府が「原発ゼロ」政策の転換を、改めて示したことへの反発、
7日から、閣僚会合が始まったTPP(環太平洋経済連携協定)に反対するアピールなど、
参加者はそれぞれの主張を掲げながら、サウンドカー上の生バンド演奏や、DJの音楽に合わせて行進していった。
デモといえば、全共闘時代に行われていたように、市民団体や労働組合が主催し、
シュプレヒコールを上げながら行進するイメージを持ちがちだ。
しかし、今回のデモは、個人の意志で参加する人が多く、
プラカートを掲げなから叫ぶ人もいれば、家族連れで散歩のように付いていく人もいるなど、
それぞれの人が思い思いに、デモに参加していたことが特徴である。
なぜ人々は、こうした「新しいデモ」に参加しているのか?
そして、デモで政治を変えることができるのか?
現場の声から模索する。
■ 山本太郎氏「デモは、普段一人ひとり行動している人たちが、勇気をもらえる場所」
デモ参加者に、今回参加したきっかけと、こうしたデモで日本を変えることができるか、を尋ねてみた。
デモで日本を変えられるとは思いません。
変えられるのは選挙だから、選挙で変えられるような方向に持って行くには、どうしたらいいかを考えています。
秘密保護法が通ったということもあって、今は何もできない中で、
自分の意志を示すとしたら、デモに参加することかな、と思います。(カット―さん)
秘密保護法とか、原発とか、洋平くんの話を聞いていると、いてもたってもいられなくなって、長野からみんなで来ました。
デモで日本は変えられると思います。
デモをすることで、知らない人を巻き込めば、みんな目が覚めるんじゃないかな。(ヒガシさん)
娘が7カ月なんですが、この子たちの未来を作っていくために、富山県から参加しました。
まだ、子供は喋れないので、この子の代わりになって、声を出していきたい。
秘密保護法案は支持していないし、私たちは声ある市民であることの、意思表示をしていきたい。
こうしたデモで今日明日すぐに変わると思いませんが、続けていくことで変わると信じています。(カオリさん)
じっとしていられない気持ちで、デモに参加しました。
歩くことで何か示すことができるんだったら、いいじゃないですか。
黙っていると、何も変わらないと思うんですよ。
今の時代は、昔みたいにシュプレヒコールを上げて、デモ行進するものではないと思います。
こうやって渋谷の街を歩けば、同じように思っている人が多くいるんだな、と伝わるんじゃないでしょうか。(アキオさん)
三宅洋平さんのバンド「(仮)ALBATRUS」のライブに行ったときに、今日の大デモの告知があったので、
それで知って、神戸から参加しました。
デモに参加したのは、今日が初めてです。
特定秘密保護法が通ってしまって、このまま何もせずに待っているのではダメだし、一人だけでも力になれればいいなと思って。
こうしたデモで変わるかと言われれば、正直わかりません。
しかし国民が意志を示すことは、大事なんじゃないかなと思います。(アイさん)
特定秘密保護法が通ってしまったことは、大変悔しいのですが、数の論理から言えば、結果はわかっていました。
秘密保護法は、最悪の法案ですけれども、多くの人たちが、
権力は、僕たちの幸せとは真逆の方向に動いてしまっていることを意識できたし、現実を知ってもらえたと思うんです。
皮肉なことですが、国民の力を集めて一つにすることに、大きな役割を果たしてくれたと思います。
この最悪な状況の中でも、一つだけいいことを見つけるとするならば、
今回の秘密保護法によって、多くの人が、とんでもない不条理を押し付けられたという、意識が芽生えたと思うんですよね。
だから、今回のことは、次のステップに進むために重要なことで、
秘密保護法が成立した瞬間からが始まり、そして今日からが始まりだ、と思っています。
僕が初めてデモに参加した時から、考えていたことなのですが、
デモというのは、関心のない外側の人に知ってもらう、という側面もあると思うんですよ。
その一方で、普段、一人ひとり行動している人たちが、勇気をもらえる場所でもあると思います。
デモは、外に向けてのアピールという意味合いもあるけれども、
横のつながりをもっと太く、深くする役割を果たしていますから、必要なものだと思います。(参議院議員・山本太郎さん)
私は福島出身で、上京してきたのですが、
3.11以降の国の体制や、福島原発事故への対応を見ていたら、ちょっとおかしいんじゃないかと思って。
恥ずかしい話ですが、そこからメディアに対する不信感や、政治に対する関心が芽生え始め、
同じ気持ちを抱えていた仲間が集まって…という流れの延長線上で、今日のデモに参加しました。
