中国で開発された「青花」は、真っ白い磁器に、鮮明な青い色で、文様が描かれる事によって、
その優美さと華麗さで、世界の人々を魅了します。特に中国の景徳鎮窯で作られた作品は、完成度が高く、
中国の輸出振興策もあって、世界中に広がります。
最初は王侯貴族の様な、特殊の身分の人が、独占していましたが、ヨーロッパで磁器の焼成が成功
するに従い、一般市民でも、使う事が出来る様に成ります。
1) 沈船からの引き揚げ(海揚がり)
近年注目を集めているのが、沈没した船から、引き揚げられた、陶磁器類です。
① 中国から積み出された陶磁器は、船に乗せられ、東南アジア、インド、オリエント、アフリカへ、
更には、喜望峰(南アフリカ)を回って、ヨーロッパに伝わります。
尚、一部は駱駝に乗せられ、シルクロードを通って陸路、中近東などの、内陸部に運ばれた様です。
② 長い年月の間には、海難事故も多かったはずです。陶磁器を積んだ船も、悪天候などで、
沈没する事が、珍しくなかったと、思われます。
③ これら沈没した船は、漁師達の網にかかり、偶然発見される事が、ほとんどです。
当然、破損した作品も多いのですが、梱包がしっかりしていた為、無傷の作品もかなりあります。
④ 当時の物が、そのまま出現した事に成りますので、タイムトンネルを通ってきた感じがします。
⑤ 引き揚げられた品から、どの地方にどんな作品が、輸出されていたのかも、判明する様に
成ります。ここから「水中考古学」と呼ぶ、新たな研究領域が、開拓されていきます。
2) 沈船の実例
① 韓国の新安沖の沈船
) 1975年沈船から、引き揚げられた陶磁器が、骨董屋に持ち込まれた事から、本格的な引き揚げが
始まります。注目すべき点は、この船が中国から、我が国へ向かっている際の、事故でり、
当然、積荷も我が国に輸出する、陶磁器であり、作品の種類も多い事です。
) 1975~1984年にかけて、11次の引き揚げ調査が行われます。
船底に杉材の木箱に梱包され、重ね合わされた積荷が、確認されます。
陶磁器の他に、香料、胡麻(ごま)、食物、銅銭、薬などが、詰められていました。
総数、約5万点との事です。
) 陶磁器は18,825点で、青磁が一番多く10,645点で、次い青白磁、白磁、黒釉磁等で、
高麗青磁も7点あったそうです。
特に注目は、景徳鎮産の白磁と、龍泉窯の青磁で、青磁は碗、鉢、瓶、香炉などで、
日本伝世の、鎌倉や博多などの作品に、近い物も積まれていました。
但し、「青花磁器」は一点も積まれていませんでした。
) この船は浙江省 の寧波を1323年に出港し、韓国西海岸を経由して、博多を目指したと
思われています。
② 沈船、黒岩号(ブリトゥン沈船)からの、海揚げ
1999年ジャワ島付近で、沈没した船が引き揚げられます。
1997~1998年に、陶磁器を始め、金、銀製品や、漆器、銅鏡、銅銭などが、引き揚げられます。
) 陶磁器の作品は、長沙窯鉄絵磁器、白磁、白磁青花、三彩陶器、白釉緑彩陶器などです。
文様は、初期イスラムの陶器に似ています。年代は、唐の時代9世紀前半と、思われています。
) 同様の作品群が、インドネシア、スマトラ、タイ、スリランカ、パキスタン、イラク、イラン、
エジプト各地で、出土している事から、ジャワ島からマラッカ海峡を超え、インド洋を航海
していたものと、思われます。調査はまだ途中の段階で、新たな発見があるかも知れません。
以下次回に続きます。
参考文献: 「青花の道」中国陶磁器が語る東西交流 弓場紀知(ゆば ただのり) NHKブックス
その優美さと華麗さで、世界の人々を魅了します。特に中国の景徳鎮窯で作られた作品は、完成度が高く、
中国の輸出振興策もあって、世界中に広がります。
最初は王侯貴族の様な、特殊の身分の人が、独占していましたが、ヨーロッパで磁器の焼成が成功
するに従い、一般市民でも、使う事が出来る様に成ります。
1) 沈船からの引き揚げ(海揚がり)
近年注目を集めているのが、沈没した船から、引き揚げられた、陶磁器類です。
① 中国から積み出された陶磁器は、船に乗せられ、東南アジア、インド、オリエント、アフリカへ、
更には、喜望峰(南アフリカ)を回って、ヨーロッパに伝わります。
尚、一部は駱駝に乗せられ、シルクロードを通って陸路、中近東などの、内陸部に運ばれた様です。
② 長い年月の間には、海難事故も多かったはずです。陶磁器を積んだ船も、悪天候などで、
沈没する事が、珍しくなかったと、思われます。
③ これら沈没した船は、漁師達の網にかかり、偶然発見される事が、ほとんどです。
当然、破損した作品も多いのですが、梱包がしっかりしていた為、無傷の作品もかなりあります。
④ 当時の物が、そのまま出現した事に成りますので、タイムトンネルを通ってきた感じがします。
⑤ 引き揚げられた品から、どの地方にどんな作品が、輸出されていたのかも、判明する様に
成ります。ここから「水中考古学」と呼ぶ、新たな研究領域が、開拓されていきます。
2) 沈船の実例
① 韓国の新安沖の沈船
) 1975年沈船から、引き揚げられた陶磁器が、骨董屋に持ち込まれた事から、本格的な引き揚げが
始まります。注目すべき点は、この船が中国から、我が国へ向かっている際の、事故でり、
当然、積荷も我が国に輸出する、陶磁器であり、作品の種類も多い事です。
) 1975~1984年にかけて、11次の引き揚げ調査が行われます。
船底に杉材の木箱に梱包され、重ね合わされた積荷が、確認されます。
陶磁器の他に、香料、胡麻(ごま)、食物、銅銭、薬などが、詰められていました。
総数、約5万点との事です。
) 陶磁器は18,825点で、青磁が一番多く10,645点で、次い青白磁、白磁、黒釉磁等で、
高麗青磁も7点あったそうです。
特に注目は、景徳鎮産の白磁と、龍泉窯の青磁で、青磁は碗、鉢、瓶、香炉などで、
日本伝世の、鎌倉や博多などの作品に、近い物も積まれていました。
但し、「青花磁器」は一点も積まれていませんでした。
) この船は浙江省 の寧波を1323年に出港し、韓国西海岸を経由して、博多を目指したと
思われています。
② 沈船、黒岩号(ブリトゥン沈船)からの、海揚げ
1999年ジャワ島付近で、沈没した船が引き揚げられます。
1997~1998年に、陶磁器を始め、金、銀製品や、漆器、銅鏡、銅銭などが、引き揚げられます。
) 陶磁器の作品は、長沙窯鉄絵磁器、白磁、白磁青花、三彩陶器、白釉緑彩陶器などです。
文様は、初期イスラムの陶器に似ています。年代は、唐の時代9世紀前半と、思われています。
) 同様の作品群が、インドネシア、スマトラ、タイ、スリランカ、パキスタン、イラク、イラン、
エジプト各地で、出土している事から、ジャワ島からマラッカ海峡を超え、インド洋を航海
していたものと、思われます。調査はまだ途中の段階で、新たな発見があるかも知れません。
以下次回に続きます。
参考文献: 「青花の道」中国陶磁器が語る東西交流 弓場紀知(ゆば ただのり) NHKブックス