デモで日本は変えられると思います。
2012年7月16日の「さようなら原発集会」に17万人が集まったときに、
一人の力は、自分たちが気づいている以上に大きい、ということを実感しているからです。
だから絶対に日本は変えられると確信しています。(リナさん)
今日の大デモは、三宅洋平さんのTwitterで知りました。
デモに参加するのは、今日が初めてです。
秘密保護法が大きなきっかけですね。
子供も連れて気楽に参加しましたが、子供の将来に関わることなので、
デモに参加すること自体が大切なことかな、と思っています。
デモで何かが変わるかと言われたら…うーん、わからないです。
しかし、三宅洋平みたいな人が出てきて、時代が大きく変わっているんだなということは感じますね。(サトシさん)
納得いかないことがたくさんあることと、洋平が頑張って煽ってくれているんで、付いていかないと、という気持ちで参加しました。
デモで日本を変えられるかどうか分からないけれど、自分たちの考え方が変わったら、いい方向に転がっていくんじゃないかな。(きっしーさん)
■三宅洋平氏に聞く「デモのあり方」
このように、参加者のモチベーション、スタンスには違いがある。
また、デモに参加していない沿道の人たちに、話を聞いてみると、「騒がしい」「邪魔」と、眉をひそめる人も少なからずいた。
そして、もっとも多かった意見が、「何をしているのかわからない」というものだった。
また、自民党の石破茂幹事長は、自身のブログでデモについて、
「単なる絶叫戦術は、テロ行為とその本質において、あまり変わらないと思います」
(後に、[本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います]と訂正」と疑問を呈するなど、
デモのあり方そのものを、問う動きもある。
デモは、参加者の求心力を高めることはできるが、それ以外の人たちとの温度差は埋められない。
デモは果たして、有効な手段なのか。
政府や国を動かす、原動力となりうるのか。
そうした疑問を、今回のデモの提唱者である、三宅洋平氏に尋ねてみた。
「おそらく、デモをやったからって、何かすっきりするということは永遠にない、と思います。
デモで変わるかどうかというよりも、いてもたってもいられなくなった人の行き場所の一つとして、デモがあると思うんです。
いてもたってもいられなくなった気持ちそのものは、間違いなく友達や家族、たまたま通りすがった人に、何かしらの影響を与えられる。
そういった意味では、効果は絶対にあると思います。
ただし、秘密保護法案を廃案にするといった、政治的実行力を求めるとするのなら、選挙に立候補するしかない、と思いますね」
デモにもさまざまな形がある。
年輩の人には、安保闘争や労働組合のデモが、イメージとして残っているだろう。
海外を見れば、チュニジアやエジプトなどでの革命につながった、「アラブの春」など、一部で暴力的な手段につながったものもあれば、
医療や教育の充実を求めて、ワールドカップに反対したブラジルのデモなど、平和的に行われたものもある。
三宅氏が考える日本のデモのあり方は、どのようなものだろうか。
「日本では、平和なデモが根幹にあると思いますし、
安保闘争のようなデモが成功体験になっている世代がいる一方で、トラウマになっている世代がいますから、
そのトラウマの原因を、明らかにしていかないといけないと思います。
僕自身、『平和のために闘ってどうするんだ、闘ったら平和じゃないじゃないか』と思ってきた世代なので、
楽しそうだし、子供も参加できるデモを志向したい。
僕が思うのは、デモの場を通じて、参加者がお互いにモチベーションを喚起し合えればいい、ということです。
政治について知ろうとする、政治について自分で動こうとする、
社会に対して自分が何をできるかを考える、あるいは、政治や社会で何が起きているかを知る、
それについて、動いている人たちの姿を目の当たりにすることで、やる気を補填しあう場になればいい、と思います。
デモから自分たちの住む街に帰っていって、より具体的な社会参画に向けての、『やる気』を養っていくきっかけになったらいいなと」
■「何のデモかわからない、という声もあるけど、それがテーマなんです」
大デモでは、「飛び入り参加OK」を掲げ、自由に参加できる方式を模索していた。
しかし、現実には、参加者が雪だるま式に膨れ上がることは稀である。
外部からしたら、「何をしているのかわからない」という、戸惑いの方が大きいだろう。
それほど、デモに参加する人とその外側の人たちとの、壁は厚い。
その壁を打破し、さらに大きなムーブメントにしていくためには、何が必要なのか。
今の東京で、通りすがりに、踵を返して参加できるスケジュールで動いている人は、ほとんどいないと思います。
ただ、飛び入りOKと言われて、そのときに、一瞬躊躇することもあると思います。
初めて、音楽のライブとかフェスティバルに行った人が、踊るのはちょっと恥ずかしいな、と思っていたのが、
何かのきっかけで、『ああ、踊っていいんだ』と感じて、
実際に踊ってみたら、『ああ、こんな自分がいたんだ』と、気づく瞬間があると思うんです。
そういう『誘(いざな)い』をしていきたい。
周りがみんな踊っているのに、自分だけもじもじして踊れない、ということがあると思うんです。
そういう思いをしている人は、いっぱいいる。
だから、僕たちが言っている『飛び入り参加OK』というのも、
今回のデモを見て、次はちょっと参加しようかな…と思ってくれるような、それくらいのタイムラグを含んだものなんです。
日本の現状や、日本人の心理を考えると、それくらいのスパンでゆっくり広げたほうがいい。
何のデモかわからない、という声もあるけど、それがテーマなんです。
このデモが何なのかを、考えてくれればいいわけで、
デモで何を言っているんだろう、というところから始まって、
今日本で、何を言わなければいけないのか、自分なら何をいうのかを考える。
それがデモなんです。
これは○○のためのデモなんです、という扇動をされないと、ついていけないような心理状態だと、
秘密保護法やTPP、原発に反対しても、止めることができない。
そんな従順な国民でいることはやめて、自発的に自分が考えたことを訴える場が、デモなんです。
そういう意味では、『これは一体何なんだ』と思わせたら、デモは成功です。
日本人の内気さを、ブレイクスルーする文化を形成していきたいし、
たとえば外国人が気軽に、楽しくパーティーに参加しているのを、遠巻きに見ているのではなく、
「楽しそうだな、みんな一般人なのに芸能人みたいだな、なんか俺たちも垢抜けたほうがいいんじゃないか」と思えるようにしていきたい。
だから、自分は率先して、外国人から見ても驚かれるような、生き様を通してきました。
そのほうが楽しいからなんですけど。
そうは言っても、日本人はクワイエットな民族、物静かな民族なんだ、という人もいます。
それで楽しければいいですけど、本当にそれで楽しいの?と思うんです。
言いたいことも言わないで、恥ずかしがってばかりいて、先頭に立つこと、目立つことを恐れる。
だから、山本太郎くんのような存在が浮き上がってしまって、イメージも抹殺されていくんです。
デモで、無数の人たちが、もっと『キャラ立ち』してほしいんですよ。
今日の、『何を言っているのかわからない』という周囲の声は、僕も広げていきます。
次、デモに来るときは、もっとプラカードなどをもって、自分の言いたいことをもっと訴えなよ、と問いかけます。
『何を言っているのか分からない』という声が多かった、という事実に対して、
『いや、それは、三宅さんがデモのテーマを言ってくれないからですよ』という人もいるかもしれません。
そこで僕は、『だから、それを考えるのはみなさんでしょ』とひっくり返していきます。
デモは、みんなの空間として常に開かれていて、誰のものでもない場なんです。
そして、デモは、禅問答のようなものなんです。
『これは何のデモなんですか』と聞かれたら、『何のデモだと思います?』と問い返します。
僕自身は、音楽を通して、常にそうした『問い返し』をしています。
だから、僕の音楽はわかりにくくて、売りにくいんですけど(笑)、伝わる人にはちゃんと伝わります。
なぜ伝わるかというと、その人が、人から教わったのではなく、
『この人の言いたいことが分かった、自分でつかめた』という、自負が持てるからなんです。
そういう自立性が、今の日本には足りない。
だから民主主義が機能しないんです。
だからポピュリズムに走るし、コマーシャルに流されてしまう。
しかし、みんなの知力、情報収集能力は、かなり高いレベルに来ている、と思います。
個人的な意見を言ってはいけない、という空気の中で、
『あなた自身の思っていることを、堂々と言ってもいいんだよ』と言いたいですね」
デモは誰が何と言おうと、人数が命だ。
日比谷の野音デモに参加してた一人として、こういう事はあまり言いたくないが、
一万なんて人数では、本当は話にならない。
影響は与えられても、動かせない。
それが100万になれば、話はもちろん変わってくるだろうけど。
ここから、ドイツのデモ事情をちょっと紹介。
まず、平日に大きなデモは打たない。
絶対、土曜か日曜日にやる。
土曜が一番多い。
ベルリンはデモの街。
ドイツ全土からその日をめがけて、遠方からもデモにやってくる。
遠方から来る人の為に、安い交通網情報をネットで紹介したり、
宿泊する人たちのために、倉庫みたいな所や大きな市場などを押さえて、
デモの参加者達が、無料で泊まれるようになっている。
但し、寝袋は持参。
それがイヤな人は、低価格で泊まれるホテルや、ユースホステルなどを使っている。
参加してみて初めて分かったが、参加者へのケアは、本当に素晴らしい。
誰も知り合いがいなくても、孤立しないようになっている。
残念ながら、日本のデモでは感じが大きく違う。
組織で参加してる人は別として、個人の参加者は孤立しやすい。
友人などと来ている人は別として。
次。食事のサポート。
デモ用に、専用の料理人がいる。
食事は無料で、出発会場、宿泊施設などで振舞われる為、食事の心配をいちいちする必要が無い。
ゴアレーベンなどで大活躍した伝説の料理人を、友人を通して知る機会があったので、
デモ前夜のプレパーティで、様子を見せて頂いたが、
日本では見たこともないような大鍋を幾つも使って、次の日のデモの為に、スープや煮込み料理を仕込んでいた。
こういう規模には、日本のデモはまだ程遠い。
文化的背景が違う、というのもあるだろう。
だがしかし、大人数でデモを闘い抜き、脱原発を民衆の手で勝ち取った、ドイツのデモのやり方に、
私達は、学ぶべき所が沢山あるように思う。
因みに、プレパーティというのは、デモ参加者達が(全員ではないが)前日に行う、準備を兼ねたパーティの事。
ここでも食事は振舞われる。
しかも、お酒なども買える。
飲み物は全て有料だったが、どれも安い。
そしてテクノの街、ベルリンでは、テクノディスコのようなコーナーもあって、
参加者達が踊れるようにもなっている。
ここで、私が特に素晴らしいと感じたのは、
お一人さまの参加者がいると、様々な人が声をかけて、孤立しないようにしている事だ。
もちろん、デモ中は、みんな好き勝手に歩いているだけだが、
プレパーティみたいな場所では、お一人さま参加者は孤立しやすい。
そこら辺のサポートは、日本のデモとは比べ物にならないくらい上手で、オトナだな~と私は思ったのでありました。
日本は、デモの歴史があちらに比べれば浅いから、ある意味当然なんだろうけど、
まだまだ成長する必要があると思う。
但し、残された時間はあまり無いかもしれないが。
以上、ドイツのデモ事情、連投ツイさせて頂きました。
↑以上、転載おわり
デモ……。
わたしが初めてデモというものに参加したのは、イラク戦争反対を訴えるマンハッタンデモでした。
訴えていることはとても深刻なことでしたが、みなそれぞれ、思い思いのプラカードを持ったりして、
それまでもっていた印象と、かなり違うな……と思いながら歩いたのを覚えています。
99%デモでは、拡声器を一切使わず、中心に居る人の言葉を、近くの集団がまずくり返し、
その後は順に、伝言ゲームのようにして、後ろまで伝えていくという、
その人の声と思いとが、水面の輪のように広がる様に、とても感動を覚えました。
デモは、いてもたってもいられなくなった人たちの行き場所。
本当にそう思います。
山本太郎氏らと共に三宅洋平氏が「大デモ」開催
「デモは、いてもたってもいられない人たちの行き場所」
7月の参議院選挙に立候補し、17万票を獲得したミュージシャンの三宅洋平氏が提唱した「大デモ」が、12月7日行われ、
スタート時に、およそ3000人の参加者(主催者発表)が、東京都渋谷区の代々木公園から渋谷・原宿を巡った。
デモには山本太郎参議院議員や、山田正彦元農林水産大臣らも参加した。
デモは、前日に成立した特定秘密保護法案成立を受けて、反対の声を上げる人が多くを占めた。
その他、政府が「原発ゼロ」政策の転換を、改めて示したことへの反発、
7日から、閣僚会合が始まったTPP(環太平洋経済連携協定)に反対するアピールなど、
参加者はそれぞれの主張を掲げながら、サウンドカー上の生バンド演奏や、DJの音楽に合わせて行進していった。
デモといえば、全共闘時代に行われていたように、市民団体や労働組合が主催し、
シュプレヒコールを上げながら行進するイメージを持ちがちだ。
しかし、今回のデモは、個人の意志で参加する人が多く、
プラカートを掲げなから叫ぶ人もいれば、家族連れで散歩のように付いていく人もいるなど、
それぞれの人が思い思いに、デモに参加していたことが特徴である。
なぜ人々は、こうした「新しいデモ」に参加しているのか?
そして、デモで政治を変えることができるのか?
現場の声から模索する。
■ 山本太郎氏「デモは、普段一人ひとり行動している人たちが、勇気をもらえる場所」
デモ参加者に、今回参加したきっかけと、こうしたデモで日本を変えることができるか、を尋ねてみた。
デモで日本を変えられるとは思いません。
変えられるのは選挙だから、選挙で変えられるような方向に持って行くには、どうしたらいいかを考えています。
秘密保護法が通ったということもあって、今は何もできない中で、
自分の意志を示すとしたら、デモに参加することかな、と思います。(カット―さん)
秘密保護法とか、原発とか、洋平くんの話を聞いていると、いてもたってもいられなくなって、長野からみんなで来ました。
デモで日本は変えられると思います。
デモをすることで、知らない人を巻き込めば、みんな目が覚めるんじゃないかな。(ヒガシさん)
娘が7カ月なんですが、この子たちの未来を作っていくために、富山県から参加しました。
まだ、子供は喋れないので、この子の代わりになって、声を出していきたい。
秘密保護法案は支持していないし、私たちは声ある市民であることの、意思表示をしていきたい。
こうしたデモで今日明日すぐに変わると思いませんが、続けていくことで変わると信じています。(カオリさん)
じっとしていられない気持ちで、デモに参加しました。
歩くことで何か示すことができるんだったら、いいじゃないですか。
黙っていると、何も変わらないと思うんですよ。
今の時代は、昔みたいにシュプレヒコールを上げて、デモ行進するものではないと思います。
こうやって渋谷の街を歩けば、同じように思っている人が多くいるんだな、と伝わるんじゃないでしょうか。(アキオさん)
三宅洋平さんのバンド「(仮)ALBATRUS」のライブに行ったときに、今日の大デモの告知があったので、
それで知って、神戸から参加しました。
デモに参加したのは、今日が初めてです。
特定秘密保護法が通ってしまって、このまま何もせずに待っているのではダメだし、一人だけでも力になれればいいなと思って。
こうしたデモで変わるかと言われれば、正直わかりません。
しかし国民が意志を示すことは、大事なんじゃないかなと思います。(アイさん)
特定秘密保護法が通ってしまったことは、大変悔しいのですが、数の論理から言えば、結果はわかっていました。
秘密保護法は、最悪の法案ですけれども、多くの人たちが、
権力は、僕たちの幸せとは真逆の方向に動いてしまっていることを意識できたし、現実を知ってもらえたと思うんです。
皮肉なことですが、国民の力を集めて一つにすることに、大きな役割を果たしてくれたと思います。
この最悪な状況の中でも、一つだけいいことを見つけるとするならば、
今回の秘密保護法によって、多くの人が、とんでもない不条理を押し付けられたという、意識が芽生えたと思うんですよね。
だから、今回のことは、次のステップに進むために重要なことで、
秘密保護法が成立した瞬間からが始まり、そして今日からが始まりだ、と思っています。
僕が初めてデモに参加した時から、考えていたことなのですが、
デモというのは、関心のない外側の人に知ってもらう、という側面もあると思うんですよ。
その一方で、普段、一人ひとり行動している人たちが、勇気をもらえる場所でもあると思います。
デモは、外に向けてのアピールという意味合いもあるけれども、
横のつながりをもっと太く、深くする役割を果たしていますから、必要なものだと思います。(参議院議員・山本太郎さん)
私は福島出身で、上京してきたのですが、
3.11以降の国の体制や、福島原発事故への対応を見ていたら、ちょっとおかしいんじゃないかと思って。
恥ずかしい話ですが、そこからメディアに対する不信感や、政治に対する関心が芽生え始め、
同じ気持ちを抱えていた仲間が集まって…という流れの延長線上で、今日のデモに参加しました。
デモで日本は変えられると思います。
2012年7月16日の「さようなら原発集会」に17万人が集まったときに、
一人の力は、自分たちが気づいている以上に大きい、ということを実感しているからです。
だから絶対に日本は変えられると確信しています。(リナさん)
今日の大デモは、三宅洋平さんのTwitterで知りました。
デモに参加するのは、今日が初めてです。
秘密保護法が大きなきっかけですね。
子供も連れて気楽に参加しましたが、子供の将来に関わることなので、
デモに参加すること自体が大切なことかな、と思っています。
デモで何かが変わるかと言われたら…うーん、わからないです。
しかし、三宅洋平みたいな人が出てきて、時代が大きく変わっているんだなということは感じますね。(サトシさん)
納得いかないことがたくさんあることと、洋平が頑張って煽ってくれているんで、付いていかないと、という気持ちで参加しました。
デモで日本を変えられるかどうか分からないけれど、自分たちの考え方が変わったら、いい方向に転がっていくんじゃないかな。(きっしーさん)
■三宅洋平氏に聞く「デモのあり方」
このように、参加者のモチベーション、スタンスには違いがある。
また、デモに参加していない沿道の人たちに、話を聞いてみると、「騒がしい」「邪魔」と、眉をひそめる人も少なからずいた。
そして、もっとも多かった意見が、「何をしているのかわからない」というものだった。
また、自民党の石破茂幹事長は、自身のブログでデモについて、
「単なる絶叫戦術は、テロ行為とその本質において、あまり変わらないと思います」
(後に、[本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います]と訂正」と疑問を呈するなど、
デモのあり方そのものを、問う動きもある。
デモは、参加者の求心力を高めることはできるが、それ以外の人たちとの温度差は埋められない。
デモは果たして、有効な手段なのか。
政府や国を動かす、原動力となりうるのか。
そうした疑問を、今回のデモの提唱者である、三宅洋平氏に尋ねてみた。
「おそらく、デモをやったからって、何かすっきりするということは永遠にない、と思います。
デモで変わるかどうかというよりも、いてもたってもいられなくなった人の行き場所の一つとして、デモがあると思うんです。
いてもたってもいられなくなった気持ちそのものは、間違いなく友達や家族、たまたま通りすがった人に、何かしらの影響を与えられる。
そういった意味では、効果は絶対にあると思います。
ただし、秘密保護法案を廃案にするといった、政治的実行力を求めるとするのなら、選挙に立候補するしかない、と思いますね」
デモにもさまざまな形がある。
年輩の人には、安保闘争や労働組合のデモが、イメージとして残っているだろう。
海外を見れば、チュニジアやエジプトなどでの革命につながった、「アラブの春」など、一部で暴力的な手段につながったものもあれば、
医療や教育の充実を求めて、ワールドカップに反対したブラジルのデモなど、平和的に行われたものもある。
三宅氏が考える日本のデモのあり方は、どのようなものだろうか。
「日本では、平和なデモが根幹にあると思いますし、
安保闘争のようなデモが成功体験になっている世代がいる一方で、トラウマになっている世代がいますから、
そのトラウマの原因を、明らかにしていかないといけないと思います。
僕自身、『平和のために闘ってどうするんだ、闘ったら平和じゃないじゃないか』と思ってきた世代なので、
楽しそうだし、子供も参加できるデモを志向したい。
僕が思うのは、デモの場を通じて、参加者がお互いにモチベーションを喚起し合えればいい、ということです。
政治について知ろうとする、政治について自分で動こうとする、
社会に対して自分が何をできるかを考える、あるいは、政治や社会で何が起きているかを知る、
それについて、動いている人たちの姿を目の当たりにすることで、やる気を補填しあう場になればいい、と思います。
デモから自分たちの住む街に帰っていって、より具体的な社会参画に向けての、『やる気』を養っていくきっかけになったらいいなと」
■「何のデモかわからない、という声もあるけど、それがテーマなんです」
大デモでは、「飛び入り参加OK」を掲げ、自由に参加できる方式を模索していた。
しかし、現実には、参加者が雪だるま式に膨れ上がることは稀である。
外部からしたら、「何をしているのかわからない」という、戸惑いの方が大きいだろう。
それほど、デモに参加する人とその外側の人たちとの、壁は厚い。
その壁を打破し、さらに大きなムーブメントにしていくためには、何が必要なのか。
今の東京で、通りすがりに、踵を返して参加できるスケジュールで動いている人は、ほとんどいないと思います。
ただ、飛び入りOKと言われて、そのときに、一瞬躊躇することもあると思います。
初めて、音楽のライブとかフェスティバルに行った人が、踊るのはちょっと恥ずかしいな、と思っていたのが、
何かのきっかけで、『ああ、踊っていいんだ』と感じて、
実際に踊ってみたら、『ああ、こんな自分がいたんだ』と、気づく瞬間があると思うんです。
そういう『誘(いざな)い』をしていきたい。
周りがみんな踊っているのに、自分だけもじもじして踊れない、ということがあると思うんです。
そういう思いをしている人は、いっぱいいる。
だから、僕たちが言っている『飛び入り参加OK』というのも、
今回のデモを見て、次はちょっと参加しようかな…と思ってくれるような、それくらいのタイムラグを含んだものなんです。
日本の現状や、日本人の心理を考えると、それくらいのスパンでゆっくり広げたほうがいい。
何のデモかわからない、という声もあるけど、それがテーマなんです。
このデモが何なのかを、考えてくれればいいわけで、
デモで何を言っているんだろう、というところから始まって、
今日本で、何を言わなければいけないのか、自分なら何をいうのかを考える。
それがデモなんです。
これは○○のためのデモなんです、という扇動をされないと、ついていけないような心理状態だと、
秘密保護法やTPP、原発に反対しても、止めることができない。
そんな従順な国民でいることはやめて、自発的に自分が考えたことを訴える場が、デモなんです。
そういう意味では、『これは一体何なんだ』と思わせたら、デモは成功です。
日本人の内気さを、ブレイクスルーする文化を形成していきたいし、
たとえば外国人が気軽に、楽しくパーティーに参加しているのを、遠巻きに見ているのではなく、
「楽しそうだな、みんな一般人なのに芸能人みたいだな、なんか俺たちも垢抜けたほうがいいんじゃないか」と思えるようにしていきたい。
だから、自分は率先して、外国人から見ても驚かれるような、生き様を通してきました。
そのほうが楽しいからなんですけど。
そうは言っても、日本人はクワイエットな民族、物静かな民族なんだ、という人もいます。
それで楽しければいいですけど、本当にそれで楽しいの?と思うんです。
言いたいことも言わないで、恥ずかしがってばかりいて、先頭に立つこと、目立つことを恐れる。
だから、山本太郎くんのような存在が浮き上がってしまって、イメージも抹殺されていくんです。
デモで、無数の人たちが、もっと『キャラ立ち』してほしいんですよ。
今日の、『何を言っているのかわからない』という周囲の声は、僕も広げていきます。
次、デモに来るときは、もっとプラカードなどをもって、自分の言いたいことをもっと訴えなよ、と問いかけます。
『何を言っているのか分からない』という声が多かった、という事実に対して、
『いや、それは、三宅さんがデモのテーマを言ってくれないからですよ』という人もいるかもしれません。
そこで僕は、『だから、それを考えるのはみなさんでしょ』とひっくり返していきます。
デモは、みんなの空間として常に開かれていて、誰のものでもない場なんです。
そして、デモは、禅問答のようなものなんです。
『これは何のデモなんですか』と聞かれたら、『何のデモだと思います?』と問い返します。
僕自身は、音楽を通して、常にそうした『問い返し』をしています。
だから、僕の音楽はわかりにくくて、売りにくいんですけど(笑)、伝わる人にはちゃんと伝わります。
なぜ伝わるかというと、その人が、人から教わったのではなく、
『この人の言いたいことが分かった、自分でつかめた』という、自負が持てるからなんです。
そういう自立性が、今の日本には足りない。
だから民主主義が機能しないんです。
だからポピュリズムに走るし、コマーシャルに流されてしまう。
しかし、みんなの知力、情報収集能力は、かなり高いレベルに来ている、と思います。
個人的な意見を言ってはいけない、という空気の中で、
『あなた自身の思っていることを、堂々と言ってもいいんだよ』と言いたいですね」